鉄分ダ イエット〜14万1000キロカロリーの旅〜

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 【序章】 メタ ボからの脱出(エクソダスメタボ)

 平成一九年一〇月一二日は、松山市内に坊っちゃん列車が復元されて六周年ではなく、私の四五歳の誕生日であった。
その私の誕生日が金曜日だったため、暴飲暴食をした週明け一五日の月曜日、体重は実に八四キロ、腹回り九四センチ。立派なメタボリックシンドローム状態 だ。

 これは、そのメタボリックシンドローム状態から、いかにして最大二〇・二キロ減量に成功し、かつ、フルマラソンを走れるような体力を作ったかという自慢 話である。

  

左:宇和島駅車両基地での58系気動車国鉄色、右:予讃線北伊予駅 1055D

  減量しようという気になった理由は、今となっては判らない。判らないのだが、多分、それまで健康診断で自己申告だった体重をその場で量らされた屈辱があっ たのだろうと思う。あと、当時テレビなどで流行していた、いわゆる「ローカロ」という食品がこの頃に届いたことだけは間違いない。
 この「ローカロ」とは、ローカロリー食品で、いわゆるフリーズドライのような、雑炊パックと思えばよろしい。一パック約三五キロカロリーとなっている が、それではいくらなんでも腹が減るから二袋食べる。それでも七〇キロカロリー。あと腹が減ったらダイエットコーラかダイエットペプシの人口甘味料で文字 どおりお茶を濁す。

 その甲斐があって、一〇月上旬に減量を決意した二週間後の一〇月二六日(金)には三キロ減の八〇・八キロ。腹回りも八八センチにまで改善されたのだ。
この間たいした運動もしていないのに、ほとんど食事療法だけで落としたようなものだ。

ロクな運動もせずに、よく簡単に体重が落ちたものだと思う。

今までの経験上、ダイエットをするのに運動から始めた場合はたいてい失敗している。なにしろ、運動をしたらご飯がおいしいのだ。だから、最初の二週間はむ しろ体重が増えることを覚悟しなければならない。が、現実には、運動しているにもかかわらず、体重が増えるということは耐えられるものではない。
だから、今回は意表をついて運動量を落として、食事制限から始めてみたのだ。しかし、人生最大の楽しみである食事を制限されるわけだから、一気に成果を出 さなければ挫折するに違いない。
それだけを頼みに食事療法を続けたようなものである。
 
しかし、現実は厳しい。夕飯をとった直後に「腹減った!」それこそ、週に一、二回妻が作ってくれたおでんやまともな雑炊を食べるのだけが楽しみだったもの だ。が、そんな生活を毎日続けて居ればストレス蔓延で、案外体重が減らないことも経験済みだ。だから、週末はまともな食事をする!金曜日と土曜日はビール も飲む。だが、それでも「週末になればビールが飲める」から「週末になれば(まともな)食事が摂れる」に代わってしまったのだ。

 だが、今はまだ暖かいから、そんな無茶な食事でもなんとかなる。が、まもなく「もうすぐ外は白い冬」とまではいかないが、確かに冬がやってくる。ここは やはり運動が必要だ。

 などと、食事療法などという陰鬱な内容をくどくど書いたところで、読んでくれる方もいらいらするだけだろうから、ここは運動の話で進めてみたいと思う。

 ここで、一四万一千キロカロリーとは、脂肪一キロに対して、七千キロカロリーの消費を必要とするということを意味する。

また、この題名は、決して栄養素としての「鉄分」ではなく、ダイエットをする場合でも、決して鉄道を離れることがないという意味のことなので、お間違えな く。

当時は松山から宇和島まで通勤しており、JR四国の「快てーき」を利用していた。これを持っていれば、同区間内の特急列車の自由席に乗車できる。その意味 合いを考えれば、その乗車区間内での途中下車は認められないことになる。実際ドイツでは認めていないし、JRに正式に問い合わせれば、途中下車は認められ ないという回答があるのではないかと思う。ただ、日本には「途中下車前途無効」という考え方があるから、基本的には認めていないが、黙認ということではな いだろうか。

(2011.03.02)

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