松山〜今治間の近況報告(2003.04〜09)

     
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2003.09.25(木)
特急列車の車内販売が9月末でなくなる。月曜日は残業予定で、火曜日は休暇予定である。したがって、今日が最後の車内販売の可能性があるので、帰りの列車で缶コーヒーを買った。1本140円である。が、今日のところは記念ということで、そのまま家に持ち帰った。対価に車内販売は激務であるが、JR各駅でのコンビニの普及と列車の短距離化を考えると、色々と考えさせられた一日であった。

2003.09.24(水)
今日定時に帰っていると、今治から終点松山まで、ついに途切れることなくいびきをかき続けたおじさんがいた。疲れているのだろうとは思うが、やはりうるさかった。

2003.09.22(月)
今日、そろそろ帰宅する時間を気にし始めた午後8時20分頃、
Islandしこく」から事故発生のメールが届いた。昨日は実に4時間も事故区間はストップしていたため、またか?という空気が流れた。が、乗車した人に尋ねたところ、実際には20時36分発23Mは定刻に今治駅を出発したらしい。そこで今治駅に尋ねたところ、25Mから影響が出て、約10分程度の遅れだという。が、結局は「同期のY君」の車に乗せて帰ってもらった。が、結局は松山着定刻22時16分のところ、22時20分頃にはまだ松山駅には到着していなかったようであった。

2003.09.17(木)
今日、帰りの電車に乗っていて、ふと気づいた。8000系の場合、振り子が作動しているカーブのときに、「ひーここ、ひーここ」という音が聞こえる。直線になると、その音は消える。気にしていると、いつの間にか松山到着のアナウンスがはいった。

2003.09.10(水)
今日は朝雨が降っていて、一瞬涼しかったからか、なんと冷房が効いていなかった。というわけで、私が今治で下車したときは、ヘッドシーツはしみがつくほどに濡れ、座席そのものも湿っていたように思う。が、これは私の体質であるから、しったことではない。

2003.08.19(火)
今週から、またまた夏が戻ってきた。というわけで、出勤時の電車の中では、相変わらず猛烈に汗をかいている。今日は定時に帰れたので、元気そうな積乱雲や、Yoshikenさんと一緒に行った北条市大浦の鉄道撮影現場や、伊予鉄道西衣山の様子を携帯電話から撮影してみた。

    

2003.08.11(月)
先週金曜日に休暇をとったので、当日はわからないが、今日から1週間は8両全車両が岡山行きとなる。というわけで、5月はそのようなことはなかったのだか、盆の場合は自由席が1〜3号車に変更される。私は1号車に乗車したので、8号車がよく見えた。当然猛烈に混み、今治駅では一方の階段だけが混雑することになる。ちなみに、今日の帰りはアンパンマン列車であったが、6号車連結の8両編成であった。通常2100系がはいる4号車に中間車の一般塗装車がはいり、5号車が指定席、6〜8号車が松山止まりだが、7号車ロールパンナ号が全車指定席。そして、なんと6号車はメロンパンナ号であった。8号車にローテーションされる日を待っていたのに、これでは元の木阿弥の喫煙車両であった。

2003.08.06(水)
今日は帰宅しようとすると、今治は大雨だった。が、松山は降らなかったらしい。雨は電車がやってくるときにはやんだが、ホームの向こうに虹が見えた。が、妻に言わせると、育児を始めて虹を良く見るようになったらしい。その理由はその時間帯に外に出ることが多くなったのだという。

2003.08.04(月)
今日の今治発20時36分発23M特急は14分ほど遅れて到着した。通常菊間で行き違いする1030Dとは伊予亀岡で行き違いし、伊予北条では4567Mは特急を待たずに先に出発していた。松山到着は13分遅れの21時25分で、21時17分発675Dは待機、21時30分発1073D特急は23M到着後に1番線進入、さらに、23M折り返しの21時20分発1032Mは代替列車をたてることなく、遅れたまま出発するようであった。

2003.07.28(月)
今日の今治発21時36分発25M特急は少々遅れた。そのせいか、今治を出ると速度を上げ、突然がたがたと揺れだした。もしやと思ったら、案の定「8101」だった。その後私はうとうととしていたのだが、突然脱線するかと思うような激しい揺れを感じて目が覚めた。場所はやっぱり粟井〜光洋台間であった。

