2004.05.31(月)
本日の21Dは2分遅れで今治到着。伊予亀岡到着は19時47分、1032Mは19時50分通過、伊予北条発は2分遅れの20時02分。だが、今日の21Dはここからが早かった。じゃ、いつもの速度はなんだい?と思うほどであった。で、松山到着はほぼ定刻であった。さて、今日は8号車「カレーパンマン」に乗車して、なんかおかしいと思っていると、長距離通勤を始めてから初めて禁煙車でタバコを吸っているアホなオッサンを見つけたので、当然注意してやった。伊予亀岡運転停車中に(多分4号車、ひょっとして指定席の5号車へ?)移動した。禁煙席でタバコを吸うとは・・・むしろ新鮮な気分すらした。アホといえば、後方で2次会気分で騒ぐ今治から乗り込んだサラリーマン集団がいたなあ。
2004.05.28(金)
本日の17Mは2分遅れで今治到着。伊予亀岡は17時45分に到着、28Mは46分に通過、17Mは47分発車した。で、松山到着はほぼ定刻であった。
2004.05.27(木)
本日の23Mは2分遅れで今治到着。伊予亀岡は20時54分に到着、1034Dは55分に通過、23Mは56分発車した。で、松山到着はほぼ定刻であった。
2004.05.26(水)
本日は538Mが今治着7分遅れ17時27分、そのまますぐに出発した。これで、17Mは3分以上遅れが確定した。が、律儀に伊予富田駅で退避するのであれば、まだそう全体のダイヤが乱れているわけではなさそうだ。その17Mは3分遅れで今治到着。伊予亀岡ではすでに28Mがは1番ホームに到着しており、17Mは17時48分に通過。これで定刻にまで戻した。で、松山到着は定刻であった。
2004.05.25(火)
本日の23Mは3分遅れで今治到着。伊予亀岡は20時55分に到着、1034Dは56分に通過、23Mは同分発車した。結局、松山到着は3分遅れの21時23分であった。
2004.05.24(月)
本日の23Mは3分遅れで今治到着。伊予亀岡は20時54分に到着、1034Dは55分に通過、23Mは56分発車した。が、伊予北条発2分遅れ、結局、松山到着は3分遅れの21時23分であった。
2004.05.21(金)
本日の11Mは今治3分遅れで今治到着。22Dアンパンマン列車退避で、大西手前ではかなり減速して最終的には通過した。で、結局松山到着も3分遅れであった。
2004.05.20(木)
本日の21Dは5分遅れで今治到着。伊予亀岡に運転停車したときにはすでに1032Mは伊予亀岡2番ホームに停車していた。指定席車両は4両で乗客も4名であった。21Dが今治で追い抜く普通列車は定時に今治に来ていたから、21Dが単独で遅れていたと考えられるが、伊予亀岡に先に停車させていたのはなにかあったのか?が、私は体調が悪くてその後の記憶がない。で、松山到着は4分遅れであった。
2004.05.19(水)
本日の17Mは5分遅れで今治到着。通常伊予亀岡退避のところ、大西駅で退避。28Mは17時50分に通過した。この段階では6分遅れ程度であったのだが、542Mと浅海(通常退避は大浦)で退避するが542Mがなかなかやってこず、駅の手前でかなり徐行運転。伊予北条では7分遅れの18時07分発だったが、544Mとは粟井(通常退避は堀江)で退避するが544Mもなかなかやってこず、17Mは粟井駅で運転停車。さらに、546Mと三津浜(通常17M松山到着後に同駅発車)で退避するが、546Mがやってこず駅前で徐行。などと完全に17Mは見捨てられた状態で松山到着は10分遅れの18時22分であった。で、そもそもなんで遅れたのだろうか。通常5分遅れではこれほど列車の退避場所を変えたりはしないはずだが・・・
2004.05.18(火)
