今日は朝から雨が降っていたのだが、雨そのものは10時頃には上がり、午後には晴れ間も見えるようになった。 このため、予定どおり松山八社八幡神社巡りのうち、一昨日に行けなかった3社に出かけてきた。 山崎八幡宮【朝日八幡神社】南江戸 今日、最も高い位置にあるところで、多分最も自宅から近い場所にあるのだろう。(ただ、距離は阿沼美神社といい勝負かもしれない。) 日招八幡宮【日招八幡大神社】保免西 今回、最も遠い場所。ここから日尾八幡神社まで移動すると、7キロ以上あって、合計距離が25キロを超えるので、あえて2回に分けたわけだ。 で、ここから、ちょいとよりみち。いずれもかつて松山句碑めぐりをしていた時に立ち寄った場所。 鬼子母神堂(土居田町) なんだか怖い名前であるが、「鬼」という文字が気になるだけで、実際には、鬼子母神堂は、安産・子育の神様である鬼子母神を お祀りするお堂だという。周辺は人家の建て込んでいる。正岡子規の叔父が余戸に住んでいたこともあって、今出へ行く際に読んだとされ、当初は「じゅず苡」 が「鳩麦」だったと碑に書かれている。 正八幡宮【雄郡神社】小栗 雄郡神社は元々はここの地名でもある「小栗神社」又は「小栗正八幡宮」ともいう。ちなみに、ここは伊予鉄道(坊っちゃん列車)の祈祷本家である。 愛媛県更生保護会雄郡寮(土居田町) なんという長い句かと思ったら、これは「男の劇場」の歌詞だったのか。星野哲郎氏は大正一四年山口県東和町生まれだから愛媛県に近いだけで、あんまり関係 な いし。更生保護会雄郡寮だから、こういう気持ちで更生するということなのか?よくは判らないが、そういうことなのだろう。 ここはかつて2005年にかずまると句碑めぐりをしていた時、市坪からの帰り道に雨に降られ、一時は事業所の軒下で雨宿りをし、小降りになったところで、 徐々に雨をしのげる場所を探しながら移動し、この場所でようやく雨が止んだという思い出があったため、ここへやってきたわけでもある。 ちなみに、坪内氏は昭和50年代に「(当時の)国鉄四国総局を私に預けてくれたら黒字にして見せる」とおっしゃられた記事が思い出されるが、どうなっていたのでしょうかねえ。 (2024.03.03) |