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(以下の撮影日は特に説明がなければ旅行日) 旅のプロローグ 今回は、前年の反省点から、一度は宇和島経由を諦めたのだが、最終的には、昨年と逆周りをすることにしてみた。そのルートは最終的には次のとおりになった。 10月12日(金)単独 10月13日(土) 10月14日(日) (凡例)「G」グリーン車、「A」アンパンマン列車、「Y」ゆうゆうアンパンマン 10月12日(金)松山〜宇和島間1001D特急いしづち1号 毎年、JR四国を乗り倒すときには、国土地理院2万5千分の1の地図を持参しているのだが、今回はその地図が見当たらない。といって、再度印刷するのも・・・ということで、今回は持参するのを諦めた。その代わり、これで4年連続同じような場所を巡っているわけだし、後で地図を再確認することにしようと思う。
(左:松山駅での1001D、右:宇和島駅1001Dと4838D) 今回のトップランナーは1001Dである。この列車はなんてことはない。昨日仕事帰りに乗った1072Dと同じ列車である。しかも、グリーン車を連結していない。松山から宇和島方面へ行くには、松山発11時17分の1057Dまで待たなければならない。松山〜宇和島間には往復グリーン車に乗車できる企画切符があるが、松山からはとてもじゃないが利用できない。 以前は1051Dがアンパンマン列車だった。グリーン車以外は全車自由席だったが、この編成になって、確かに自由席は12席増えた。快てーきはグリーン車が利用できないが、指定席ならば利用できる企画切符がある。1051Dは伊予市で立客が出る。だから、通勤客の便宜を図ったように思うが、私としては、なんとなくそれは結果論で、実際にはかつての宿毛駅での事故で2000形と2200形の2両が廃車になって、そのあおりでTSEが3両になり、予讃線の車両運用を見直した結果ではないか、と思うのは少々考えすぎであろうか。 そういうことだから、過去3年間5回のこういう旅行(私のバースデイ3回、妻のバースデイ1回、2005年秋の謝恩切符1回)の中で、妻のバースデイ1回を除く全てを時計回り(8M〜33D〜1068D)にしたのだと思う。これなら、宇和島〜松山間もグリーン車が利用できる。 だが、毎日の馬車馬ストーリーの中で、昨年の1068Dは苦痛を味わった。また、予土線で2時間トイレがないというのも、体調が悪いときや前日大酒飲んだときは、プレッシャーになる。しかも、4843Dはとこも長時間停車をしない。だから、一度は宇和島経由を諦めた。が、直前になって、やっぱりグリーン車利用を見送ってでも敢行してみようという気になった。
(左:予土線江川崎駅4838D、右:予土線江川崎に到着する4839D) この1001Dは時刻表では松山駅8時06分になっている。が、「サイバーステーション」では8時07分になっていて、はて?と思ったのだが、切符では確かに07分発になっている。多分松山駅の工事の関係なのであろう。が、到着直前「1001、2分」というアナウンスがあり、まあ、1001Dは松山で12停車するし、と思ったら、1001D松山到着が2分遅れるということは、517Mも2分遅れるということで、結局1001Dの松山発も2分程度遅れた。ただ、宇和島到着は定刻であった。 この1001Dの指定席であるが、松山までが自由席で、松山から1号車1〜7番28席が指定席になる。指定席の座席数は1051Dも同じである。私は当然ながら1Aを狙ったのだが、発売2日目にして1Aは取れなかった。念のため1001D乗車直前に松山駅で確認したが、やっぱり取れなかった。が、松山駅出発時刻が来ても誰も来ない。乗客は4CDに座っている女性客だけだ。伊予市を過ぎたところで、私は1Aに移動し、検札時に車掌にその旨伝えたところ、意外にも「いいですよ」の返事。JRの座席指定には、重複発行や急病人、護送対策として、数席はあらかじめマルスで発行できない座席がある。つまり、この1Aがそうであった、多分1番4席がその対象なのではなかったろうか。そういえば、185系特急の場合、かずまるが幼稚園のとき、最前列16A1席を買って、かずまるに16Bへ座らせていたところ、車掌が親切に「そこは来ませんから」とおっしゃられた。185系特急や2000系TSE等指定席が16席しかない場合は、2席だけが対象なのかもしれない。ということは、馬車馬の世界で1051D1号車1Aに座っている人を見かけるときがあるし、特に私のブログで1A氏と称した人。彼は一体どういう訳であそこに座っていたのだろうか。 10月12日(金)宇和島〜窪川間4838D さて、宇和島からは4838Dで予土線を窪川へとめざす。前回、1068Dとともに苦痛のタネだった路線だったが、逆回りにして正解だった。まさに、給食のとき、嫌いなものを先に食べるというのは大袈裟にしても、最初の馬車馬は苦痛ではなかった。次の4838Dは江川崎で10分停車する。これもいい。これは正解だった。が、今日のスタートは宇和島だったような感じが最後まで消えなかった。それにしても、4838Dの江川崎での停車は大変のどかな時間が流れた。この列車には、1001Dで指定席に乗っていた女性の二人連れや年配の夫婦、そしてテツの人などが乗車していたが、みんな下車して、一様に写真を撮っている。運転士も旅行客に写真を撮ってあげたりしていた。