本日の23Mは3分遅れで今治到着。伊予亀岡は20時54分に到着、1034Dは55分に通過した。で、結局、松山到着はほぼ定刻であった。
2004.05.17(月)
本日の23Mはほぼ定刻で今治到着。伊予亀岡は20時53分に到着、1034Dは54分に通過した。で、結局、松山到着はほぼ定刻であった。
2004.05.14(金)
本日の17Mは4分遅れで今治到着。伊予亀岡停車17時48分着。28Mは17時50分に通過し、松山到着は3分遅れの18時15分であった。伊予鉄西衣山駅付近で「・・・3分遅れで到着します。列車遅れまして大変申し訳ありません・・・」とおっしゃられた車掌の車内放送が印象的であった。
2004.05.13(木)
本日の7Mは3分遅れで今治到着。が、全体的にダイヤが乱れていたらしく、大西駅着は12時44分で、すでに18Mが停車しておりすぐに発車した。で、結局はこれが大きく、松山到着はほぼ定刻定刻であった。
2004.05.12(水)
本日の17Mはすごかった。ほぼ定刻で今治到着。伊予亀岡停車17時46分着。28Mは17時47分に通過し、松山到着までぴったり定時到着であった。雨が降る!と思ったら明日は一日中雨らしい。
2004.05.11(火)
本日の23Mは2分遅れで今治到着。が、今日は酔っ払っていたのでその後のことはわからないが、松山到着はほぼ定刻定刻であった。
2004.05.10(月)
本日の23Mは3分遅れで今治到着。伊予亀岡は20時55分に到着、1034Dは56分に通過した。が、結局、松山到着はそのまま2分遅れであった。
さて、今日の運転士は、運転停車である伊予亀岡では、大西町と菊間町の境付近から減速が始まったものの、いつもよりも減速が緩やかで5月6日、7日に比べるとかなり短い所要時間で伊予亀岡へ進入した。17M、21D、23Mと伊予亀岡運転停車であるが、いずれも、通常は小さな峠で左に曲がる付近からは伊予北条の進入速度よりもかなり遅い。一般に電車のほうが気動車よりもスピードが遅いと感じられる。が、今日のような運転ができるのであれば、もっとなんとかならないものか、と思う。特に昨年10月以来、夕方の下り列車が慢性的に遅れているだけに、特に感じるのだが、いかがなものだろうか。
2004.05.07(木)
本日の23Mは2分遅れで今治到着。伊予亀岡は20時55分に到着、1034Dは56分に通過した。が、結局、松山到着はそのまま2分遅れであった。
2004.05.06(木)
本日の23Mは3分遅れで今治到着。おおっと思うくらい空いていた。伊予亀岡は20時56分に到着、1034Dは57分に通過した。が、結局、松山到着はそのまま3分遅れであった。
2004.04.28(水)
本日の17Mは2分遅れで今治到着。伊予亀岡停車17時47分着。28Mは17時48分に通過し、結局松山到着はほぼ定刻であった。
2004.04.27(火)
本日は大雨で高知方面が運休していたのと、強風で瀬戸大橋線が断続的にストップしていたため、夜間もダイヤがかなり乱れていた。25Mは岡山32分遅れで出発したという情報の中、23Mは12分遅れで今治到着。伊予亀岡は21時04分に到着、1034Dはすでに2番ホームに停車していた。松山到着直前に一旦停止したが、1番ホームの特急はすでに引き上げた後で、通常速度で進入。松山到着は11分遅れの21時31分であった。
2004.04.26(月)
本日の17Mはほぼ定刻で今治到着。伊予亀岡停車17時46分着。28Mは17時47分定刻に通過。17時48分伊予亀岡駅発車で、松山到着はほぼ定刻であった。
2004.04.23(木)
本日の8MはL4+S6編成、前日の17M、すなわち折り返し最終便29Mが翌日の8Mになることが多いようだ。帰りの17Mは3分遅れで今治到着。伊予亀岡停車17時48分着。28Mは49分に通過したが、松山到着は2分遅れであった。
