JR四国松山〜宇和島100キロ貫歩

かずまる父単独編(7)

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最終回 伊予吉田〜宇和島8・3キロ(実距離9・3キロ)

  

(クリックすると拡大します。なお、この航空写真は国土交通省のサイト「国土情報ウェブマッピングシステム(試作版)のご利用に当たっての注意事項」に基づき記載しております。)

10月27日(金)に晩秋の松山を出発してから、はや半年。ついにこのシリーズの単独編も最終回を迎えることになった。幸い、単独編は雨の心配があっても、雨に会うこともなく、1月も2月も季節外れの日焼けをしたものだったが、いよいよ今年も本格的な春がやってきた。

最 終回の7回目は職場から歩いたほうが遥かに近い。午後4時間休暇をとったので済む。だが、ちょうど年度末、年度始めの時期にきていたうえに、前々週にかず まるが水疱瘡を発症し、看病のため4月5日(木)に一日休暇、さらに4月11日には妻の新年会で1時間休暇と休暇が立て込み、なかなか休暇をとれる雰囲気 にない。距離がダントツで短いことが拍車をかけているのかもしれない。

  

左:伊予吉田駅4736D、右:伊予吉田〜高光間君ケ浦729D、今日はキハ58系

そんな状況の中でも、しっかりと4月13日(金)に計画を入れておいた。が、今度はまたまた天気が悪い。当日の天気予報は曇後雨、その雨はいつから降り始めるのか?結局、当日になって、さらに午前11時の発表を待ち、雨雲レーダーを確認したうえで、休暇をとった。

宇和島13時52分発の4736Dで伊予吉田まで乗車する。この4736Dは、同行編の八幡浜シリーズでよく乗る列車であったとともに、伊予長浜経由松山行きで、半年前、牛ノ峯登山の帰りの列車であり、すなわち、このシリーズを思いついた列車ということになる。

伊予吉田14時05分着、ここから最後の行軍にはいる。今日は歩きはじめてすぐに知永峠にさしかかる。そこへ行くまでの間に、このシリーズでよく見た729Dが通り過ぎる。今日はキハ58系だった。

  

左:知永峠1061D、右:国道56号高架橋から1066D、後ろは泉ケ森

こ の知永峠であるが、標高そのものは90メートルほどなのだが、如何せん勾配がきつい。よくよく考えると、一応歩道はあるものの、車の往来の多い道路での峠 越えは、最終回にして、これが始めてである。同行編では、八幡浜から双岩までの県道を約100メートル登ったが、一気に登るという点では、初めての急勾配 である。思ったよりも体力を消耗し、この前に立間〜伊予吉田間の行軍のある同行編では最大の難所になるかもしれない。

で、 ここでひとつ意外な発見をした。坂道の途中、1061Dがやってくるのを休憩がてらにカメラを構えたのだが、上りの信号が黄色のままである。1070Dに 乗っていれば、すでに「まもなく伊予吉田、伊予吉田に着きます・・・」のアナウンスが終わっている場所である。はて?列車が遅れているのか?と思ったら、 なんと反対側の上りの信号が黄色のまま、1061Dが走り抜けていた。愛媛県内では予土線と予讃線卯之町〜宇和島間が最初にCTCが整備された(と、昭和 58年頃大学の鉄道研究会、高松運転所見学の時にそう教えられたと記憶しているのだが)から、あるいは予讃線松山周辺のCTCとは方式が違うのかも知れな いが、それにしてもぴっくりした。

そういえば、愛媛県内で最後に開通した伊予大平〜五十崎間、特に内子駅での特急どう しの退避の場合など、相手の列車が到着する前に、さっさと出発する場合がある。伊予亀岡でも、21Dは1032Mがホームを通過している途中に、出発する 場合がある。それに対して、下宇和駅などは、列車が通過してかなり経過しないと、信号が青にならない。

  

左:高光駅、右:北宇和島〜高光間738D

伊 予吉田を出発して1時間を経過し、ようやく高光駅に到着する。今日の行程約9・3キロのうち、約5・2キロを歩いたことになる。この高光という地名は、高 串と光満の合体地名である。愛媛県の現JR路線では現予土線宇和島〜近永(江川崎〜若井間開通までは宇和島線)が大正3年10月18日に最も早く開業して いるが、そのときには路線上に高串と光満の2つの駅があったという。結局は急勾配上にあったことがネックで、北宇和島〜卯之町間が開通した昭和16年7月 2日に、先の2駅を廃止して、ここに高光駅を設置したという。

現在は予讃線となっている北宇和島〜宇和島間は、予土線 側が先に開通し、北宇和島駅の開業も昭和16年7月2日となっている。多分、現在の予讃線の開業が遅れたのは、標高約200メートルの宇和盆地へ鉄路を敷 くことが困難だったことと、海運による輸送手段があったからではないだろうか。それに比べて、現在の予土線開通が早かったのは、木材搬送の需要があったか らではないかと思う。「愛媛の地理探訪(愛媛県高等学校教育研究会編)」を見れば、松野町側の滑床渓谷(滑床渓谷そのものの住所は宇和島市野川)から標高 約980メートルの鬼ケ城山系梅ケ成峠を経由して宇和島への木材輸送のため、インクライン、索道が大正13年に開通したという。

  

左右とも:北宇和島駅22D、いよいよ最後の区間へ

そ の予土線と予讃線の分岐となる北宇和島へは15時45分頃に到着する。いよいよあと1駅となった。上記のとおり、予土線側の方が先に開通したのであるが、 現在は当然というべきか、予讃線の通過の方が優先されるような線路配置になっており、両線をシーサスダブルクロスで結ばれている。

この北宇和島駅が最後の通過駅になるのだが、ここの跨線橋からはまっすぐに宇和島方向が見える。宇和島駅が行き止まり式の駅だから、北宇和島を通過する際には、その向こうの信号機は、青と黄色のランプが点灯している。

このあたりの風景は、すでに私の記憶に叩き込まれていて、味気ないといえばそのとおりでもある。が、一歩一歩終着地点へと近づきつつある。

  

左:松山から123キロの果てに、右:宇和島駅

そ して、いよいよ、松山から123キロの果てに、宇和島の車両基地に到着する。本当は、もっと近道があるのだが、どうしてもここは通っておきたい。が、職場 からも近いので、誰かに会うかな?と思っていたら、案の定、元上司が「なにやってんの?」と自転車で通り過ぎていく。この人は、単独編3回目の時に、松山 から伊予中山まで乗車したときに、仕事の都合で、たまたま乗り合わせた人である。色々な思いが交差する中、ついに宇和島駅へと到着したのであった。 (2007.04.21、写真は全て敢行日撮影)

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