鉄分ダ イエット〜14万1000キロカロリーの旅〜

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 【第1章】  ウォーキング編

 1 平成一九年一〇月最終週

 一〇・二八(金)卯之町駅〜法華津峠〜立間駅

そもそも、なんで日曜日にわざわざ出かけたのかは定かではない。この日は妻子が友達と芋ほりに出かけるということで、私もどこかへ歩きに行こうと思ったら しい。あの頃は、土曜日に運動をして、日曜日は体を休ませるということが常態化していたように思う。
土曜日には、松山市内のデパートでやっていた「北海道展」に出かけていただけだというから、当時はあんまりダイエットイコール運動というわけでもなかった ようだ。

  

左:法華津峠、右:伊予 市谷上山からの風景

 な お、これからの話はあくまで早歩きのペースである。数値にすると、平地でせいぜい時速六キロ、上り坂では時速四〜五キロ程度である。多少信号やJRの時刻 の関係で駆け足になったことがあるかもしれないが、この第一章に関しては、ジョギングなぞ考えていないので、あしからず。

 松山9時00分発の特急宇和海3号に乗って、卯之町駅で下車する。そこから法華津峠に向かって歩き始める。今日の予定は一三・五キロ。
 この法華津峠は、現在の国道五六号の旧道である。
 鉄分ダイエットの栄えある最初の行き先にこの場所が選ばれたのには理由がある。当時、私は長男かずまると一緒に松山から宇和島まで鉄道沿いを一五回に分 けて、徒歩で行軍をしていた。
 当時のペースからいけば、本来ならもう終着地宇和島に到着していても良かったのだが、真夏の暑さにはかなわず、もう半年近く卯之町で止まっていたまま だった。
 それと、もうひとつ理由があった。かずまるとの同行編と同時に単独でも松山から宇和島まで歩いていたのだ。そもそも、鉄道沿いに・・・というのであれ ば、卯之町から下宇和駅を経由しなければならない。しかし、地図を眺めてみると、下宇和駅の裏手から法華津峠へ向かう破線しかない。この破線というのは、 基本的に農道又は林道である。だから、車が通れるように整備されているところもあれば、完全に荒れてしまっているところもある。あと、四国の場合、遍路道 があるから、そのような道はまさにトレイルランニングに適したような小道が続いていたりする。
 仕方がないから、近くであろうと思われる公民館へ電話をしてみた。結果は、
「ええ、通れると思いますよ。幼稚園児が法華津峠まで遠足に行っているくらいですから。」
 なんだ。行けるのか。と思った私は甘かった。

 この年の四月頃に早速出かけてみたところ、途中から荒れる荒れるで、とても歩けるような道ではなかったのだ。結局、下宇和からのアプローチは諦めること になってしまったのだ。
 というより、よくぞ、それをわざわざ確かめに行ったものだ。確かめてなかったら、私とかずまる、ひょっとして妻も同行していたら、みんなで途方にくれる ところであった。結局卯之町から直接立間へと向かうことになってしまったのだ。

 しかし、一体、その幼稚園児が歩いたという道はどこだったのだろうか?
 どうしても気になる。
 気になるから、一度、峠側から下宇和駅側へと降りられるような道を探しに出かけてみたかったわけである。

 その結果は・・・峠付近でそれらしき道はあった。だが、その道も荒れ放題で、しかも「イノシシ用の罠があります」というような看板まである。
 これは怖い。こんなところで、イノシシの罠なんぞにひっかかりたくない。というより、こんなところでイノシシに会いたくもない。

 などと考えていたから、私は何も考えずに立間側へと下ってしまった。
 立間駅は普通列車しか停車しない。それに比べて、そのまま元来た卯之町駅へと引き返せば、毎時一本は特急が停車する。卯之町へ向かうのがしごく当たり前 だったのだが、人間の本能と申しますか、来た道と同じ道はなるべく通りたくないというわけで、戻るべきだった!などと気づいたときには、もうかなり下って しまっていたのだ。
 結果は、立間駅では都合のよい列車はなかったものの、都合の良いバスがあった。そのままバスで宇和島駅へと向かう。普通、バスに乗ったら時間はあてにで きないと思わなければならない。だが、今日は日曜日。ラッシュもない。乗降客もほとんどいない。バスは快適に走る。って、そんなに走ってダイヤは大丈夫 か?と思うほどバスは走る。そして、なんと宇和島駅に到着したときには、特急しおかぜ22号が宇和島駅を出発する二分前だった。
よくやった。バスよ!とばかりに、宇和島駅へと飛び込む。
改札口ではいつも見慣れた女性職員が「すぐに発車します」という。だが、私がホームでダッシュしているのにドアは閉めまいと開き直り、二号車前方のドアか ら飛び乗って、そのままほぼ満席の三号車にどっかと腰を降ろしたのであった。

 そこまでした行軍であったが、その夜の体重は八一・四キロ。前日よりも〇・二キロ、一昨日よりも〇・六キロ増えていたのであった。これには理由がある。 私が体重を量るのは入浴直前。しかも、おいしくビールを飲むため、当然ながら入浴後に夕食を摂る。だから、昨日の体重はあくまで夕食前。だから、昨夜の暴 飲暴食の量が今日の運動量を上回ったという単純なことである。自慢にはならんが。

 2 平成一九年一一月第一週

 一一・二(金)上宇和駅〜鳥坂峠〜伊予大洲駅

 この年の一一月は運動月間と称して、第一、三、五金曜日に休暇をとることにしていた。しかも、第四金曜日は勤労感謝の日である。この第四金曜日に先日歩 いた法華津峠を親子三人行軍することになっている。
 私は現在減量中である。我々は、病気になったら会社を休むだろう。ちょうどこの時期仕事が落ち着いているから、都合をつけて病気になるのを防ぐべく運動 をしたっていいじゃないか。などと甘えた考え以外になにものでもない。

 一一月一日(金)の体重は八〇・二キロ。昨夜は飲酒していないから、今日がんばればあるいは夢の七〇キロ台への突入ができるのではないか。
 というわけで、二日(土)特急いしづち1号で松山から卯之町駅へと向かう。今日は当初卯之町から伊予大洲までへんろ道を二二・三キロ歩く予定である。

 さて、最近私は、通勤時に座席へ座って、前の座席の下に足をつっこみ、斜め腹筋をしている。その数約二百回だから、往復で四百回。廻りの乗客からは奇異 な目で見られているのだろうが、そんなことはおかまいなし。今日なぞ、通路を挟んで隣に座っていた人が別の席へと移って行った。そんなこともおかまいな し。
 
