JR四国松山〜宇和島100キロ貫歩

かずまる父単独編(3)

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第3回目 伊予立川〜伊予大洲17・8キロ(実距離19・3キロ)

  

  

(クリックすると拡大します。なお、この航空写真は国土交通省のサイト「国土情報ウェブマッピングシステム(試作版)のご利用に当たっての注意事項」に基づき記載しております。)

12 月8日(金)、この日は妻の職場の忘年会で、かずまるの面倒をみる必要があったので、最低でも2時間休暇をとる必要があった。それならば、と1日休暇にし て敢行を試みた。今回は土曜日がかずまる2号宅へ遊びに行くことから、最悪でも9日(土)決行ができる。が、当初天気予報は2日とも雨!このため、7日 (木)日中の段階では、完全防御で金曜日強行を決めた。すると、夕方5時に、雨は午前中にはあがるという予報に変わった。が、今度はかずまるの帰宅が個人 面談のため午後2時半だという。元々がそれで休暇をとるのだから、仕方はないが、1001D出発の場合、朝の雨の心配が残った。

そして、8日朝、なんと雨の心配は全くない。念のため、ビニル合羽を持ってはみたが、これはもう執念である。が、1001D出発にはもうひとつの問題があった。前回伊予立川から逆行したわけだから、今回も伊予立川からの出発となるはずである。

  

左:伊予立川駅、右:伊予立川〜内子間、ここから予讃線は連続トンネルに入る

が、 22Dで帰るとなると、前回の4633Dでは到底間に合わない。その前の4725Dの松山発は6時27分。冗談ではない。1051Dで伊予市から乗り換え る方法もあるが、いつもの通勤列車の中で、それだけはやりたくない。というわけで、伊予中山に停車する2往復のうちの1便である1001Dで中山バス停か ら立川駅前までバスに乗るという、少々場違いなことになった。が、伊予中山駅から中山バス停までは約650メートル離れている。伊予中山駅到着が8時23 分、中山バス停発が8時30分。不可能ではないが、JRが定刻に到着してくれないと大変なことになる。

時刻表を見て、 1001Dを乱すような列車はないとタカをくくっていたら、なんと敵は意外なところにあった。その1分前に到着する517Mが3分遅れたのである。 1001Dは4分遅れの8時09分に松山駅を出発する。が、どうも車内時計がおかしい。私の時計は通勤時1072Dの犬寄T突入と松山駅到着時刻確認のた め、腕時計は現在1秒程度の遅れである。それからすると、車内時計の方が2分近く進んでいるようだ。それでも遅延していることには違いない。犬寄T突入す る時にはすでに8時20分になっている。1001Dは伊予中山に到着するから、出口付近で即だが落ちる。はたして、8時25分00秒頃に伊予中山に到着す る。後は全力疾走しかない。これに遅れると、30分ほど後に三崎行きの伊予鉄バスはあるが、松山から通勤時間帯を抜けてきたバスの時刻には不安がある。一 度伊予市を抜けるまでに1時間以上かかって、普通列車に乗ったほうが遥かに早くて安かったことがある。だから、松山〜大洲・八幡浜間のバスはほぼ全滅した のだろう。で、当初の計算では、伊予立川〜伊予大洲間4時間40分となっている。22Dで帰るためには、このバスを待つわけには行かない。あとはタクシー あるのみである。

下り坂を通学の高校生をかきわけながら、マラソン状態である。こんなところで体力使って大丈夫かとも 思うが、ともかく最後は手を振って止めようと考える。が、これもダメである。中山バス停は伊予中山方面から見た場合、歩道橋に隠れて、バスさえもが見えに くい。下手に車道に出て、車に敷かれたくもない。が、最終的には、バスが常連のおばさんを待っていて、なんとか間に合った。

  

左:内子町の内子座、右:旧内子駅跡に立つ内子自治センター

というわけで、今回の旅の始まりは、バス停から始まってしまった。伊予立川駅を横目に見ながら・・・ついでに、駅のトイレを使わせてもらう。ここは、20年ほと前の八幡浜市勤務の頃、実家へ帰るときによく使ったものである。8時45分、今日の貫歩が始まる。

し ばらく、川を挟んで国道を歩くが、歩き始めて約20分、宿茂橋の手前でJRは連続トンネルへと消えていく。その後は約1時間、JRと離れる。今日は、基本 的には国道56号を歩くことになる。特にかずまる同行の際には気をつけたいところでもあり、そのあたりの状況確認も兼ねる必要がある。それにしても、本当 に歩行者のことを考えていないような道路である。かずまる同行編では、この後、方向転換をして、愛媛の道路事情として取りまとめて、国土交通省へ提出して やろうか、と思いながら歩く。

内子の街並に入る細い道路を曲がるあたりで1時間10分程度と読んでいたが、幸い15分 ほど早く通過する。早く通過することはよいことだが、実は当初予定の4時間40分は、1分でも遅れると、それは22Dに間に合わないということを指す。五 十崎駅まで時速4・5キロ、それ以降を4キロで計算しているし、休憩時間も含まれているわけだから、あまり余裕はない。

