松山〜今治間の近況報告(2003.10〜2004.01)

     
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2004.01.30(金)
本日の17Mはほぼ定刻で今治到着。伊予亀岡停車が17時48分着、まずまずのタイミングで28Mが通過。なのに、なぜか松山到着は2分遅れであった。なんで!?

2004.01.28(水)
本日の17Mは約2分遅れて今治到着。伊予亀岡停車が17時48分着、まずまずのタイミングで28Mが通過。で、結局松山到着はほぼ定刻であった。

2004.01.27(火)
本日の9Dは今治到着、松山到着ともほぼ定時であった。

2004.01.26(月)
本日の21Dは今治到着が4分遅れ、伊予亀岡で退避する192Dは通常2両のところ、3両編成だったような・・・1032Mは3分遅れで通過。松山到着は3分遅れの20時15分であった。

2004.01.23(金)
今朝の松山は大雪であったが、列車は1052Dが5分程度の遅れと、まずまず定刻に動いていた。北条市に入った頃には雪の降った形跡もなく、今治市は晴天であった。さて、17Mは約4分遅れて今治到着。伊予亀岡停車が17時49分着だったが、28Mは伊予亀岡を約2分遅れて通過した。で、結局松山到着は3分遅れであった。

2004.01.22(木)
本日は松山〜宇和島間積雪と瀬戸大橋線強風のため、ダイヤが乱れていた。このような時に列車が遅れるのは当たり前であり、それをとやかく言うつもりはない。私は前回のダイヤ改正の設定にミスがあるのでは?と疑っているだけである。まあ、一応、本日の21Dは今治到着が13分遅れ、伊予亀岡で192Dを退避するのに、なぜか3番ホームで一時停車。菊間でも停車して1032Mを退避。松山到着は18分遅れの20時30分であった。1034Dは定刻20時28分発のところ、引き上げ線からすぐに入線してきたようだ。

2004.01.21(水)
本日の17Mは案内では「約2分遅れて・・・」と言っていたが、実際には約3分遅れて今治到着。伊予亀岡停車が17時48分着だったから、ここで28Mが来ていてくれれば定刻であったが、28Mは伊予亀岡を約2分遅れて通過した。で、結局松山到着は2分遅れであった。

2004.01.20(火)
本日の23Mはなにを血迷ったか今治着ほぽ定刻、伊予亀岡では1034Dが若干遅れたが、結局松山へは到着と同時に21時20分、あわや1分早着か!?と思わされた。なお、松山到着直前、松山駅引き上げ線に8000系5両の予備編成が停車しており、23Mは全車一旦引き上げられ、通常折り返しとなる1036Mはその予備編成が充当された。

2004.01.19(月)
本日の23Mは今治着3分遅れ、伊予亀岡では1034Dも遅れており、23Mは1分少々の停車であったが、結局松山着は3分遅れであった。

2004.01.17(土)
本日は1001D及び1034Dが5両編成となっており、1065DはTSEではなかった。なお、TSEは松山駅構内に留置されてはいた。昨日の踏切事故により、車両運用利一部が変わったと聞いていたが、その影響があったのかも知れない。

2004.01.16(金)
本日の17Mは午後2時半頃に発生した関川〜多喜浜間人身事故で約7分遅れて今治到着。28Mを大西で待つことになる。28Mはほぼ定刻の17時52分頃に大西を通過。そのあおりで、結局松山到着は10分遅れであった。

2004.01.15(木)
本日の25Mは今治着2分遅れ。だが、今治〜松山間所要時間43分ならば、たいした遅れではない。大西駅の運転停車ではやくも定刻に戻し、松山着も定刻であった。昨年10月ダイヤ改正以来、23M、25Mのように下り列車の松山駅手前信号待ちが多くなった。当然、電車が停車している間は踏切の遮断機も閉まっている。現在松山駅高架事業の話があり、反対運動も起こっているが、ひょっとして、松山駅を高架しないと、こうなりますよ、という嫌がらせのように思えてならない。そういえば、14時頃の松山駅は9D松山到着直後の今治行き普通列車が廃止になったにもかかわらず、松山駅での入れ替えが増えている。留置線から留置線への入れ替えをやったりもしている。こられも、ひょっとしてという疑念を感じずにはいられない。

