前回愛媛マラソンは、結局体調不良でDNS。 その結果は、完全に緊張の糸が切れたこともあって、今後はフルマラソンを断念することにし、ハーフマラソン程度までの大会出場にすることに決めた。 だから、とりあえず私の最終目標は3週間後に開催される坊っちゃんマラソンになる。 もっとも、全然記録を出せる状態にないが・・・ フルマラソン断念の根底には、やはり昨年12月、主治医に「危険な不整脈が確認された」というのが頭から離れなかったこともある。 確かに、ハーフマラソン程度ならば、まあ先週土曜日でも走ったわけだし、普通に走れる距離である。 だが、フルマラソンとなると、そうはいかない。 フルマラソンに「はまる」理由のひとつには、 ・いつも練習で42キロ走るわけにはいかない。 ・通常はハーフマラソン程度で練習し、何回か30キロ走で体力を確認し、そして、本番に挑む。 ・しかも30キロの壁というのが存在する。(エリート選手の場合はエネルギー切れを差すのかもしれないが、私の場合は、このあたりから心肺機能の低下を感じる) ・その最後の未知の世界をどうするか?という試行錯誤がフルマラソンに「はまる」というひとつの理由なのかな?とも思う。 ※4週間連続でフルマラソンを走られる方もおられるが、その方の場合は、目標となる大会以外は「ファンラン」として、いわゆる30キロ試走のような位置づ けで「走ることを楽しむ」のではないだろうか。もちろん、その考え方に反論される方もおられるだろうが、私に関しては「絶対無理」である。 そこへもってきて、昨年の今頃、主治医の「危険な不整脈が確認された」事件。 さらに、愛媛マラソン2週間前に私と同年齢の方が粟井坂のトンネルで練習中に亡くなられたことが、平成29年11月に私の「意識をなくした疑惑」とアーバーラップされたことが大きかったと思う。 こうなると、未知の世界を断念し、通常のランニングの範囲での大会出場に「舵を切った」わけである。 もちろん、当面は走ることをやめるつもりはないが、減退する体力を考えて、自分でコントロールできる範囲での走り方をしようと思う。 (2024.11.24) |
私は今回愛媛マラソンへのエントリーをしなかったわけだが、先週今治まで往復した際、国道196号北条バイパスに相当のランナーを見かけたことで、やっぱりコースを走るのもありかな?と考えるようになった。 というのも、例年この時期からは毎週愛媛マラソンコースを走って、大会が近くなると、走るのに飽きてくる。 そして、大会が終わると、南の方向へ走りに行くことが多くなり、そのうち暑くなって、愛媛マラソンコース(堀江以北)を走れなくなってくる。 だから、今の時期は、逆に真新しい感じがするわけだ。 さて、そうは言っても、自宅から堀江までは約7キロ、往復14キロはいつものみーすを走ることになる。 以前ならば、往路伊予和気駅あたりまでパス移動をして、4キロほど短縮(≒片道2キロほど北へ走れる)していたものだが、ここへ来てバス代がしゃれにならんくらいに値上げされたため、多用はできない。 そこで考えられるのは、伊予和気駅北側にあるジムを拠点にすること。 ここまでの片道5キロ弱を往復自転車移動すれば、そこから走って、戻ってからシャワーを浴びて自宅へ帰る。 そうなると、このジムから愛媛マラソン10キロ地点まで約3キロだから、20キロ走るとすれば、17キロ地点の三浦工業あたりまで、22キロ走るとすれば北条北中あたりまで走ることができるわけだ。 自宅を拠点にすると、粟井川折り返しが限界の私にとっては、一気に世界が広がる。 これは、以前西条市あたりまでJR移動して、同ジムを拠点にして良いか?と問い合わせたところ、「他の方々に迷惑をかけないこと」を条件に認める(≒黙認)という回答をいただいた。 問題は、このジムのシャワーが1基しかないことで、そうなったら、空くまで、同ジムのマシンで筋トレ又はランニングマシンということになるのだろうが、果たしてそれだけの体力が残っているのか?という不安もないでもない。 (2024.11.10) |
これは、2015年12月10日の当ブログ。(一部補正) 現在は「eonst」サイトはリンク切れとなっているため、「http」を「ttp」に変更している。 利用画像 「ブラックジャックによろしく 佐藤秀峰 漫画onweb」(リンク:ttp://mangaonweb.com/) 出典:eoマラソン(ttp://eonet.jp/marathon/ ) これまた、ものすごく納得。 私自身も、誰かに話したくて、ブログにいっぱい書いている。 ●平成19年10月の最大体重86キロからの最大20キロの「鉄分ダイエット」の話。 ●平成21年4月、マラソンの師匠に出会って、まさかのフルマラソン参戦の話。 ●初マラソンはネットタイムサブ4だったのに、グロスタイムでサブ4ならず、ひたすら耐え続けた1年間。 ●第51回大会エントリー合戦の苦労話。 ●3時間40分まで記録を伸ばした時、まさかの「アスリートエントリー」設置。そして、サブ3.5までの道のり。 ●第53回大会ではラスト5キロでペースメーカーに置いて行かれ、さらにラスト200メートルで転倒しながらも、ぎりぎりサブ3.5。 ●第56回は最高気温1.8度の中、生涯自己ベスト。 ●心臓疾患で第57回大会は1キロ手前でDNF、第58回大会は心臓手術でドクターストップ。 ●例の疫病で、私のアスリート枠が延命されたものの最終的にはく奪。 ●今年の大会を体調不良でDNSした後、最終的にフルマラソン断念。 私だって、何時間でも話せるぞ。 (2024.11.03) |