  

左:現内子駅、右:旧内子線跡に建設された道路、その向こうに内子線高架が見える

そういうわけで、あまり道草を食うわけにはいかないが、そうはいっても、やはりかつての内子駅跡は見ておきたい。内子の街並みを歩きながら、途中で北側へ逸れると、ちょうど内子座があった。さらに北上すると、内子自治センターがある。この場所にかつての内子駅があった。

昭 和60年当時、内子町内を仕事で周っていたから、昼食の弁当を内子駅舎内でとったこともある。現在は、その旧線路跡は内子側は完全に二車線道路にリリース され、五十崎側は高速道路の路盤として消えた。かつて、ダウンタウンヒーローズという映画で使われた線路、旧内子線は今、跡形もない。

こ こから、五十崎駅までが本日最初で最後の分水嶺になる。峠といっても、たいした峠ではないが、ここで水系が変わる。この峠には有名なたこ焼の店がある。現 在はその店を無視するように4車線の道路が抜け、そこだけ別世界のようになっているが、歩く分には少々迂回するだけである。たこ焼を食べながら、五十崎駅 へと下っていく。このあたりに来て、左足に痺れを感じるようになる。多分、朝の650メートルマラソンの影響なのだろう。

  

左:五十崎駅を通過する1058D、右:喜多山駅

五十崎を過ぎたところで、多分同行編でも重要な食糧調達場所となるであろうコンビニに入って、時間調整をしながら1058Dを撮影する。なにしろ、今日は歩き始めてからまだ列車の写真を撮っていない。が、その割にはたいした写真にならなかった。

こ のあたりでは予定より15分程度早いだけだったのだが、喜多山に到着したときには一気に35分早着となった。速度に変化があるわけではないから、多分私の 地図上での測量に誤りがあったのだろう。が、逆よりはマシである。私の頭の中には、22Dは禁煙自由席が1両しかないということで、無理と知りつつも、 いっそ60分早着となって、1062Dにのれないかということだけである。新谷駅到着11時25分、この時点で35分早着となる。が、残り5・6キロを1 時間での走破はやはり無理である。

東大洲が近づいてくると、再び線路が見えなくなる。仕方がないので、国道の1本北側 の道路を西進する。が、時折、車が猛然と走ってくるので少々危ない。11時40分、大洲まではあと4・5キロというところで、一度休んで1057Dを待 つ。松山以東の予讃線は、カーブで撮影すると、編成美でごまかすことができるが、松山以南で撮影しようとすれば、編成が短いだけに、背景を考えなければな らない。私は今まで写真雑誌などは読んだことがないが、一度目を通すべきなのだろう。

  

左:新谷駅、右:予讃線新谷駅西側1060D、ここは予讃線(旧内子線)、国道56号、高速道路の三重交差

東大洲の高速道入口を過ぎたあたりで、いよいよ歩く速度が落ち始める。肱川が近づいたところであと3キロ弱、ここから肱川の河川堤防へと上がる。気温が上がったようで、12月というのに大変暖かい。というより、季節外れの日焼けを心配するほどである。

ちょ うど正午を過ぎたようで、河川堤防上を散歩するサラリーマンの姿を見かける。が、私の方は相当速度が落ちた。一時は50分近く早着していたのだが、あと1 キロというところで、1062Dまであと5分と迫った。仕方がないので、一旦座り込んで1062Dを待つ。結局予定より40分ほど早い12時40分に伊予 大洲駅へとたどり着いた。

さて、この時間に到着すると、次の22Dまでは50分もある。それまで疲労困憊のままでベン チに座るのはつらい。どうしようかと思っていると、まもなく1059Dがやってくるではないか。これで八幡浜までトンボ帰りすることにしよう。12時53 分発の1059Dはガラガラだったのだが、こういうときに快てーきが役に立つ。あとは八幡浜までに寝てしまわないことだけである。八幡浜まで行ってしまえ ば、帰りはその分余分に寝ることができる。いくら岡山行きとはいえ、松山を寝過ごすことはあるまい。

  

左:予讃線伊予大洲〜新谷間1057D、右:予讃線伊予大洲〜新谷間1062D

八 幡浜到着は13時04分、22Dとは次の双岩で退避して、22Dの八幡浜発は13時20分。22Dの禁煙自由席は3号車のみである。予想どおり、八幡浜で 7割方埋まったと思ったら、次の伊予大洲でほぼ満席、内子では立客がでた。もっとも実際に立客がいたわけではなく、デッキに立っていたようだし、何名かは 4号車喫煙車へ移動したようだ。勝利の美酒に寄ったかのように、気がついたら、すでに市坪を過ぎていた。松山に到着しても気がつかないことはないのだろう が、危ないところであった。というわけで、単独編は常に季節外れの好天気、同行編は当初の天気予報に関係なく雨という図式が成立しそうな状況となってきた ようだ。(2006.12.18、写真は全て敢行日撮影)

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