2004秋バースデイ切符旅行記

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第2章 10月24日宇和島往復編

(以下の撮影日は特に説明がなければ旅行日)

バースデイ切符第2日目の10月24日(日)、当初の予定では、かずまるとどこかへ行く予定であった。が、当日は近所の子供たちと「芋掘り」に出かけることになった。妻曰く「日、月の1泊2日でどこかへ行ってきてもいいよ」と言ってくれたが、私としては、むしろ一日中乗っていたほうがよい。そこで、昨日高松方面に行ったから、宇和島方面へ行こうと思う。ただ、宇和島まで往復しても3時間程度、少々時間が短い。それならば、9D又は22Dを利用して、一度壬生川あたりまで往復してくるのもよい、と思っていた。

しかし、意外なところに盲点があった。それは、13M、14Mの運休である。一度松山から壬生川へ行こうとすると、14Mが運休している。ならば、先に宇和島へ行って、22Dで壬生川折り返しをしようと思うと、13Mが運休している。仕方なく、今日は素直に1057D〜22Dで宇和島往復してくることにした。

  

(左:松山駅のR8000系含む16M、右:松山駅で同時進入する1058Dと回1057D)

私は平成4年4月から4年間宇和島に住んでいたが、松山、正式には伊予市以南は久しぶりである。伊予大洲までは平成12年以来、八幡浜までは平成10年以来、それ以南は実に平成8年以来の乗車となる。久しぶりだと感じるが、最近は坊っちゃん列車の方にはまっていることを感じさせられる。かつて、故宮脇俊三氏は「時刻表2万キロ」の中で「私は国鉄の運賃を高いとは思っていないが・・・」とおっしゃられたが、松山から高松まで「指定席トク割切符」で往復7400円、宇和島まで「Sきっぷ」で5100円である。私の小遣いからすれば安い金額ではない。しかし、バースデイ切符を利用すれば、すでに昨日、今日でグリーン車に乗らなかったとしても元は取れる計算になる。それでいて、グリーン車に乗ったら落ち着かないのでは、私はよっぽど小心者にできているのかもしれない。まあ、この機会にJRを乗り倒すのも良いかもしれない。

宇和島行き特急宇和海7号は松山駅1番ホーム左手から出発する。この時間帯、岡山、高松方面8000系特急も停車しており、かなりごった返す。加えて、宇和島方面のホームは待つ人の数を考えると、あまりにも狭い。宇和島から到着する列車がここへはいって、下車客と乗客が混じると、相当混雑する。まあ、松山駅は改装計画があるから、しばらくは仕方がない。

  

(左:高速道を走る松山から宇和島行きのバス、右:伊予大洲駅でのキハ54)

11時18分、宇和海7号としおかぜ16号が同時に出発する。宇和海7号は伊予市まで快調に走って、向井原から通称内山新線へとはいる。昭和60年代に開通しただけあって、犬寄トンネルをはじめとして、トンネルだらけの線路である。体調が悪いのか、耳つんが激しい。内山新線開通当時、私は八幡浜に住んでいた。松山〜八幡浜間は当時の特急で1時間10分弱であった。それが、内山新線が開通して1時間を切って、最速59分となった。私はそれにしては少々遅いと言う気がしていたが、2000系が投入され、現在は45分で走破する。最終便も当時20時49分だったのが、23時20分まで繰り下げられた。よい時代になったと思う。

ただ、その予讃線も将来はあまり明るいともいえない。大洲に入ったところで、宇和島へ向かうバスを追い越していった。この松山〜宇和島間のバスは私が宇和島にいた頃は2時間半程度かかっていた。値段は片道1750円で往復割引もある。時間的には確かに勝負にならない。が、高速道路も宇和まで開通して、現在5往復が松山〜宇和間、8往復が松山〜大洲間で高速道を経由している。現在の所要時間は2時間ちょうど。将来宇和島まで開通したときには、運賃を考えると、時間的にもJR有利とはいえなくなる。現在松山〜宇和島間のJRS切符は5100円、ここ10年で300円値上げされている。

特に、高速道開通以前でも、宇和島市の高光駅付近で一度特急に抜かれると、再び同じ特急に内子付近で抜かれていた。伊予大洲〜八幡浜〜卯之町の迂回ルートがそのうちネックとなる日がくると考えられる。