(左:2年半前に関口さんの番組でカメラが回っていた場所、右:川奥信号所) この予土線は国鉄時代は廃止対象路線となるはずだった。それが、廃止を免れたのは、沿線道路の未整備だった。今でも、沿線には「乗って残そう予土線」という看板が建てられている。だが、半家〜十川間の国道江川トンネルと川平トンネルの間に巨大な国道橋りょうとトンネルが建設されつつある。これが完成すると、沿線道路では十川集落内を県境の真土〜西ヶ方間のみが未整備となる。 江川崎以東では列車は70キロ運転ができるし、鉄路の方が距離が短いから、列車の方が早いだろうとはいえ、本数を考えると、もはや絶対優勢とはいえなくなる。まして、宇和島〜近永間では、すでに完全に不利な状況に立たされ、JR側も実際には徳島以南の特急増発が目的とはいえ、185系を予土線から撤退させ、朝のラッシュ時に、それまで185系2連+キハ32の3連だった831Dがキハ54+キハ32の2連に置き換えられた。その結果、列車の混雑が激しくなり、それまで鬼北町の三島、日吉方面からの生徒は出目で、清水(せいずい)方面からの生徒は近永又は大内でそれぞれ、そのバスが宇和島への直通であるにもかかわらず、乗り換えていたのが、あまりの混雑で結局宇和島までバスで乗りとおすようになった生徒が増えたと言う。 こういう態度が、最終的に乗客の足が遠のくことになる典型であることは疑いの余地はない。が、あるいは、JRは確信犯的に減便したのではないかという疑いを持つ。予土線廃止は国鉄時代の策であり、現在では国道の整備が即予土線の廃止には繋がらないとは思うが、あるいは、最終的に予土線を第三セクター化する気でいるのではないか?それが、先の宿毛駅の事故で、土佐くろしお鉄道の経営が苦しくなり、中村〜宿毛間の特急減便という事態になったことから、JRが予土線を見切り始めたのではないか?意図的に乗客を減らそうとしているのではないか?というのは考えすぎだろうか。
(左:窪川駅に到着した4838D、右:窪川駅46D) 10月12日(金)窪川〜丸亀間46D特急南風16号 4838Dは定刻11時45分に窪川到着。昨年は最も苦痛だった時間が、今日は快適なまま終わった。後はグリーン車で移動できる。が、昨今の腰痛が気になるため、私は、1便早い列車で帰ろうと思い始めた。46Dで児島まで行かず、丸亀で降り、そのまま15Mで帰ろうと思う。せっかくの至福の時間が苦痛になってはたまらない。 が、窪川での乗換時間は10分。思ったとおり、改札とマルスの担当が一緒だったから、時間は少々かかったが、キヨスクでちょっとした食事の調達もできた。どこでも売っているおにぎりは松山駅で買っており、ここで買ったのは、かつおの無菌パックと卵の燻製であった。後者は日高昆布を使用と書いているから、別にここで買わなくても良かったのだろが、ともかく予備として買っておいた。ここまで気を使った理由は、高知駅でのかつおのたたき弁当である。ぜひ食べたいのだが、停車時間はわずか3分。幸い46Dは1番ホームに到着するが、1分でも遅れたら、大変なことになる。しかも、窪川を出てすぐにデジカメの電池が切れた。あるいは充電池の寿命なのかもしれない。いつものバックなら予備の乾電池を持っているのだが、今日のバックにはその準備がないから、これも高知駅で買っておきたい。まあ、デジカメの場合は最悪、携帯電話での撮影が可能ではある。 結果は上のとおりで、あらかじめ、キヨスクの近くに移動して、弁当と乾電池を買って飛び乗ったら、発車ベルが鳴った。この弁当味は申し分ないが、値段1050円からすれば、少々私の腹には少ない気がしないでもない。まあ、足りなければ、そのために窪川での予備食がある。
