四万十川「トロッコ列車」乗車

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(以下の撮影日は特に説明がなければ旅行日)

旅のプロローグ

(古町駅での坊っちゃん列車)

今回は、「四万十川トロッコ列車乗車」とはなっているが、正直なところがNHK「列島縦断、鉄道乗りつくしの旅」で「関口知宏さん」の追っかけ記録である。

当初公開された情報によると、4月8日(金)午前7時45分から15分間に可部線可部駅、翌日同時間に予讃線宇和島駅となっている。広島から松山までは通常ならば航路利用であろうが、3月20日の前夜祭では、しつこいほど「8000系電車」「2000系気動車」「清流しまんと(トロッコ列車)」が強調されていた。「8000系電車」も「2000系気動車」も昨年乗車しただろうと思うのだが、乗車することが使命のように掲載された。これでは、岡山経由でやってくるのか?と思っても仕方がない。

対する我々はどうしようか。ともかく8日は宇和島に宿泊しようということは決まった。宇和島駅にある「ホテルクレメント宇和島」は、1ヶ月前からこの日だけが全室満席になっている。ここに宿泊するのは間違いない。我々はそのまん前にある「宇和島ターミナルホテル」に宿を構える。4年間の宇和島生活で宇和島の土地勘はある。が、松山での移動が全く解らない。解っているのは、「清流しまんと」に乗車することであろうということである。1日1往復しかないから、スケジュールがたてやすい。ということで、その指定席を購入した。が、乗車3日前に松山駅で購入したら、予想に反して「まだ結構空席がありますよ」との回答。はて?本当に関口さん御一行はこの列車に乗車するのか?

次に利用する乗車券である。当初は「Sキップ」を想定していたが、予土線を考えると、「家族de遠足きっぷ」を利用するのが安い。これなら、万一の場合に宇和島駅を意味もなく入場することができる。しかも、土日しか使えないのかと思っていたが、春休み中は毎日使用できると書いてあるではないか!?これなら予土線若井まで行くことができる。

松山〜宇和島間1063D特急宇和海13号

(JR松山駅を出発する坊っちゃん列車)

さて、4月8日(金)当日はかずまるの入学式である。ともかく、それを最優先しなければならない。関口さん御一行は高浜発13時13分の郊外電車に乗車されたようだが、我々はまだ小学校から帰る途中であった。午後2時半に出発するのが精一杯。衣山発14時41分の電車で古町まで乗車したが、すでに1時間前に通過していたことになる。

それはともかく、古町からJR松山駅まで坊っちゃん列車に乗車して、JR松山駅へと向かう。特急宇和海13号の松山発は15時20分。すでに時刻は15時10分を過ぎている。切符を買わなければならないが、結構窓口は混んでいる。ホームに出たときはすでに出発3分ほど前であった。まあ、空席がなければ次の便で行ってもよいし、それでも宇和島には17時36分に着ける。元々はそういう予定であった。が、結構列車には空席があった。我々はそれに乗り込む。

私の想像としては、関口さん御一行は多分内子あたりで下車すると思っていた。(当掲示板No2950、3月26日)結果的には、関口さん御一行が内子で2時間ほど下車した間に我々が内子を通り過ぎた。

(桜の中の大洲城)

今回の旅は、確かに関口さんに会いに行こう!運がよければテレビに映ろう!という下心見え見えではあるのだが、やはりそれだけでは済ましたくはない。時は桜が満開。鉄道沿線には桜が多い。それが満開である。そして、時折まさに桜吹雪となって、あたかも雪が舞っているかのごとく列車に降り注いでくるのである。