2004.01.14(水)
本日の23Mは今治着6分遅れ、伊予亀岡では1034Dも遅れており、23Mは1分停車したが、松山着は3分遅れであった。

2004.01.13(火)
本日8Mで出勤していると、瀬戸大橋が強風でストップし、全車岡山行きとなる可能性があることを知らせる案内があった。高松からは宇高国道フェリーに案内するらしい。実際に昼過ぎまで運転できなかったようだ。さて、その割には23Mは6分程度の遅れでやってきた。伊予亀岡では1034Dが2番ホームに停車しており、23Mは一瞬停車した後、すぐに発車した。松山到着は3分遅れ。ただ、松山駅手前で一旦停止した後、猛然と1番ホームに進入して行ったが、すでに特急宇和海は引き上げられた後であった。ではなぜ、一旦停止するの?

2004.01.11(日)
本日の13Mは今治をほぼ定刻に到着した。が、大西に到着したときは26Mはすでに2番ホームにいたし、その割には13Mの大西出発が遅れたし、特に何がということもないのに、松山到着は2分遅れであった。なぜ?ちなみに、今治駅の「みどりの窓口」に最近の夕方の下り列車遅延に関する謝罪の張紙が貼られていた。最近踏切の非常スイッチを押すといういたずらが多いことなどがあげられていたが、基本的にはダイヤは変わっていない、四国は単線が多いため(後略)という文面があった。が、私にいわせれば、新幹線「のぞみ」増発による時間変更が1分でもあれば、予讃線が単線である以上末端部分での影響は多くなるのであるが、結局のところは、ダイヤの作成者のウデが悪い!といわざる得ないと思う。

2004.01.10(土)
本日の10Dは8号車最前列に座ったため、久しぶりに今治まで全く寝ることがなかった。各駅の通過時刻は5秒以内という正確さであった。また、13Mもほぼ定刻で運転されていた。

2004.01.09(金)
本日の17Mは石鎚山駅ポイントに石が挟まっていたというトラブルで、今治到着は9分遅れ。通常ならば伊予亀岡で退避する28Mとは大西で退避させられる。28Mは17時52分に通過。546Mとは三津浜ですれ違い、松山到着は10分遅れの18時22分。

2004.01.08(木)
本日の17Mは今治着2分遅れだったが、28Mも伊予亀岡遅れの17時50分通過、松山着は3分遅れの18時15分であった。なお、本日は松山駅前で3時間ほど懇親会をしていて、23Mの松山到着は定刻であった。

2004.01.07(水)
本日今治駅17時20分過ぎに2000系気動車G車1両が出発していった。17Mは今治着2分遅れだったが、28Mも遅れ、松山着は3分遅れの18時15分であった。なお、G車は菊間駅で17Mが抜いていった。

2004.01.06(火)
本日の17Mは今治着2分遅れだったが、28Mも遅れ、伊予亀岡運転停車後の出発は17時49分。だが、この後私は全く記憶がない。ただ、粟井を過ぎてものすごい揺れで目が覚めた。伊予和気18時07分だったので、定刻かと思ったが、なぜか三津浜通過が18時10分で、まあ、松山着は定刻に近い18時13分着であった。

2004.01.05(月)
本日は8M、17Mとも全車両岡山行きで、自由席は3両に減らされていた。その17Mは踏切事故だとかで、今治到着は8分遅れ。通常ならば伊予亀岡で退避する28Mとは大西で退避させられる。28Mは17時52分に通過。あげくに、通常堀江で退避させる544Mと粟井で退避させようとするものだから、同駅手前で信号待ちをさせられる。546Mとは三津浜ですれ違い、松山到着は9分遅れの18時21分。すぐにサンライズが3分遅れで出発していった。

2003.12.26(金)
本日の25Mは今治着6分遅れ、その後は酔っ払って寝ていたため記憶はなく、松山到着は約5分遅れであった。下り最終特急宇和海は27Mを待っていた。