2004.04.22(木)
本日の23Mは3分遅れで今治到着。伊予亀岡は20時56分に到着、1034Dは57分に通過した。で、本日も遅れを取り戻し、松山到着はほぼ定刻であった。
2004.04.21(水)
本日の17Mは4分遅れで今治到着。伊予亀岡停車17時49分着。28Mはすでに伊予亀岡2番ホームに停車していた。伊予北条発が定刻約1分遅れであったが、松山到着はほぼ定刻であった。
2004.04.20(火)
本日の23Mはほぼ定刻で今治到着。伊予亀岡は20時53分に到着、1034Dもほぼ定刻の20時54分に通過した。結局のところ、松山到着はほぼ定刻であった。
2004.04.19(月)
かずまるのトレードマークの「日本ハムファイターズ」の帽子が見つかった。ダメ元で松山駅の窓口に行って確認したところ、なんと「21D帽子ファイターズ」と書いた欄があった。顛末は次のとおりである。土曜日22D(というより1022D8号車13CD)に乗車していた我々は、今治駅で下車してまもなく、帽子がないことに気づいた。すぐに今治駅で確認してもらったが、1022D8号車では確認できなかったという回答であった。が、実際には高松までそのまま行って、折り返し21D(1025D8号車)で松山まで回送され、松山で切り離された後にでも発見されたらしい。もちろん、22D(1022D8号車)で見つからなかったことは残念だったが、本来我々の不注意であり、尽力してくださったことに対して、そして、見つけて届けてくださった方々に対して感謝をする次第である。もちろん、見つかった後にはJR今治駅に対してもお礼の電話を入れておいた。
ちなみに、対応していただいた女性によると、この帽子は明日には松山東警察署へ運ばれる予定であったらしい。また、元々は「土曜日午後2時頃松山駅で・・・」と言ったため、21Dで出てくるのはおかしいと怪しまれ、「子供に22Dアンパンマン列車に乗せるため、今治まで往復して・・・」と言っても「なんで21D?」と言われる始末であった。「22Dの折り返しが21Dでは?」と言ったら、「今、高松行きに乗ったと言いませんでした?」、「あのお、22Dの前2両は1022Dで折り返しが1025Dとなって、宇多津で21Dに併結するのでわ?」と言ったところで、やっと話に乗ってくれた。帽子の種類を(これは当然ながら)聞かれて「赤というより柿色で、10年前の「日本ハムファイターズ」の帽子で、前面には「ファイターズ」と書いてあって、ついでにつばの左右にほころびが来てます」、ようやく手元に戻ってきました。
さて、今日は土曜日の行動をもう一度体験しようと、1便早い21Dで帰ることにした。本日の21Dは土讃線で大雨のため一部不通区間もあるほどで、今治到着5分遅れ。伊予亀岡ではすでに1032Mが2番ホームに停車していた。ということは予讃線もかなり行き違い変更が出ていたはず。松山到着は4分遅れの20時16分であった。
2004.04.18(日)
昨日17日(土)の13Mの2号車「8306」にかずまると乗っていると、パソコン用の座席を見つけた。少し大きめのテーブルとその下にコンセントがあるのがわかる。
2004.04.16(金)
本日の17Mは3分遅れで今治到着。伊予亀岡停車17時48分着。28Mは17時49分に通過。17時49分伊予亀岡駅発車だったが、結構その後スピードを上げたのか、私は菊間付近から寝てしまったが、で、松山到着はほぼ定刻であった。
2004.04.15(木)