この宇和海13号であるが、今日は平日ということもあるのだが、やたら高校生が多い。しかも、通学定期を持っている。内子で男子生徒が4名下車した。その後も伊予大洲、八幡浜と下車し、私の隣にいた女子生徒はなんと卯之町で下車した。今日は始業式ということもあるのだろうが、それにしても、長距離通学である。最近は今治から岡山、松山から善通寺へ大学の通学生を見たりもするが、これはなかなか大変だと思う。2000系が登場してから10D(当初は6D)は当初4両、5両となって現在は7両となったのもなんとなくわかるような気がする。1075Dが新設されたのもうなずける。ただ、それなら21Dの2号車も松山から自由席にすればよいのに・・・とも思う。そういえば、最近松山から8Mで出勤していると、今治で6号車から5号車へ移動してくる乗客をよく見る。というより、同じ人もいる。あるいは、JR側としては、朝の8M松山〜今治間に関しては、自由席の乗客も6号車への乗車を黙認しているようにも思える。

16時39分宇和島到着。かずまるは結構気にしていたが、結局関口さん御一行は現れなかった。一度宿へ行き、荷物を置く。今日は暑かった。1ヶ月前にかずまると神戸に行ったときは寒かった。帰りは雪が降っていた。が、今日は宿も夕日を浴びて暑くてたまらない。冷房をかけてもなかなか効かない。というより、冷房かかるのか?状態である。窓を開けると涼しいが、まさかそれで寝るわけにもいかないだろう。

(宇和島駅での1065D、4847D、隣でカメラが回ってました。)

とりあえず、荷物を置いてかずまると夕食に出る。午後5時半といえば、実は今日は金曜日、我社の宇和島支店の面々が宇和海22号に乗り込む時間帯である。知ってる人とあんまり顔をあわせたくないなあ、と思ったが、幸か不幸か誰ね知った顔に合わなかった。売店では駅員が売店の人に「明日実は・・・」などと言っているし、スタッフらしい人が携帯電話で話しながらホームへの歩数を図ったりしている。「牛鬼」という言葉も聞こえたから、夏の和霊大祭の牛鬼が特別にやってくるのかもしれない。今日の宇和島はいつもと違う雰囲気がある。

17時36分に宇和海15号が入ってくる。先ほどの13号の1号車指定席は誰もいなかった。今度の列車は1号車にやけに人がいるなあ、と思ったら、なんと結局関口さん御一行が下車してきた。Yoshikenさんからの情報にもあったが、想像以上に背が高く、というより、足が長くて細かった。廻りで手を振る人がいたが、結局かずまるは恥ずかしいと言って近寄れず、そのうち関口さんはホテルへ入ってしまい、カメラマンがホームで撮影に残った。

かずまるとはその夜は、駅の近くの「カドヤ」という店に行った。妻と行くときは、妻の職場に近く、私の帰宅経路上にある方に行ったものだが、職場の人と飲むときにはよくここへ来たものだ。そして、宇和島へ来たならば、やはり「鯛めし」が食べたい。今治出身の私には「鯛めし」と言えば煮込みご飯を想像するのだが、宇和島ではさしみのぶっ掛けご飯であり、当初はカルチャーショックを受けたものだ。かずまるは意外にも(鯛は食べなかったが)ぶっ掛けご飯を相当食べたし、じゃこてんも結構食べた。食べ終わって外に出る頃には、さすがに昼の薄着では少々寒かった。

4月9日(土)午前7時45分

宿からは「ホテルクレメント宇和島」がよく見える。夜は想像以上に暑かったし、窓を開けたら風邪ひくだろうし、といって、冷房をかけたら、これまたかけっぱなしでは寒くなる。ということを繰り返していたので、夜中に何度も目が覚めた。「ホテルクレメント宇和島」は午前1時になっても電気が消えないと思っていたら、午前5時半を過ぎたら、今度は電気が全くついていなかった。

(ホテルから見た牛鬼、ここが中継の場所)

なぜかと思ったが、その理由はすぐにわかった。駅前の蒸気機関車の静態保存の近くに牛鬼がやってきている。NHKのスタッフはすでに朝の準備に入っているのだろう。が、かずまるは祭りが大好きである。牛鬼と聞いて、宇和島駅にあるポスターを見て、和霊大祭に来たいと言う。夏に宇和島、秋に西条か?

