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第1章 2月11日高知・徳島編 (以下の撮影日は特に説明がなければ旅行日) 旅のプロローグ 「バースデイ切符」とは、いうまでもなくJR四国の企画切符であり、誕生月の者及びそれに同行する者3名までが3日間1万円で四国内のグリーン車に乗り放題となる。今回は妻の誕生月であるため、それに便乗して1泊2日で四国一周をすることになった。 今回は、今までとは逆廻りをしてみようと思う。が、松山〜宇和島間でグリーン車は最も早い列車で11時台である。とても乗ることができない。しかも、土讃線のアンパンマン列車は全て時間的に逆方向となる。しかも、このプラン、児島〜多度津間特急南風17号以外は最後尾である。とても感心できるものではない。しかし、これならぱ、阿波池田〜徳島間で「ゆうゆうアンパンマンカー」に乗ることができる。同区間1時間7分。これで全てを忘れていただくことにしよう。 松山〜宇和島間1001D特急いしづち1号 いわずと知れた、TSE(Trans Shioku Experimental)である。2001+2201+2101の基本編成を含む4連。この2101の後尾に幌つけて連結できるのか。見たことがないので、いつも疑問に思っている。車両としては、2000系気動車では最古参ということで、若干古びた感じがするが、後座席からも前方が見えるというのがグリーン車とは少々違うようである。松山までは全車自由席で、松山からは一部が指定席になる。すでに数名座っている。4番座席を取っていたのだが、実際に車両に入ると自由席部分も結構座席が空いている。というわけで、自由席に引っ越す。 時刻はちょうど朝のアンパンマン列車タイム。今日は休日ということで、附属2連「ロールパンナ号」「メロンバンナ号」が10Dの前に着く。この光景も今月で終わる。3月からは通年7連で宇和島からやってくることになる。松山発午後10時台の特急が増発され、この2連と10Dの5号車が充当される。8000系も最終便がS編成とL編成が分離運転されるようになる。以前の国鉄、JRならば深夜労働の問題で相手にされなかったことが、こうして現実になっている。今回のダイヤ改正は高徳線1往復増を含め、本当に改正と思う。私は直接恩恵を受けないが、宇和海の増発などは以前利用していた頃の不便さを思うと、本当に良かったと思う。なお、29Nと1033Mの分離運転については、私にとって直接恩恵を受けるだろうと思われるが、この歳となっては、22時39分と0時09分の間に1本増発されても、そこまで残業できるか、そこまでのめるか、と思っているので念のため。 さて、その大人2名であるが、今回は妻が同行している。妻も旅行好きではあるが、「鉄」の人ではない。当然私のような乗り方には不可解なものがあるらしい。「なんで意味もなく乗るの?」と相当言われてきた。従って、前回の四国2周のような乗り方はできない。屁理屈でも良いから、乗車する、乗り換える理由をつけなければならない。 さて、列車は予讃線通称内山新線を通り過ぎて内子に着く。ここで1054Dアンパンマン列車とすれ違う。通常アンパンマン列車は全車両宇和島で夜を明かす。内子駅は高架駅で眼下にC12の保存機がある。この駅は内山新線ができたとき、旧線部分を眺めるのか好きだった。旧線は映画にも利用された。だが、今はその線も完全に道路にリリースされてしまっている。仕方ないとは思うが、少々寂しい。次の伊予大洲では1番ホームに停車する。ここで、アンパンマンスタンプラリーを押す。30秒というほんの一瞬のタイミングで勝負が決まる。少々危ないし、列車運行上も問題があると思うのだが、妻曰く「列車だけでなく、駅でも押さなければならないし、駅で押すというのが大変」というまでもなく、この危険行為をJR自身が助長しているということに気づいてほしいとも思う。なにしろ、伊予大洲駅のスタンプを押すために下車するような暇はない。 ところで、かずまるは現在6歳ではあるが、いわゆる未就学児童として今年の3月末はこの場合タダで乗れる。これが座席指定席となると、当然のことながらかずまるの席はない。しかしながら、自由席に乗ると座席にふんぞり返ることができる。