本日の23Mは4分遅れで今治到着。伊予亀岡は20時57分に到着したときには、1034Dはすでに伊予亀岡2番ホームへ到着していた。通常微妙な場合には先入先出のはずだから、すでにどこかでダイヤが乱れていたため、いまさら変更しても・・・ということかもしれない。そういえば、今朝香川県内で濃霧のため列車の一部が遅れたとの情報が入っていたが、その影響がまだ残っていたのかもしれない。結局のところ松山到着は3分遅れであった。なお、松山駅引き上げ線には8000系5両編成が停車しており、23Mはそのまま折り返すことなく、引き上げたようだ。
2004.04.14(水)
本日の17Mはほぼ定刻で今治到着。伊予亀岡停車17時46分着。28Mは17時47分定刻に通過。17時48分伊予亀岡駅発車で、松山到着はほぼ定刻であった。
2004.04.13(火)
どういうわけか、今日も1Mが少し遅れたというし、4643Mの松山到着が2分程度遅れた関係で18Mも松山発2分遅れの12時17分発、今治着も2分程度遅れた。また、23Mも4分遅れで今治到着。伊予亀岡は20時55分に到着と2分遅れまでに取り戻したが、1034Dも4分遅れており20時57分に通過し、結局遅れはそのまま。松山到着は3分遅れの21時23分であった。なおも松山駅の出口に伊予鉄道の情報掲示板が取り付けられていた。
2004.04.12(月)
本日は18時頃に伊予北条〜松山間で架線にビニールがひっかかったとかでダイヤが乱れ、その影響もあって、23Mは6分遅れで今治到着。伊予亀岡は20時57分に到着、1034Dも遅れており20時59分に通過した。松山到着直前の美沢高架橋下付近に、車掌から「本日3分ほど遅れております」とのアナウンスがあった。おおっ、1番ホームはすでにあけておいてくれているのか?と思ったら、何のことはなく、結局のところ松山到着は6分遅れであった。ならば、そんな放送をするなと言いたい。
2004.04.09(金)
本日の27Mは定刻で今治到着。だが、私の方が意識がなく、松山到着がほぼ定刻であったことしか記憶がない。
2004.04.08(木)
本日の23Mは2分遅れで今治到着。伊予亀岡は20時53分に到着、1034Dもやや遅れて20時55分に通過した。結局のところ、松山到着は2分遅れであった。
さて、本日は松山駅前信号待ち停車の直前に1号車最前列へと行って、運転停車の状況を見てみた。まずは辻町の踏切松山側にある信号が全赤による停車。運転士「こちら23Mから司令室へ」、指令室「こちら司令室どうぞ」、運転士「23M松山駅信号に到着しました。信号解除をお願いします」、司令室「了解しました。信号解除します」、で、1番ホーム用信号の下に斜め2個の黄色いランプが点灯して出発、その間ATSの「キンコンキンコン」という音が鳴り続く。松山駅北側踏切前で再びATSの「ジリリリ・・・」という音が鳴り響き、続いて「キンコンキンコン」が鳴り、ホームへ到着する。速度は非常に不安定であった。
2004.04.07(水)
本日の17Mはほぼ定刻で今治到着。伊予亀岡停車17時45分着。28Mは17時47分定刻に通過。17時48分伊予亀岡駅発車で、松山到着はほぼ定刻であった。こんな珍しいことはないと思ったら、今日はまもなく雨が降るらしい。
2004.04.05(月)
本日の25Mはほぼ定刻で今治到着。大西到着は21時53分、1036Dは21時55分に通過し、伊予北条22時13分発、松山到着はほぼ定刻であった。が、大西運転停車2分で、なぜ23Mよりも所要時間が2分よけいにかかるのか疑問である。
2004.04.02(金)
本日の23Mは2分遅れで今治到着。伊予亀岡は20時53分に到着、1034Dもやや遅れて20時55分に通過した。結局のところ、松山到着は2分遅れであった。
2004.04.01(木)
本日の23Mは2分遅れで今治到着。伊予亀岡は20時53分に到着、1034Dもやや遅れて20時55分に通過した。結局のところ、松山到着は2分遅れであった。
