私の通常の体重はだいたい68.0〜68.8キロなのだが、ラン再開をした8月の人間ドックの頃は、体重が66キロ台まで落ちていた。 だから、特に今シーズンは「減量」を全く考えていなかったのだが、最近になって、68キロ台に戻ってきたのだ。 これは、2つの理由が考えられる。 術後は、医師の忠告もあり、確かに今年の夏の飲酒量は下がっていたわけで、それで夏場の体重が落ちていて、若干飲酒量が多くなったのかな?(それでも例年 よりは落としている) そして、もうひとつの理由は、筋肉かな?と考え始めた。 術後は筋力低下が著しく、例を挙げると「チェストプレス」は、(元々私の上腕はひ弱で)20キロ程度だったのが、10キロがせいぜいという状態までダウン していた。 それが、一度(背中痛もあって同ジムで)ストレッチをしていただいた方の話で「高負荷で数を減らす、そして負荷をかけるときは速く元に戻すときはゆっくり と」という話があって、現在は25キロでトレーニングをしている。 実は、現在の仕事はほとんどスーツを必要としないので、必要とするときに上下ともに職場のロッカーに入れており、(5月〜10月は御前会議でも不要)毎年 10月にクリーニングをしているほどで、なんと平成21年3月に購入以来、新調していない。(つまり常時我が家には(私の体調に見合った)スーツがな い。) それが、昨年11月に半年ぶりに着たら、ちょっと肩のあたりがきつくなっており、逆に今年11月に試着したら、緩くなっていたから、ひょっとすると、体重 増加は「筋肉増加」かな?という気がしないでもない。 多分、「クスノキさん」は苦笑いされるほど私の上腕は貧弱なのだが、今後のマラソンの腕振り問題もあるから、徐々に鍛えていこうと思う。 (2020.11.30) |
3週間前に3度目となる24時間ホルターを装着し、それが来週月曜日に示される。 一方で、気温が低くなってきたこともあるのかもしれないが、不安がないでもない。 ただ、走行中に、脈飛びを感じても、それ以外の異状を感じたことがないのが唯一の救いではある。 今シーズンは、大会がないから、マイペースで練習できるというメリットはあるが、やはり不安ではある。 まあ、考えても仕方ないから、待つしかないわけではあるのだが・・・ (2020.11.23) |
今シーズンは全ての大会が中止になったことから、ただ自分だけの目標で練習をしている。 今年度仕事で挨拶まわりに出かけた先に先輩諸氏がおられることがあるのだが、そこでおっしゃられたこと「今、何を目標に走ってる?」ということ。 まあ、私の場合は、「キロ5分で走り続けるまでに復活すること」という明確な目標があるわけだ。 実際のところ、その目標まで「ゆっくりと目標に向けて(まさに)走ることができる」ということもある。 あせる必要は全くないのだが、「緊張の糸が切れないように」走り続けたいものである。 (2020.11.15) |
そもそも、平成19年の誕生日には体重が86キロあったし、平成5年には膝関節症で手術する・しないで結局入院したものの前日夜に回避したくらいで、マラ ソンなぞ、考えたこともなかったものだ。 それが、平成20年夏には20キロ近くの減量をしたことで体が軽くなり、かずまるが土曜日に塾へ出かけるようになって、その間松山から伊予市まで特急に乗 り、復路約15キロ走っていたものだ。 いわゆる「お父さんの時代は土曜日に授業があった。お前もせめて土曜日は塾で勉強しろ。その間お父さんも走って苦しむから」という伝説の言葉がある。 もっとも、そのうち、かずまるからは「お父さんは走りたいから走ってるだけでしょ」と言われることになるのだが・・・ そして平成21年4月の「マラソンの師匠との出会い」。 当時、第48回愛媛マラソンは定員5000人に対し、エントリ締切直前に3600人程度ということで、師匠から「熱烈なる?」勧誘を受けた。 そして、これまた(私にとって)伝説の会話。エントリー締切4日前の木曜日。私「では、明日金曜日に休暇取得して35キロ走ってから決めたいのですが、よ ろしいでしょうか」、師匠(直属の上司)「休暇を承認する。よい返事を待っている」 「お前はできると〜、耳元で言った〜、そんな上司にだ〜まされ〜、愛媛マラソンへ」 その後、某サリーさんから「愛媛マラソン・マニア」と言われるようになるのは周知のとおり。 