2003.07.24(木)
昨日乗車した電車は、最終の岡山行きの特急となって、再び松山着最終の電車となる。そして、どうやら、今日松山7時19分発の電車となるようである。で、昨日見たスカートはめくれている部分を取っ払った状態で松山駅に回送されて来たのであった。

2003.07.23(水)
今日は帰りの電車が観音寺付近で事故を起こしたとかで、20分ほど遅れてきた。で、やってきた電車は、みごとに前部スカートが割れていた。

2003.07.19(日)
大阪から東予港、今治経由で朝JR松山駅に着いたときに、松山駅の特急列車編成表を見ると、平日の10Dの附属編成7、8号車を宇和島まで回送する最終の特急宇和海に次のように書かれていたことに今気づいた。「ご乗車できません」

2003.07.11(金)
朝、昨夜と同じ場所に留置されていたクモヤ443系をデジカメで撮影する。その内容は「松山駅」に掲載する。帰りは今治駅17時31分発で帰ったのだが、6月11日のように今治駅では8000系を見なかったが、菊間駅で8000系を追い越した。あるいはすれ違ったのだろうか。

2003.07.10(木)
今日21時過ぎの特急で松山に着いたら、留置線にクモヤ443系がとまっていた。また、キハ65+キハ185-3000系の2両編成もいた。というわけで、3番ホームにいるキハ185-3000系2連ごしに携帯電話で撮影した。

  

2003.07.08(火)
出勤時に寝ていて、本当に起きる時間が今治に近くなった。今日は気がつくと「まもなく今治に到着します・・・」というアナウンスで目がさめた。「今治国際ホテル」のタワーは目の前、もう少しで高架区間に入るところである。今治でごっそりと下車するのであるが、いつか寝過ごしそうな気がしてならない。

2003.07.03(木)
今日17Mで帰宅中、550Dと大浦ですれ違うと、キハ58+キハ185-3000だったような気がした。松山側はキハ185-3000に間違いない。今治側はキハ58だったような気がする。

2003.07.01(火)
今日のJRはいろいろとあった。朝は7時19分発の特急が全車岡山行きとなって、自由席は1両減の1〜3号車に変更。今治から私の出身高校の修学旅行生が4、5号車に乗り込んできた。帰りは今治発22時30分の便であったが、案内で「自由車は足元5番から10番・・・」という。通常は3番〜10番である。さては、朝の・・・と思って、5番で待っていたら、なんてことはない。アナウンスの誤りであった。さて、松山に帰ると、ちょうど最終の宇和島行き特急が2番ホームで待っている。で、編成はG車なしの4両基本編成に、アンパンマン列車の増結3両が連結されていた。しかも、号車番号はしっかりと、5号車、7号車、8号車となって、6号車は欠車となっていた。意味のないことをするものだ。が、ここで疑問が残る。なぜ、人が乗らないような時間帯に7両も連結するのであろうか。アンパンマン列車を松山で後ろ3両切り離さなければ、それだけ人の乗る時間帯に連結できると思うのだが。

2003.06.24(火)
最近雨が多い。雨の中、雨よけのない今治駅2番ホームで電車待っていて、電車が到着する。車内から出てきた女性2人が「雨ーー」と言いながら、その場で立ちすくむ。なんでもいーから、早く降りんかい!なお、何も考えていない乗客の場合は、たとえ階段に遠いほうであろうとも、前の扉から降りるのは何故?

2003.06.19(木)
今日ははじめて、アンパンマン列車で帰宅した。車両の基本的設計は8000系と変わらないはずだが、やはり、運転台が多い分1車両あたりの室内が狭いようにも感じる。まあ、2、3号車に乗らずに、7号車「ロールパンナ号」に乗ったからではあるが・・・なお、画面では暗くて判らないが、この車両は、1〜7番席が指定席で8番以降の席が自由席なので、その表示が車両中央にある。

2003.06.11(水)
今日は定時で帰ろうとして、ホームに上がったら、8000系電車5連が2番ホームにいた。「臨時」という標識があった。ただ、この列車は17時27分頃、1番ホームに7000系電車到着と同時に出発した(
下の写真)が、この7000系は8000系特急を待たずして、17時31分頃出発する。伊予富田で行き違いをして、8000系は約7分遅れで今治に到着する。その後は、通常伊予亀岡で下り8000系は3番ホームへ運転停車するが、今日は通常ならば通過するはずの上り8000系が1番ホームに停車し、下りは2番ホームを通過。先の臨時8000系は菊間で追い越した。

