2004秋の謝恩きっぷ

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第1章 11月6日東四国一周編

旅のプロローグ

「JR四国秋の謝恩きっぷ」とは、11月29日までの2日間、JR四国の特急グリーン車に乗り放題という切符である。私のように金額を気にせずに鉄道を乗り回したいという者にとっては、これほどありがたいものはない。が、2週間前にもバースデイ切符で四国一周をしたところである。あまり度々出かけると、妻から「かずまるに放浪癖をつけるな」といわれるし、確かにそのとおりではある。しかし、かずまるは来年4月から小学生になる。つまり、「未就学児は同行者がいる限り(JRの場合)1人につき2人まで無料」という恩恵を受けるのはあと5ヶ月に迫っている。その後は明らかに旅行回数が減る。まして、今までのように、アンパンマン列車に乗って今治まで往復などできなくなってしまう。ならば、今のうちにできる限りかずまると旅行をしておきたいと思う。

結局、2週間前にバースデイ切符で、かずまると高松へ出かけて2週間後、再び「JR四国秋の謝恩きっぷ」で強行することになった。今回のプランは、

11月6日(土)松山(6M)児島(3131M)高松(65D)徳島(15D)阿波池田(44D)宇多津(13M)松山
11月7日(日)
松山(M)宇多津(33D)窪川(4843D)宇和島(5068D)松山

2日目は2週間前と全く同じ行程であるが、今回はかずまるを全行程同行させ、2日かけて四国一周をする予定である。一体かずまるがどのような反応を示すのか、というより、目的地もなく、ただ、ひたすら前をめざすという旅に関して大変興味がある。

松山〜児島間6M特急しおかぜ6号

(以下の写真は特に説明がなければ旅行日)

11月6日(土)午前5時50分出発。2週間前と同じ時間の出発ではあるが、晩秋の夜明けは2週間でかなり遅くなったように感じる。あのときと同じように途中のコンビニで食糧を買い込んで松山駅へ到着する。今日は少々到着が遅れたようで、一番先頭の8号車まで行ったときには511Dが到着しようとしていた。今日は定時に運行されているようだ。

さて、今回は前回と違って色々とすることがある。まずはアンパンマンスタンプラリーをする。これはアンパンマン列車2列車とスタンプのある駅2箇所のスタンプを押して応募すれば、毎月100名に景品が当たるというものである。アンパンマン列車4列車とスタンプのある駅9箇所のスタンプを押して応募すれば、さらに良い景品が当たるようになっている。が、明日土讃線のアンパンマン列車に1種類しか乗れない以上、後者は無理である。せめて、駅のスタンプを押して回ることにしよう。しかし、なぜ今治駅はないのだろうか。それから、今回は国土地理院の2万5千分の1の地図を持参している。同院のサイトからダウンロードしたもので、著作権上問題はあるが、あくまで個人が使用するものであれば問題はあるまい。

  

(左:西条市大明神川の下をくぐる、右:高瀬駅から見える爺神山)

というわけで、今日の6Mは定刻で一路児島をめざす。今回は全切符A席なので、少々問題はあるが私がB席に座って、色々とかずまるに景色の説明ができる。しかも、6Mは1A、つまり最前列席である。今月から西条市になった大明神川トンネルでは、川の下を列車が走っているということをかずまる説明したりする。が、いくら説明しても川の下に線路が走っているということを理解してくれない。一度現地へ行く必要があるようだ。特に、このあたりは自家用車で松山から国道11号桜三里経由で乗りつけた場合の新しい写真撮影地として目をつけている。車窓や地図からざっと見た限りでは、午前中の玉之江駅、午前中の中山川鉄橋南側からあたりが注目される。

予讃線は学生時代に結構乗車したこともあり、関川までの車窓は飽きてきた。そこから伊予三島までの間はなんとなくとりとめがなく、さっぱり解らない。やはり、私の興味は香川県に入っててからである。というのも、香川県は小さくてJR沿線に山が少ないという印象があるのだが、地図で見る限り結構線路が曲がっていることに気づく。