(左右とも:高知駅かつおのたたき弁当) この46Dの特徴は、全席禁煙ということである。車掌がしつこいくらいに車内放送していた。確かに、グリーン車付き3両編成の場合、G車18席、指定席が1号車16席、2号車28席、自由席が2号車44席、3号車52席では、3号車が喫煙車だったら、禁煙客はたまらない。以前から、高知の人は喫煙者が多いのかと疑問に思っていた。そのため、乗客の多いであろうアンパンマン列車が昨年秋に全車禁煙、3号車喫煙ルーム設置、予讃線も2011年頃までに同様になるとされてきた。が、予讃線の2000系に乗っていたから気づかなかっただけで、すでに土讃線は喫煙ルームが徐々に設置されつつあるようだ。だから、今気づいたのだが、時刻表を見ると「3号車は喫煙ルームのある車両で運転する日があります。この場合、3号車は禁煙車となります」と書かれている。予讃線2000系に比べて編成の短い土讃線を優先していたのは判るような気がする。 ただ、個人的には、8000系2号車の喫煙ルームは失敗ではなかったかと思っている。S1編成2号車8101の問題があるから、簡単にはいかないと思うが、あれは、5号車に喫煙ルームを設けるべきではなかったかと思う。明後日に8M〜1008M車内乗換えをするが、昨年は満員の5号車を抜けるのに苦労した。が、4号車は空いており、1〜3号車はガラ空きだった。 などと考えていると、新改を過ぎたあたりから眠くなる。土讃線に乗っていると、高知付近を除いては全線気を抜けないところばかりだ。しかも、その高知には例の駅弁が控えている。そんな中で、ただぼけっとしていると、必ずどこかで眠たくなる。あと20分ほどで大歩危だから眠るわけにはいかないが、気がついたら、阿波池田を過ぎていた。まもなく、坪尻の引上げ線が右の車窓に見え、あっというまもなくトンネルへと通り過ぎる。
(左:46D3号車にある喫煙ルーム、右:丸亀駅15M) 14時25分讃岐財田を通過する。もし、昨日の186Dが国鉄色だったら、ここですれ違うはずだったが、今朝松山駅で見たから、当然ながら四国塗装である。丸亀には定刻14時49分に到着する。 この丸亀駅は、高架になっているが、ホームがかなりカーブしている。そのため、必ず「列車とホームの間が空いている場所がある」というアナウンスが流れる。地平駅当時はそのような印象はなかったのだが、あるいは、高架する際になんらかの事情でカーブすることになったのだろうか。 10月12日(金)丸亀〜松山間15M特急しおかぜ15号 帰りの15Mで思ったこと。先ほどの喫煙ルームの話に戻るが、すれ違う上り8000系の乗客がだんだんと増えているような気がする。それも5号車が、である。特に新居浜以東の乗客が増えているような気がする。松山の場合は高速バスは激しさを増している。これは、ひとえにこの付近の都市化が進んでいるにもかかわらず、同レベルの都市が多いから、ひとつの市から岡山、高松、あるいは京阪神へと高速バスを走らせるには、イマイチ乗客が少ないし、かと言って、複数の市からの客を運ぼうとすると、時間の問題で圧倒的にJRに負けるということではないだろうか。例えば、今治から直接西瀬戸自動車道を走れば、時間的には勝てるが、乗客が得られない。だから、西条、新居浜と走って、三島川之江インターから高速に乗ったのでは、時間的にお話にならない。かといって、別々の行程にすると、乗客が少ないから、本数を増やせない。だから、JRの1時間ヘッドにかなわない。松山だったら、都市単独でそれなりの乗客が確保できるということだろうか。 そんな中で、5号車だけが混雑する現状打破はないだろうか。2号車と5号車の喫煙ルームを逆にするとか(8101の問題はあるが)、5号車にも喫煙ルームをつくって、全車禁煙にするか?これまた8101の問題もあるし、牽引定数の問題もあるので、無理かもしれないが、2号車を4、5号車の間に持ってきて、高松2両、岡山6両にするか?私は以前から(今更言っても仕方ないが)8000系不必要論者である。2000系増備でよかったと考えている。特に昨今、盆正月の基本5連+附属3連に加え、それ以外の3連休等乗客が見込まれるときの、基本4連+2150+2100+2150+2100の付属4連による8両編成には頭が下がる。これだけの融通のきく編成を組めるのは気動車ならではであるが、そういう発想ができるJRに感心する。だから、融通のきかない8000系の現状に少々不満がある。別に現在の私自身は全く関係ない世界ではあるが。
(左右:伊予西条駅、11月26日にオープンする四国鉄道文化館) さて、伊予西条駅東隣には、今年の11月26日に鉄道文化館ができる。これは、第4代国鉄総裁「十河信二氏」の出身地が西条だということもあって、氏は「新幹線の父」というだけあって、新幹線0系の一部が展示され、多度津からはDF50-1がやってくるらしい。と思っていたのだが、この建設現場を見て、あまりのちゃちさにがっくり。第一、なんで11月26日なの?三連休の終わった翌日になんで開業するの? せめて、県科学博物館にある鉄道展示物でも持ってきて、花を添えて欲しい(あ、鉄道模型の編成は正しくしてね)。多分、一度行ったら、二度とは行かないだろうな。だから、12月頃にでも、「あじな散歩道」で「アサヒビール園」にでも行って、ちょっと寄るか?とも思う。あんまり期待はできないが、園内が濃密で感動させてくれれば儲けものというところか。 というわけで、今回の1日目は定刻17時09分に松山へ到着したのであった。(2007.10.20) |