7時過ぎにはホテルを出て、牛鬼の所へ行く。ちょうど予行演習をしており、牛鬼保存会の人がかずまるにかまってくれたりする。よっぽど祭りが好きなようである。

(牛鬼、テレビ中継の予行演習中)

ただ、我々の最大の誤算は、牛鬼に気を取られたことかもしれない。昨日の「スタッフらしい人が携帯電話で話しながらホームへの歩数を図ったり・・・」も伏線になっていた。それらを見たから、まずは牛鬼で始まって、そしてホームへ移動するものだと思い込んでしまった。が、現実は見てのとおりであった。最初にホームで撮影して、昨日のVTRの間に関口さん御一行がこちらへやってきた。で、結局本番の最初は我々はさっぱり解らなかった。我々を含めて牛鬼の観客はカメラの反対側にいたのだが、本日は観客側へは一切カメラは回らなかった。本番直前に後ろでおばさんたちが結構大声で話したりしていると叱り付けたりしていた。3年ほど前の「おーいニッポン」の坊っちゃん列車クルーの悲劇を思い出す。まあ、生放送だし、気持ちも解る。

(宇和島駅での本番中の一こま)

というわけで、朝の宇和島は全くの肩透かしで終わった。家に電話をしたら「かすりもしてないじゃん」と妻に笑われた。まあ、ここで期待をしたって無駄だろうと思う。ただ、後から考えたら、宇和島といえば「汽笛一斉新橋を・・・」の作者の故郷ということの宣伝が全くなかったことが悔やまれる。

宇和島〜松丸間4838D普通列車

予土線し若井(列車は窪川から)〜宇和島間を上下あわせて1日13本しか走らない。この後は宇和島発9時35分4838Dと11時29分4840Dしかない。後者に関口さん御一行が乗車するのはわかっているが、だからといって、我々もじっとしているのはあまりにも無能である。というわけで、我々は松丸駅に行くことにした。結局、4838Dには関口さん御一行は乗車してこなかった。予土線沿線ではなく、宇和島市内で和霊神社か宇和島城か、桜の中でのイベントをするのかもしれない。

(北宇和島〜務田間桜吹雪の中で・・・)

予土線の北宇和島〜務田の間はいつもながら速度が遅い。この駅間だけで、四万十川最上流へと移動するわけである。が、今日のこの遅さは、桜吹雪の中を行くにはこの上ない好条件である。

10時22分松丸到着。宇和島から47分かかっている。宇和島駅から自家用車を使えば、25分少々で行ける。予土線直通便が1日6往復半、宇和島〜近永間の区間便が4往復半、しかも、宇和島から鬼北町、松野町方面へのバス路線も縮小傾向が続いている。要するに自家用車至上主義の世界である。家地川駅の近くに「乗って残そう予土線」という看板があるが、「じゃ現実問題としてどうなんだい」と考えさせられる現実がそこにある。元々予土線が廃止対象にならなかった特例が「沿線道路の未整備」であった以上、沿線に時折見られる、超近代的な架橋建設を見せられるたびにそう思う。

(昨年関口さんが浸かった松丸駅の足湯)

さて、松丸では昨年関口さんが浸かった足湯に行く。暑がりのかずまるもご満足の湯加減である。だらだらと贅沢な時間を過ごし、ついでに駅に併設されたパソコンをいじっていると、いつの間にか11時になっている。次の列車までの間に広見川対岸にある淡水魚の水族館「おさかな館」に行こうと思う。本当は5月下旬に予定している、西予市遠征で行けないこともないが、「道の駅」が併設されている場所に公共交通機関で行くというのも愉快ではないか。

広見川をかずまると2人で渡るが、とにかく暑い。帰ってアメダスで確認したら27度まで上がっていた。が、おさかな館は趣向としては興味深いものがあるのだが、入場券と収容数を考えると、少々高いといわざる得ない。我々もあっという間に出てきてしまった。

(松丸駅の対岸にある「おさかな館」)