まず、観音寺の手前で大きく右へカーブする。観音寺市が国道11号からかなり離れているからだが、人口でいえば今治市が12万人弱に対して、観音寺市は半分以下の4万5千人だが、乗客数でいえば今治とそう大差ないことも納得できる。ホームもいつの間にか4本になっている。その後は勝田池と爺神山の間を縫うように高瀬を過ぎ、みのを過ぎると左カーブをとって、汐木山を見ながら詫間に着く。多度津からまっすぐ観音寺に向かうならば、海岸寺や詫間を経由せず、善通寺市吉原町の大池を通ればかなり距離が短くなる。詫間には現在でも化学工場や造船所が見られるが、迂回するだけの賑わいがあったのだろう。20年前のデータではあるが、詫間や高瀬の乗降者数は川之江、伊予三島、伊予西条駅よりも遥かに多い。どうしてもJR四国が香川県偏重主義となっているのも仕方ないことかもしれない。

この爺神山と汐木山はともに、砕石場があり、大きく削り取られているのを学生時代特に印象的だった。爺神山にはセメント工場があるから石灰岩が採れるのだろうが、奇妙なことに、この二つの山とも山麓に神社があるのが印象的である。

  

(左:津島ノ宮、右:宇多津駅から望む瀬戸大橋)

詫間を過ぎると久しぶりに瀬戸内海が姿を現す。津島ノ宮が見えてくる。実際、鉄道が海岸沿いを走ることは少ない。私は通常松山から今治まで通勤しているから、海をよく見るが、そのほかではほとんど見ることができない。これは、我々が車窓を楽しむような時代ではない頃、物資輸送、つまりは軍事を目的としたものと考えて間違いなかろう。艦砲射撃を考えて浜名湖の北側に二俣線(現天竜浜名湖鉄道)を敷いたことからも解るとおり、鉄道を敷設した当初の目的を考えるとやむをえないのかもしれない。だから、日本のように鉄道電化を所かまわずする国は実際平和なことかもしれない。戦争をして、架線を狙い撃ちされたら終わりである。25年位前、日本で蒸気機関車が消えた頃、中国ではまだ製造計画があるという本を読んだことがあるが、国策として全く無関係ではあるまい。

8時23分に宇多津に到着する。ここで、岡山行きと高松行きの2つの編成に切り離される。かずまるが「宇多津でうたづに切り離されるってどんな切り離し方するんじゃい」とギャグともとれることを言い出す。瀬戸大橋を渡って8時38分児島に到着する。

児島〜高松間3131M快速マリンライナー11号

「バースデイ切符」もそうだが、「秋の謝恩切符」も児島から先へ行くことはできない。児島からはマリンライナー11号で引き返し、高松をめざす。8時46分発だから8分しか接続時間がないが、心配していた6Mの遅れもなく、マリンライナーに乗り込んだ。

マリンライナーの先頭車両は2階部分がグリーン車、1階部分が普通車指定席になっている。が、運転席の真後ろに4席、車両の後方にも数席グリーン車がある。運転席の真後ろにビジネスマンが一人座っていただけで、2階部分には誰も乗車していなかったので、その反対側に座らせていただく。車掌が「乗客が来たら変わってくださいよ」と言うが、間違っても、坂出までは絶対乗ってこないし、坂出から15分でグリーン車に乗る人がいるとも思えない。隣のビジネスマンも坂出で下車していまい、グリーン車は我々だけになってしまった。が、ここは、かずまるに対して何も言わなかった車掌に感謝することにしよう。高松到着は9時47分。ここで高松駅の「アンパンマンスタンプラリー」を押す。

  

(左:坂出駅手前で1007MR8000系とすれ違う、右:高松駅でのマリンライナー)

高松〜徳島間65D特急うずしお5号

高松での待ち時間は29分あるのだが、ひとつ心配なことがある。次の特急うずしお5号はグリーン車は連結しておらず、普通車指定席が満席になっているのである。グリーン車ならばともかく、185系の普通車指定席でかずまるを膝に乗せるのはつらいものがある。指定席が満席と言うことは自由席はどうなのだろうかと考えると、どうしても列車が気になって、3番線へ急いでしまう。すでに列車は到着している。徳島側から1、3、4号車となっている。2号車は通常休日を中心に「ゆうゆうアンパンマン号」を連結しているのだが、あいにく今の時期は瀬戸大橋トロッコに連結されている。

