松山〜宇和島間・駅からトレッキング

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第10回 西大洲〜金山出石寺〜(川辻)八幡浜23・5キロ

   

(クリックすると拡大します。なお、この航空写真は国土交通省のサイト「国土情報ウェブマッピングシステム(試作版)のご利用に当たっての注意事項」に基づき記載しております。)

金 山出石寺付近は、当初駅トレの格好の的であった。が、出石寺行きのバスがなくなって以来、ついに今年10月には、長浜から豊茂奥行きと、八幡浜から尾の花 以北行き、保内宮内〜磯崎間のバスが全て廃止になってしまった。このため、一度は完全に白紙になってしまったこの一帯であるが、尾の花13時15分発のバ スを利用すれば1064Dで帰れるため、西大洲からのアタックを試みることにした。前週に郷峠から眺めた遥か彼方の峠越えである。

  

左:西大洲駅4725D、右:高山西付近からの大洲盆地

12 月1日(土)1001D〜4725Dと乗り継いで8時55分に西大洲着。ここからまずは北に壁のように迫る高山集落へ登っていく。四国88箇所は宇和の明 石寺から大洲、内子と通るが、実際には久万高原町の大宝寺までない。しかし、大洲には東大洲の十夜ケ月や西大洲を通るようになっているし、別格巡礼地とし て金山出石寺までの道もへんろ道とされている。ここから出石寺までは、先日上須戒から根元越峠を通ったとき、へんろ道の表記があった。だから、今回は同じ 道ではなく、西側の道で登っていくことにした。

が、それにしても、いきなり急坂が続く。この高山寺山南斜面の高山とい う集落には思い出がある。就職した頃に八幡浜管内の地図を見て、太い道路つまり2車線の道を制覇しようとしたことがある。そのとき、西大洲から出石寺方向 へ伸びる太線の道を見て、なんでこんなところに?と思い出かけた。実際には西大洲か根元越峠経由上須戒への道は整備されていたのだが、出石寺方面への道 は、高山西付近で、いきなり道路が草ぼうぼうのダートになって、引き返すのに苦労した記憶がある。あれから20年、どうなっているのかを知りたい気もし て、このコースを選んだようなものである。

  

左:高山西の家屋、右:出石寺へのへんろ道

ともかく、目の前に立ちはだかる壁を越えて高山西集落へと上がっていく。つづら折の道を登っていって振り返ると、時折足がすくむような光景が広がっていく。そこで初めて、自分は実は高所恐怖症だと気づく。

上須戒方面、高山寺山方面へ分かれる道を過ぎると、すぐに沼田経由で日浦集落へと下る道が分岐する。先日、郷峠へ向かう道から遥か望んだ集落である。そしてまもなく標高560メートルほどの名もない峠を越え下りに入る。とたんに前方には八幡浜方面の海が見えるようになる。

当 初予定より20分早く、八幡浜尾ノ花と大洲上須戒へと分岐する県道に出会う。ここから尾ノ花へ下る予定なのだが、尾ノ花では当初予定でも日中1便しかない バスの出発時刻より1時間早く着く。だから、その先まで歩く予定にしていた。ところが、その分岐点では前方に「へんろ道・出石寺・山道・約3キロ」という 看板がある。山道には違いないが、最近私はへんろ道のとりこになっている。四国88箇所ではないが、別格として金山出石寺があるから、今まで歩いてきた道 にもへんろ道の表記がある。

  

左:出石寺へのへんろ道、右:金山出石寺

思 わず、つられるように山道を歩き始めてしまった。現在10時55分だから、万一のことがあっても、歩く時間が40分ならば、ここへ戻ってくればバスには間 に合うという打算もあった。最初は走るが如くの道もやがて急坂へと変貌する。しかも、なんだかいやな臭いがする。あとで判ったことだが、近くには豚の精肉 書の場が数箇所あり、どうやらその臭いだったらしい。途中で気分が悪くなるような臭いが続く。何度引き換えそうかと思ったが、引き返すとされだけその臭い を再び受けることになる。幸い、上へと登れば、臭いは消えていった。が、私の持っていた地図からも消えた場所に金山出石寺があった。

標 高約800メートルの境内到着は11時25分。本当に3キロあったならば、なんと時速約6キロで歩ききったことになる。バスの時間までは1時間50分ある が、ここはすぐに下りの道へと急ぐ。ここへは一度自家用車で来たことがあるから、ともかく道路が繋がっているには違いない。あとは時間との勝負だけであ る。

北の方角には、瀬戸内海が広がる。今日は雲っていて、昨日のような絶景はなかったが、長浜の青島のあたりは、そこだけが日光を浴びているかのように輝いていた。寺への分岐点である標高660メートルの郷の峠を過ぎて、あとは下るだけである。

  

左:金山出石寺からの瀬戸内海、右:日土森山付近からの宇和海

が、 持参していた地図ではこのあたりが切れてしまっている。まもなく「左:大洲方面、右:保内、八幡浜方面」という交通安全協会の標識が見えた。だから、八幡 浜方面へと下ったのだが、10分ほどすると、山をひとつ越えそうな雰囲気になってきた。地図ではわからないが、ここでおかしいことに気づいた。尾ノ花バス 停へ行くには、一度大洲方面へ下って、更に野地方面へ分岐して下らなければならなかったのだ。どうも、榎野〜川辻集落へと下っていたのである。

下りだから、速度は出る。だが、そのためには膝に相当の負担がかかる。もはや明日のことは考えまい。だが、一体今何処に居るのかが判らない。地図でわかる位置に出たときは、おそらくバスの通過15〜20分前なのだろう。

た だ、今の場所が判らないまでも、たった一つの道しるべがあった。それが、伊方原発から伸びる高圧電線だった。この電線はほぼ東西に走っており、少なくとも 南北の位置関係が判ったのである。この電線を頼りにただひたすら下る。その県道も一度南下したものの、再び北上すること二度。後者は送電線を越えた後に再 び北上して送電線をくぐっていく。しかも、途中短路と勘違いして、崖を下って、その道の誤りに気づいて再び登ったため、膝の負担は限界に来ている。だが、 送電線は確かに見えない地図の位置関係をはじきだしていたのである。バスの時刻は尾ノ花で13時15分、川辻で13時22分だが、12時45分段階で「こ こから川辻までの3キロは・・・」要するに総雨量が基準を超えたときは通行止めにするという標識である。つまり、端数はともかくとして、あと3キロという わけだ。

  

左:川辻の集落、右:八幡浜駅1061D

送 電線が遥か北に望むようになって、本当に12時55分頃には再び自分の歩いている場所が地図上で示されるようになった。川底が近くなったとき、地図にもあ る川へと降りていく農道が分岐する。そのしっかりとした道へ迷わず逸れ、しばらく行ったとき、ついに眼下に川辻の集落が見えるようになってきた。思わず、 おおっと叫んでしまった。瀬戸内海や佐多岬半島を望む絶景以上に感動した一瞬だった。そして、13時10分頃川辻バス停に到着。しばし昼食の弁当を食べる 時間があったのであった。

ちなみに、先ほども述べたが、金山出石寺の山道3キロの平均速度は時速6キロだったが、そこから郷の峠までの下り1・7キロ17分は時速6キロ、郷の峠から川辻バス停まで10キロ86分は平均時速実に7キロであった。(2007.12.15、写真は全て敢行日撮影)

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