 で、今日は今日は当初卯之町から伊予大洲までへんろ道を歩くつもりだったのだが、卯之町へ到着した時、ある衝動にかられてしまった。この予讃線八幡浜〜 宇和島間は、普通列車に限れば、予土線宇和島〜近永間以下の列車密度である。つまり、ロクに走っていない。それは、先週の立間駅でも思い知らされたところ である。だが、この特急いしづち一号が卯之町へ到着した時の卯之町駅は、その希薄な列車密度を誇る八幡浜〜宇和島間で、午前中唯一接続の良い時間帯なので ある。
つまり、9時08分に卯之町へ到着後は、宇和島方面へは三分の乗換えで723Dが、八幡浜方面へは一一分の乗換えで632Dがある。
私はハイカーであると同時にテツでもある。それも時刻表マニアに近い。だから、思わず632Dに飛び乗り、上宇和まで乗車してしまった。だから、ここから 伊予大洲までの約二〇・二キロを歩くことになったわけである。

四国ではへんろ道が整備されているが、特に峠を越えるときに、その整備の素晴らしさを感じる。失礼を承知でいうならば、みごとなトレイルランニングコース である。山道は少々つらさを感じるのだが、たいした距離ではない。まもなく峠を越える。峠では特に座って休めるような場所がなかったため、そのまま下りに 入る。今日の場合は、卯之町の標高が二〇〇メートル、鳥坂峠が四七〇メートル、そこから伊予大洲駅の標高一五メートルまで一気に駆け下ることになる。
伊予大洲では、予定していた列車よりも二便も早い特急しおかぜ22号に間に合ったのであった。

というわけで、帰宅後の体重は、というと、ついに八〇キロを割り込み、七九・二キロになったのであった。

3 平成一九年一一月第二週

 一一・一〇(土)太山寺〜高浜

 先週は金曜日に二〇キロ超を歩いたものの、土曜日はかずまると自宅から道後公園までの約四キロを歩いただけ、日曜日は妻子が出かけたため、自転車で列車 撮影をしただけ。結果はリバウンドの八一・〇キロとなった。
 再び、平日は食事療法の日々。一一月八日(木)には再び七九・六キロまで落とした。

 そして、最後の手段とばかり、翌九日(金)はいわゆる「一駅手前で下車して歩きましょう」ということをやらかした。といっても、大都市の電車とは訳が違 い、一駅といえば伊予市〜松山間約一二キロを意味する。だから、この日も二時間休暇をとった。って、一一月の金曜日はひょっとして全て休暇をとってない か?
 結果は一時間五〇分で無事松山駅到着。ただ、信号が多い国道の場合、信号に反応してしまうため、一定の速度で歩くことができないのだ。信号が変わりそう な雰囲気になったら、どうしても駆け足になってしまう。だから、ペースは思ったよりも速かったものの、結構疲れたものだ。
 で、その結果は、七八・六キロ。おおっ、成果が出ているではないか。

 だが、奥ゆかしい私は、調子に乗ることなく、その翌日はかずまる同行で低山行軍を決めた。
 場所は、太山寺から山を越えて、松山観光港まで下る。かずまるにとっては疲れるのコースなのだろうが、当然ながら梅津寺パークという餌で釣る。
 太山寺までは、自宅近くのバス停から一直線で行くことができる。山門から本堂までは結構急な坂道があって、やっとの思いで本堂へたどり着く。
 そこでは、地元の方々が数名いて、作業をしていた。さて、高浜への道を探さなければ、と思うのだが、地元の方に聞けば間違いない。
「あのう、高浜へ抜ける道はどこでしょうか。」
「ああ、そこへ行くには、一旦山を下って、ぐるりと回って行くしかないねえ。」
「いえ、この太山寺から高浜へ抜ける山道があると思うのですが。」
「高浜なら、一旦山を下って・・・」
「もう、いいです。」
 我々は、ここで漫才をやっているヒマはない。
しかたなく、本堂をぐるりと回ってみると、裏側に山道を見つけた
山道はこれまたよく整備されている。これは地元の方々の力がないと難しいだろう。一体、あの方々は何なんだ?
かずまると、さくさくとはいかないが、なんと言っても、所詮一キロも上ることはない。すぐに下りに入って、この日も坂を下り落ちるように、松山観光港へと 下っていったのであった。
なお、当然ながら、下った後は梅津寺パークへ出かけたのは言うまでもない。

さて、ここまでたいした運動はしていないつもりだったのだが、冬が近づいている中での食事療法が悪かったのだろうか。なんと、翌朝体が重くて起きられな い。いや、たいしたことはないのだが、結局一一日(日)は一日中ごろごろしてしまったのであった。
その結果は、やはり明確に数字に出る。日曜日には八〇・二キロに舞い戻ってしまったのであった。

4 平成一九年一一月第三週

 一一・一六(金)務田駅〜歯永峠〜卯之町駅

 ここ二週間ほど体重が八〇キロ前後でうろうろしている。
 最近では、朝食はパンを二枚のところを一枚に減らし、昼食はおかずだけ食べてごはんを抜く。夜は、今週の場合、月曜日がうどん少々、火曜日が雑炊少々、 水曜日は味噌汁とローカロ一個、木曜日が平日唯一のまともな夕飯であるおでん。とりあえずこんにゃくと大根が腹いっぱい食べられる。
そして金曜日の駅トレを迎えた。木曜日現在の体重は七八・八キロ。これで金曜日の夕食直前に七七キロ台をめざすのだ。

今日のルートもへんろ道である。前回の鳥坂峠を歩いて、へんろ道がかなり整備された道であることにある種の感動を覚えた。今回は歯永峠を越えるわけだが、 県道のトンネルの上にへんろ道がある。
というわけで、今日も特急いしづち一号で宇和島へ向かい、予土線で務田駅下車。お遍路さんの白装束の男性が一人下車する。彼は多分先に龍光寺へ行くのだろ うが、私はまっすぐ仏木寺を経由して歯永峠をめざす。
その仏木寺を歩き始めて五〇分ほどの一〇時四五分頃に通り過ぎる。が、なんとしたことか、このあたりから雨がぽつぽつ始める。気象庁の予報は「昨日午後五 時が曇時々晴」「今朝五時が曇で降水確率二〇%」だったのだが、再度携帯電話のインターネットで確認すると、なんと午前七時に再度予報が出ていて「雨」と いうことになっている。
そんなバカな!出発してから、その時が過ぎてから予報を出したら、それなら絶対当たるわい!
が、そんなことを今言ったってどうにもならない。幸い、そんなこともあろうかと、ビニール合羽は上下とも用意している。
しばらくすると若い男性三人組のお遍路さんを見かける。雨対策をするかどうか悩んでいるが、その格好が凄い。一人が自転車で、あとの二人がなぜか台車を押 していたのだか。自転車はともかく、台車だとこれからの歯永峠は登りもそうだが、下りも大変だ。