列車に乗り込むと、まだあまり乗客はいない。それはそうだろう。20年前の記憶としても、高徳線の優等列車は直前になって乗客が乗り込んでくる。乗り込んでみると、2000系や8000系に乗りなれた自分から見て、185系のシートはやはり一昔前の感がある。窓際と通路側の座席の間にも腕置きがない。しかも、1号車自由席は1〜11番席までが自由席、12〜15番までが指定席となっている。つまり、指定席の座席数はたったの16席。しかも、8人の団体客が乗ってきて車内がざわつく。「福山」と「視察」という言葉が繰り返されるから、広島県福山市に何らかの合併問題で視察にでも行ってきたのだろうか。

  

(左:高松駅での185系特急うずしお5号【拡大可】、右:高松駅での1000系気動車【拡大可】)

が、出発時刻になって、指定席は12番に2人、13〜14番が満席、15番がゼロである。15Aが私の席で、一番前の車両であるが、15Bに乗客が来ることを考え、一応10AB席に陣取って様子を見る。しかし、自由席はどう考えてもがら空きといわざる得ない。高松から徳島までの間は今でこそ香川県内に2つの市ができたが、途中に乗降数の多い駅がない。まさに高徳特急という感じである。途中池谷で鳴門市に入るが、ここで乗客がどどっと特急に乗ることはないだろう。どうも高徳線の現状はそういうものらしい。というわけで、屋島を過ぎたあたりで、かずまるとともに15AB席に陣取る。

さて、この特急であるが、徳島までの所要時間は70分である。185系を使用しているからでもあり、N2000系の場合は55分で走破する。が、かつて20年前に高松を12時01分に出た急行は徳島に13時10分に到着した。所要時間69分。高松から徳島まで運転停車さえないノンストップであった。あの頃はキロハ28から格下げされたキハ28-5200に好んで乗車していた。あの頃に比べると、185系特急に関しては、所要時間、乗車賃、乗り心地、全てにおいて現在の方が劣るといか言いようがない。

車掌がやってきて、かずまると2席占拠していることで「すみません」というと、意外にも「多分誰も来ないでしょうから」と笑顔で答えてくれた。そういえば、屋島から乗ってきた女性は15Dに座ったが、はて?この列車の指定席は満席ではなかったか?そこで思い出した。指定席車両には、数席だけは絶対に窓口で買えない座席があることである。実際には重複して切符を販売したときとか、急病人が出たときとか、急に要人が乗車してくるとかのためのものである。15Dと12番BC席ははともかく、15BCは少しでも動くと自動ドアが開くから、案外その座席に指定されているのかもしれない。でも一応満席だったのになぜ?とも思う。

讃岐相生を過ぎると、高徳線は山越えにはいる。この駅は「故宮脇俊三氏・時刻表2万キロ」の中で、深夜大学生が大挙して下車した駅として記載されている。これは、ここから徳島の大学まで夜通し歩く「貫歩」という行事である。私も一度体験した。ここから県道1号線で山を越えるのである。その距離は38キロとも42キロとも言われるが、私は5時間30分前後で約300人中10位台で大学へ帰り着いた。不思議なもので、歩く筋肉と走る筋肉とが違うもので、歩くのに疲れたら走った方が楽なのである。吉野川に出てからのラスト約10キロはほとんどジョギングだったことを思い出す。8人組の団体客は池谷で下車した。

  

(左:吉野川を渡る、右:佐古側から見た徳島駅)

さて、その吉野川であるが、私としては四国第一の大河であると思っているし、先の「関口知宏氏・最長片道切符の旅」でも吉野川の広さが強調されていた。特に国道11号あたりでの川幅は1・5キロ程度ある。そのことをかずまるに教えていたせいか、吉野川が近づいてきて、あれっと思う。鉄橋のトラスの終端部分がはっきりと見えるのである。かずまるも期待していたせいか、あっけなく渡ってしまったことに不満顔をする。時の流れが私に誇大印象を与えるのかどうかは解らない。かつて、鳴門から伸びてきた私鉄が吉野川を渡れず、渡船によっていたというが、地図を見ていると、現在の鉄道も確かに一番川幅が狭いところを渡っているのが解る。

線路は鮎喰川を越えると、そのまま高架にはいり、佐古を通過する。高架となった佐古駅を見るのは初めてである。かつては、佐古駅東側にダブルクロスがあったが、高架後は徳島線から高徳線側への渡り線がなくなっている。徳島10時57分着。

