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(以下の撮影日は特に説明がなければ旅行日) 行 程 表 2009.02.01(日) H21年2月1日(日)窪川〜須崎(同行編3回目) (クリックすると拡大します。なお、この画像は「カシミール3D」から転載し、地図画像は「カシミール解説本5万分の1地図」から作成しております。) あ るいは、これが前半戦最大のヤマ場となるのかもしれない。理由としては、(1)往復の移動時間が8時間近くになる。(2)窪川から約100メートル上った 七子峠から一気に300メートル下るが、その後標高約100メートルの焼坂峠を越えた後、更に標高66メートルの角谷峠が控えている。(3)七子峠からの 久礼坂には歩道がない。 実際、天候もよく、明日敢行するときめた後になっても、なんとなく気が乗らない始末であった。だが、この区間を無視しては、四国一周はできない。ちなみに、今回1001D車掌の助言によって、実はかずまるの自転車がこのように納まることが判った。今後の行軍の朗報である。
(左:輪行バックの収納状態、右:かずまる自転車の収納状態) というわけで、片道約3時間45分かけて窪川駅に到着する。前回同様窪川到着前に昼食を列車内でとり、第1弾同様駅前で自転車を組み立て、そのまま出発する。 四 万十川は窪川から国道56号に向かうと二度と見ることはできない。いきなり急勾配があって窪川トンネルを過ぎ、国道56号に合流したときに現れる川は四万 十川の支流なのである。ただ、ここから七子峠までは約13キロ、まだ1時間25分先の話である。しかも、そこまで約100メートル上るわけだが、逆に考え れば、13キロで100メートルならば、そんなに急勾配でもない。実際我々は、勾配に阻まれるわけでもなく、さくさくと進んでいくのであった。 道 の駅「あぐり」を過ぎると、右側に興津方面への道路が分岐していく。この段階では2車線の結構良い道路に見える。この四万十町窪川は標高210メートルの 町であり、当然ながら四万十川の上流である。だから、土佐久礼から七子峠を上ってきて、今度は黒潮町へ片坂峠を下っていく。自転車特攻隊行軍にあたり、こ の興津を通過して200メートル級の坂を回避できないかと考えたこともあるのだが、結局どこにも道がなく、200メートルの坂を越えるしかなかったのであ る。そんなわけで、四万十川は実は太平洋側から3キロ少々のところから流れ出て、一路内陸をめざす特異な川として有名なのである。
(左:窪川駅、実は帰りの4929D、右:六反地駅前) 窪 川からは、JRの駅で仁井田、六反地、影野の3駅を通過していく。影野駅手前で少々急坂があたが、まだまだたいした坂ではない。JRはこの影野を過ぎる と、国道と別れて、トンネルに入り、一足早く久礼坂へと下っていく。だが、我々はまだ七子峠まで4キロほど走ることになる。ちなみに、ここの標高は約 250メートル。実は先の窪川トンネルの標高が250メートルなのである。そこから一度下ってからじわじわと上ってわけである。一体何をしているのかと思 う。まあ、現時点ではかずまるが元気なのが幸いではあるが、これから第2(焼坂)、第3(角谷)の難所がある中、ここでくたばられても困る。 そ れでも、坂を坂と思わない程度の勾配が続く中、我々は確実に七子峠へと近づいていく。影野駅から七子峠手前にある県道分岐の標高が287メートルだから、 そこから七子峠までの約200メートルで30メートル(勾配18・8%)と計算されていた。だが、実際に一級国道にそんな勾配はありえない。自転車特攻隊 の勾配はカシミール3Dというフリーソフトで計算しているのだが、実際には道路に関しては、切り通しや嵩上げなどがあって、細かい標高には誤差があること にここではじめて気づいた。実際には、県道分岐の向こうにはすでに七子峠が見えていたのであった。と言うわけで、七子峠には13時05分到着、予定より約 15分早く到着したのであった。 峠には、徒歩の集団の方々がいたが、しばらくして坂道を下っていった。七子峠からは、遥か太平洋が望まれる。かずまるに「あれが太平洋だ」というと、何を考えたか「日本海が見たい」という答えが返ってきた。四国では日本海は見えん!