峠への道は、途中石鎚山ほどではないが鎖場があったものの、よく整備しており、これまたもう一度来てみたいと思うほどだ。ちなみに、上りの場合はこれでも か?と思うほどの道しるべや、巡礼者がかけたと思われる短冊があるので、絶対に迷うことはないのだが、これが下りになると、速度が上がるせいか、それがな くなる。つまり、逆行した場合は迷うこともありえるのかな?と思う。
雨は降り続く。峠を下って、あとはずっと卯之町駅をめざす。結局今日も予定よりも一便速い特急しおかぜ22号に間に合ったのであった。
 さて、今日の成果であるが、なんと七七・四キロであった。天気には見放された一日ではあったが、天は私を見放すことはなかったようだ。

 一一・一八(日)三坂峠〜久谷〜久米駅

 翌一七日(土)は、親子三人で「えひめを歩こう(忠政啓文著、愛媛新聞社)」にあったコースのうち、北伊予界隈をで歩いてきた。
 ただ、歩いていて思うのだが、疲れは距離だけではなく、歩いた時間にも比例する。つまり、かずまるのペースで歩いたら、距離は短いが、結局行軍全体の時 間は長くなるから、距離以上の疲れを感じるのだ。
 来週はいよいよ松山〜宇和島間徒歩行軍のクライマックスである法華津峠が待っている。一体どうなることやら。

 さらに、私のへんろ道行軍は続く。翌一八日(日)は三坂峠からへんろ道を一気に下って、最終的に伊予鉄久米駅までの一六キロを歩こうと考えた。
 松山市駅からバスに乗って、三坂峠バス停で下車。そこから松山平野を見下ろしながら一気に下る。下るのは上るよりは楽なのだろうが、今日はあいにく正面 からの強い向かい風がふいていて寒い。
 途中、坂本屋というお遍路さんをもてなしてくれる場所がある。ただ、私は巡礼者ではないので、辞退してトイレだけを借りて、そのまま通り過ぎる。
さらに進むと、今日は高校駅伝の四国大会だったらしく、その一団の中に巻き込まれる。いつも思うことだが、ランナーの場合、男女を問わず、まず間違いなく スタイルが美しい。「私もいつかは・・・」と心に決めて、彼らをやり過ごす。
そして、伊予鉄久米駅へ到着した私の体重は七八・六キロ。一昨日の行軍からは増加したのは仕方ないのだが、いよいよ八〇キロの壁とは決別できたようだ。

5 平成一九年一一月第四週

 一一・二三(金)卯之町駅〜法華津峠〜立間駅

 松山から宇和島までを親子一緒に徒歩でつなぐ、いわゆる「松山〜宇和島間一〇〇キロ貫歩」もいよいよ佳境を迎えた。最大の難所となる法華津峠を越える日 がついにやってきたのだ。

 とはいえ、実はその前に私の体調がよろしくない。食事療法も併用しているので、先日も日曜日に具合が悪くごろごろしていたこともあった。今週もなんとな く軽く風邪をひいているようだ。だから、なんとなく体が水を欲しがっているのが判る。保水してしまっているから体重が落ちない。木曜日の体重が七八・〇キ ロ。「水を飲んでも太る」とはよく言ったものだ、と感心してしまう。

 いや、感心したところでどうなるものでもないから、話を進めよう。
 一一月二三日、この日も特急いしづち一号で卯之町へと向かう。9時08分には卯之町駅へ降り立って、いざ佳境へ出発!
 というところで、誤算が・・・

 かずまるが「うんち」と言う。仕方なく、近くのスーパーへ連れて行くのだが、これがまた長い。そのうち、トイレの掃除にやってきたおばさんが「中に人が 閉じ込められている?」と慌てさせることまでやってしまった。
 そんなそんなで、いきなり二〇分も遅れての出発になったわけだが、半年の時間は子供を成長させる時間でもあったようだ。法華津峠到着はほぼ予定どおり。 下りの時間もこれならある程度計算できるのでは?と考えて、出発を遅らせることにする。
 というのも、今日は天気がよい。
 いや、よいなんてものじゃない。なんと九州まで見えるぞ!
 だから、峠で景色を眺めているだけで、時間が過ぎていく。
 が、ずっといるわけにも行かず、前半のかずまるの体力を計算しながら、ぎりぎりまで峠に居て、いざ出発。その後もかずまるは頼もしかった。予定どおりに 目的地である立間駅へ到着。この行軍もいよいよ最終回の立間〜宇和島間(JRの営業キロで一一・〇キロ)を残すのみとなったのであった。
 そして、当の私も七七・〇キロ。ようやく、先週金曜日の体重を下回ることができたのであった。

 一一・二四(土)伊予大平駅〜谷上山〜伊予横田駅

 かずまると一緒に歩いた場合はなかなか体重が減らない。しかも、昨夜は暴飲暴食した。だから、この日は単独でとにかくどこかへ出かけてみよう。
 特急宇和海3号で伊予市まで乗り、そこから普通列車で伊予大平下車。快てーきを持っていると、こういう乗換ができる。
 伊予大平からは谷上山経由でさきほど通過した伊予横田まで歩こうと思っている。一年半前には砥部から親子三人で花見に出かけたものだが、そのバスも廃止 になってしまった。その展望台へと一人で向かう。
 今日は南側の東野から一気に北上する予定なのだが、この最近造られたような林道は、とにかく勾配がきつい。昨日の一〇〇キロ貫歩同行編の法華津峠では一 切汗の出なかった私ではあるが、今日は汗がどどっと出てくる。ただ、展望台へ上ってみたものの、花見のときの賑わいは全くなく、まるでゴーストタウンのよ うである
 ともかく、この展望台からの景色は変わらない。しばし、景色に見とれて、しかし、帰りの時間に間に合うべく、ひたすら下っていく。この下るというのは、 減量している場合には、まるで百害あって一利なしというような気もする。つまり、少々ならば、登っているほうが体には負荷がかかる。が、下る場合は、汗を かかないどころか、天候によっては寒く感じる場合がある。それに、膝にはけっしてよろしくない。
しばらくすると、下からはこの急坂を走って登ってくる一団と出会う。すごい人たちがいるものだ。森林公園を過ぎ、大谷池を過ぎると、再び急坂で伊予市側へ と下っていく。
それでも、汗をかくという効果は大きいらしく、前日の暴飲暴食をものともせず、昨日同様の体重であった。