2004.03.31(水)
本日の17Mは2分遅れで今治到着。伊予亀岡停車17時47分着。だが、28Mがすぐに通過しては17時47分に通過。松山到着はほぼ定刻であった
2004.03.30(火)
本日の23Mは2分遅れで今治到着。伊予亀岡は20時53分に到着、1034Dもやや遅れて20時55分に通過した。結局のところ、松山到着は2分遅れであった。
2004.03.29(月)
本日の21Dは今治到着2分遅れ。伊予亀岡には19時47分に停車、1032Mは19時48分に通過、松山到着は2分遅れの20時14分であった。
2004.03.26(金)
本日の23Mは3分遅れで今治到着。伊予亀岡は20時54分に到着、1034Dもやや遅れて20時56分に通過した。結局のところ、松山到着は2分遅れであった。
2004.03.24(水)
本日の27Dは今治到着及び松山到着とも定刻であった。
2004.03.23(火)
本日の21Dは今治到着3分遅れ。伊予亀岡には19時48分に停車したが、1032Mも2分ほど遅れ、松山到着は20時15分であった。ちなみに、今日の車掌も「松山駅で約10分停車します」とおっしゃっており、3分遅れをしっかりと認識しておられるようであった。
2004.03.22(月)
本日の21Dは今治到着2分遅れ。伊予亀岡には19時47分に停車したが、1032Mも3分ほど遅れた。伊予北条で2分遅れとなった。伊予北条では車掌が切符を回収するのであるが、折りたたみ自転車を持った女性が、ゆっくりと8号車から降りた後、何を血迷ったかそのまま自転車をホームで組み立て始めた。このため、出発が4分近く遅れたが、松山到着は20時15分であった。ちなみに、今日の車掌は「松山駅で約10分停車します」とおっしゃっていた。3分遅れをしっかりと認識しておられるようであった。
2004.03.19(金)
本日の17Mはほぼ定刻で今治到着。伊予亀岡停車17時45分着。だが、28Mは17時47分に通過。17時48分伊予亀岡駅発車で、松山到着はほぼ定刻であった
2004.03.17(水)
本日の17Mはほぼ定刻で今治到着。伊予亀岡停車17時45分着。だが、28Mは17時47分に通過。17時48分伊予亀岡駅通過で、松山到着はほぼ定刻であった。
2004.03.16(火)
本日の23Mは2分遅れで今治到着。伊予亀岡は20時52分に到着、1034Dも20時54分に通過した。が、この時間帯、たいてい伊予北条で車掌が切符を収集するため出発が遅れ、結局のところ、松山到着は2分遅れであった。
2004.03.15(月)
本日の21Dは今治到着4分遅れ。伊予亀岡には19時48分に停車したが、1032Mも3分ほど遅れた。伊予北条で3分遅れとなったが、意外と長時間停車して4分遅れの発車。伊予北条駅ではカメラマンのフラッシュと「(何かわからないが)おめてとう」の幕が見られた。もしかして、土佐選手?とも思ったが、まさかね?本人は東京町田で生放送中でした。で、松山駅到着は4分遅れであったのだが、相変わらず車掌は20時15分になったところで、「列車2分ほど遅れて・・・」どの時計見て「2分遅れじゃ!」
2004.03.12(金)
本日の17Mは2分遅れで今治到着。伊予亀岡停車17時47分着。だが、28Mも遅れており、17時49分伊予亀岡駅通過。ただ、松山到着はほぼ定刻であった。
2004.03.11(木)
本日の21Dは今治到着はほぼ定刻。伊予亀岡には19時44分に停車したが、1032Mが2分ほど遅れた。が、松山駅到着はほぼ定刻であった。
2004.03.10(水)
本日の17Mは4分遅れで今治到着。伊予亀岡停車17時49分着。だが、28Mも遅れており、17時51分伊予亀岡駅通過。結局、松山到着は3分遅れであった。