伊予大洲を過ぎると、予讃線の線路はにわかに、ローカル色を増してくる。伊予平野や千丈などは、松山以東では考えられないような線路配置になっている。これではスピードは出せない。

  

(左:下宇和駅でのキハ54、右:下宇和〜立間間法華津峠から見る風景)

12時02分八幡浜を出発する。ここから宇和島までは、いわゆる戦時中の突貫工事で開通した区間である。北宇和島から北側へ伸びて来た線路が卯之町まで開通したのが昭和16年7月2日、八幡浜までつながったのが昭和20年6月20日である。今でも八幡浜から伊予岩城までの急勾配で立ち往生する列車は多い。この区間はキハ54が多いというのも納得できる。

八幡浜を出た予讃線は伊予岩城までの笠置峠越えで、愛媛第一の大河肱川の最上流へ出る。そして、下宇和から立間までの法華峠で再び吉田町の海岸沿いに降りる。その間にある法華峠からの景色はみかん畑が一面に広がる。ただ、JRからの風景も良いが、国道56号からJR越しに眺める風景は最高である。特に、旧国道56号の法華峠からの風景は、よく雑誌に紹介されている。

宇和島へは12時32分到着。ホームで牛鬼が出迎えてくれる。ここ宇和島の夏祭りである和霊大祭、東予地方の秋祭りである西条だんじり、新居浜太鼓祭りが愛媛の三大大祭といってよいだろう。

  

(左:宇和島駅に到着、右:宇和島駅1番ホームにある「牛鬼」)

さて、宇和島駅へJRで来たのは平成8年3月以来であるが、様子がかなり変わっている。駅舎が建て替えられて、ホテルになっていることや、駅前の道路がそのまま広見方面への国道320号になっていること、さらにバス停が変更されていることは知っていたが、なにより、以前はあったはずの1、2番ホームの機回り線が撤去されていた。まあ、現在の運用状況からすれば必要のないものであったが、代わりに3番ホームから外側の留置線へ機回り線を増設していた。このあたり、いかにも模型にありそうな感じである。ただ、もうひとついえば、せっかく駅ビルを作ったのだから、ホームも改装すればよかったのに・・・とも思える。

宇和島に着いたのではあるが、元々がただ列車に乗りまわるだけだから、15分で折り返しの22Dに乗る。帰りは松山までぐっすり眠れた。

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第3章 10月25日西四国一周編

(以下の撮影日は上2枚が2004.10.24、下8枚は2004.10.25)

バースデイ切符第最終日の10月25日(月)、この日は仕事を休んで西四国一周する予定である。現在JR四国と土佐くろしお鉄道で循環できるのは、予讃線〜土讃線〜予土線と予讃線〜高徳線〜徳島線〜土讃線の2コースがある。今回は前者を走破しようと思う。

第1ランナーは松山発8M、いつもの通勤特急である。が、今日も新居浜からの団体が乗車するとあって、自由席が2〜4号車と禁煙車両が減車されている。途中でトイレに向かうと、職場の同僚が7号車と8号車の間のデッキに立っている。期間中、全く座れなかったという人もかなりいた。私は通常出発35分前の6時44分にはホームに立っている。こういうときこそ「時は金なり」というのかもしれない。

松山を出たときのグリーン車の乗客は2名だったが、今治から女性が一人乗ってきた。学生かと思えるようだが、手馴れたようにいわゆる網棚にある毛布をとって、それに包まって寝てしまった。当サイトに来られる方で松山から善通寺の大学へ通っておられる人がいるが、あるいは通学だろうか。それにしても世界の違う人のようだ。ここで1003Mとすれ違うのだが、1003Mは今日はかなり遅れているらしく、今日は伊予桜井で退避する。

医王山トンネルで今治から東予市へ入る。松山〜今治間はトンネルが多いが、短いものばかりである。その中でもこのトンネルは高松〜松山間では関川〜多喜浜間の北山トンネルと並び長い部類に入る。トンネル内は水が流星群のようにフロントガラスをたたきつけた。

  

(左:宇和島駅構内、右:宇和島駅舎、この2枚だけは2004.10.24撮影)