 一一・二五(日)伊予平野駅〜郷峠〜八幡浜駅

 この三連休は天気が良いこともあり、調子になった私は、翌日曜日も出かけることにした。場所は郷峠。一体それはどこか?といわれたら、かずまると松山〜 宇和島間貫歩したとき通過した夜昼峠の北側にある峠である。
 特急いしづち1号の乗客となり、伊予大洲で普通列車に乗換えて伊予平野駅で下車。そこから、金山出石寺の真下付近から逆方向である南側の峠を上っていく ことになる。
今日は天候はよさそうなのだが、この時期は天気がよいほどいわゆる肱川あらしが発生している。まるで雨雲がかかっているかのような霧一色だ。
天気が良いのに、霧で全く太陽を見ることができないという中でひたすら歩き続ける。昼なのにまるで夜のように太陽の光がさえぎられる。これが夜昼峠という 名前の由来の一説ともなっている。

が、そのあたりで自分の作った計画表をよく見ると、エラいことに気づく。最近は、距離と自分の予定速度を入力して、時刻は表計算ソフトで自動計算している のだが、よく見ると、時間の単位が十進法になっている。つまり、九時一〇〇分などというふざけたことになっているから、四〇分サバをよんでいたことにな る。
これは困った。多少予定時刻よりも早く歩いていると思っていたのが、一〇分の貯金がなんと三〇分の借金に変わってしまったではないか。これでは予定の列車 では帰れない。
ひたすら山道を登り、二五分遅れで郷峠を通過する。が、これでは予定の列車に間に合わない。まもなく、単独編とかずまる同行編で二度歩いた夜昼峠の旧道に 合流する。そこで、私のしたことは・・・
実は、地図を見るとJRの夜昼トンネル付近に農道と思われる国土地理院の破線道路がある。当然、実際歩けるかどうかは判らない。が、どうせ遅れているなら ば、と、それらしき場所めがけて下っていく。ほとんど一か八かの世界である。
で、結果はというと、私が下って言ったのは確かにその農道らしき道だった。しかも、最後はJR夜昼トンネルの八幡浜側口に出たのであった。あとは、ひたす ら国道一九七号を八幡浜へと急ぐ。千丈駅を通過したときには、すでに五分の遅れまでに回復していた。もう、予定どおりの帰宅が可能だろう。
なのであったが、三連休の場合、暴飲暴食も三日となるせいか、帰った時の体重は七七・八キロ。昨日よりも〇・六キロ増えてしまったのであった。

6 平成一九年一一月第五週(一二月第一週)

 一一・三〇(金)伊予白滝駅〜壷神山滝山〜喜多灘駅

一一月は減量月間として、金曜日を全て運動する日としている。だから、一一日三〇日(金)も休暇をとっていた。ただ、さすがに、三日とも単独するのは家族 に気が引けると思っていたのだが、なんと、かずまるが金曜日の夜、幼稚園時代の友人宅に泊まりに出かけるのだそうだ。
思わず、よだれが出てしまったではないか。
前日木曜日の体重は七七・四キロ。ここへ来て減量が減速していることもあり、これは突撃あるのみとばかり、スリーデーマーチを観光、いや敢行することにし たのであった。
初日は、壷神山登山となっている。「愛媛県の山(山と渓谷社)」では、この山は「松山平野と大洲盆地を分ける山」として紹介されている。ただ、おおかた標 高千メートルまで登るうえに、その登山道が本当に判るのか不安でもあった。
いつものとおり、特急いしづち1号で伊予大洲駅下車し、そこからはJRの乗継が不便であるため、これまた今は本数の激減してしまった長浜行きのバスに乗 る。
白滝駅前で下車し、とりあえずは、白滝を登っていく。この滝は何度も見に来たし、一一月二三日(あ、ちょうど先週だった)の瑠璃姫祭りにも来たことがあ る。その滝の奥をさらに進んでいくと、なんと、平らな丘が目の前に広がるのである。
これはびっくり。
なんとものどかな風景が広がるのだが、問題はここからである。壷神山への登山道を探す。
そして、登山道は???・・・ない!
案の定というか、壷神山への登山道が全く見当たらないのである。標識くらいあってもよさそうだが、私が今いる場所が間違っているのか。だが、標識もない場 所で標高千メートル近い山を無理やり登っていくのはリスクが高い。
もっとも、個人的には、そんなこともあろうかと思い、壷神山の北側にある標高七二五メートルの滝山をかすめて、瀬戸内側へ出て喜多灘駅方面へ降りて行こう とも考えていた。だから、急きょ変更すればいいだけのことだ。
滝山へ向かって歩いていくわけだが、それにしても今日は天気が良い。遥か松山の街並みから周防大島を超えて山口県の方まで、思わず叫んでしまいそうな景色 がそこにある。

やっほーーーー!

海に向かって「やっほー」もないだろうが、行ってみれば判る。それぐらい天気が良い。
ついでにそこで弁当を広げる。景色がよければ食事も美味い。
が、ふと、時刻表を広げてみると、時刻は一一時五〇分。ひょっとすると、喜多灘発13時35分の普通列車に間に合うかもしれないなどという考えがもたげて くる。
そう思い始めると、私はもはや「鉄モード」に入ってしまう。昼食を早々に切り上げて、早足で下っていく。が、今の標高は七〇〇メートルあたり。どう考えて も、簡単にあの下まで降りられそうにもない。それでも、降りていく。だんだんと速度が上がっていくが、膝への負担も気になるところ。
なんとか列車には間に合ったのだが、滝山の交差点から六・六キロを一時間二五分かかったから、平均速度約四・五キロ、急いだようでも余り速度は上がらな かったようだ。
今日の行軍は一六・五キロだったのだが、帰ってみると、体重は七六・二キロ。初めての七七キロ台へと突入したのであった。