徳島〜阿波池田間15D特急剣山5号

改築後の徳島駅を見るのも初めてである。実際には平成8年頃に一度自家用車で通ったはずなのだが、駅に降りるのは実に19年ぶりになる。かつて5本あったホームは、旧1番ホームが撤去されて、現在4本になっている。小松島線が廃止になったからかとも思ったが、実際にはスルー構造の一番手前にある2番ホームでは、11時01分発阿波池田行きの普通列車が停車し、そのホーム後方に11時10分発の高徳線特急が待機している。これでは近鉄や名鉄のターミナルと同じである。徳島駅は改築され、大きな駅ビルが建設されたが、結局はそちらを優先して、駅としての機能は後回しにされたということだろうか。松山駅高架については、十分検討して欲しいと思う。

  

(左:徳島駅にて、左65D、右70D、右:徳島駅前から眉山を望む)

徳島駅は私の鉄道趣味の原点と言っても過言ではない場所である。あれから20年が過ぎたが、眉山の風景は変わらない。駅前の大型デパートも名称を変えずに残っている。が、細かく見ていくと、やはり20年の歳月を感じさせる。時間は同じ速度で進むのだろうか。過去20年間を悔いるつもりはないが、それと同じ時間が過ぎたとき、私は定年の時を過ぎる。そのときまた同じ風景が見られるのだろうか。

四国のJRから車内販売が消えて1年が経過した。通勤で使う限りは、たいしたことではないのだが、やはり、今回のような旅行をする場合には、旅の楽しみのひとつが奪われた気になる。それ以上に、途中かずまるに「腹減った」を連呼されると困るから、あらかじめの準備に気を使う。

駅前をしばらく歩いた後、かずまるが「お腹すいた」というので、駅ビル5階のうどん店にはいる。徳島に来て、うどんというのも変ではあるが、ここのうどんはなかなか美味かった。ただ、讃岐うどんとはまた何か違う感じがしないでもなかった。ちなみに、徳島は「そば」の名産地である。が、出発30分前に入ったのは失敗だったようだ。かずまるの食べる速度を全く考えていなかった。途中で代金を支払って時間を稼いだのだが、結局出発5分前になったところで、タイムアップとなった。味が良かっただけに残念だった。

次に乗る特急剣山5号は、先ほどのうずしお5号と同じ車両である。座席も15番D、先ほどと左右が違うだけである。が、列車は先ほどの4号車が切り離されて、2両編成となっていた。切り離された車両が留置線に置かれている。この列車も指定席は完全に埋まっていた。わずかに15BCが残るのみである。やはりこの2席はマルスで取れない席なのであろう。が、自由席には座席に結構余裕がある。

  

(左:徳島駅での185系特急剣山5号【拡大可】、右:徳島線学駅)

徳島を11時55分に出発する。さきほどの特急うずしおといい、どうもこちらの指定席は腑に落ちない。ただ、今回も団体客が乗車している。今日は土曜日ということもあり、指定席はそういう人のためのものなのだろうか。と思っていたら、徳島から16分、鴨島で前の老人が下車した。

徳島線は徳島から阿波池田まで、四国三郎吉野川に沿って延々と遡っていくという印象が強い。事実そうなのだが、石井町を過ぎ鴨島を過ぎるまでは遥か向こうに堤防が見える程度で、吉野川の影は薄い。しかも、知らぬ間に吉野川市などというものでできたものだから、昔の記憶が混乱する。それでも右手に吉野川遊園地の観覧車が過ぎる頃には吉野川が近づいてきたな、という感じがしてくる。

入場券を5枚かって「ご入学」というゴロで有名な学駅を過ぎ、12時31分穴吹に到着する。この駅にも「アンパンマンスタンプラリー」のスタンプがあるのだが、停車時間を考えると、三本松同様通り過ぎるしかない。それよりも、私は「NHK・最長片道切符の旅・関口知宏さん」の行った「うだつのある街並み」が一体どこなのか気になる。少なくとも、穴吹駅周辺にはそのようなスペースすらない。後で調べてみると、吉野川をはさんで対岸の脇町にある「通称撫養街道」沿いにあるのだそうだ。

阿波池田が近づいてくると、段々と山が深くなってくる。平野は鉄道側の方が少なく、撫養街道だった北側の方が多いような気がする。それぞれの道路沿いに街並みが続いている。その撫養街道のあたりに集落が見え、その向こうには一段高いところにまた集落があり、先ほどからずっと徳島自動車道が続いていて、思った以上に高低差のある眺めが続くことが解る。

