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第2回 幻に終わった宇和島〜宿毛ルート 最終更新2009.03.01

(クリックすると拡大します。なお、この画像は「カシミール3D」から転載し、地図画像は「カシミール解説本5万分の1地図」から作成しております。)
 

  

 
当初の四国一周自転車特攻隊は、当然ながら宇和島から国道56号を南下、宿毛からは国道320号を走って、足摺岬へと向かうルートを想定していた。

が、それは計画に無理があることがわかり、結局、宇和島から予土線沿いに窪川へと抜けるルートに変更し、足摺岬は行軍に余裕ができれば1泊2日のオプショナルツアーとすることになった。

それはなぜか。最大のポイントは、自転車をバスに乗せることの難しさがあったのである。宇和島自動車に問い合わせたものの結局は回答がなかった。宿毛と中村には土佐くろしお鉄道がある。こちらは基本的にはJR四国と同様の対応をするとなっている。が、距離が中途半端だったのだ。宇和島〜宿毛間63・2キロの行軍は日帰りは困難、さらに、窪川〜足摺岬〜宇和島に関しても3泊4日でなければ相当ハードスケジュールであった。しかも、その場合の1泊目の場所は結局中村である。かといって、JR(土佐くろしお鉄道)を利用した場合、中村到着は13時09分、1日のほとんどが終わっている。(ちなみに逆走の場合の中村発は17時46分、窪川、宇和島ともに乗換時間2分で松山到着は21時32分となる。これならば、机上の計算では不可能でなかったのだが・・・実際、須崎まで日帰り行軍ができたわけで、ここで2泊3日の行程を立てていたら、多分まで実行されていなかったと思う。)

だが、最大の原因は、やはり宇和島〜宿毛間(厳密には、宇和島〜愛南町間)の高低差であった。仕事柄、同区間を自動車運転する機会が多かったわけで、実際お遍路さんをよく見かけたものであるが、これを自転車で走ったら大変なことになると思ったものである。

その行程は、上のカシミール3Dの通りである。この見事なまでのアップダウンを見るが良い、と言いたくなるような道路である。宇和島を出発すると、まず松尾峠(宇和島側出口標高102メートル)を越えることになる。画像に99メートルと記載しておいてなにを言うのかといわれるかもしれないが、再計算したらそうなった。しかも、このトンネル、自動車で走ったら判らないのだが、津島側では75〜80メートルとなる。つまり、南下する場合はトンネル内で下っていることになる。

津島岩松で一旦ゼロメートルとなる。そこからはかれこれ長い上り坂を走って、嵐坂トンネル(標高58メートル)に入る。このトンネルも、カシミール3Dではトンネル内で下っていることになる。ちなみに、トンネルに入る直前に「嵐坂ポケットパーク」という文字通り小さい公園(といっても単に自動車の休憩用の公園)がある。

嵐坂トンネルを過ぎると、これまた急坂を下って嵐という集落に出て、次は針木峠(標高21メートル)にかかる。標高はたいしたことないが、自転車では結構苦痛になるはずだ。で、針木〜浦知でまたまた海岸にでるものの、再び柿之浦でだらだらとした勾配を上って、標高25メートルの鳥越トンネルで宇和島市から愛南町へ出る。

その後は須ノ川公園で海に出た後に、標高58メートルの内海トンネル(このトンネルは自転車と歩行者が車とは別のトンネルになっている)を抜け、またまた急勾配を下って旧内海村役場を通過する。で、いよいよ標高101メートル、第2の難所室手峠にかかる。で、峠を越えると標高10メートル菊川まで下って、標高41メートルの八百坂峠を越え、標高10メートルまで下って、愛南町中心部へ向かう最後の坂である標高25メートルの平山峠を越える。

とまあ、掲載するだけでも嫌になるような坂が連続するのである。車ならば、宇和島〜愛南町役場間はちょうど1時間なのだが、自転車にはこの勾配の連続は相当の苦痛が待っている。

しかも、それでは終わらない。愛南町の御荘、城辺の平地を過ぎると、今度は標高51メートルの蓮乗寺トンネルを過ぎ、再び満倉集落の標高5メートルまで下る。しかも、ここからは国道が付け換わっているため、国道を走ると急勾配が続く。旧道を標高100メートルまで登ってくと旧一本町役場へとたどり着く。ここは不思議な場所で、満倉集落方面と宿毛方面への分水嶺がはっきりしない。旧役場が小高い丘にあって、そこの南西側が満倉集落方面へ、北東側が宿毛へと流れているようである。ただ、はっきりとした分水嶺がわからないものの、この旧一本町役場付近の標高が100メートル程度あることと、そこから宿毛へは下る一方であるという事実は変わらない。

というわけで、それほどのアップダウンを克服する勇気もなく、結局は中村(現四万十市)までは江川崎から四万十川沿いに下ることになったのである。(2009.03.01)

 

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