 一二・一(土)西大洲駅〜金山出石寺〜(川辻)八幡浜駅

金山出石寺付近は、当初トレッキングの格好の的であった。
が、出石寺行きのバスがなくなり、さらに今年一〇月には、長浜から豊茂奥行きと、八幡浜から尾の花以北行き、保内宮内〜磯崎間のバスが全て廃止になってし まった。このため、一度は完全に白紙になってしまったこの一帯であるが、なんとか日中一便だけ残された尾の花発13時15分のバスを利用することができそ うだ。
というわけで、西大洲からのアタックを試みることにした。前週に郷峠から眺めた遥か彼方の峠越えである。
今日も特急いしづち1号で伊予大洲まで出かけ、そこから普通列車に乗換え、西大洲駅に到着する。
ここからまずは北に壁のように迫る高山集落へ登っていく。四国八八箇所は宇和の明石寺から大洲、内子と通るが、実際には久万高原町の大宝寺までない。しか し、大洲には東大洲の十夜ケ月や西大洲を通るようになっているし、別格巡礼地として金山出石寺までの道もへんろ道とされている。
あと、八幡浜、大洲といえば、私の最初の勤務地であり、自動車の運転練習の場でもあったところだ。この今から登っていく高山集落付近は、今から二〇年あま り前に大洲市の地図を見ていると、二車線と思われる道路が引かれてあり、なんでこんな場所に?と思って早速出かけていったことがある。結果は、途中からな んと道そのものがなくなってしまい、Uターンするにも苦労したという記憶が今よみがえる。その場所も歩くはずだから、「あの道は今?」という期待もある。
なんてことを考えていたものの、結果はそのまま高山寺山の南斜面をなんとなく道が続いていくのを確認しただけであった。二〇年の時を経て道路は無事延びて 行ったようである。
そうして、予定時刻よりも二〇分ほど早く八幡浜尾ノ花と大洲上須戒へと分岐する県道に出会う。ここから尾ノ花へ下る予定なのだが、尾ノ花では当初予定でも 日中一便しかないバスの出発時刻より一時間も早く着いてしまうのだ。
だが、その分岐点では前方に「へんろ道・出石寺・山道・約三キロ」という看板がある。山道には違いないが、遍路道の表記もある。最近の私はへんろ道のとり こになっている。
ただ、持参している国土地理院の地図では、金山出石寺のあたりがぎりぎり掲載されていない。そりゃ、当初計画のない場所だから、それも仕方はない。
まあ、時間の配分に万一のことがあれば、引き返す時間を考慮して進めば何とかなるだろう。
とばかり、山道を歩き始める。道は急だが、歩きやすい道である。すでに持参した地図の範囲からは消えた場所を歩いているものの、三〇分ほどで金山出石寺に 到着する。バスの時刻まではあと一時間五〇分ほどだが、ここは長浜からも、八幡浜市保内側からも自家用車で来たことがあるから、間違いなく道はつながって いる。もう大丈夫だろう。
北には昨日同様瀬戸内海が広がっている。今日は雲っていて、昨日のような絶景はなかったが、長浜の青島のあたりは、そこだけが日光を浴びているかのように 輝いていた。
景色は良いのだが、時間の心配もあるので、すぐに下山を始める。持参していた地図はこのあたりが切れてしまっているから、ヤマカンで歩く。まもなく「左: 大洲方面、右:保内、八幡浜方面」という交通安全協会の標識が見えた。だから、八幡浜方面へと下って行く。
だが、一〇分ほどすると、山をひとつ越えそうな雰囲気になってきた。地図はなくとも、前後の地図を見れば、そこでおかしいことに気づいた。尾ノ花バス停へ 行くには、一度大洲方面へ下って、更に野地方面へ分岐して下らなければならなかったのだ。このままでは、山ひとつ余分に越えて、歩く距離もかなり増えてし まう。
下りだから、速度は出る。だが、そのためには膝に相当の負担がかかる。もはや明日のことは考えまい。だが、一体今何処に居るのかが判らない。
ただ、今の場所が判らないまでも、私の上方に見える送電線は、見えない地図の位置関係を確実にはじきだしていたのである。たった一つの道しるべ、それは、 伊方原発から伸びる高圧電線だった。この電線はほぼ東西に走っており、少なくとも南北の位置関係が判ったのである。この電線を頼りにただひたすら下る。膝 の負担は限界に来ている。
そのうち「ここから川辻までの三キロは・・・」要するに総雨量が基準を超えたときは通行止めにするという標識を見つけた。つまり、端数はともかくとして、 あと三キロというわけだ。時刻は一二時四五分。なんとか間に合いそうだ。
さらに下っていくと、ついに眼下に川辻の集落が見えるようになってきた。思わず、おおっと叫んでしまった。瀬戸内海や佐多岬半島を望む絶景以上に感動した 一瞬だった。そして、一二時一〇分頃川辻バス停に到着。しばし昼食の弁当を食べる時間があったのであった
そこまで苦労して二三・五キロという行軍をした割には、現実は厳しく、その夜の体重は前日比プラス〇・二キロであった。

 一二・二(日)伊予中山駅〜犬寄峠赤海越〜伊予大平駅

 昨日に懲りず、またまた三日連続の行軍に出かける。場所は、犬寄峠越えである。この犬寄峠はJRなら約六キロの犬寄トンネルを約三分突っ走るのである が、歩くとなると、色々なルートがある。
かつて、松山〜宇和島までの貫歩では源氏集落を越え、途中峠ではものすごい風景に出会った。また、旧国道ルートもあるのだが、実はこのコースは一番見晴ら しが悪い。だから、今回は犬寄峠から赤海という集落を越えて源氏ルートと合流するコースをとった。
というわけで、三日連続の特急いしづち1号で今日は伊予中山下車。そこから犬寄峠方面へと引き返す。
この犬寄峠のある旧道は、行ってみれば判るが、なんと峠のあたりにある集落なのである。普通峠といえば、山道を越えるイメージがあるのだが、なんとなくイ メージと違う光景がある。
ここからは、旧道をはずれて赤海集落へと向かう。赤海と書いて「あかさこ」と読む。そういえば、伊予中山駅裏には、「月の海(つきのさこ)」という集落が ある。「海」が見えるからそう名づけたのか、松山の明かりが夜天の川に見えるからなのか、はたまた下から見た場合その集落が天の川の見えるからなのかは判 らないが、遠くに松山の街を見ながら下っていく。
そのうち、松山〜宇和島までの貫歩で歩いた源氏集落からの道と合流すると、今日はそこから一直線に下っていく道を選んでみた。
もちろん、予定の列車には間に合ったのだが、最近は下りを歩いても汗をかかないため、減量には役立っていない。
それは、帰ったときの体重が示していた。今日の行軍は一四・三キロなのだが、体重は前日比プラス〇・四キロ、つまり、三日間で〇・六キロ増えたということ になってしまった。これからはむしろ上り道を有効に利用しなければならないのかもしれない。

7 平成一九年一二月第二週

 一二・七(土)内子駅〜総津落合〜旧広田村

よーく考えたら、このままではこの週末は全くトレッキングできない。金曜日出勤(当たり前だ)、土曜日インフルエンザ予防接種、日曜日が休日出勤というの を忘れていた。
予防接種をしたら、その日の運動ができないことぐらいは私でもわかる。
だが、これを執念という。土曜日の予防接種を無理やり病院に頼み込んで金曜の夕方に変えてもらう。さらに、二時間休暇取得。これで、土曜日がフリーになっ た。しかも、現在体重は先週の金曜日、つまり一日目の行軍直後の体重と同じ七六・二キロだ。あるいは、七五キロ台が期待できるかもしれない。

