愛媛の「鉄」の紹介 > かずまる特攻隊が行く > 目次 > 5回目 | |
(クリックすると拡大します。なお、この航空写真は国土交通省のサイト「国土情報ウェブマッピングシステム(試作版)のご利用に当たっての注意事項」に基づき記載しております。) 2 月11日(日)、この日は親子3人で夜昼越えを予定していた。が、当日の朝になって、妻子はスケートに出かけることになった。実はこれには伏線があった。 前週の同行編第8回の伊予平野の雪合戦をやったが、妻にとっては、翌日かずまるの空手の昇級試験の送り迎えで相当堪えたらしい。今週は翌12日にスケート に出かける予定になっていたのだが、私が先週の状況もあって、延期を決めたのであった。が、もちろん、私にとってのそれなりの打算はある。それが今回の単 独編第5回である。
左:@卯之町1058D、右:A上宇和駅 今 年は1月5日(金)のまさかの休暇取得から始まって、すでに3日の有給休暇をとっている。3月までに2回の行軍をすると、平成9年、実弟結婚式のハワイ行 きと従妹結婚式の高松行きで1月中に4日取得して以来の盛大な休暇取得となる。まあ、休暇日数はよい。それよりもこれから年度末を迎え、金曜日の休暇取得 が大変難しくなってきている。そのあたりは4月以降にやればよいのであるが・・・などと思っていた矢先の事件である。これを生かさない術はない。 と いうわけで、単独編第5回目は唐突にやってきた。さっそく1053Dで卯之町へと向う。今回は逆行で卯之町から八幡浜までである。当初は笠置トンネル利用 の順行登山を予定していたが、石城公民館に問い合わせたら、笠置峠から八幡浜釜倉へ下りられるということをきいて、笠置越えを決めたのであった。 昨 夜寒冷前線が通過したこともあって、少々風が強い。笠置峠付近では北西季節風を受けるかもしれないが、天気は大変良いので、文句は言えまい。上宇和まで来 たところで、早速ウインドブレーカの下に着ていたセーターを脱ぐ。同行編の場合は速度が遅いうえに、今まで吹雪なぞもあったりしたため、体が冷えて体調を 崩すこともあった。それに対して、単独編の場合は気温が少々低くても歩けば温もる。 実は今日はあまり余裕はない。推定 通過時刻表では八幡浜駅15時14分、実に1066D到着の10分前となっている。かような訳で、最初はいつものごとく早歩きをしたのだが、なんと上宇和 通過段階で予定より3分しか早くない。まあ、遅れれば1便遅いので帰ればよいし、第一今日は笠置峠で釜倉側への道がなければ、断念用プランも用意してい る。
左:B伊予石城駅1055Dと1060D、右:C笠置峠の入口、後ろを向くと笠置T宇和側入口がある 11 時06分頃、伊予石城駅手前で1055Dと1060Dを撮影。1060DのTSE編成は1時間の間に宇和島まで往復してきた。相変わらず馬車馬の如き使わ れ方である。もっとも、今日一番の酷使は1055Dの松山〜宇和島間4往復の後の1034D高松行きではある。10Dの宇和島〜岡山往復後の宇和島〜松山 2往復も酷使である。だからアンパンマン列車の2200型は車内の騒音が激しい。 伊予石城通過も予定より3分早発。 1003Dでは伊予石城駅手前でカメラを構えている人を見かけたが、今はいない。先ほどの4634Dで引き上げたのかも知れない。八幡浜方面へと向う笠置 トンネルを横目に、だんだんと笠置峠が近づいてくるが、ここから見る限り、山を登っていく道は見えない。伊予石城付近で標高約230メートル、ここから標 高約400メートルの笠置峠を越えて、250メートル下の八幡浜釜倉へと出る。 笠置峠へのアプローチは、まさに予讃線 笠置トンネル宇和側入口の脇である。ここには笠置峠への道を示す看板がある。この上では笠置峠古墳の発掘作業が行われているらしい。道路もしっかりしてお り、迷いようもない。ただ、宇和盆地の眺望はほとんどない。宇和盆地から山道が見えなかったはずである。ちょうど正午に標高410メートルの山頂真下へ到 着する。地図では山頂は饅頭山のようなのだが、ここにはビニールシートがいたるところにかけられており、これが古墳のようだ。見ようによっては、ピラミッ ドに見える。しかも、発掘現場とあって、その向こうには駐車場のようにスペースがあって、常設トイレまで整備されている。誠に申し訳ないが、使わせても らった。
左:D笠置峠の古墳発掘場、右:E笠置峠 そして、ほどなく標高397メートル(峠の石碑では標高400メートルと表記)の笠置峠へ到着する。ここには東屋があって、ここにはシーボルトの娘イネがしばらく滞在していたという看板がある。さすがは、文化の街宇和である。 が、 そこでゆっくりとする余裕はない。ここから先の、八幡浜側への道がない。東屋のすぐ向こうには道路分岐がある。が、地図上では破線表記道路であり、それに しては自動車も通れそうな太い道である。地図上では破線表記道路を行くと、笠置トンネル付近へ、そのまま山道を行くと、先ほどの上宇和と伊予石城の中間に あった小原集落へと下っていく。山道を少々歩いてみるが、その向こうの八幡浜釜倉の集落は見えるのに道がない。思い立って、東屋の裏手へと入っていった が、バラ線に阻まれ痛くてそれ以上歩けない。 もう一度地図を見る。分岐して下っていく道は、破線表記道路で多分発掘用 に拡張された道路なのだろう。とすると、少し、戻ったところに道があるはずである。と、もう一度あたりを見てみると、そこにはお地蔵さんがあることを忘れ ていた。その裏手に道があるのか?見た目には、相当荒れていて、倒木もある。すでにここで30分近く滞在を余儀なくされ、予定より20分程度遅れている。 ここが、下山道でなければ、道が荒れているようならば、断念して笠置トンネル経由で帰るしかない。