  

(左:阿波池田での徳島駅での特急剣山5号と大歩危トロッコ号、右:阿波池田駅での南風14号【拡大可】)

阿波半田駅にかかる頃、北側の山頂に神社が見える。ここへ行くには、中野谷川に沿って一度香川県境近くまで行って、そこから尾根沿いに道が向こう側からきている。地図ではちゃんとした道路になっているのだが、一体どのような場所なのだろうか。さらに、阿波池田に着く頃には、箸蔵から伸びるロープウェイが目立つが、さらに西側には、山の中腹といってもかなり高い場所に集落があって、その中に大きな建物が見える。地図で見ると学校になっている。ものすごい高低差である。よく、このあたりでは、山に星が輝く、といわれるが、確かに夜間に家の明かりが灯ったときには、星に見えるような、そんな場所である。そして、列車は定刻12時27分に約1分ほど遅れて阿波池田に到着した。指定席の乗客はほとんどが、隣に止まっている大歩危トロッコに乗車するようであった。

この後、我々は「NHK・最長片道切符の旅・関口知宏さん」の四国版(但し、予讃線長浜廻りが抜けている。)を予定している。当然、ここから高知方面へ行くわけであるが、今日は一度ここから松山へ帰ることにする。帰るといっても片道3時間の行程ではある。

阿波池田〜丸亀間44D特急南風14号

阿波池田では定時で3分の乗り換えで南風14号に乗り換える。乗り換えるだけなら問題はないのだが、ここで「アンパンマンスタンプラリー」のスタンプを押さなければならない。明日はここを通り過ぎるだけなので、今日なんとしても押しておかなければならない。しかも、1分ほど遅れているし、跨線橋を越えなければならない。改札口までは。あと2分。列車の到着とともに橋を駆け上がって、改札口横のスタンプを押して、再び跨線橋を越え、先ほどの列車の隣のホームで南風14号を待つ。なんとか間に合ったし、向こうのホームにいる大歩危トロッコを撮影できたぐらいだから、まあ時間は合ったのだろう。

南風14号はまもなくやってきて、我々は乗り込む。この列車もグリーン車を連結しておらず、普通車指定席に座る。G無3連の2000系はかつての特急宇和海を思い出させる。列車は佃で先ほどやってきた徳島線と分かれて、大きく左にカーブし、吉野川を渡る。そして、箸蔵、坪尻に向けて一目散に勾配を上っていく。この箸蔵付近から見る風景は四国でも屈指の車窓だと思うが、あいにく日中はだいたい逆光になるようだ。

列車はスイッチバックの駅坪尻を過ぎ、猪ノ鼻トンネルを越えて、下りに入る。車窓上方に国道32号が見える。瀬戸内側はそう急傾斜ではないが、列車は左右にカーブしながら下っていく。讃岐財田を過ぎると、ため池が見え始める。讃岐平野はため池で有名である。しばらくすると、満濃池の堤防が見えてくる。それを過ぎると、もう平野に出る。

  

(左:箸蔵駅付近から阿波池田方面を望む、右:丸亀駅での113系電車快速サンポート)

さて、先ほどの「アンパンマンスタンプラリー」であるが、この南風14号は途中の琴平で下車をしたのでは13Mに間に合わないし、なんと多度津には停車してくれない。多度津を通過する予讃線特急はないが、土讃線では上下合わせて7本が通過する。第一、琴平ではなんで特急の8分前に普通列車が発車しなければならんのだ。というわけで、丸亀まで行って、多度津に引き返して、そこから13Mに乗車することになる。この企画は実に子供向けというより、小さい子供を持つ親の心理をつかんだなかなかのものであると思う。

四国内を走る5本のアンパンマン列車のうち最低4本のスタンプを押し、駅にあるスタンプと合わせて11個のスタンプを押すなどということは、松山に住んでいたのではついていけないというのが実情だろう。列車に乗ることさえ難しいのに、その列車からすぐに下車しろというのも少々酷である。松山に住んでいた場合ならば、ひとつランクが落ちる「アンパンマン列車のうち最低2本のスタンプを押し、駅にあるスタンプと合わせて4個のスタンプを押す」というのが関の山であろう。ということで、あえて三本松、穴吹、琴平にはこだわっていなかった。南風14号は多度津駅を通過して、13時47分に丸亀に到着した。丸亀駅はバリアフリー化工事のため、人の声も聞き取れないほど工事の騒音がひどい。長くいると、頭が痛くなる。