さて、最近私はへんろ道にこだわっているのだが、どうも上りはともかく、私の体力が省エネにできてしまって、下りでは汗をかかないどころか、減量にもなら ないことが判ってきた。その一方で、宇和島市から松山市までのへんろ道は、内子〜小田(総津落合)〜久万〜三坂峠間の約四六キロを残すのみとなった。しか も最近の伊予鉄バスダイヤ改正で、総津落合が15時31分発になった。これは使える。ただ、最近伊予鉄南予バスは廃止、減便が多いから、なるべく早く乗っ ておくべきかもしれない
今日の場合は帰る時刻が決まっているから、早く出かけても意味がない。とはいえ、結局早く起きてしまったから、一便早い特急宇和海3号に乗ってしまった。
内子駅で下車し、これから総津落合までの約二三キロ行軍に出かける。しかしながら、一時間早く到着してしまったから、多分時間が余るだろう。総津落合の北 側には旧広田村の役場があり、さりにその北側には道の駅がある。だから、多分そのあたりまでは歩くことになるのだろう。だから、今日は二七キロくらいは歩 くのだろうと思う。
そう思っていたのだが、なんとなく足取りが重いような気がする。たまたま姫路在住の友人からメールを受けたとき「まだ一〇キロを過ぎたところですが、すで にぐてってます」と送信したものだ。
その原因は、一年後に判った。要するに昨日インフルエンザの予防接種をしたわけだから、今日の私は理論上インフルエンザに感染しているわけだ。

そりゃ疲れるわ。

さて、この道はへんろ道ということもあるし、バスの運行が内子町営ということもあるのだろうが、ほとんどのバス停が小屋のようなつくりになっている。これ は大変ありがたく、そこで弁当を食べさせていただいたりした。が、よく見ると、足元に蚊取り線香があったりもする。どうも、ここで寝泊りする人もいるよう だ。みんなが善人ならばよいのだが、昨今問題になっているように、心無い人がいたりすると、四国八八箇所の文化そのものを破壊しかねない。へんろ道を歩く ならば、最低限のマナーは守って、何時までも残してもらいたいものだと思う。
途中から国道が拡張工事している場所へとやってきて、一二時四〇分頃、いよいよ突合集落へ入る。ここから左へ行けば総津落合、松山方面、右に行けば小田、 久万方面である。どちらもへんろ道なのだが、小田方面が本来の道である。ただ、私はバスの関係もあって総津落合へと向かう。
総津落合に到着した時、ちょうどそのバス停にバスが停車していた。とはいえ、まだ出発時刻の一時間前。このバスはこれから小田まで行って折り返してくる。 仕方なく、旧広田村役場へ出かけたが、土曜日ということで、中へは入れず、道の駅もこれまた見たこともないほど貧相な場所で、結局最後は仙波渓谷まで歩い て、バスに乗車のであった。
という、今までの最高距離である約二七キロを歩いた成果もあって、ついに七五・六キロとなったのであった。

 一二・八(日)北伊予駅〜松山空港〜自宅

この日は午前中松山市内での仕事があった。が、予定どおり午後二時過ぎには帰れたので、少しだけ行軍をしてくることになった。なお、今日の午前中の出勤は 今週金曜日が半日代休となっており、半日有給休暇を取得して一日休暇とすることを考えている。その時に三坂峠から昨日歩いた総津落合まで歩こうと考えてい る。
さて、松山駅から普通列車に乗って、北伊予駅に到着する。「えひめを歩こう(忠政啓文著、愛媛新聞社)」の北伊予駅界隈には、先日歩ききれなかったところ に福徳泉公園というのがある。今回は北伊予駅からその公園を通って様子をみて、来春親子行軍をするかどうかを考えることにもしていた。
その公園であるが、公園そのものはこじんまりしながらも、なかなか手入れが届いて、来てみたいところではある。ところが身障者用トイレに書かれた標識がい けない。「車椅子利用者以外は使用しないでください」と書かれている。じゃ、視覚障害者は使用してはいけないのか?なんとか車椅子に頼らずに頑張っている 下肢障害者も使用してはいけないのか?極端な話、私のような膝関節症で和式トイレに座った際、膝の状態によっては立ち上がれなくなったり、後ろにひっくり 返る恐れのある者は使用してはいけないのか?ならば、身体障害者手帳を取得して、車椅子を買えというのか?結局この公園に来る気も失せてしまったのであっ た。
まあ、今日はそんなグチを言いに来たのではないから先を急ぐ。今日はここから松山空港へと向かう。松山空港の滑走路の下には一本の細い道路がある。地図を 見れば前後が県道になっているから、松山空港建設と同時に現在の場所に移設したものの、旧道がそのまま残っているのであろう。基本的には、歩行者、自転 車、二輪用だが、時には軽自動車も通行している。ちょうど、航空機が着陸してきたのでそれを見てからトンネルに入る。
そんな不思議なトンネルをくぐり、当初の予定では、ここから素直に県道沿いを歩いて、新田高校から中央通に出て、そのまま帰宅する予定であった。
が、なんとなく体に負荷が欲しくなったので、味生第二小学校から軽井沢団地への急坂を登っていくことにした。この坂は半端な勾配ではない。が、登山道だと 思えばたいした坂ではないという感覚がインプットされてしまっているのであった。つまり、体に負荷を与えるならば、急坂を登れば良いのではなく、じわじわ と上る坂を高速で歩くほうがよいことに段々気づいてきたのであった。
これは、今後の検討材料だろう。
ただ、あくまで、今後の検討材料であって、今日は一七・一キロの行軍にもかかわらず、体重は前日比プラス〇・六キロ。再び七六キロ台へと突入してしまった のであった。

8 平成一九年一二月第三週

 一二・一四(金)三坂峠〜総津落合〜旧広田村

 最近体重が減らなくなった。それどころか、月曜日には再び七七キロ台へと逆戻りした。
仕方がないので、火曜日の夜、意を決して下剤を飲んだ。すると水曜日の昼前から猛烈に腹くだしを始めた。はて?下剤か?それとも嘔吐下痢症か?しかし、嘔 吐はないし、鼻は少々調子は悪いが、風邪気味程度である。と思って妻に電話したら、妻から言われた下剤と胃薬の量を取り違え、通常の三倍量を飲んだらし い。おかげで体重が一キロ減った。

そんなバカな話は置いておいて、一二月一四日の金曜日、この日は先日日曜日の代休が半日、そして、有給休暇を半日とって、結局一日休暇としたわけである。
しかも、今日出かけるのは、遍路道の三坂峠から総津落合までの約二三キロ。多分前回同様二七キロ程度は歩くのだろう。だが、これにより、宇和島から松山ま で前後は残るがJR予土線務田駅から伊予鉄久米駅までがつながることになる。厳密には卯之町〜上宇和、伊予大洲〜内子間が残されるのだが、以前歩いた場所 だから、いまさらカットしても文句はないだろう。(誰にだ?)