車窓そのものは一昨日全く変わらないのであるが、伊予桜井はほぼ定刻に通過したのに、伊予西条発では3分ほど遅れているようである。そして、問題の新居浜で高校生の修学旅行団体がどどっと乗り込んできた。しかも、5〜7号車に乗ってくる。これでこの1週間、7号車喫煙車がずっと満席である理由が解った。まさか、喫煙車だからといって高校生にタバコを吸わせることはないだろう。実際には、R8000系の喫煙ルームで高校生がタバコを吸っていたという話を聞いたことはあるが。

8Mは約5分遅れで多度津に到着する。今治から乗車した女性はまだ乗っている。岡山の大学にでも通っているのだろうか。私は宇多津までの指定席券を持っているが、ここで下車して多度津駅の様子を見ることにする。

8Mは3番ホームに到着し、4番ホームには185系2連が停車している。ということは、ここで8Mに抜かれる観音寺発岡山行き1530Mはどこにいるのだろうか。今日のところは災害による運休ということはあっても、盆や正月などの多客期にどうしているのか疑問である。

それはともかく、私は多度津発高松行き1008列車に、発車間際になって飛び乗り、丸亀まで行った。丸亀駅は現在改装中である。この駅は確か10年位前に高架駅になったはずであるが、はやくも改装中である。そういえば、この駅もまた、今治駅と同様高架駅に関するバリアフリーが全くなっていないつくりである。そのための改装工事なのであろうか。

  

(左右とも:予土線沿線の四万十川)

丸亀からは特急南風3号で一気に窪川へ向かう。箸蔵から眺める吉野川や大歩危小歩危の景勝あり、四万十川に関しては一時四国で一番の知名度を誇り、観光路線としては素質があるのであるが、どうも乗車率のほうは芳しくないという。中距離は高速バスに、長距離は航空機に苦戦しているというが、それよりも高知県は完全に自家用車至上主義の地域であると思う。JR特急は香川県から高知までは1時間ヘッドで走っているが、編成が短い。

また、大歩危などの景勝地にしても、鉄道はトンネルに入ってしまうことが多い。これが鉄道の最大のデメリットとなる。鉄道の場合、特に景勝地と崩落などの危険性は完全に比例している。山間部の急斜面や海岸沿いなども同様であると思う。が、ともかく、何気なくこのような景色をながめながらトロンとしてくるのは最高の気分である。よくこんなところに線路が引けたものだと思う。

高知駅では8分停車するので、高知駅名物という「かつおのたたき弁当」を買ってみた。かつおのたたきが数切れあるほかは、ご飯と漬物程度しかない。よほど自慢の弁当なのであろうが、確かに美味だった。が、私の食べる弁当としては少々量的に物足りなかったような気もする。

高知駅は2年前に比べて、高架工事が本格化していた。西側には高架橋の橋桁が並んでおり、高知駅も以前の留置線はすべて取り払われて工事中となっている。私は今治駅の工事の状況を知っているが、いずれは改札口あたりまで工事が始まるのであろう。列車は高架橋の橋桁を避けるようにさらに西へと進んでいく。

  

(左:予土線から見た四万十川の壊れた沈下橋、右:予土線松丸駅)

土讃線は伊野駅を過ぎると、予讃線でいう八幡浜以南のような線路となる。2000系振り子特急も力を持て余し気味になる。さらに、須崎を過ぎると、スプリングポイントの駅さえもが現れる。JRの駅にそのようなポイントがあるとは思わなかった。須崎を過ぎ、有名な撮影現場を過ぎて山に入る。この後、四万十川の最上流へと登っていく。いよいよかと思ったが、土讃線はまた一度海辺の駅土佐久礼へと停車する。どれだけ乗客がいるのかと思うが、全列車が停車する。

もし、土讃線高知以西でJR復権を考えるならば、やはり山陰本線と同様のプロジェクトを考えなければならないだろう。駅構内の線路配置の見直しをするだけでもかなりの時間短縮になると思う。あるいは、187系のように2両編成で高知〜窪川間で特急停車駅を増やして、その代わり一部普通列車を特急に格上げする。要するに、通勤、通学時間帯はともかく、日中は人の乗ってきそうな駅を再考して停車駅を増やし、普通列車を一部特急に格上げして速達化を図るというのはどうだろうか。できれば山陰本線のように快速ならなおいいが、JR四国では体力的に無理かもしれない。「Sきっぷ」などで優遇するのが精一杯ではないか?などと考えていたが、予讃線の伊予大洲〜宇和島間も将来的には考え直すべき日がくるだろう。

