新かずまる特攻隊が行く(25)

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第125話 一足早く、十六日桜で花見にGO!

2月20日(日)、前日まさかの一日雨のため、2週間連続日曜日のかずまる特攻隊となった。いつもと同じ、10時10分頃に出発して、10時30分頃郊外電車で古町駅へと出没する。ちょうど坊っちゃん列車1号機が到着して、我々一同、客車の回送中につき、ホームで待たされる。普段なにげなく見る客車の回送風景だが、踏み切りで待つと少々長く感じる。人間の感覚というものはかなりいいかげんであると思う。

  

乗務員は先週と同じである。乗客も古町出発時は先週と同じ顔ぶれの3人であった。ただ、今日は1号機であるので、我々は後客車へ座る。JR松山駅ではかなりの乗客が乗ってきた。しかみもみんな観光客である。そして、10人くらいの団体が乗車して、硬券の一日乗車券を買うので、乗務員3人が手分けして切符に必要事項を記載している。その団体客は結局前客車に座れなくなって、3人が後客車へと移動してきた。

14号機とは3週続けて、県庁前交差点ですれ違う。運転士は「元気君」だった。助手に「大将」、車掌は「S1車掌」、「S1車掌」を見るのは久しぶりである。最近になって、私の乗る曜日に偏りがあることもあり、見る運転士、車掌にも偏りがあるのであろう。

道後温泉も盛況である。今日も朝2便目が何席であった。坊っちゃん列車が運行開始して3年半になるが、結構なことである。が、ここである疑問が生じる。現在JR松山駅高架事業に関連して、市内電車の西環状線付近までの延伸計画がある。当然JR松山駅前電停はJRと直結して高架下へ移設しなければならない。が、JR松山駅前は城北線も乗り入れている。一体どのような線路配置になるのだろうか。そして、坊っちゃん列車の運行形態は?まあ、12年先の話ではあるが・・・

  

ここから先週同様11時20分の8番線に乗って、私の実母の入院している病院へ行く。先週火曜日に予備手術をしたが、今のところ順調で、本手術を早めるという考えもあるという。そして、我々は再び12時10分頃のバスで道後温泉へと戻る。が、ちょうど松山空港行きのバスであったので、そのまま公園前まで行く。そうすれば、かずまるの好きな道後温泉バス停奥のターンテーブルに乗れる。そして、再び市内電車で道後温泉まで戻ってきて、今度は12時19分発の東循環バスに乗る。

さて、この時間帯であるが、我々は道後姫塚から道後温泉までは松山空港行きのバスに乗ったが、次の8番線に乗れば、先週同様「抹茶羊羹バス」に乗れた。そして、ちょうど「抹茶羊羹LRT」もやってきた。が、まあ、今日はターンテーブルに乗れたことでよしとしよう。

我々はこれから、花見に出かける。「十六日桜」といって、旧暦の1月16日前後に咲く桜がある。今年は2月16日だというから、今日あたりが良いかもしれない。場所は以前「俳句の里めぐり」でわかっている。ロシア人墓地の近くである。東循環バスで護国神社まで行く。八坂交差点で先に次に乗る「マドンナバス」が先行するが、向こうは秋山兄弟生家へ回るから、ロープウェイ街はこちらが先に抜ける。護国神社で降りて、そこから一草庵前バス停まで走って、「マドンナバス」へと乗り換える。このバスは運行開始日に2回乗車した後以来、命名されてからははじめてである。乗客は1名だけで、ロシア人墓地へと向かう。護国神社からロシア人墓地へは歩くと結構な距離がある。「マドンナバス」はその意味で非常にありがたい。

  

が、当の「十六日桜」は全然咲いていない。案内板を見ると、どうも木を植え替えた関係で特異性が失われたと書いている。次に天徳寺裏へ行く。一度坂の下に降りたら疲れるので、墓地へ向かって一気に下っていく。すると、向こうにピンクの木が2本見える。おおっ、というわけで近寄っていくと、先の1本は梅だった。が、まさに寺に近い木は桜であった。冬に咲く桜である。こうしてみると、やはり日本人であるのか、「桜はいーなー」と親子ともども、しばし桜に見とれる。

が、やはり季節は冬、晴れているが風が冷たいので、再びロシア人墓地に帰って、次の「マドンナバス」に乗る。今度は3組の夫婦が乗車していた。後ろの老夫婦は観光客で、このバスを観光バス扱いにして松山を回っている。なかなかしゃれた考えだと思う。

我々は松山市駅まで行って、鉄道模型の本線最後の線路を買って、今度は15時00分発の高浜線で一路松山観光港へと向かう。別になんの脈絡もないし、情報もなかったのであるが、ここ2年続けて、この日曜日にLRTが松山に上陸したからではあるが、今日は少々甘かった。松山観光港はトラックのみが停車していた。また、来週行くことにしよう。

  

で、最後はいつものプランで、港山から三津の渡しに乗る。今日は少々波があった。よく考えれば、強風波浪注意報が出ていた。が、まあ、内港であるので、揺れるといってもたいしたことはない。そこから再び三津まで歩いて、電車に乗って、衣山まで戻って帰ったら3時半ちょっと前であった。まあ、今日のかずまる特攻隊は充実したほうであろう。(2005.02.20、撮影日同日)

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第124話 久しぶりに日曜日に坊っちゃん列車乗車!