2003.12.25(木)
本日の17Mは海岸寺〜詫間間で線路区域内に穴が発見されたための徐行運転で約6分遅れて今治到着。その後は猛スピードで走り、伊予亀岡では17時50分、28Mを1番ホームに退避させる。この時点で28Mは2分遅れだが、17Mは逆に4分遅れを取り戻した。これで、17Mの役割は終わったのであるが、その後もスピードを緩めず、(私はその後寝てしまったが)松山到着は18時13分。伊予北条に停車して今治〜松山間33分はすごい。では、23Mなどはいつもは何をやってるの?という新たな疑問が生じる。

2003.12.24(水)
本日の17Mは今治着2分遅れ、伊予亀岡では28Mがほぼ定刻でやってきたため17時48分発、伊予北条18時00分発で、松山到着は定刻の18時12分であった。

2003.12.22(月)
本日の23Mは今治着3分遅れ、伊予亀岡では1034Dも遅れており、23Mは2分停車したが、その後23M猛然とダッシュし、松山着は定刻21時20分であった。で、改札口を出たら、ちょうど坊っちゃん列車の「まろん君」こと「K4車掌」が私服で立っていた。まあ、誰かを待っているようだったので、声をかけることなく帰途に着いた。

2003.12.19(金)
本日は2時間休暇をとって、13Mは今治着3分遅れ、で、眠りこけてしまって、どこで特急と行き違いしたか全く記憶がない。ともかく、松山着は16時13分であった。まあ、定刻というところか。

2003.12.18(木)
本日の23Mは今治着4分遅れ、伊予亀岡では1034Dも遅れており、23Mは2分停車したが、松山着は21時21分であった。まあ、定刻というところか。

なお、私は昨日送迎バスで帰宅したのだが、昨日は午前中の伊予桜井〜伊予富田間の列車事故の影響で車両のやりくりが付かず、17Mはなんと3両だったという。まあ、これは未確認情報であるが、本日今治駅改札口で「今日は8両ですね」と言ったら、それらしき回答が得られた。

2003.12.16(火)
本日の17Mは今治着2分遅れ、伊予亀岡では28Mがほぼ定刻でやってきたため17時49分発、伊予北条18時00分発で、松山到着は定刻の18時12分であった。明日は懇親会の後は送迎バスに乗るので、JRには乗らないと思う。

2003.12.15(月)
本日の17Mは今治着4分遅れ、伊予亀岡では28Mがまだ来ておらず、約2分停車で出発し、松山到着は3分遅れであった。

2003.12.12(金)
本日の23Mは今治着2分遅れ、伊予亀岡では1034Dも遅れており、23Mは2分停車で、松山着は21時21分であった。まあ、定刻というところか。

2003.12.11(木)
本日の23Mは今治着5分遅れ、伊予亀岡では1034Dも遅れており、23Mは2分停車で、松山着は4分遅れであった。

2003.12.10(水)
本日の17Mは今治着5分遅れ、伊予亀岡では28Mが先に2番ホームに到着していて、松山到着は3分遅れであった。って、17Mと28M以外、昨日と全く同じではないか。

2003.12.09(火)
本日の21Dは今治着5分遅れ、伊予亀岡では32Mが先に2番ホームに到着していて、松山到着は3分遅れであった。

2003.12.08(月)
本日の23Mは今治着4分遅れ、伊予亀岡では1034Dが先に2番ホームに到着していていたが、結局松山着は5分遅れだった。なんで?

2003.12.05(金)
今日の17Mは今治到着は6分遅れの17時40分発。が、伊予亀岡で28Mが1番ホームに停車し、17Mは速度を落とすことなく2番ホームを通過、松山到着は1分遅れの18時13分。おおっ、所要時間34分ではないか。が、私は伊予亀岡以降、ずっと寝ていたのであった。

2003.12.04(木)
ついに遅刻常習犯23M連続遅延記録途切れる!!今治到着は2分遅れだったが、伊予亀岡ですぐに1034Dがやってきて、三津浜通過は21時15分、松山駅前信号待ち到着21時17分、同出発21時18分。だが、ここからやはり何かがある。進入速度がいつもより遅い。辻の踏切通過後19分、これが通常の時速15キロなのか?ホームにかかる直前に20分になる。が、ついに21分になる前に到着した。まあ、21時20分45秒到着かもしれないし、定刻だったのであろう。しかし、なんだか、これで人生のひとつの目標がなくなったような気がする。