さて、先日一一月一八日同様、バスの乗って三坂峠で下車する。最後の総津落合〜三坂峠間はバスの都合上逆行程となる。へんろ道は基本的には順打ちコースで 回るようにできているから、久万から鴇田峠方面へのへんろ道が判別できるかどうかの心配はあるが、いずれにしても近くに自動車道が並行しているから、遠回 りすることはあっても迷うことはないだろう。
久万高原町役場を過ぎて、鴇田峠へ向かう道へと右折するが、やはりというか、逆打ちしているためか、私の通った道はへんろ道ではなく、久万高原町役場方面 へまっすぐに下るへんろ道があった。よく観察していれば見つけられたのであろうが、まあ仕方がない。
鴇田(ひわだ)峠では峠の名の由来が書かれている。弘法大師が大洲からやってきたときにずっと雨だったのが、ここでようやく晴れたので「日和(ひより) だ」と言われたのが訛ったのだと書かれている。峠を下る道は結構濡れていて歩きにくかったが、ともかくこれで二名方面へ下れば、あとは基本的に県道を歩く ことになるから、もはや道の心配はなくなる。
が、宮成でへんろ道の表記を見ていると、思ったよりも南側を迂回させられる。地図を見ると、県道の下坂場峠の南にもうひとつ農道らしき道がある。この道が へんろ道の可能性もあると思いながら、百メートルほど歩いて、はたと気づいた。本来のへんろ道は下坂場峠ではなく、真弓峠なのである。だから、そのような 表記になっていても不思議ではない。慌てて、引き返して下坂場峠へと向かおうとすると、その県道にもへんろ道の表記がある。こちらが副道らしい。

小田町の畦々(うねうね)という集落を過ぎ、あとはひたすら県道を下っていくだけである。それにしても、この県道は主要地方道久万中山線で「県道四二号」 という立派な名前を与えられているにもかかわらず、これが県道か?と思うようなか細い道がそれこそ「うねうね」と続く。途中で、県外ナンバーでキャンピン グカーのオッサンが追い抜きざまに話しかけて「このあたりに道の駅ってない?あと七キロとあるんだけど。」と聞く。先週も歩いたので場所は判っているので 教えてあげると「乗って行きませんか?」とおっしゃられた。気持ちだけありがたくいただいて、再び歩き始める。
今日も総津落合へは一時間以上早く到着してしまう。だが、今日は金曜日、公民館も多分開いているだろう、喜び勇んで出かけたのだが、なんと公民館は物置と 化している。仕方なく役場の支所で事情を話すと、図書館は閉鎖されてしまったので、役場ロビーで新聞でも読んで時間をつぶしてくださいとおっしゃられた。
うーん、旧役場の広いロビーにたった三人の職員。あるいは、みんな出払っているのかもしれないが、普通、公民館といえば、図書館くらいないか?と、合併に よる合併された側の旧自治体の現状を見てしまったのであった。
結局長居はできず、前回同様の行程をリリースして、同じバスで帰ったのであった。が、体重は七四・八キロ。ついに七五キロを割り込み、一〇キロ減量を達成 した瞬間でもあった。

 一二・一六(日)内子駅〜伊予中山駅

 一五日(土)は午前中散髪と整形外科に出かけ、午後親子三人で三津界隈を散歩してきた。寒い一日でもあり、全く汗もかかず、体重は再び七五・二キロに なっていた。
 で、翌一六日(日)は、先日ふと考えた「緩やかな上り坂」がどの程度有効なのかを試すため、内子駅から伊予中山駅まで約一五キロを歩いてみることにし た。しかも、今日はその距離で約一二〇メートルを一方的に登っていく。まあ、登るほどの勾配を感じることはないのだろうが、体に影響してくれればそれでよ い。
 だが、この道は勾配という目的以上にとんでもない道でもあった。そもそもよく見れば、国道五六号という立派な二桁国道であるが、ロクに歩道が整備されて いない。たまにある歩道といえば、側溝にがたがたするふたをしているだけである。しかも、カーブが多いから、前から車がやってきたときには、ひたすら車の 誤運転がないことを祈るしかない。
 というわけで、距離の計算誤りもあって、伊予中山駅に到着したのは、列車到着五分前であった。一二〇メートルの一方的上りは魅力的だが、あまり歩きたい 道ではないということも判った行軍であった。
 で、体重はどうかといえば、前日同様だったから、私の考え方に誤りはなかったのであろう。これからは場所を変えてやってみようか。

9 平成一九年一二月第四週

 一二・二一(金)久米駅〜石手寺〜自宅

 先週金曜日が最後の有給休暇と思っていたのだが、この週の水曜日になって、二一日(金)午前中に松山出張が入った。ということで、午後休暇をいただい て、そのまま午後は行軍をすることになった。
 あいにく、その日の天気予報は午後雨だったが、そんなに早い時間帯には降らないだろうし、万一降ったところで、一旦出発してしまえば、後は知らない。雨 対策も万全である。
 出張先が自宅近くだったこともあり、急いで帰宅し、伊予鉄道で久米駅へ到着したのがちょうど午後二時。
今日はここからへんろ道を歩いて自宅へ帰ろうと思う。
県道四〇号を歩いた後、山側へ向かう遍路道に入って、繁多寺に着く。ここは、以前住んでいたところから近く、ちょうど一〇年程前、やはり減量していたとき にこのあたりを歩き回ったものであった。
そこから、石手寺へ向かう。この四国のみちというのは、遍路道も当然指定されているのだが、自然なんとか道というものも含まれている。これが石手寺から瀬 戸風峠、高縄山方面へ抜けて、最終的には今治まで続いている。
その瀬戸風峠を登っていく。空はまさにどんより曇っており、いつ雨が降ってもおかしくないような表情をしている。が、時折太陽らしき球体が見えたりもする ので、今すぐ降り始めることもないのだろう。
瀬戸風峠からはそのまま松山神社側へ下り、再び遍路道へと戻る。途中で「伊予の道」なる看板を見つけたのだが、軽之神社付近で道を見失い、結局そのまま帰 宅した。
今日の行軍は一三・四キロだったのだが、体重はなんと七三・二キロと第一目標を達成してしまったのであった。つまり、私の身長が一七四センチ弱だから、身 長マイナス体重が百を超えた瞬間でもあった。
が、現実は厳しい。明日から週末が始まる。しかも、来週末には年末年始休暇が始まる。「もういくつ寝るとお正月」ではないが、恐怖の年末年始が待ってい る。

