JR四国松山〜宇和島100キロ貫歩

かずまる父単独編(4)

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第4回目 伊予大洲〜八幡浜13・3キロ(実距離18・3キロ)

  

  

(クリックすると拡大します。なお、この航空写真は国土交通省のサイト「国土情報ウェブマッピングシステム(試作版)のご利用に当たっての注意事項」に基づき記載しております。)

1 月19日(金)、いよいよ中盤の難所、夜昼越えである。ここを抜けると八幡浜入りすることになる。天気は上々、1月とは思えないほどの暖かな一日になりそ うだ。松山を9時00分発の1063Dで出発し、伊予大洲9時37分着。今日の1063Dはいつもより1両増結されていた。

  

左:@国道56号肱川から西大洲方面を望む、右:A西大洲方面、久米川の堤防で見えない

今 日の行程は、後日実行予定の同行編でかずまるの速度研究をするため、目印になる場所で地図に時刻を記入することにしている。伊予大洲駅を9時39分に出発 し、いきなり予讃線と別れて、大洲市中心部の肱川橋をめざす。その後は県道沿いに伊予平野まで歩くことにしており、西大洲駅は遥か彼方で拝むだけになる。 このあたり、同行編では走行距離が短いだけに忠実に線路沿いを歩くことにしているから、今日はそういう歩き方をする。

が、 いざ、西大洲駅の最接点にやってくると、思ったより久米川の堤防が高くて、駅がさっぱり見えない。まあ、今日は後で未知の山道を歩く予定でもあるし、ここ では無理はしない。金山出石寺方面へと向う県道のところで、犬に吼えられながら7分ほど休んで1058Dを眺める。1058Dはカーブを格好よく車体を傾 けて走っていく。同行編では線路沿いを歩く予定だから、そのときが楽しみである。

が、相当な速度で歩いたにもかかわら ず、伊予平野駅到着は10時33分、予定時刻が10時41分だからあまり早いともいえない。が、よく考えると、伊予大洲駅からここまでは約4・7キロを 54分で歩いたわけだが、予定速度は時速5キロで設定している。こうなってくると、平均速度というよりは、休憩時間のロスの方が大きい。ちなみに、私はこ こまで撮影で7分、店に5分寄っている。つまり、純粋な走行は時速6・7キロを記録したことになる。20キロ歩いた場合、最後は平坦でもその半分以下に速 度が落ちるわけだから、今後は歩く時間と休憩する時間とを分けて計画をするべきかもしれない。

  

左:B伊予平野〜西大洲間1058D、右:C伊予平野駅

伊 予平野駅を過ぎ、国道197号と合流する。この国道はその名前をもじって「行くな酷道」と呼ばれていた。私が今まで歩いてきた道も元は国道197号である が、なんと言っても、これから歩く夜昼峠が「行くな酷道」の象徴であった。この夜昼峠は昭和40年代には2000メートルを越えるトンネルが開通し、この 名前は、私が八幡浜市に新採で赴任した昭和60年においても、佐田岬半島と肱川町(現大洲市)〜城川町(現西予市)〜日吉村(現鬼北町)〜梼原村〜須崎市 まで延々と「これが国道か?」と思うような道が続いていた。これからいよいよ夜昼峠への山道が始まる。

この夜昼峠の旧 道への入口は、城の下にあるラーメン店の三叉路から入るのであるが、ここからは入らない。元々この夜昼峠は馬車道であったらしく、勾配が緩い代わりに相当 くねった道となっている。つまり、歩くとなれば、標高319メートルくらいであれば、少々勾配が急でも、距離が短いほうが良い。私はそこから200メート ルほど先へ行ったところ、国道がまさに急勾配を登り始めるというところから右へと折れる道へと入っていった。時刻は10時53分、この道は通勤上、確認を している。このまま歩いていけば、予讃線の夜昼トンネルの入口あたりに出ることが判っている。

国土地理院の2万 5000分の1の地図を見た場合、線が2本ある道は軽自動車ならば走れる。一本線の道の場合は歩くには問題ないが、車が走れない場合がある。そして、破線 の場合は農道であり、一応道らしきものは存在しているが、歩けるような状態でない場合がある。一昨年、松山市内の道後や桑原あたりで酷い目にあったことが ある。

  

左:D夜昼トンネル脇の農道、右:E夜昼トンネルから出てきた1060D

11 時11分、いよいよ予讃線夜昼トンネル東口へと到着する。ここからはとても車は通れないが、歩くことはできそうな道が登っていることを通勤時に確認してい る。三叉路になっており、2万5000分の1の地図ではいずれも一本線の道だが、これから登る山道以外は車が通れる。

が、 昭和49年の航空写真を見ると、逆にこれから登る山道しか存在していないことが判る。これは、当時の航空写真を見ると判るが、国道の夜昼トンネル手前に夜 昼パークという分譲地が当時開発されている途中であり、ここから分譲地へと向う道路(別添写真右上の茶色の線)と、さらに、旧夜昼峠の道から分譲地へと向 う道路(別添写真右半分を南北に走る茶色の線)がそれ以降に作られたということがわかる。これから一気に登っていく予定の山道(Dから夜昼集会所へと向う 黄色の線)の途中に、先に述べた「旧夜昼峠の道から分譲地へと向う道路」とも出会うことになっている。そこから先がまさに「未知の道」なのである。地図上 では破線となっている。果たして登ることができるか。

  

左:F夜昼峠へショートカットしていく農道、右:G農道の途中

夜昼トンネル口ではまもなくやってくる1060Dを撮影して、11時22分に出発し、先の「旧夜昼峠の道から分譲地へと向う道路」へは11時36分に出る。ここから先の破線道がなければ、一旦この道に従って、夜昼パーク方面へと迂回する予定である。