2004.03.09(火)
本日の23Mは2分遅れで今治到着。伊予亀岡は20時53分に到着したが、1034Dが2分遅れて通過した。で、松山到着前の一旦停止のブレーキが甘かったのか、結局のところ、松山到着は2分遅れであった。
2004.03.08(月)
今朝松山駅へ行くと、512Mが通常7000系3連のところ、4連で出発していくところであった。松山6時58分発4725Dが2番ホームから出発とのアナウンスがあった後、6時55分頃5連(キハ58+キハ65+キハ185(?)+キハ32+キハ32)の列車が下り方向へ出発して行き、続いて4725Dが出発していった。この影響で、1052Dは7時10分頃松山駅着したと思うと、私の乗っていた8Mはなんと4620Mを待たずに出発した。このため、伊予市方面からの通勤客は全員遅刻した。後で聞いたところ、JRの車両故障だという話もきいたが、それにしても、一切の説明がなかったという。で、帰りの23Mは2分遅れで今治到着。伊予亀岡は20時53分に到着したが、1034Dが2分遅れて通過した。が、結局松山駅到着前の停車時間が短く、松山到着はほぼ定刻であった。
2004.03.05(金)
本日の17Mは定刻今治到着。伊予亀岡停車が17時46分着、28Mは定刻17時48分に伊予亀岡駅通過。結局、松山到着はほぼ定刻であった。
2004.03.04(木)
本日の17Mは定刻今治到着。伊予亀岡停車が17時45分着、28Mは定刻17時47分に伊予亀岡駅通過。結局、松山到着は18時12分定刻であった。
2004.03.03(水)
本日の23Mは6分遅れで今治到着。伊予亀岡停車では1034Dが1番ホームに停車しており、23Mは2番ホームを通過した。結局松山到着は4分遅れの21時24分であった。私は飲酒で熟睡していたが、松山駅手前で停車したような気がしなかった。が、伊予亀岡での手際のよさは、やはり今日人身事故があったらしい。実のところ、行き違いの進入順序の変更があっても今更どうでも良かったのであろう。
2004.03.02(火)
本日の21Dは今治到着5分遅れ、伊予亀岡では3番ホームに停車したときには、1032Mが2番ホームに停車していた。伊予北条では約3分遅れであったが、なぜか松山駅到着は4分遅れであった。なんで?
2004.02.27(金)
今朝マヤ検が松山駅に来ていたのを見た。今日は松山出張で5Mに乗ったが、今治到着ね松山駅到着とも2分遅れであった。
2004.02.26(木)
本日の23Mは4分遅れで今治到着。伊予亀岡停車が20時58分、1034Dも3分遅れで通過。結局松山到着は3分遅れの21時23分であった。
2004.02.25(水)
本日の17Mは4分遅れで今治到着。伊予亀岡停車が17時49分着、28Mはすでに伊予亀岡駅2番ホームに停車しており、17Mはすぐに発車。結局、松山到着は2分遅れであった。
2004.02.24(火)
本日8Mは全車岡山行きであったが、自由席には変更はなかった。また、伊予寒川での人身事故の影響で13Mあたりは20分程度の遅れが発生していた。17Mは今治到着7分遅れ。大西で28Mを退避、28Mは17時55分に通過する。松山到着は特急宇和海を先に1番ホームに入れたため、松山駅前で一旦停車し、結局13分遅れの18時25分着であった。特急宇和海は通常ならば1時間前発のアンパンマン列車であった。
2004.02.23(月)
本日の21Dは今治到着5分遅れ、伊予亀岡到着は19時51分。だが、1032Mも5分遅れで通過、結局松山到着は4分遅れの20時16分であったが、それでも「現在3分遅れです」という車掌の神経の太さに驚かされる。「現在3分遅れ」といっている時は、21Dは国道437号の高架下通過時だろうが!!!