まあ、この後は3時半までの約4時間、全くの断食状態となる。そこで、ここの「道の駅」で昼食タイムとする。が、昼食といっても、かずまるはソフトクリーム、私はたこ焼きでは少々役不足である。仕方ないので、3個入りの稲荷寿司パックと巻き寿司の海苔の代わりに卵を巻いた寿司を買ってくる。どちらも地元の人が作ったのもののようで、作成者の名がパックに貼られている。とりあえず私は3個入りの稲荷寿司パックを食べたが、かずまるはたこ焼きも食べたことから「いらない」というので、リュックに入れておいた。

松丸駅に戻って列車を待つ。隣の出目からは6分もかかることに初めて気づく。その間に広見川をショートカットして越える出目峠があるからであるが、車での移動に慣れてしまうと、特に予土線の列車の遅さに気づく。

(松丸駅に到着した4839D)

松丸〜家地川間4840D普通列車

4840Dは定刻12時13分に松丸に到着する。窓越しにカメラが入っていることが確認される。トロッコ列車の予約状況が悪かったので、まさかと思ったが、やはり関口さん御一行は乗っておられた。席はというと、ちょうど関口さんがキハ54の前の方でスペインからやってきたという旅行者と対談中であり、その近くの一角だけが空いている。そこで、カメラの邪魔にならないように座る。「まさかこんなところでスペインの旅行者とお会いできるとは・・・」という声が聞こえた。

その関口さんは、西ヶ方を過ぎると車両の中央に移動して座る。例の絵日記を書き始めるが、江川崎から乗車してきた親子連れに「あれ、先ほどお会いしませんでしたか?」と言う。我々と同じく1便前に乗車して、四万十川沿線で時間をつぶしていた親子のようだった。その後は関口さんの右隣に座っていた年配のおじさんが、とくとくと関口さんに説教をしていたように思う。

さて、かずまるはというと、一人で関口さんのところへ行こうとして、恥ずかしいを連発している。それならば行かなければよいのにと思う。が、チャンスは確実にあるものである。十川からトロッコ列車の切符を持っている者は後部に連結されたトロッコに移動する。その直前に先に席を立って、挨拶をすればよいのである。案の定かずまるは関口さんの隣に座り、私はというと、その隣にいたカメラマン(カメラは回っていなかった)と話をした。が、都合の悪いことに、かずまるは「マジレンジャー」のグッズを片手に持っていた。いくらなんでもNHKに対してそれはマジーんでは?と思っていると、カメラマンが「おおっ、マジレンジャーではないか」と乗ってきた。この人、多分小さな子供がいるんだろうけど、何日も家を空けていて大丈夫か?と思う。

そうこうしているうちに十川が近づいてきて、スタッフや乗客が移動のため、ざわつき始める。ホームには結構人が並んでおり、その中にShi−Mamutaさんもいた。が、なんとしたことか、かずまるが列車を飛び降りてしまった。とスタッフ一同を無視して、「こらこら!」と、このときばかりは大声でかずまるに怒鳴る。すると、関口さんは車掌に「トイレありませんか?」と言って、一度列車を降りられた。あせる必要はなかったわけだ。トロッコに移ると、車両の方向にShi−Mamutaさんがこちらにカメラを向けていた。指定席を買ったときはがらがらだったのに、満席になっていた。

トロッコでの私の指定席番号は3A、3Bであったが、関口さん御一行は6A〜Dまでの横一列4席を予約していた。これならば、左右どちらに四万十川が流れていても、困らないと言うわけである。が、実際に座っていたのは関口さん一人であった。

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列車は土佐昭和を過ぎて四手峠のトンネルを抜け、三島渓流に出たところで徐行運転にはいる。ここで、関口さんは場所をD席からA席へと移動し、子供たちに向かって「来なさい」と合図を送った。真っ先にかずまるが駆け寄っていて、関口さんに抱きかかえられていた。その次の芽吹トンネルを過ぎると、対岸に国道が走っている。すると、関口さんが「あ、いたいた」とおっしゃられた。その方向を向くと、中継車が見えて、3名ほどのカメラマンがこちらにカメラを構えており、全員を手を振る。