2003.12.01(月)
本日の遅刻常習犯23Mは今治到着5分遅れ。伊予亀岡では1034Mが2番ホームに停車していたため、すぐに発車し、松山到着は2分遅れ。なお、TSEであるが、1001Dは浅海通過直前に目が覚め、1034Mとともに今日は4両編成であった。

2003.11.28(金)
本日の17Mは今治到着4分遅れ。松山到着も変わらず。ただ、今日は自転車で来てなかったので、伊予鉄バス松山市駅〜パルティ衣山間のバスも定刻18時05分のところ、23分ほど遅れていたので間に合った。

2003.11.27(木)
本日の遅刻常習犯23Mは同僚が駅員に尋ねたところ、「今日は1分遅れです」と得意満々に答えたという。列車は今治を2分遅れで出発したが、伊予亀岡の運転停車時間が短く、なんと三津浜駅通過は松山駅到着7分前。いよいよ23Mの乗車連続遅延記録が途絶えるか?が、まてよ。ここからまともに松山駅に入っても21時17分である。今治からの所要時間38分。これで速いと思える程JR四国は落ちぶれか、などと思っていると、なんと、松山駅手前の信号が切り替わらない。宇和島からの特急でも遅れたのであろうか。そのまま4分近く停車して、結局松山駅到着は2分遅れ。三津浜〜松山間に9分もかかるのか!?というわけで、遅刻常習犯23Mの乗車連続遅延記録は継続したのであった。

2003.11.26(水)
本日の17Mは2分遅れ。28Mとは予定どおりの行き違いをしたが、停車時間が短かったため、松山到着はほぼ定刻であった。

2003.11.25(火)
本日の17Mは5分遅れ。朝高松方面濃霧の影響で・・・と言っていたが、それなら上り列車も遅れているはずであるが、28Mは伊予亀岡2番ホームに先に停車していた。で、松山着は2分延着。

2003.11.21(金)
本日の17Mは4分遅れ。今治駅のホームに駅員が出てきたため、よもや、と思ったが、やはり伊予亀岡1番ホームで28Mが運転停車する中、2番ホームを通過し、松山着は2分遅れであった。

2003.11.20(木)
今朝7時頃、松山駅留置線に「アイランドエクスプレス四国U」がいた。また、本日の8M8号車には自動販売機が設置されていた。価格は通常の自販機と同じで、ペットボトル150円、コーヒー等120円、コカコーラ特別サイズ100円であった。

さて、帰りは悲惨なことになった。23Mは・・・ついにこなかった。19時45分頃新居浜〜中萩間人身事故で、23Mは新居浜で抑止。情報では、1147Mが頃新居浜〜中萩間人身事故でそれ以降の列車は抑止とのこと。4557M今治発は定刻20時48分にやってきたので、一同それに乗る。波止浜で548M、波方で1034Dとすれ違うが、菊間で貨物列車を待つことなく出発する。そして、次の浅海に21時30分に到着したところでトラブル発生。無線から「21時32分第7報・・・」の後に「伊予北条ホーム満杯」の連絡。現在松山駅には予備編成がいる。これが1036Mとなって出発すると、伊予北条21時41分発、4550Mは伊予北条で1036Mに抜かれて21時45分発。そして、3番ホームには貨物列車がいる。案の定運転士が「20時50分頃まで停車する」という。おそらく、4550Mの浅海到着の21時54分まで停車すると思われたが、まさにそのとおりとなった。1036Mは5連で通り過ぎていった。伊予北条では貨物列車が停車しており、粟井で552Mとすれ違う。そして、22時23分に松山到着。

今朝も雨で、妻に駅まで送ってもらったし、列車は遅れるし、雨は降るしで、結局タクシーで帰ったところ、ちょうど宮田町バス停北側の交差点で特急らしき編成が松山駅に到着していくのを見た。

  

2003.11.19(水)
本日の17Mは今治着2分遅れ。ただ、伊予亀岡で特急を待つ時間が減った分、松山到着は1分遅れ。これならまあ、文句は言えないか。

2003.11.18(火)
本日の23Mは今治着5分遅れ。548Mは大西で退避させ、1034Dは亀岡駅2番ホームに先に到着していた。結果、23Mの松山到着は4分遅れ。