窪川着12時47分。ここから予土線で宇和島へと向かう。出発は13時22分だから30分少々時間がある。すでにキハ32はホームに到着しているが、今日は2両つないでいて、車掌が乗車している。どこかで団体客があるのか、すでに運んで回送しているのか。ただ、同区間は約2時間であるが、いずれにしてもトイレがない。しかも、この列車は川奥信号場で4840Dを退避するほかは、全く行き違いをしない。途中でトイレに行きたくなったらどうするのだろうか。

さて、先ほど私が乗車した特急南風は窪川で普通列車退避のため10分停車する。この間になんと車内販売の女性が乗り込んだ。JR四国の列車では車内販売が全滅した今、ここだけが車内販売をしているのである。ひょっとすると、車掌も兼ねているのか、とも思ったが、実際のところはどうなのだろうか。

  

(左右とも:宇和島駅前のモニュメント、左がかつて宇和島線で活躍した機関車、右が闘牛)

それはともかく、予土線の列車は定刻に出発する。もし1両ならかなりの乗車率である程度に乗客がいる。列車は若井駅を過ぎて、川奥信号場で停車し、宇和島からやってくる列車を退避する。左側眼下には土佐くろしお鉄道の線路が見える。この川奥信号場で予土線と土佐くろしお鉄道が分岐する。土佐くろしお鉄道はここから右側に大きくカーブし、ループを描いて、左手眼下に見える線路へとつながっている。雨が降り始めたようだ。

しばらく走ると、右側に四万十川が見え始める。向こうの道路を観光バスが走っているが、列車のほうが速い。道路は川に忠実に曲がっているが、予土線はこの区間は川を無視してまっすぐに貫いている。しかし、予土線が国鉄廃止問題のときに生き残ったのは、並行する道路の整備問題があったからである。JRになった現在、並行する道路の整備が完了したとき、すぐに廃止ということはないだろうが、どうなるのだろうか。そうこうしているうちに、列車は空席が目立つようになってきた。前車両の乗客は一度沿線の高校生が数名乗り込んだが、彼らが降りてしまうと4名ほどになってしまった。

江川崎には14時16分に到着する。ここからは旧宇和島線の線路となる。軽便鉄道かと間違うような速度に落ちる。かつて、四万十川のトロッコに乗車しようとしたとき、宇和島で列車に20分ほど遅れても、江川崎には間に合うと計算したことがあるが、実際そのとおりである。宇和島〜近永間は列車で30分以上かかるが、車ならば15分少々で行くことができる。

  

(左右とも:宇和島駅構内、かつてあった機回り線が取り払われている)

14時37分松丸到着。かつて最長片道切符の旅で「関口さん」は、今私が乗っている列車に乗車し、ここで下車し、足湯につかっていって、次の列車に乗っていった。今日は駅のホームからはみ出さんばかりの幼稚園児が待っていた。今日列車が2両だった理由がここにあった。幼稚園児とその保護者がどっと乗り込む。列車は2両でも通路を歩く場所がないほどの超満員となった。そして、今までの静寂が一気に喧騒へと変わった。まあ、それも良いだろう。

列車は10年位前に、仕事で走り回った風景の中をゆっくりと走る。このどこかで、2年前に「Yoshikenさん」が181系気動車を追いかけたのであろう。現在の国道56号の法華津峠の遥か上にある旧道から181系を見せたかったが、かずまるの行事で同行することができなかったな、と思いながら、列車は務田を過ぎて下り勾配へと入る。予土線は窪川から四万十川沿いに下って、江川崎から今度は川沿いに上って、そしてこの務田から一気に海沿いの街宇和島へと下る。15時21分宇和島着。今回のたびも終焉を迎えた。

宇和島の駅前には、かつて宇和島線で活躍した機関車と宇和島の名物闘牛が飾られている。それを見ながら、15時48分発の特急宇和海18号の客となる。今日も帰りは松山まで完全に寝ていた。

松山到着は17時10分。目的地へ行って、そのまま帰ってくる場合と違い、出発方向と到着方向が全く逆の場合、なんだかいつもと自分の感覚が違う。それこそ、「終わったね」という気がこみ上げてくるのを抑えられなかった。だから、旅がやめられないとも感じられた。

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