(一緒に弁当を食べる関口さんとかずまる)

さて、実際にはトロッコに乗っている時間は非常に短い。もうすぐ土佐大正というところで、ぼそっと関口さんが「お腹すいた」とおっしゃられた。なんとそこで威力を示したのが、さきほど松丸で手に入れた「巻き寿司の海苔の代わりに卵を巻いた寿司」である。相当お腹が空いていたと見えて、関口さんは「すみませんね」と言いながら食べてくださった。ただ、この巻き寿司は昨年途中下車した松丸の・・・と言ったが、どうも理解されなかったようであった。で、かずまると2人で食べていた。もっとも、少々ガリの味が利いていたようで、関口さんは「美味い」とおっしゃられたが、かずまるは「からい」の一言であった。ちなみに、かずまるが「今日はどこまで行くの?」と言ったら「甲浦」と答えられたらしく、「お父さん、甲浦ってどこ?」が、私には「後免」と聞こえてしまい、うまく答えられなかった。まあ、そのうち行ってみよう。

列車は土佐大正に到着し、我々は再び座席に戻った。が、もはやかずまるのペースは戻らない。スタッフの視線を無視して、かずまるはずっと関口さんの隣に陣取っていた。ここで、関口さん御一行は弁当タイムになったようだ。どうりでお腹が空いていたはずだ。が、なんなんだ、かずまる。朝の恥ずかしそうな態度は。で、私は先に関口さんに説教をしていた年配の方に隣に座った。彼は東京から四国に2泊3日で旅行してきたとかで、今日は高知から飛行機で帰るのだそうだ。また、関口さんを指差して「子供があれだけ近寄ってくると言うのは、そういうオーラを持っている証拠だ」とおっしゃられていた。

その後、ようやくShi−Mamutaさんと同席できた。先週のキハ58系国鉄塗装の追っかけの写真を頂いた。が、すでにその次が一応下車予定の打井川であるため、かずまるの状態も気になる。なんだか、関口さんと盛り上がっているようなので、予定を変更して家地川で下車することにする。この2つの駅はともに「牛山さん」の秘境駅のベスト200に名を連ねている。と、打井川を過ぎたところで思い出したように「お父さん、過ぎちゃったよ」と泣きべそをかくところが地理に強いといえるようだ。事情を説明して、次の家地川で予定どおり下車する。次の若井までの間の川奥信号場で4843Dとすれ違う。したがって、ここで下車しなければ、帰るのが2時間遅くなる。(実際には宇和島2分で乗り換えるので、1時間遅いだけだが・・・)

列車が到着し、降りる直前にスタッフの方々に対して、お詫びを申し上げたが、まあ、生放送じゃないから許していただこう。外に出ると、わざわざ関口さんは窓を開けてかずまると握手をしてくださった。その向こうから車掌が切符確認にやってきた。列車はゆっくのと遠ざかり、かずまると2人で列車が消えるまで手をふった。こうして関口さん御一行との旅は終わった。当初の下心はどこに・・・もはやテレビに映ろうと、映るまいと、関係のない、楽しいひと時が終わった。

家地川〜宇和島間4843D普通列車

が、今の位置は松山から最も遠いところにいる。これから帰路が待っているのである。待つほどのこともなく、すぐに4843Dがやってくる。先ほどの列車の喧騒とはうってかわった静かな車内を揺られながら宇和島へと戻る。

土佐大正では、先ほどのトロッコの下車客が乗車してくる。が、実際には1組の親子だけであった。それと、半年前もそうだったが、高校生が10人くらい乗り込んでくる。そのうちかずまるが寝てしまった。まあ、あれだけはしゃいだことだし、仕方ないと思っていたら、そのまま宇和島まで寝ていた。

列車は相変わらず、桜吹雪の中を走っていく。宇和島からはアンパンマン列車で松山へ帰るだけである。が、なんともいえない充実感の中で家へと帰るかずくん倶楽部であった。(2005.04.10)

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