 一二・二二(土)鳥ノ木駅〜市坪〜自宅

 ついに念願の身長マイナス体重で百を超えたわけだが、目の前に年末年始が迫っている。
 幸い、今日から年内最後のチャンスである三連休が始まる。しかも、その前日に最低体重を記録したわけだから、まだ望みはある。
 だが、その初日は朝から雨が降っていた。しかも、今夜は近所に住む職場の友人と飲みに出かけることになっている。やはり、今日は体を動かしたい。
最悪の場合、松山市中心部にある銀天街と大街道のアーケード内を往復してやろうと企んでいるのだが、それでも出発するときに雨ザーザーでは、どう考えても 単なるバカでしかない。もっとも、アーケード内を行ったり来たりするのがどうであるのかという議論をするつもりもないが。
 で、運良く昼過ぎに雨が上がったため、そそくさと家を出る。もちろん、妻子にはアーケードで減量に励むとは言っているものの、家を出た以上はもはや気持 ちは別の場所にある。
 というわけで、JR松山駅へと出没。12時53分発の普通列車で鳥ノ木駅をめざす。
 駅に着いたところで、上下とも完全防備の合羽を着て、一路伊予横田経由で自宅までの一三・九キロに挑戦する。
 出発したところで、雨がやんでしまったため、拍子抜けしたものの、すぐ再び雨が降り始める。しかも、風が強くなってきた。
 冷たい雨が断続的に降り続く。これは途中で休むということは、風邪をひくということでもある。
 私しゃ、マグロか?
 坊っちゃんスタジアムを横目で見ながら、ただひたすら自宅をめざす。家に着くと、かずまるがひとりで留守番をしていた。
 今夜だけは、体重を忘れて、友人と飲むことにしよう。

 一二・二三(日)鳥ノ木駅〜北伊予〜市坪駅

 翌二三日(日)は当初松山〜宇和島までの百キロ貫歩最終回を考えていた。が、思ったよりも天気が回復しないため、早々に延期となった。そこで、午前中に 再び鳥ノ木〜市坪間を歩いて、午後からかずまると出かけることにしようと思う。
 というわけで、再び松山駅へ出没する。ちょうど特急宇和海3号の出発時刻であるので、乗り込んで周囲の視線を無視して通勤時同様腹筋をやる。が、終わっ たときにはまだ列車が出発していないため、そのまま下車して、次の普通列車に乗り込んだ。
 周囲の方々は、一体何者だろうと思ったに違いない。
 そんなバカなことをやった後に、次の普通列車に乗り込んで、鳥ノ木着9時25分。ここから市坪までの一〇・六キロを歩く。
昨日よりも距離は短いが、時間も短い。なによりも、午前中は列車の密度が非常に少ない。北伊予駅付近からはただひたすら北上を続け、市坪ではなんとか列車 の到着五分前にたどり着いたのであった。
よくぞ、特急宇和海3号で松山駅を出発しなかったものだ。

午後は、予定どおり親子三人で松山城界隈を散策したのであった。
その結果、体重は昨日同様の七三・三キロ。昨日の暴飲暴食を考えると、まずまずの減量であった。

 一二・二四(月)伊予大平駅〜犬寄峠〜伊予中山駅

 なんとも、長い三連休の最終日。この日も症懲りなく出かけることになった。
 今日は、伊予大平から伊予中山まで、犬寄峠旧道を一方的上りに挑戦する。
 またまた、松山駅では特急宇和海3号に乗り、列車内で腹筋運動をしてから、伊予市で普通列車に乗換え、伊予大平駅で下車する。
 今日の行軍は、犬寄峠の旧道である。いままでの犬寄峠行軍は景色のよいところを歩いたものだが、今日はそのようなものは全く期待できない。ただ、一応車 の通れるような道を歩くのに、私の体力は、もはや減速しない。旧道は車が通れることが判っていたので、その道をさくさくと登っていく。途中からダートにな るが、一応車の通った跡がある。
 ところが、この旧道は、国道五六号の犬寄峠松山側から逸れる横道近くに出るはずなのに、その約三百メートル付近から道が完全に荒れてしまっている。いわ ゆる「ドロボー草」が一面にブロックしている中を無理やり歩いた結果、休憩時間はズボンに張り付いた草の除去に相当の時間を費やした。このあたり、源氏越 えでも気になったのだが、どうも伊予市の農道は荒れていることが多いように思う。やはり、お遍路さんの道と外れているということも影響があるのだろうか。
 ともかく、一度国道へ出て、犬寄トンネル手前で再び旧道へそれるが、この道は一度トンネル事故で迂回して走ったことがある。後は何の不安もない。先日歩 いた赤海への道を越え、犬寄峠へと到着したときには予定よりも二〇分ほど早着となった
 ここで、はたと考え込む。この後どんなに早く行っても、帰りの列車は変わらない。それならば、時間があるから、源氏集落へと迂回するのもいいかもしれな い。と思い始めていたのだが、長沢方面へまっすぐ尾根沿いに走る道が気になっていたので、そちらへと歩くことにした。
今の自分の体力を考えると無理な距離ではないので、迷わずそちらへと登っていく。旧犬寄峠付近では、源氏集落方面からの県道のバイパス工事が進められてい た。坂を登るのはたいしたことはなかったが、登っていくと「松森城森林公園」というところに出て、あとは急な下り坂が続く。下っていくと目の前に秦皇山が 見えてくる。
 そうこうしながら、結局伊予中山駅へは、予定よりも三〇分ほど早く到着した。時間があるので、月の海方面へ登って行こうかとも思ったが、一度精神力が切 れると、もはやそんな力は残っていなかった。
 この三連休の最終日の総決算。体重は七三・四キロ。昨日よりも〇・四キロ減り、先週金曜日に出した最低体重まで〇・二キロに迫っていた。
 そして、いよいよ年末年始が始まる。が、すでに一〇キロ以上のダイエットに成功した私は、相当の体力もつき、一方では、軽くなったせいか、歩いているよ うでも、なんとなくジョギングに近い状態となることがある。
だが、自分の膝の具合を考えると、まだ走ることには抵抗がある。
そこで、これからは、あえて早歩きダイエットに挑戦してみようと思う。

(2011.12.30)

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