さて、その初マラソンなのだが、これが私の運命を決める。 それは、ネットタイム3時間59分に対し、グロスタイム4時間02分だったこと。 要するに、個人的には「ああ、初マラソンで4時間を切れた」と思っていたわけだが、周囲からは「惜しい!もう少しでサブ4だったのに」。 これが全てですな。 これで「完全に火がついた」わけだ。 翌年第49回大会でグロスタイム3時間55分で走るまでは、本当に苦しかったなあ、と思う。 実は、初マラソンで左膝痛再発し、ハーフの距離で初マラソン後半の記録で走れたのが、9月の秋分の日だったこともある。(ちなみに、初マラソンはグロスタ イムで、後半の方が15分速かった。) さらに、無事サブ4達成した後、今度は別の「壁」にぶち当たる。 それは、愛媛マラソンが市民化する前の第47回大会。 この時の制限時間は4時間だったのだが、その35キロ関門は3時間07分であり、第49回大会の私の35キロ通過タイムが3時間14分。 というわけで、第50回大会の目標は、ゴールタイムではなく、35キロを3時間07分を切ることに絞る。 結果は、35キロ3時間02分、ゴールのグロスタイム3時間40分。 さらに、これまた、ネットタイム3時間39分の記録が、グロスタイムで消されるということに・・・ だが、そんなことは問題ではなく、第51回大会からは、いわゆる「アスリート枠」が設けられる。 このため、3月末頃からは、既にキロ5分の練習を開始し、一方で、クリック合戦では「エントリー締切17分前に滑り込む」という幸運に恵まれ、無事3時間 29分20秒位でのゴール。 歓喜のゴールだったのだが、そこから4年間は、実は「楽しいはずのマラソンがストレスの元となる」日々が始まる。 というのも、第52回3時間28分50秒位、第53回3時間29分50秒台、第54回大会3時間29分10秒位という、いつ走っても真後ろに、3時間30 分の壁が迫っているわけだ。 第50回までの私のお家芸だったネガティブスプリットも、第51回大会以降は「ラスト5キロの悶絶」で、妻からは「そろそろ、そのスーパーの安売りのよう な記録から脱却すれば?」と言われる始末。 特に、第53回大会は3時間30分のペースメーカーに置いて行かれ、さらに42キロを過ぎた西堀端で転倒するというトラブルも・・・ そして、第55回大会をインフルエンザDNSの翌年第56回大会の目標は、ずばり「3時間30分で映されるテレビに映らないこと」。 結果は、無事低温の中での3時間26分の自己記録。 で、フルマラソンは、これが最後で、以後心房細動により、第57回大会DNF、第58回大会DNS、そして、第59回大会は、大会そのものが延期。 一方の私といえば、「40キロ走れる体力がない」「15キロ程度ならばキロ5分では走れるが、それより高負荷で走ることに不安がある」ことも事実で、ま あ、当面大会がないことを幸いに、いわゆる「リハビリラン」が続いているわけだ。 (2020.11.08) |
下図は、第50回愛媛マラソンの録画画面である。 が、この画像は、翌51回大会の3時間頃のCMで流されていた。 まあ、満面の笑みでのゴールは「絵になった」のでしょうな。 第51回大会以降、5回サブ3.5、2回DNS、1回DNF。(ここ4年間で1回しかゴールしていないし、今シーズンは大会そのものがない。) 実は、37キロ以降ペースが上がったのは、この第50回大会が最後であり、以後は悶絶のラストが待っている。 第一、40キロ以降の記録に至っては、4時間02分だった第48回大会の初マラソンが最も速いし・・・ ということで、今後の目標は「第50回大会のゴールを思い出せ!」である。 今シーズンは、とりあえずフルマラソン3時間40分ペース(キロ5分12秒)を軸に、LT値をキロ5分00秒まで上げることを目標にする。 そして、幻の第59回大会当日(あるいは前日)は、そのペースで42キロを走ってみたいものである。 さらに、その向こうの目標として、第51回大会に向けてそうだったように、来年3月以降キロ5分を切るペースでの練習再開。 これを目標にしよう! 体調が復調できれば、前倒しということも(幻の第59回大会当日走の目標値上げも)あるかもしれないが、まあ、ここは無理はしないことも「自分への課題」 と思うことにしよう。 (2020.11.01) |