2004.02.20(金)
今日17Mを待つ今治駅ホームに2000系「どきんちゃん号」1両が停車していた。さて、本日の17Mはほぼ定刻で今治到着。伊予亀岡停車が17時46分着、28Mもほぼ定刻の17時48分に通過、2000系回送を菊間で追い越す。結局、松山到着も定刻の18時12分であった。
2004.02.19(木)
本日の23Mはほぼ定刻に今治到着。昨年10月以降23Mに乗車する場合、定刻に来たためしがないので、タカをくくっていたら、ホームに上がったとき、出発信号が青に変わっていたので少々あわてた。で、伊予亀岡停車が20時54分、28Mが少々遅れたようだったが、松山到着はほぼ定刻の21時20分であった。今週末に雨が降らなければよいが。
2004.02.18(水)
本日の17Mは2分遅れで今治到着。伊予亀岡停車が17時47分着、ただ、28Mはほぼ定刻の17時48分に通過。結局、松山到着もほぼ定刻の18時12分であった。なお、現在までの経験上、水曜日が一番よく混むようである。
2004.02.17(火)
本日の21Dは今治到着ほぼ定刻、伊予亀岡で1032Mもほぼ定刻で通過、1番ホーム192Dは185系2連であった。松山到着もほぼ定刻に到着した。
2004.02.16(月)
本日の17Mはほぼ定刻で今治到着。伊予亀岡停車が17時45分着、28Mもほぼ定刻の17時47分に通過。結局、松山到着も定刻の18時12分であった。
2004.02.14(土)
今治駅で17Mに乗車するとき、直前に回送のスジがあるが、今日は「2114」1両が松山へ回送されていた。が、「2100」番台は通常、高松方面を向いているということは、やはり転車台を利用して転換させているのであろう。なお、今日は瀬戸大橋線が断続的に通行止めになっていて、列車もかなりダイヤが乱れていたようだが、17Mは伊予北条到着約3分程度の遅れであった。
2004.02.13(金)
本日の17Mはほぼ定刻で今治到着。伊予亀岡停車が17時46分着、28Mもほぼ定刻の17時48分に通過。結局、松山到着も定刻の18時12分であった。
2004.02.12(木)
昨日午前中まで信号の故障でマヒ状態だった予讃線であるが、今日も朝1003Mが伊予寒川の信号故障で今治到着が20分程度遅れた。また、夕方6時過ぎには高松〜坂出間踏切非常装置作動による遅れが発生しているのだそうだ。なーにやってんだか。本日の17Mは2分遅れで今治到着。伊予亀岡停車が17時48分着、28Mも2分遅れの17時50分に通過。結局、松山到着も2分遅れの18時14分であった。
2004.02.10(火)
今日は松山以南のポイント不調らしく、結局一日中松山以南のダイヤが乱れており、帰宅時の20時30分現在でも運休していた。で、今日の21Dは今治ほぼ定刻に到着したものの、伊予亀岡に2分遅れで運転停車。が、32Mがすぐにやってきて、ほぼ定刻に出発したが、やっぱり松山到着は2分遅れであった。よっぽどやる気のない運転士だったのだろう。さて、今治出発時には松山以南の代行輸送について、松山到着時にお知らせします、と言っておきながら、結局は松山到着時には駅で聞け、というアナウンスであった。JRになっても、あいかわらず、責任を取りたくない体質は代わらないらしい。いや国鉄時代よりもひどくなったような気がする。
2004.02.09(月)
本日の17Mはほぼ定刻で今治到着。伊予亀岡停車が17時46分着、28Mもほぼ定刻の17時48分に通過。結局、松山到着も定刻の18時12分であった。
2004.02.06(金)
本日の25Mは4分遅れで今治到着。松山到着は3分遅れであった。
2004.02.04(水)
本日の17Mはほぼ定刻で今治到着。伊予亀岡停車が17時46分着、28Mもほぼ定刻の17時48分に通過。結局、松山到着もほぼ定刻の18時12分であった。
2004.02.03(火)
本日の21Dは今治到着が5分遅れ、伊予亀岡で1032Mも5分遅れで通過。松山到着は5分遅れの20時17分であった。しかし、車掌は伊予北条到着も松山到着も「3分遅れ」と言い通した。ひょっとして、最近JRが遅れるのは、JR四国の時計が2分遅れているからか?と疑問を抱いた。
2004.02.02(月)
本日の17Mは3分遅れで今治到着。伊予亀岡停車が17時49分着、28Mも少々遅れて通過。結局、なぜか松山到着は2分遅れであった。
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