   

2003.06.09(月)
今日は朝非常に暑いのに、冷房はかかっておらず、今治に到着するときには汗だくになってしまった。が、帰りの「8101(おおっ懐かしい揺れの中で帰ってきました。)」は、寒いくらいに冷房がかかっていた。融通のきかんやつめ。

2003.06.04(水)
今日の帰りの2号車は「8311」であった。この車両8000系には珍しく、カーテンが布である。布の車両がたまにあるなあ、と思っていたら、今日その車両に乗った。

2003.05.13(木)
今日の仕事帰り、初めて8000系特急に弱冷房がかかった。ただ、それよりも、個人的には、朝かけてほしい。毎日、汗だくで今治駅に降りている。

2003.05.08(水)
はたして、今治〜松山間に何個のトンネルがあるのか?数えてみた。今治を出て、伊予亀岡〜菊間間2個、菊間〜浅海間7個、浅海〜大浦間5個、大浦〜伊予北条間2個、光洋台〜堀江間1個で計17個であった。やはり、市郡境の前後の中心駅である菊間〜伊予北条間に14個あることになる。今でこそ、菊間はどちらかというと、松山寄りの印象があり、実際今治市との合併で揉めた経緯がある。が、昔はやはり菊間町と北条市は結構遠い関係だったのかもしれない。

2003.04.22(火)
最近通勤して思うこと。松山駅を出発して、ちょうど伊予鉄西衣山付近を通過するとき、たいてい松山市駅、横河原方面の電車が西衣山付近に見える。すると、なぜかそこで、坊っちゃん列車運転士の「紳士松井」が浮かぶのである。理由は簡単。以前の情報誌で、彼が顔写真とともに実名及び番地を除く住所入りで掲載されていて、彼の自宅が山西駅方面であることがわかったからに他ならない。さて、今日の帰りの乗車車両は「8303」で、ほとんど揺れなかった。

2003.04.21(月)
本日今治21時36分発の特急で帰ろうとしたら、人身事故で当初「12分遅れ」の表示が出ており、そのうち「15分遅れ」に変わって、最終的には17分遅れて出発した。大西で本来ならば通過するはずの特急が1番ホームに運転停車しており、2番ホームに停車した後すぐ発車。伊予北条停車にもかかわらず、結局所要時間35分で松山駅に到着した。夜間でもあり、多分運転手は思いっきり飛ばしたのだと思うが、あいにく乗車した車両は「8101」であり、大変揺れた。

2003.04.20(日)
松山〜今治間を電車通勤始めて3週間が経過する。その間の近況報告をする。今後、また新たな発見があり次第追加していくことにする。

(1) 現在土曜日も含めて、今治⇒松山間はずっと8000系2号車の禁煙自由席車両に乗車している。さて、帰宅中ある発見をした。粟井駅付近で結構揺れるのである。それもがくがくと縦揺れが激しく、最初は地震かと思った。というわけで、皆様の指導により、その車両を検索してみることにした。4月15日今治21時36分発の便では8101が激しく揺れることがわかったが、それ以降帰宅中はずっと寝ていて判らなかった。4月19日は今治15時27分発は8311であったが、あまり、揺れなかった。それにしても、同じ2号車で8101と8311という脈絡のない番号が投入されているとは思わなかった。

(2) 今治駅は高架される前から、1番ホームは高松行き、2番ホームは松山行き、3番ホームは退避用両方向出発可能であった。高架された現在も原則としてその方式を踏襲している。が、現在の今治は1番ホームに松山側への出発信号がある。つまり、松山方面へは3本のホームいずれからも発車できるのである。まあ、高架されて留置線がなくなって、夜間の3番線は今治発着の普通列車のやりくりで大変だから、万一のことを考えてのことかと思っていた。

が、4月18日(金)午後11時55分に2番ホームへあがってびっくりした。58系気動車2連が停車している。あれれねと思って一度下に下りると、なんと、0時01分発の松山行き特急は1番ホームから出発するのである。これには非常に感動した。 

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