道 を見渡すと、なんだかコンクリート壁が切れていて、そこから土砂が流れ出るような格好をしているところがある。農道にしては、非常にというより非常識なほ ど急勾配である。しばし呆れて見ていると、ここにある集落の人が家から出てきたので、たずねてみる。最近はその道を歩くような人はいないというが、歩けな いことはない、という返事である。歩いてないのに何故判るんだろう、とも思うが、それはよそ者で歩く人がいないと言うことかもしれない。

そ れと、昭和49年当時はこの「旧夜昼峠の道から分譲地へと向う道路」はなかったわけで、この山道(黄色い線)に「旧夜昼峠の道から分譲地へと向う道路」が できたため、そこだけが勾配が急になったのかもしれない。それが証拠に、100メートルも歩けば勾配は落ち着いてくる。思ったより広い山道であるが、やは り、夏場は避けたほうが良い山道には違いない。

  

左:H夜昼峠を過ぎたところにある道路ループのレンガトンネル、右:I宇和海から佐田岬半島を望む

夜 昼トンネル東口から26分で夜昼集会所に着く。さらに、そこから旧道まではショートカットの道があり、さらに、今回はまともに歩いたが、ショートカット可 能な場所を見つけたりしながら、12時02分に夜昼峠を越える。まもなく、緩い下り坂にはいるが、その先には本日のメインイベントであるレンガトンネルが ある。昭和60年夏に一度原動機自転車で走ったことがあり、トンネルも通ったのだが、いかんせん20年の時を経て、記憶がない。一度トンネルの上を通過す るのは判っているが、それに気づかずに、またまたショートカットした後、ループにはいったな?と思うほどなくレンガトンネルが目の前に現れる。実は、さら にショートカットをすれば、このレンガトンネルを通ることもないのだが、そういうわけにもいくまい。

その後は、思った より開けた谷あいを下り始める。下りながら思うことであるが、夜昼という地名の由来は何だろうか。これには色々と説があり、ここが八幡浜と大洲とをつなぐ 交通の要所ということで、八幡浜を昼に出たら夜に着く、夜に出たら昼に着くというのがあるが、これは正しいとは思えない。私の脚力でも大洲から2時間20 分で峠を越せるのである。往復することも可能である。それと、夜昼という地名は、先の集会所の名前にもあるとおり、大洲側の地名である。ということは、別 の説でもある昼でも夜のように暗いということだろうか。大洲といえば、私も当時初めて経験した肱川嵐がある。肱川の低温多湿な空気が巻き上がって、大洲盆 地は冬場は天気が良い日ほど午前中霧で乳白色の世界が広がる。通常ならば、そのまま下流域へと流れていくのが、大洲盆地の規模に比べ、下流域で山があまり に川に接近しているために、霧が流れず大洲盆地に滞留する。そして、大洲から長浜までの地峡部からの霧が嵐になっり「肱川あらし」と呼ばれる。今年は大洲 盆地であまり濃厚な霧を見かけないが、あるいは、その霧が逃げ場を求めて、山の斜面を駆け上っていくために「昼でも・・・」ということなのだろうか。

  

左:J夜昼トンネルから出てきた1059D、右:K千丈駅と729D

夜 昼峠は八幡浜側の方が眺望が開けるのだが、やはりだらだらとした下り坂が続く。時間だけを考えるならば、とっとと国道197号に降りればよいのだが、やは りここは旧道を降りて、途中でJRの写真を撮りたいと思う。JRの夜昼トンネルを過ぎたところで、あと15分くらいで1059Dがやってくる。が、ここで は逆光になるため、やはりもう少し進んでおきたい。進んでおきたいのだが、その後も道路は左右にカーブを繰り返し、結局はここで撮影をしたいというところ まで行き着くことができず、1059Dを撮影することになった。

その後もゆったりとした下りが続いて、いよいよ千丈の 駅前へと到着する。旧道に半分朽ちかけた「千丈駅前・伊予鉄道」というバス停が見える。千丈では729Dと22Dを撮影し、あとは八幡浜まで一直線であ る。当初は1066Dで帰ることを想定していたのだが、22Dと出会った時点で13時22分は予定よりも40分以上早くなっている。これは、一便早く帰れ そうである。千丈川沿いに下っていくと、思ったよりも早く、八幡浜までは30分かからずに到着してしまった。一便早いどころか、1064Dまではまだ30 分もある。八幡浜駅は宇和島駅と違って、改札口は解放されているため、とっととホームに出て、本を読んだりして時間をつぶした。1064Dは明日からの大 学受験に向う高校生がかなり乗車していた。

それにしても、大洲から八幡浜まで旧道で18・3キロ、昔の人ならば往復す ることも可能だろうが、私は20キロ歩くのが限界である。世の中には、42・195キロを走ることができる人や、早さを競う人までいるというのがイマイチ 判らん、状態である。ただ、前回3回目は最初の速度に比べて、最後の1キロは相当に速度が落ちたわけだが、今日はあまり疲れた感じがしなかった。

  

左:八幡浜〜千丈間22D、右:八幡浜駅1064D、TSEは今日は4連

こ れで、次回笠置トンネルを越えて、西予市宇和入りをするわけだが、登りとはいえ、14キロというのは少々物足りない。そこで、地元石城の公民館に確認した ところ、なんと笠置の旧道は越えることができるという。旧道を利用した場合は、国土地理院の地図では峠付近で破線の道がある。これは多分通ることができる のだろうが、それから先はショートカットできる破線部分の状態が判らないことから、あえて確実な道を測量した結果、20・5キロとなっているのだが、はた してどうなるか?ともかく、次回は中盤のつなぎ区間からヤマ場へとなった。(2006.11.18、写真は全て敢行日撮影)

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