(左:影野駅33D、右:影野駅前) さ て、ここからが問題の難所である。ここから土佐久礼まで約300メートルを一気に下るわけだが、思ったとおり歩道がない。あったところで、かずまるは歩道 を走れるのだが、私は自転車走行可能標識がなければ走れないのは判っているが、かずまるの後ろで指示をする場合、私の立場はどうしたものかと思う。だが、 実際には2箇所ほどある登坂車線部分に歩道があるのだが、逆車線にあるため、道路を横断するのは危ない。 か ずまるは後先考えずに、猛スピードで下っていく。私はというと、20インチの自転車では不安定で、かずまるのスピードについていけない。ようやく慣れたと ころで、後方から車が来ないことを確認し、加速をつけて、直線のトンネルでかずまるに追いつく。ともかく、かずまるにいう言葉は「スピードを落とせ!」で ある。このような道では、当然ながらかずまるを前に走らせ、私は多少車道側へ寄る。これによって、かずまるが後方から自家用車に接触する可能性が減るうえ に、私自身との接触も防げる。その我々に対して、後方から何台かのバカ自家用車がクラクションを鳴らして過ぎ去っていく。さしものかずまるも坂を下った後「高知県へは二度と行きたくない!」と言っていた。高知県民よ!国民休暇県を自認するならば、少しは反省しなさい! 久 礼坂の下りは約8・5キロ、標高マイナス3・7%、予定所要時間28分のところを実に14分で下ってしまった。つまり、平均時速は実に36キロということ になる。しかも、途中自転車の鍵のストラップが高速のためスポークで引きちぎられて飛んでしまっていたのに気づくのには、まだ少し時間が必要だった。
(左:七子峠から太平洋を望む、右:七子峠の下り坂) 七 子峠を下り、土佐久礼駅裏で休みながら、「疲れた!」とかずまるが連発する。なんで下り勾配でこんなに疲れなければならんのだ!と思いながら、目の前に広 がる上り勾配を見る。どうしようかと思うが、上り坂はたいしたことがなさそうなので、そのまま直進する。この後、第2の難所、焼坂が待っている。この焼坂 であるが、「やけざか」と読むらしい。ほとんどやけくその峠に思える。 そ の途中に焼坂休憩所がある。ちょっとしたドライブインかとも思っていたが、なんということはない。単に仮設トイレがあるだけである。ここで、かずまるの自 転車の鍵のストラップがないことに気づく。まあ、あれだけスピードを出していたのだから、かずまるの身代わりなってくれたものだと思うことにしよう。 そこからの焼坂は、最後の手段である徒歩で上っていく。坂道は相変わらず歩道がない。それでも、先ほどの無謀ともいえる急降下のおかげで時間的余裕がある。ここは無理せず、焼坂トンネルまで歩いていたら、結局トンネルそのものも歩道がない。なんて国道だと思う。 と もかく、焼坂を降りたところにあるコンビニで休憩する。しかも、かずまる得意(?)の「うんち」まである。それでも20分の余裕をもって出発することがで きた。ただ、このコンビニでの30分近い休憩であるが、まともに時刻表を見ていれば、特急列車50Dと2071Dの2本を補足できたことをすっかり忘れて しまっていた。
(左:焼坂の安和側、右:最後の難所角谷トンネルへ) そ して、いよいよ最後の難所が始まる。国道56号の旧道を走れば、坂の途中にある安和駅を俯瞰する有名な撮影現場がある。だが、先ほど特急が2本とも通過し た後では意味をなさないことも事実である。そのまま、素直に角谷峠を上っていく。右手には太平洋が広がっているが、それに感動するほどの余裕は残されてい ない。ただ、ひたすら坂を上っていくだけである。 そして、かずまるの体 力の限界がやってくる前に、最後の角谷トンネルに突入する。後は最後の下りが待っているだけだ。今日のトンネルは最後まで1個たりともトンネルに歩道がな かった。だが、トンネルを抜けて下りの途中、前方からお遍路さんが1人上ってくるのを見かける。道路に歩道はない。後方からは車が数台接近している。お遍 路さんを避けるとなると、当然車道に入らなければならない。まもなく、かずまるがお遍路さんとすれ違う。そこで私がとった行動は・・・右手を上下に振っ て、後方の車を制することであった。クラクションを鳴らされようとかずまるの安全が第一である。が、幸いクラクションは鳴らされず、後方の車は速度を落と してくれたようだ。お遍路さんとすれ違った後、後方の車にお礼の挨拶をする。そうして、新荘川に出る。ここで分岐するのが国道197号、愛媛県の日吉、大 洲、八幡浜、三崎を抜け、海路大分県へと向かう私にとってはなじみの国道である。
(左:安和からの最後の坂から太平洋を望む、右:須崎駅54D) こ の段階で予定より20分早く到着する。個人的見解では、須崎市は須崎駅の近くよりも高速道国道197号が合流する土佐新荘駅付近の方が活気があるような気 がする。それが証拠に須崎駅に近づくにつれ、日曜日の昼下がりと言うのに、町に全く活気がない。大丈夫か?という疑問を持ちながら、予定より約20分早い 15時40分頃に須崎駅に到着したのであった。 ちなみに、ここで自転車 を折りたたんでいた際、なんでかずまるの自転車は最初から鍵がかかっているのか?と疑問に思っていた。かずまる自身はそこらあたりでにゃんこを追いかけて いたのだが、その際にその自転車の鍵を紛失したらしい。帰りの4時間は疲れた体にはビールが似合うのだが、松山駅からの帰りが飲酒運転になるのでそれもで きない。だが、そんなこんなで、結局、松山駅からは妻の運転するイプ様に2台の自転車を載せて帰ったのであった。それが判っていれば、ほろ酔い気分で松山 まで帰れたのであった。 というわけで、日帰りの自転車特攻隊はこれでおしまい。次回はいよいよ宿泊の自転車特攻隊が始まるのであった。(2009.02.08) |