左:F笠置峠の八幡浜側、右:G双岩南側22D 決 死の覚悟で倒木を掻き分けてみたのだが、意外にも、道が荒れていたのは峠の付近だけで、その向こうには道路事情は良くはないものの、はっきりと道がある。 安心はできないが、先へ行くしかなかろう。250メートルも歩けば、すぐに地図上では実線表記道路に出る。大体は2メートル程度の幅員が確保されているは ずである。が、実際に見てみると、確かに幅員は2メートル以上あるものの、舗装はされておらず、草ぼうぼうである。人が入らなくなって相当経過している様 子である。ちなみに、サイトの航空写真では茶色の線が実際に歩いた道、黄色い線が他の山道、水色の線が県道(かつての三瓶への主要道)となっている。 仕 方なく、今降りてきた破線表記道路をまっすぐに歩いてみると、そのまま下への道が見える。ちょうど松山城の西側登山道が荒れた感じである。意を決して破線 表記道路へと入る。まさに、転げ落ちるという表現がぴったりの道である。終点への不安は消えないが、倒木がない限り道はあると確信できた。そして、実際に コンクリート舗装の農道に出る直前に再び道が荒れていたものの、釜倉の集落の上へ出た。その向こうに墓地へそしてさらに下へと続く道があり、もう心配は要 らない。それにしても、宇和側からの進入路とこの農道へ出る一瞬だけが荒れており、これでは人は山道に入ってはいないだろうということが想像される。 と もあれ、釜倉の谷経由で三瓶へ続く県道に出る。この道は横平トンネルが開通するまでは、八幡浜から三瓶への主要道路だったという。また、今下ってきた道の 入口には「宇和町、山田村、笠置村」へと至ることを示す石碑が立っていた。この時点で逆に予定より30分近く早着となる。多分、最終的には当初予定より1 キロ以上距離が短くなるのだろう。だが、消費エネルギーは変わらないと思う。
左:H双岩駅、背後の山を降りてきた、右:I八幡浜〜双岩間、昨年倒木のあった場所 八 幡浜と宇和を結ぶ県道から釜倉へ入る三叉路でひとまず休憩。時刻はちょうど13時、あと10ほどすると22Dと1059Dが双岩で退避する。腰を降ろして しばし買い置きのおにぎりを食べて待つ。ここから宇和までの笠置トンネルは最近バイパスとして開通したこともあり、トンネル内には歩道が整備されている。 が、あまり長いトンネル内を歩くのも体に良いとも思えない。果たして同行編では先ほどの坂を下りてくるのが良いのか、それともトンネルを抜けるのが良いの か?まあ、実際には、何時敢行するのかにもよるのかもしれない。今の状態ならば、GW前後になるのだろうが、GWを過ぎれば、あの荒れた山道を歩くのは困 難だと思う。季節が決定するのかもしれない。 まもなく、双岩駅に着くが、このあたりでまだ標高100メートルほどあ る。八幡浜からは相当登ってきている。ここには「鉄道開通記念碑」があって、予讃本線が最後に開通したのが八幡浜〜卯之町間で昭和20年6月20日とあ る。まさに戦時中の突貫工事で敷設した路線であり、一説には軽便鉄道並みの路盤強度しかないという。確かに、その証拠に秋には、ヤツデの一種の油を含んだ 葉っぱが線路に落ちて、列車が空転し、八幡浜に引き返したという話をよく聞く。 「モータリゼーションの親展とともに鉄 道利用は激減し・・・」とあるが、この碑が作られたのが昭和60年10月14日、当時私は八幡浜に住んでいた。あれから20年、「鉄道使命再び大いならん ことを期する」日は来るのだろうか。少なくとも、双岩駅のホームにあるポスターのように、高松〜多度津間で快てーき通勤と自家用車通勤を並べて、「駐車場 代が1万5000円として快てーきの方が2800円安い」などとみみっちいことを言っている間は、鉄道復権はないと思う。駐車場代が1万2000円だった ら、自家用車通勤の方が安くなるではないか。そんなことよりも、鉄道最大のメリットである「環境問題」をどどーーんと前面に押し出すべきだと思うのだが。
左:J双岩〜八幡浜間1064D、右:K八幡浜駅9D 双 岩を過ぎ、夫婦岩に差し掛かると、185系729Dが通り過ぎる。八幡浜〜双岩間は2000系ならば3分強で通過するところを185系729Dは実に9分 かかる。本当に前に進んでいるのか?と思うほどの速度で登っていくのが見える。それを過ぎると、昨年夏に倒木で代行バスへの乗車を数回余儀なくされた場所 に出る。松山〜宇和島間は乗車時間が往復で2時間40分程度、実通勤時間は4時間が近い。これが往復代行バスを利用したときには、実通勤時間が実に7時間 半になる。1日の3分の1近くが通勤ということになる。今年の夏は無事に過ぎて欲しいと思う。 そうこうしながら、約4 時間30分かかって14時40分頃に八幡浜駅に到着する。前回は千丈からラストスパートの如く歩ききったが、今回は五反田を過ぎて通称産業通りに入ったあ たりから、スタミナが切れたように、急に速度が落ちた。最後は疲労困憊で到着したのであった。(2007.02.14、写真は全て敢行日撮影) |