2月13日(日)、3連休の初日、2日目と妻のバースデイ切符を利用して、四国一周をしてきた。すでにかずまる特攻隊の出撃は達成しているのではあるが、3連休最終日に坊っちゃん列車乗車となった。日曜日の乗車は久しぶりである。10時30分頃に古町駅へ出没する。すでに坊っちゃん列車14号機は11番留置線に留置されている。

  

乗務員は「坊っちゃん2世」「紅顔の秒年」「翼君」、翼君を坊っちゃん列車で見るのは久しぶりである。乗客は3名、駅へ来たときにはたくさんの親子連れがいたが、あるいは道後温泉からやってきた人たちだったのかもしれない。

JR松山駅前からの乗客はなし。伊予銀行本店前交差点で信号待ちをした後、県庁前交差点でも信号が赤になる。その向こうに1号機が姿を見せる。こちらの乗客は3名だが、向こうは立客がいる。運転士は「イチロー」彼は2年前のカレンダーでは14号機の助手席で映っているが、やはり、エースには1号機の運転士が似合う。

大街道電停ではホーム部分での工事が始まっていた。ここでも乗客はなし。しかし、道後温泉では3連休とあって、観光客でにぎわっていた。

  

今日は、実は実母が道後温泉病院に入院したこともあって、これから見舞いに行く。行くとちょうど父親がやってきた。が、今日は午後からかずまるの学習机がやってくる日でもある。来週は十六日桜が咲く頃であり、ロシア人墓地とともに行ってみる必要がある。また、一度は道後温泉から松山観光港行きのリムジンバスに乗って、そこから三津の渡しを通って帰ってもみたい。が、今日のところはこのまま帰らなければならない。

結局、病院を12時10分頃に出て、道後温泉までバスに乗って、そこから東循環バスで帰宅することになった。(2005.02.13、撮影日同日)

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第123話 イマイチ完全復活しないかずまる特攻隊!

2月5日(土)、今日の妻は日中仕事、夕方仕事上の歓送迎会、ということで、1日中出撃してもなんら問題はなかったのであるが、明日かずまるの幼稚園最後の発表会があることと、親子ともども体調がイマイチだったことから、通常のかずまる特攻隊となってしまった。それはともかく、午前10時30分に郊外電車で古町駅へと乗りつける。坊っちゃん列車14号機はすでに14番留置線に待機している。

  

乗務員は「元気君」「まろん君」「木田君」、14号機は乗客4名で古町駅を出発する。JR松山駅前でも乗車してくるが、今日のところはたいした数ではなく、乗客としては快適な状態での行軍となる。1号機とは県庁前交差点ですれ違う。「さすが元気君」というすれ違い方をしてくれた。

道後温泉到着寸前に西循環パスと併走する。今日は「俳句の道」を歩くので、このバスにはなんとしても乗りたい、ということで、道後温泉駅前で迎えてくれた街角案内人には挨拶だけして、1分でバスに乗り込む。道後北代バス停で下車して、そこからとろとろと南町電停へと歩く。

  

南町電停に着く直前に、さきほどの14号機が通り過ぎて行き、交差点に出たところで、1号機が信号待ちで停車する。乗務員は「頑張れ運転手」「大将」「ゲンちゃん」であった。が、我々はその向こうに停車している市内電車に急ぎ飛び乗る。

ともかく、今日は午後2時のアンパンマン列車タイム時にJR松山駅へいなければならない以外はすることがない。郊外電車でどこかへ行こうかとも思ったりしたが、かずまるが大街道で降りるというので、そのとおりにして、私も腹が減ったので、かずまるの行こうとするファーストフードで昼食をとったら、もう12時半になっていた。このまま松山市駅までとろとろ歩いて、高島屋7階で時間をつぶしたら、そのままアンパンマン列車タイムになりそうだ。

  

実際、そのとおりになって、松山市駅からJR松山駅までは今日2度目の西循環バスに乗って、アンパンマン列車タイムとなる。何をするのかというと、来週決行する四国一周「アンパンマンスタンプラリー」で予讃線アンパンマン列車のスタンプと松山駅のスタンプを押しておこうというものである。

松山駅に到着した22Dの1号車は一般塗装車だったので、どきっとしたが、スタンプは置いてあった。この場合通勤定期を持っていると、車内に立ち入れるので楽である。もっとも、松山駅に到着した9Dに乗ることについてはどうかとは思うが・・・まあ、「間違えました」と言う手があるだろう。9Dも4号車が一般塗装車で、一体どこがアンパンマン列車なの?という写真が撮れたが、その後8号車がメロンパンナ号ということがわかって、1番ホームの22Dまで行ってみたら、24番乗車口は誰もいない。このまま今治まで行きたい。特にかずまるが乗車できるのはあと2ヶ月、と思ったが、明日のことを考えると、乗車はできず、そのままバスで帰宅することとなったのであった。(2005.02.06、撮影は全て2005.02.05)

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第122話 3週間ぶりに出撃したかずまる特攻隊!