2003.11.17(月)
本日の21Dは早々に「5分遅れ」と出ていたが、実際には3分遅れでやってきた。多分30Mに伊予桜井駅で退避させられる際に時間を稼いだと思われる。その後1032Mに伊予亀岡で退避させられるのだが、1032Mは先に2番ホームで待っていた。さて、その1032Mは5〜8号車が指定席であるが、8号車G半車、指定半車は乗客ゼロ、7号車女性が1名、6号車ゼロ、5号車に10名程度乗車していた。さて、7号車は指定席唯一の喫煙車両であるが、その車両に一人でいた女性客、よほどタバコが吸いたかったのだと思われる。

2003.11.13(木)
本日の23Mは4分遅れだったが、駅員がホームにやってきた。いやな予感は的中し、11月10日に考えたことと同じことをやってくれた。が、548Mを波方で退避・・・するはずが、列車がやってこずに約4分停車。さらに大西で1034Dを退避してこれまた約4分停車。どこが特急だ!と思う鈍足振りで結局松山到着は10分遅れ。さすがに、今日は松山駅到着直前に信号待ち停車をしなかった。

なお、朝松山駅に「癒しの四国」が停車していたので携帯電話で撮影した。松山到着時もいた。

2003.11.12(水)
本日の17Mは3分遅れで今治到着。伊予亀岡では上り特急電車が先に入って待っていた。さて、朝アイランドエクスプレス四国Uが午前7時頃に出発して行った。8Mは伊予北条で追い越したが、今治は8時20分頃に発車したらしい。下は松山駅3番ホームにいるアイランドエクスプレス四国U。

2003.11.10(月)
本日の23Mはやはり10分遅れであった。先週金曜日の23Mも先週木曜日と同じ仕打ちを受けたのだそうだ。が、今日は548Mは波方で退避させ、1034Dは大西で退避さされた。で、松山到着は8分遅れ。

※・・・ということは、4分遅れようが、10分遅れようが、波方駅(8両編成の特急は入線できないから、波方駅の手前で信号待ちをする。地域の人に迷惑がかかるが、松山駅でもやっているではないか。)で548Mをひたすら待つのとなんら変わりがないではないか。

2003.11.06(木)
今日の23Mは4分遅れで今治駅に到着した。が、大西駅で548Mを退避させるはずが、548Mは1番ホームに停車しており、23Mは2番ホームに停車。548Mはそのまま発車し、その後1034Dが通過していった。23Mは結局大西駅で8分間運転停車し、松山着は8分延着となった。「本日は列車遅れまして誠に申し訳・・・」ないとは絶対思ってないと思う。「列車遅らせて誠に申し訳ありません」と言い直すべきである。

※・・・さて、今、時刻表を見ていてあることに気づいた。なぜ23Mが遅れるのか?23Mは伊予桜井駅で192Dを退避させる。192Dはキハ58+キハ65の2連である。今治20時22分発、伊予富田20時27分発、伊予桜井推定20時31分着20時40分発となっている。伊予桜井で23Mを退避し、23Mは20時38分に今治着となる。が、この192Dは9月まで伊予北条から大浦に到着するのが遅れ、17Mを大浦駅手前で何度となく信号待ちさせた張本人である。192Dが定刻に着いたとしても、23Mが今治に到着するまでは7分。もし192Dが遅れたならば、そのまま遅延につながるのではないか?ちなみに、192Dは今治で4分停車する。20時20分頃に発車させたらどうなるのだろうか?

2003.11.05(水)
本日の17Mは4分遅れで今治駅に到着した。夕方から降り出した雨も、2番ホームで2号車自由席の禁煙車に乗車しようとした場合は、雨をしのぐことができない。が、JR四国としては、4分の遅れは遅れと思っていないようであった。9月までほとんど遅れることがなかっただけに、JR四国のダイヤグラムに無理が生じたような気がしてならない。

2003.11.04(火)
本日の23Mは観音寺〜豊浜間での事故のため、14分遅れだった。だが、解らないのが、548Mとは大西で離合、1034Dとは23Mが通常どおり伊予亀岡で運転停車。14分遅れて、なぜ1034Mも同じ時間帯にやってくるの?しかも、23Mは松山駅前でいったん停止。1074Dがまだ1番ホームにいるの?と思ったら、動き出した23Mは猛然と松山駅に到着した。みると、さすがに1074Dは先に引き上げたようだ。ならば、なぜ23Mは松山駅到着前に一時停車したの?

