初 マラソンもついに残り5キロを切った。コースも山を下ってきて、市街地へと近づいてきた。応援がすごい。雨の中、我々は好きでやっているわけだが、応援の 方々はご苦労なことだと思う。ここへ来て思うことは、ほとんどのランナーのペースが落ちているから、みんな応援がほしくて、ずらっと縦一線に走っている。 だから、私のようにここへ来てペースを上げるような少々ひねくれたランナーはどちらかというと、歩道から離れた場所を走ることになる。 失 速して走れなくなったランナーには「がんばって〜!」という声援が掛けられるが、それが励みにはなるだろうし、逆につらいところでもあるのだそうだ。だか ら、私が代りに声援にこたえる。「あの人余裕ありそうだね」という声も聞かれる。実際、完全にペース配分を誤ったのだから仕方がない。
38 キロを過ぎ、東長戸の交差点を左へと回ると、いつもの練習コースから外れる。この先は道路を無理やり3車線(北行1車線、南行2車線)にしたような道路と なり、西側には歩道があるが、東側は大川をはさんで反対側に歩行者専用道路という状態になっている。だから、ここからの車道を走るのは大変危険であるた め、というより通常は川を挟んだ歩行者専用道路を走ることになるし、それも過去1回しか走っていないから、雰囲気がつかめない。今更そんなことはどうでも いいのだが、ここへ来て2度目の「目的地まだかいな」を感じた。ちなみに、ここでいう目的地とは40キロ地点のことであり、1回目とは2回目の折返しのこ とである。 そうして、40キロ地点を(ネット計測)3時間48分42秒の1400位で通過。35〜40キロは26分12秒と、1キロあたり5分14秒でこの5キロの間に236人抜いた計算になる。 が、 40キロを過ぎたところで、突然両太腿の外側に異変を感じた。軽い痙攣であり、これがまだあと10キロも走らなければならないならば一大事ではあるが、あ と2キロならばもう遅い。多分、もうこのまま走りきることできるだろう。しかもそのとき、私を呼ぶ声が聞こえる。職場の先輩が応援にきていたのだ。この異 変を感じたときのこの一言は大変心強い。違和感までが消えてしまいそうだ。そのまま最後の大通りである本町筋へと入る。ゴールまではもう2キロない。 た だ、足の違和感を考えれば、早くゴールをすればいいのであろうが、私の感覚としては、「もう終わるの?」という気がしないでもない。前半抑えすぎて、フル マラソンの終盤がこんなに楽なのか?だが、次回前半からペースを上げて、後半失速した場合の苦しみはどうなのか?練習を含めても、小心者の私はそのような 記憶がない。1レースに4時間もかかるのだから、そう何度もやり直すわけにはいかない。次のマラソンの終盤にペースを上げられる保障もない。だから、今の この時間ができればもう少し続いていほしい、という感覚でもあったのだろうか。 本町6丁目の交差点を過ぎ、六軒家の交 差点を過ぎると41キロ。その先にあるコンビニ前であと1キロとなる。周囲もラストスパートに入るランナーがいて、先ほどまでの抜き放題というわけにはい かないが、それでもこのあたりのランナーで私のスピードについてこれる人はいない。レベルの低いところで、優越感に浸ることができる。そして、さらに、前 方にランナーの集団が見える。 平和通を過ぎれば、いつもの通勤経路が始まり、札の辻から堀端に入れば昼休みのジョギン グコース。見慣れた風景が始まる。平和通を過ぎたところで、自分でもなぜかは判らないが、猛然とスパートを掛ける。しかも、スパートをできる体力が残って いた。札の辻から堀端に入り、最後の直線の先には42キロ地点の標識があり、その先にある西堀端を左折すればまもなくゴールとなる。 (ネット計測)3時間59分08秒(グロス計測では4時間切りならず)の1348位でゴール。40キロ以降は10分26秒と1キロあたり4分45秒でゴールへと走りこんだのであった。 結 果としては、前半抑えたことで、後半が非常に楽だったが、前半抑えすぎたため、多少消化不良という結果にもなった。今後どのようなことになるかは判らない が、それにしても、まさか自分がフルマラソンを走ることになるとは、今でも信じられないことは事実である。(2010.02.11) |