1月29日(土)、実に3週間ぶりの出撃となった。今日は萱町6電停まで歩く。萱町6電停は道路の北側は旧道後鉄道の終点、南側は三津へ向かう旧三津口であるということで、ここから、現在の高浜線方面へ急カーブで曲がっていたのであるが、その跡は全くない。そのうち城北2番線がやってきて、そのまま古町駅へと向かう。

  

古町駅ではすでに坊っちゃん列車が到着している。古町駅の工事現場もいよいよ佳境を迎えようとしている。地下通路が封鎖されている。坊っちゃん列車1号機の乗務員は「イチロー」「まろん君」「T車掌」であった。土曜日の「イチロー」は久しぶりであるが、「T車掌」に「今日は久しぶりに道後温泉まで」と言う。実に6週間ぶりの古町から道後温泉までの行程である。乗客は、前客車後客車ともに2名、JR松山駅前で前客車に数名乗り込む。14号機とは伊予銀行本店前交差点ですれ違う。結局、終点まで後客車は我々だけであった。

  

道後温泉では、観光客が次々とやってくる。夕方になると観光バスがずらっと並ぶが、今日は空港リムジンバスから下車する観光客が多い。次の道後温泉発の坊っちゃん列車も立客が出た。

さて、今日の我々は「道後ぎやまんの庭」サイトにある観光案内に沿って、道後温泉本館と道後鷺谷墓地を見てから、再び「道後ぎやまんの庭」へと向かう。かずまるはここを「きれいな庭」と称して庭園に居座る。今日は大変暖かいため、ついでに私も本を読む。

  

今日は妻が仕事から帰ったら、妻子でスケートに出かけることになっている。伊予鉄スポーツセンターなのであるが、親子ともども伊予鉄道のお客さんと化している。12時40分頃に道後温泉駅へと戻って、今度は市内電車でJR松山駅へと向かう。ここで、再来週予定の妻のバースデイ切符での四国一周旅行の切符を買って、西循環バスで帰ったのであった。これで、2週間後の旅行が確定したのであった。(2005.01.30、撮影は全て2005.01.29)

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第121話 史上初、かずまる特攻隊2週連続出撃できず!

1月22日(土)、前夜からかずまるの体調が悪くなった。まあ、前週連続出撃記録が途切れているということもあり、まあ、私自身は職場本社へ書類を届ける必要があって、またまた単独出撃となった。午前中はかずまるの通院もあって、午後の古町発の坊っちゃん列車に乗車し、大街道で用事を済ませて帰ろうと思う。が、病院から帰ってきてからかずまるの熱が逆に高くなった。医師は普通の風邪だと言っていたが、インフルエンザではないか?と思いながらも、午後2時に家を出る。まずめざすは、妻から頼まれた松山市立図書館への本の返却である。

  

伊予鉄衣山駅14時12分発の電車で大手町まで行って、そこから松山市総合コミュニティセンターにある図書館へと急ぐ。再び大手町まで戻ってきたが、時間があったので、郊外電車ではなく、市内電車で向かうことにする。これならば「1dayチケット」が使える。が、そこの近くにあるG小児科へ言ってみると、なんとG小児科は午後5時まで診察をしているではないか。午前中というより、正午を過ぎていたので、近くの小児科へ連れていった後に熱が上がったのである。あわてて、家へ電話する。

城北1番線で古町まで行くと、電話が入る。G小児科は予約制で、3時20分に来るよう言われたという。私も用事を済ませたら、行くことにする。

坊っちゃん列車1号機は14時47分頃にやってくる。乗務員は「がんばれ運転手」「元気君」「木田君」であった。今日は珍しく、前客車に乗る。

  

JR松山駅前でどどっと乗ってくる。親子連れが多い。前客車は11人、後客車も10人近くになった。立客定員もあるが、観光列車としては、前後客車ともあと2、3人くらいが満席だと思っている。

県庁前交差点へやってくると、ちょうど14号機がやってくる。久しぶりの絶好のすれ違いである。私が乗車していて、「元気君」も思わずニヤリとしたに違いない。

私は今日も大街道で下車し、先日オープンした秋山兄弟生誕の地を見て、職場へ行って、そして、大手町にあるかずまる通院中の病院へ行った。かずまるはぐったりとしていたが、最終の坊っちゃん列車が通るときは、むくっと起きた。まだ、それだけの体力はあったようだ。(2005.01.23、撮影は全て2005.01.22)

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