2003.10.30(木)
本日の23Mは予定どおり4分延着で、私が乗車する場合の連続延着記録が続いている。「列車遅れまして誠に申し訳ありません」というならば、伊予亀岡での離合で1034Dを先にホームに入れるなり、23Mの進入速度を落とす場所をもう少し考えるなり、本当に考えるのならば、延着しているのならば、松山駅1番ホームに居座っている1076Dをとっとと引き上げて、23Mの松山駅進入速度を上げるなり努力しろっての。努力しないのならば謝るな!なお、本日の1034DはTSEではなかった。

2003.10.29(水)
本日の17Mは今治4分延着、伊予亀岡では通常通過する17Mが先に2番ホームに到着していた。なお、22Dアンパンマン列車は8号車は「メロンパンナ号」だった。

2003.10.28(火)
本日の23Mは予定どおり5分延着であった。私が乗車する場合の連続延着記録が続いている。なら、最初からそのようなダイヤにしろって。

2003.10.24(金)
今朝の8Mは予定どおり全車岡山行き、自由席1〜3号車であった。帰りの17Mも、これまた予定どおり自由席1〜4号車に変更された。が、3分程度遅れるわ、当初自由席2〜5号車だと言って、後で訂正放送が流れて大混乱するわ、と大変であった。が、なんと、1号車の先頭席が空いており、展望車状態で帰宅できたのであった。まあ、もう少し日が暮れるのが遅ければ・・・だが、こればかりは。なお、17時23分頃に2000系の2000番台G車と2200番台中間車両の2両が松山方面に回送されていき、17Mが菊間で追い越した。

2003.10.23(木)
今朝の8Mも全車岡山行き。アナウンスで「本日は全車岡山行きとなります。」とあったが、「本日も・・・」というべきだろう。自由席は1〜4号車であった。帰りは23Mであったが、これまた、やっぱりというべきか5分遅れで、依然として連続記録を更新している。

2003.10.22(水)
今日は朝の8Mは自由席が1〜3号車の3両に減らされて、これまた大変混雑した。また、定時で帰ったが、17Mは約6分遅れであった。列車到着直前に駅員がやってきて、運転手にメモ紙を渡した。そして、17Mは伊予亀岡で通常運転停車するところ、1番線に特急を運転停車させて、17Mは2番ホームを通過し、松山へは2分遅れまで遅れを戻した。

2003.10.21(火)
昨日、今日と団体のため、8Mは全車岡山行きとなっている。自由席は昨日が1〜3号車、今日が1〜4号車。昨日は結構立客が出て、多喜浜から乗車予定でがらがらの指定席車に乗せろという車掌とのトラブルがあったという。金曜日も団体が乗車するようである。さて、そして帰りの話。今日も23Mは5分以上遅れて到着した。この23M、10月以降3回乗車したが遅れなかったことがない。上り岡山口での乗り換え終了後だから、もはやどうでもよいという運行をしているのだろうか。

2003.10.17(金)
朝改札口で編成表示板を見ると、昨日と同じである。このため改札口でたずねたら、今日は通常編成だという。ならば、表示板を直すよう求めたら、そのうち直しますとの回答であった。いまどき、そのような対応は傲慢といわれるわが社でもしないぞ。

2003.10.16(木)
今日ダイヤ改正以来はじめてアンパンマン列車で帰った。さて、今治駅では夜間3番ホームは車両留置場所となり、通常は追い抜きができないようになっている。が、なんと、この時間帯、伊予西条方面からやってきた普通列車4555Mは今治駅1番ホーム、つまり通常上り列車ホームに到着し、21D特急に追い抜かれた。が、それを知らない私の上司などは2番ホームでうろうろしていた。しかも、これでは相互乗り換えする場合に一度階段を下りなければならず、決してほめられたものではないと思う。さて、その後にやってきたアンパンマン列車であるが、G車「バイキンマン号」が塗装変更されていた。夜間なのではっきりとは判らないが、以前の紫色からかなり明るい青色になっていた。

