宇和島〜松山へんろ道

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第3回 上宇和〜鳥越峠〜伊予大洲20・2キロ

 

(クリックすると拡大します。なお、この画像は「カシミール3D」から転載し、地図画像は「カシミール解説本5万分の1地図」から作成しております。)

今 年の11月は駅トレ月間と称して、第1、3、5金曜日と3回の行軍を予定している。さらに、第4金曜日の勤労感謝の日には「松山〜宇和島100キロ貫歩同 行編」も予定している。そして、なによりも、現在減量中である。我々は病気になったら、仕事を休むだろう。同様に仕事の都合がつく場合には、軽度な病気で あることが判っている場合にあらかじめ治療することもあるだろう。だから、減量に励んだっていいじゃないか。とまあ、こんな感じである。

  

左:上宇和駅632D、右:鳥坂峠が迫ってくる

と いうわけで、11月の減量月間第1回目は、元々9月に行軍予定だった卯之町〜伊予大洲間を途中鳥坂峠越えのへんろ道約22・3キロを歩くことになった。同 区間は、鳥坂峠を除き国道56号を歩く。並行して高速自動車道ができたとはいえ、大幹線道路である。歩道がなければ危なくて歩けたものではないが、まあ、 こんな危ない道ではかずまる同行なぞ考えてもいないから大丈夫だろう。

11月2日(金)の1001Dで卯之町へと向か う。ちょうどこの日は「ゆうゆうアンパンマンカー&トロッコ」が運転されている日で、ちょうど卯之町ですれ違う。当初はここで下車して歩くつもりであっ た。が、1001Dは卯之町で予土線宇和島〜近永間以下の列車密度を誇る八幡浜〜宇和島間で、午前中唯一接続の良い時間帯である。つまり、9時08分に卯 之町へ到着後は、宇和島方面へは3分の乗換えで723Dが、八幡浜方面へは11分の乗換えで632Dがある。私はハイカーであると同時にテツでもある。そ れも時刻表マニアに近い。だから、思わず632Dで上宇和まで乗車してしまった。上宇和着が9時22分、ここから伊予大洲までは約20・2キロ。歩きはじ めて、すぐに笠置トンネル経由八幡浜方面への県道分岐があり、そこの角にあるコンビニで食糧調達し、出発したのが9時30分。上宇和から約5時間で、伊予 大洲14時30分発1064Dでの帰りを予定しているが、もし行程が早まれば、伊予大洲13時54分発の1061Dで八幡浜とんぼ返りをしてもよいと考え ている。

  

左:鳥坂峠手前にある鳥坂番所跡、右:鳥坂峠への道

国 道56号をただひたすら大洲へ向かって歩く。一部歩道のないところもあるが、基本的に東側に歩道が付けられている。15年前に宇和島勤務をして、再び宇和 島へと戻ってきたのだが、それから1年半、国道56号のこの区間を車で走るよりも先に歩くとは思わなかった。昨年一度地震でJRが止まった時に自家用車で 通勤したが、このときは往復とも大洲〜宇和間を高速自動車道で抜けた。

ただ、この今まで車でしか走ったことのない場所 を歩くというのは、実際にはかなり苦痛を伴う。このあたりの制限速度は時速50キロだから、1分間で800メートルは進む。歩いた場合はせいぜい150 メートルが限度である。この感覚のズレが思った以上にストレスとなるのだ。特に信号があった場合、当然赤信号では止まらなければならないし、時間的に見て そろそろ信号が変わりそうだなと思うと足早になる。こういう速度の上げ下げが体力の消耗に輪をかけることになる。

次第に鳥坂峠の山々が近づいてきて、午前11時にはいよいよへんろ道へとそれる。予定よりも30分程度早まっている。このあたり、標識などのへんろ道としての整備が整っており、まず迷う心配はない。

  

左:鳥坂峠途中から宇和側を見る、右:鳥坂峠

す ぐに、鳥山番所跡にさしかかる。いわゆる関所のあった場所で、その時代でもおへんろさんの場合はかなり自由な行き来が許されていたと書かれている。そし て、いよいよ山道へと入る。道幅は1メートル以上は確保されているし、道も踏み固められていて、歩くのには心配ない。時間的には中途半端なのか、人の姿は 見られない。峠までの距離もすぐにあと1キロを切る。急坂は続くが、1キロないのであれば、体力の心配もない。

途中宇 和盆地を眺められる場所もあり、振り返りながら、一旦林道に出て、そして、まもなく峠へとたどり着く。特に座れるような場所もなかったので、そのまま下り に入ったが、下りのほうが相当勾配がきつい。実際、卯之町から60メートル登った260メートル付近から峠まで470メートル付近まで登ったのだが、大洲 の市街地が標高15メートル程だから、逆走しようものならば、相当の覚悟がいる。実際ほとんど滑り落ちるように、そして旧道を離れて遍路道に沿って下った ら、トンネルの北側へと出た。

ここの標高が約300メートル。ここから一気に国道沿いに下っていく。遥か前方に西大洲 北側の高山寺山、新谷北側の感応寺山、その向こうに壺神山までがはっきりと見える。ペットボトルの水でうがいをしなから、なるべく水分を摂らないようにし て、正午頃に札掛に着く。ここには食堂が並んでいるが、一応おにぎりは買っているので、どうしようかと思っていたら、しばらく行ったところに休憩所があっ た。すぐ隣に高速道があるから、多分作業用スペースを開業後に公園にしたのだろう。

  

左:鳥坂トンネル大洲側、右:高山寺山、壺神山をはるか望む

そ こで昼食をとって、さあ歩こうと思ったら、後方からおへんろさんがやってくる。追いつかれるようなペースでは歩いていないから、多分札掛で昼食をとってい た間に私が抜いたのだろう。が、多分今日の走行距離が違うだろうから、抜かれるのはあまりよろしくない。というわけで、箱根駅伝の6区山下りじゃあるまい し、その後も転がり落ちるようにペースを上げ、坂を下ったときには予定より50分ほど早い12時半だった。幸い、おへんろさんは相当離れてしまったよう だ。

ただ、ここからが苦しい。今まで下ってきただけに、平坦な道が上り坂に見える。まさに箱根駅伝6区山下りの最後3 キロと同じである。が、よく考えたらひとつ問題点ができた。このままだと22Dに間に合いそうになってきたのである。早く帰れるのはよいことだが、この 22Dは禁煙の自由席が1両しかなく大変混む。それに伊予大洲から乗車することは自殺行為に等しいのである。まあ、通路側も満席ということはないだろう が、20キロ歩いた者としては、少々気が引ける。まあ、その場合は4号車喫煙車で31分間我慢するか、他人のことなぞ考えず3号車に居座るか。

歌 手「サーカス」の実家で彼等の苗字と同じ石材店(みなさん九州出身らしいが、平成3年の服部克久・音楽畑コンサートで出演して、自らそう言っていた。)を すぎ、大洲の街へ入ってくると、明日の11月3日は文化祭が開催されているようで、街全体がお祭りの準備で忙しそうだった。

  

左:大洲城、右:伊予大洲駅22Dと4639D

22D を避けようかと最後まで迷って、時間のつぶせる場所を探しては見たものの、結局そのようなものはなく、予定より1時間以上早い13時15分には伊予大洲駅 に到着してしまった。で、22Dはというと、3号車で残る2席の窓側の席へ無事座れたのであった。(2007.11.15、写真は全て敢行日撮影)

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