(2002.11.03update)

J R の 話 題

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181系気動車再び!

(撮影は最右下1枚が2002.11.03、残り5枚は2002.11.02)

11月2日(土)12時40分、坊っちゃん列車追っかけを終えて、Yoshikenさんとかずまるの3人で自家用車で北条市を目指す。(午前中の行動に付いては「坊っちゃん列車」のページを参照願います。)Yoshikenさんが北条市浅海へ行きたいという話があり、前日に10年前のJR四国の写真を見ていたら、浅海〜大浦間にある絶好の撮影スポットへ行こうということになった。

  

まずは、松山〜今治間のちょうど中間点にあるレストランで昼食をとる。そして、少し戻ったところにあるドライブインの前にある、道路の切れ込みに駐車しようとしたら、ちょうどカメラを抱えた夫婦が車から降りようとしている。かなりの行軍を覚悟していただけに、これはラッキーである。と、2000系気動車9D「アンパンマン列車」が通り過ぎる。国道をそれて、線路をくぐるとちょうど軽トラックに乗ったおじさんに声をかけられる。「今日はなにかあるのかいな?」などと話していると、おおっと、山の中腹にすでに5人以上のカメラマンがカメラを向けている。我々もその中に加わる。ぞくぞくとカメラマンの数は多くなり、最終的には20人くらいいた。その中には、明らかにプロのカメラマンのような人もいる。

ただ、181系気動車が来るまでにはまだ、50分近くある。寒いというほどまでは行かないが、白波が立っている。かずまるが持つはずがない。仕方がないので、散歩したりして時間をつぶす。山を越えると、眼下に大浦駅が見える。また、傾斜につくられている「モノラック」をかずまるに説明したり、一度戻って22D「アンパンマン列車」を見たり、海岸に行ったりしてなんとか目的の時間がやってくる。

  

そして、14時46分、1分遅れで今日の主役がやってくる。5両編成はちょうど私のカメラにぴったりであった。通り過ぎて、ため息が漏れる。一様にヘッドマークが不満であったようだ。すぐに8000系「しおかぜ11号」が来るはずであるが、ほとんどが引き上げていく。列車は約5分遅れて通り過ぎた。

さて、我々も折り返しの列車の撮影をするために、再び松山市を目指す。車に着くと、フロントガラスがうっすらと塩を浴びている。が、驚いたのは車の列である。広島だけでなく、神戸、奈良などのナンバーがある。中には東京から空路駆けつけてレンタカー利用という4人組もいる。列車自身は100〜200席以上空席があるというが、山陰でSLが走るというライバルがいるにもかかわらず、カメラマンは盛況であった。が、ここで彼等が「しおかぜ11号」を待たなかった理由がわかった。要するに時間がないのである。ここから松山市までの所要時間は何百回となく通って知り尽くしている。みはや伊予鉄西衣山へは行くには間に合わない。やむなく、伊予和気〜三津浜間安城寺を目指す。無事折り返しの列車を撮影でき、大変有意義な日であった。

  

翌日、Yoshikenさんはレンタカーで南予方面に向かった。私はかずまるの幼稚園の文化祭である。仕方なく、伊予鉄道西衣山駅付近でカメラを構えた。ここから左へ坂を登ると妻の実家である。何度となく見た景色ではあるが、かんじんのところでシャッターが切れず、大変悔しい思いをしてしまったのであった。(2002.11.03)

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懐かしの181系しおかぜ松山へやってくる

(撮影はいずれも2002.06.16)

ついに、181系気動車しおかぜが復活運転した。もっとも、私自身は昭和50年代後半のリクライニングしない181系よりも居住性の良い58系急行「キハ28-5000」のデラックスシートに良く乗ったなあ。181系に乗ったのは、高校3年の共通一次試験受験の今治→松山間のほかは(要するにこの時間は急行がなかった)、なんと昭和60年代、私が就職して八幡浜市に住んでから、つまりリクライニング改造されてからである。

  

さて、今日は松山駅で予定どおり、Yoshikenさんに会って、かずまると3人で行動した。よく見ると、181系のヘッドマークの文字はどう見ても現役時代と違っているのが判る。なんで?というのが正直な感想。車両はくたびれているが、国鉄がもっとも贅沢に車両を造っていた時代の生き証人である。

さて、下の写真であるが、なぜ8000系の前に2000系G車があるの?という訳で、慌てて撮影したところ、右下のとおりとんでもないオチがあった。連結されてなかった。鉄道マニアにだけ判るJRの粋な計らいか、それとも悪ふざけか。

  

181系が一度引き上げ線に入ってからは、歴代の「しおかぜ」展示まで時間があるので、3人で松山市駅に行く。ちょうど坊っちゃん列車が入ってきている。しかし、今日の12時過ぎ発のこの列車は、やけにカメラをかかえた人で超満員であった。彼らが何者であるかは、もはや言うまでもあるまい。それが証拠に次の松山市駅発の坊っちゃん列車は、すでに松山駅で歴代の「しおかぜ」展示時間にあたっていたせいか、もはや彼らはいなかった。坊っちゃん列車クルーも、今日はやたらカメラを向けられるのだと言っていた。彼らが何者であるかも、もはや言うまでもない。今日だけは、彼らをターゲットにしたダイヤを組むべきだったのでは?としみじみ思うのであった。

さて、3人は松山市駅南側の子規堂に行って、坊っちゃん列車の客車でくつろぐ。Yoshikenさんもご満悦のようである。よかった。
この後、かずまるが眠たいというので、私はJR松山駅13時半頃発のバスでYoshikenさんと別れて帰宅の途についた。なかなか良い日であった。(2002.06.16)

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