多度津〜松山間13M特急しおかぜ13号

だが、事態は急変する。当初の予定では、丸亀を13時53分発の1257M快速サンポートで多度津に行き。13分の乗換えで最終ランナー13M乗車に乗ることにしていた。が、臨時列車運転のためこの列車の時刻が変更されていることに気づかなかった。ポケット版の時刻表でしか確認していなかったからで、通常の大型時刻表でははっきりと記載されていた。2週間前に乗車した「瀬戸大橋トロッコ&ゆうゆうアンパンマン3号」が先に入ってくるため、1257Mは5分遅れるのであった。

  

(左:丸亀駅での瀬戸大橋トロッコ&ゆうゆうアンパンマン3号、右:丸亀駅での8000系13M特急)

そこで、私は悪巧みを考えた。先に述べたように、今回の旅行ではアンパンマン列車には3種類しか乗ることができない。したがって、1ランク下の乗車証明しか発行されない覚悟でいた。しかし、ここで「ゆうゆうアンパンマン」に乗れば1ランク上の乗車証明が発行される道が開ける。だが、この列車は全車指定席である。私の持っている切符では乗車券にすらならない。しかし、丸亀〜多度津間の乗車賃さえ払えば文句は言われまい。しかも、そのまま多度津へ早く行くことができる。ということで、かずまるを連れて迷わず乗車し、スタンプを押した。そこで後ろを見ると、まだドアが開いている。その一瞬に次のことが脳裏を横切った。「通常ならば1257Mがやってくる時刻である。その証拠に、この列車を見て、これがサンポート?と乗車しようとした女性のグループを見た。列車の時刻が変われば、放送するべきだし、全車指定席ならば、通常乗車できる乗車券を持っている者以外は乗車できない旨を丸亀駅は通告する義務がある。本当は放送したかもしれないが、この騒音である。聞こえないと言っても正当性を主張できるはずだ。したがって、この列車に乗車したとしても、誤乗車と主張することができるはずだ。次に、入場券しか持っていれば、当然列車には乗れないが、私は一応通常の列車に乗車できる切符を持っている。明らかに誤乗車と主張することができる。」我々は飛び降りた。案の定、車掌が飛んできて、「この列車の乗っては困る」と怒鳴る。まあ、彼は職務に忠実なだけで、この場合間違っているのは我々であって、彼は悪くない。悪いとすれば、乗客に全く情報を伝達できない状況にした丸亀駅である。というわけで、私は即座に「いくら払えばよいのか?」とたずねた。指定席料金510円は払わなければならないが、通常ならば最低乗車賃を請求されても文句は言えない。が、多度津までの運賃がわからなかった。すると、車掌は「510円」という。私は「今回はいらないから!」と言って、列車の後方へ行く車掌の胸ポケットに510円を押し込んで、列車の出発を見送った。上のことをくどくどと車掌に説明しても良かったが、かずまるの前ではやめておく。なにしろ、誤乗車といっても、私は一応これらの規則を知っている。正式な場に出たら、それでは誤乗車と認められない可能性がある。なによりも、ここで払わなかったら、車掌に負けたような気分になる。腹は立ったが、せいせいした。なによりも、この誤算で「アンパンマンスタンプラリー」に光が見えた。それで510円ならば安い買い物だ。

さて、1257Mは少々遅れてやってくる。下校する高校生で車内はいっぱいだ。だが、多度津までの間に13Mに抜かれることはない。多度津に着くと、再び地下道めがけて走っていく。が、今回は乗り換えに8分あり、悠々間に合った。しかし、よく走らされる日である。

14時15分定刻に13Mは多度津を出発する。20分遅れたら、松山駅からの最終坊っちゃん列車に間に合わないため、連続乗車記録が途絶える。が、川之江で20Mが3分ほど遅れただけで、列車は松山をめざして走った。帰りはやはり、川之江で20Mを見た後は、今治を過ぎるまで記憶がなかった。目が覚めとき、かずまるに「いつもの(車内清掃員の)おばちゃんが乗っていた」と言われた。

松山到着は2分遅れであった。帰りにはこのまま古町まで坊っちゃん列車に乗車する。そして、明日午前7時に再びここへやってくることになる。

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