JR四国松山〜宇和島100キロ貫歩

かずまる同行編(7)

愛媛の「鉄」の紹介 > かずまる特攻隊が行く > 目次 > 7回目
 
第7回目 新谷〜伊予大洲5・9キロ(実距離6・7キロ)

 

(クリックすると拡大します。なお、この航空写真は国土交通省のサイト「国土情報ウェブマッピングシステム(試作版)のご利用に当たっての注意事項」に基づき記載しております。)

1月27日(土)、今回は私の方が体調が悪く、出撃が危ぶまれたが、当日朝の電子体温計で36・4度、水銀体温計で35・5度、体のだるさは、むしろ運動をした方が良いと思い、決行を決めた。

  

左:伊予大洲駅1057D、右:肱川

今 日の1057Dは乗車率が大変良い。先日1月5日は5両編成だったとはいえ、あのときよりも乗客は多いのではないか、と思う。土曜昼前のアンパンマン列車 は一路大洲をめざすのだが、なんと、内子あたりで雨が降り始めた。元々、昨日になって気象庁は晴れ、民間気象会社曇後雨という予報を出してきたので、私の 体調を考え、念のために傘2本を持ったうえにビニール合羽2個を購入した。同行編第1回目に購入した雨合羽などはすでに壊滅している。本当によく利用した ものである。

が、伊予大洲駅に到着したときには雨も上がり、時折日も射すようになってきた。今日は肱川の河川敷を歩く ので、風も心配なのだが、思ったほどは気にならない。駅を出るとすぐに北側の肱川河川敷へと出る。途中かずまるは飼い主と一緒に散歩に来ていた犬(といっ てもマルチーズ)に追いかけられ、全速力で逃げていた。走るから追いかけてくるのだが、面白いので、しばらく放っておいたが、あとの体力は大丈夫だろう か。

  

左:若宮信号場付近1062D、右:若宮信号場1059D

さ て、今日の行程は、一度五郎駅へ行って、旧内子線沿いに新谷駅まで歩く予定である。昭和61年3月に予讃線向井原〜内子間と新谷〜伊予大洲間が開業し、そ れまで松山から大洲、宇和島方面へは伊予長浜を経由していたのが、内子経由が主流となった。昭和61年といえば、私は八幡浜で勤務していた時期であり、開 業当日はたまたま内子出張だったため、昼の休憩と称して伊予中山へと繰り出したらテレビに映ってしまったという経験を持つ。

それまでは、五郎〜伊予大洲間が予讃線(当時は国鉄予讃本線)で、五郎から新谷方面へ内子線が分岐していた。五郎からは矢落川を迂回するように、ほぼ南側へ円形にルートがあったのである。(上記航空写真参考)

それが、内山新線(路線上は予讃線)開業後は五郎〜新谷間が廃止となり、新谷〜伊予大洲間に新たに短絡線の形で線路が敷設された。通勤途中にこのあたりで、右側へ五郎方面へと向う今はコンクリートの道となっている線路跡を見るが、今日はそのあたりを歩いてみたいと思う。

  

左:若宮信号場付近729D、右:旧内子線跡4732D

そ ういうつもりであったのだが、新谷〜伊予大洲間の短絡線と五郎〜伊予大洲間の線路が合流する若宮信号場近くに河川防災センターがあって、そこでかずまると しばし線路を眺めているうちに、今日はゆっくりとして、五郎駅への行軍は早々に諦める。新谷から若宮信号場へ向うコンクリートの高架橋を見ながら、かずま るが「鉄道模型のようだ」と連発する。

肱川の河川敷を歩き、向こうに五郎駅前の信号が見えてきた頃、我々は十夜ケ月方 面へと進路を変える。線路をくぐって歩くと、まもなく旧内子線跡が見えてくる。矢落川付近では、線路跡になにやら建物ができようとしている。線路跡は概ね 道路として残されているが、矢落川の鉄橋跡を探すのは、長浜回りの行軍のときになりそうだ。

さて、その旧内子線跡と現 在の線路との合流地点であるが、道路の方は少々不自然にカーブで線路を避ける。合流地点にある道路は後から付けられたものだろう。が、よくみると、合流地 点の下に高さ制限の黄色と黒のゼブラ鳥居(?)がある。しかも、現在の線路とは少々向きが違う。多分この鳥居はこの向きに線路がカーブして五郎へと向って いたのであろう。ただ、それにしても、この鳥居の下は普通道路のはずだが、実際にはその下は川になっている。はて?

  

左:内子線跡、右:現予讃線と旧内子線跡合流点

こ こで15分ほど待って、22Dの通過を待つ。若宮信号場から右カーブで走ってきた列車は、ここで今度は急に左カーブをとるという典型的なSカーブである。 こんなことを言うのもなんだが、もう少し、手前から分岐させて、直線構造にできなかったものかと思う。以前からいつも書いていることだが、内山新線で所要 時間が短縮されたとはいえ、2000系特急がその力を発揮するのは、向井原〜五十崎間だけである。旧内子線内の線路は仕方ないにしても、新谷の分岐とい い、このあたりの線路の敷き方といい、もう少し考えないと、高速道路が宇和島まで延伸したときには、高速バスの前に敗れ去ることになる。

そ ういえば、JR四国は平成22年頃までに特急宇和海の場合、2100型車両のトイレの前に禁煙スペースを設けて、全車禁煙にする方針である。が、その際に は、アンパンマン列車を除き、現在の4両編成から3両編成になるのではないかと疑っている。1号車指定席の一部を自由席にすれば、通勤時間帯を除き、確か に3両編成でも足りるかもしれない。が、それでは、もし松山〜宇和島間高速バスが早朝、夜間に運転されれば、一網打尽にされるかもしれない。それとも、松 山〜八幡浜間だけで採算がとれるのだろうか。

さて、我々は、その後、東大洲の書店で時間をつぶしてしまい、4648D に少々危うくなってしまった。想定時間は40分だが、あと50分しかない。が、かずまるを急がせたこともあって、最終的には予定よりも早く到着できた。単 独編の時にあったコンビニが店を閉め、代わりと思われる同じコンビニが新谷駅近くの国道沿いにできていたので、ここで最後の時間をつぶす。

  

左:新谷〜伊予大洲22D、右:新谷駅4648D

よー く考えれば、東大洲〜新谷間は単独編で歩いた線路沿いに近い道を歩く予定だったのが、まっすぐ国道を歩いたため、所要時間の短縮ができたようだ。が、コン ビニを出た頃、突然雨が降り始める。慌てて走って、新谷駅のホームで雨宿りをして、かずまると二人、コンビニで買ったたこ焼を食べる。開店記念だとかで、 値引きがされていた。まもなく、4648Dがやってくる。この列車は伊予大平から実に3回、北伊予、内子から1回、そして今回と6回目の利用である。

本 日の運賃は往路710円(内特急料金250円)、復路410円であった。もちろん私は無料である。が、松山〜伊予大洲間の普通列車利用はこれが最後とな る。これからしばらくは、伊予大洲が行軍の中心となる。最終回を除き、片道は伊予大洲での特急乗換えとなると思われる。(2007.01.17、撮影は全 て2007.01.13)

このページのトップへ >>