2003.10.15(水)
今朝いつものように8Mの5号車禁煙車の自由席に座っていると、アナウンスが・・・「本日は全車岡山へ参ります」その時点でいやな予感はしていたが、扉上の表示は「自由席」のまま「・・・自由席は1号車から4号車、指定席は5号車から8号車、自由席の禁煙車は1号車と2号車・・・」げげっ、あわてて降りて、改札口前の編成表示を見ると、確かに8Mと10Dが全車岡山行きである。が、1号車へ行くと「指定席」の表示。「駅陰湿」いや「駅員室」へ行くと「なんだ、そのくらいで、ぐだぐだ言うな」とばかりに「そのうち変わります」の返事。私は1号車の乗るとそのまま今治まで寝ていたのでよくわからなかったが、1号車は結構空席がめだち、2号車には立客がいたらしい。

2003.10.10(金)
今日も定時に帰ったが、17Mは2組の子供づれのために車内は迷惑を被っていた。一組目は後ろで子供が大きな声でなんやかんやと言っていた。まあ、これは伊予北条駅で降りた。そして、もう一組は子供が終点まで泣いていた。母親も時代の流れを感じる。期待するだけ無駄である。子供の泣き声は母親にはたいした声には聞こえなくても、仕事疲れのサラリーマンには爆音に聞こえるという。というわけで、私はMDの音量を上げて自己防衛した。

2003.10.09(木)
なぜか定時で帰れた日。17Mを待つ今治駅のホーム、特に自由席禁煙席となる3番、4番乗車口には長蛇の列ができる。そして、17Mが入ってくる。通常は後ろから降りたほうが階段に近いにもかかわらず前から降りる人が多いのに、今日は後ろから降りる人が多かった。私は前から4番目。なんとか窓側の席がとれそう。というところで、前のオッサンが窓側が空いている席の通路で、前のドアから入ってきた知り合いと「どーもどーも」・・・その間にそれ以前の座席は全て埋まってしまった。こら、オッサン!えーかげんにせんかい!とよっぽど怒鳴ってやろうかと思った。が、まあ、通路側ででも座れるだけましである。

2003.10.08(水)
今日懇親会の後、上司を見送りに今治20時39分発の特急23Mの折り返し、1036Mの出発を見た。この列車は、前5両(4〜8号車)が1036M、後ろ3両は9004Mとなる。当然、切り離し作業があるのである。今まで見ようと思えばいつでも見られたのであろうが、寸分を惜しんで帰宅していた。で、1036Mの出発の時。なんと、後ろ3両をガシャっと切り離してそのまま発車してしまった。唖然とした見送り我々2人であった。

2003.10.06(月)
今日は今治20時39分発の特急に乗った。以前に比べて今治発が3分、松山着が8分それぞれ遅くなった。いままで菊間ですれ違っていた1034Dが、10月以降伊予亀岡でこちらが運転停車することになった。が、今日の1034DはTSEだった。非貫通の先頭車両は松山側あった。そして、次の激遅特急と同じく、伊予北条〜松山間は14分もかかる。同じく松山駅直前でいったん停止して、誘導員が乗車してくる。よく見ると、10月改正以降はアンパンマン列車は全車両宇和島で夜を越すことになっている。が、それにしても下りの激遅特急を見せ付けられると、本当に「何が便利だ」と思ってしまう。

2003.10.03(金)
今日ダイヤ改正以来はじめて激遅特急に乗車した。今治〜松山間43分はキハ181系や185系どころか、58系でも可能かもしれない。まず、今治〜伊予北条間29分であるが、大西で3分運転停車するにしても、速達便ならば23分で走破するのをみれば余りにも遅い。特に何もないところをみると、ただ単にちんたら走っているとしか思えなかった。そして、極めつけは伊予北条〜松山間14分である。これは宇和島からの1076Dが1番ホームを占領しているため、松山駅手前でいったん停止して、いわゆる回送状態で入線するのである。ちょうど、坂出〜宇多津間普通列車で4分で走破できるのに、宇多津で「しおかぜ」と併結する「いしづち」が同区間7分かかっているのと同じである。気持ちはわからないでもないが、そんな殿様商売していて、後でみんなにそっぽ向かれないか?と思ってしまう。

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