少々奇妙なような気がするが、そういうことであるから、最大限に活用させていただく。まあ、だからこそ、我々大人2名が意味もなく2万円払っていると考えていただくことにしよう。 宇和島〜窪川間4838D普通列車 宇和島到着は9時26分。ここから3分の乗換えで予土線4838Dに乗り換える。わずか3分ではあるが、アンパンマンスタンプラリーのスタンプを押す。1001Dから乗り換えたのは、我々の他に男性3名。いずれも一目で旅行者とわかる。キハ32の先頭部に陣取っている学生らしい男性は本を読んでいるが、彼が持っているのは「四国フリー切符」であった。今日は3連休初日。このような旅行者が多いのかもしれない。 宇和島から窪川まで予土線で乗りとおすのは、実に22年ぶり2回目になる。当時はキハ20単行であった。北宇和島を過ぎて、勾配を上り詰めて、四万十川支流最上流に出て、ぱっと開けて・・・そして、列車はスピードを上げられなかったという記憶がある。10年前の宇和島在住時に江川崎まで1往復、土佐大正までトロッコ列車を含んでで1往復、あと、近永までは数回乗っているから、というより、昨年逆方向から2回乗っているから、キハ32になってから、鬼北盆地を走るスピードが上がったことは知っているが、それでも、江川崎までのスピードは遅い。まっすぐに進まず、迂回しているということもあるが、江川崎までならば、今でも列車が宇和島を出て、車で追いかけても十分間に合う。 さて、我々かずまる親子は、列車の最前列を陣取る。理由はただひとつ。北宇和島〜務田間にかつてあったといわれる駅跡を探すことである。といっても、実際すでに数回乗車してわからなかった場所である。今更簡単には見つけられない。スイッチバックであったという話は聞いていないから、多分そこだけ平坦であったのだろう。というより、平坦な場所がない。結局のところ、2箇所ほど、ここかな?という場所を見つけた。うちひとつは、線路の脇に側溝らしいコンクリートの構造物があった。そこなのかもしれない。 今回、ようやくかずまるに足湯のあるという松丸の駅舎を見せる。かずまるは降りたいというが、ここで降りたら、ゆうゆうアンパンマンカーに乗れないと言って聞かす。実際には、間に合うのではあるが・・・ 江川崎を過ぎて、四万十川本流に沿って走り始めると、列車の速度は70キロを超える。車窓からは「乗って残そう予土線」という看板が立てられている。最近では珍しくなった看板である。予土線といえば、本来であれば、廃止対象路線であったが、沿線道路の整備が遅れているという理由で存続が決まった。今現在でも道路の整備は進んでいるとはいえないし、今のところは表立って、廃止とか三セクとかの話は聞かないが、土曜日とはいえ、現在の乗客数や運転本数などを考えると、決して先は明るいとはいえない。 川奥信号場で土佐くろしお鉄道がループして接近し、11時29分に窪川へ到着する。この4838Dが折り返し、昨年の四国一周の時に利用した4843Dの13時22分まで4番ホームに横付けされるようである。 窪川駅は元々ホームは3線分しかなかったようである。20年以上前に故宮脇俊三氏が監修した駅の配線図の本にはそうなっている。多分土佐くろしお鉄道の車両留置の関係でそうなったのであろう。この4番ホームであるが、四国の駅で現在ホームが4本以上ある駅は、高松、宇多津、多度津、観音寺、阿波池田、徳島、窪川にある。愛媛県内には4番ホームは存在しない。 窪川〜後免間46D特急南風16号 今日はこれから列車に乗車すること、厳密に言えば、土讃線アンパンマン列車とゆうゆうアンパンマンカーに乗車することを目的とするため、まさに列車に乗るためのプランである。当然下車して食事をとることなどは考えていない。が、JR四国の特急列車には車内販売がない。窪川の駅の売店で食糧を買い込む。とかく、かずまるは急に腹へったと言い出して、食べないとたまらないと言う。これは親の教育に問題があるのではあるが、今言っても仕方がない。宇和島から予土線に乗り継いだ2人組もホームで待っている。 11時54分に46Dが入線してくる。窪川では上下とも特急列車は通常3番ホームに到着する。車掌は女性であった。当然ながら窪川で下車したが、かずまるは少々不満げであった。ここからいよいよJR四国グリーン車の旅が始まる。ここから阿波池田まで3本の特急南風のグリーン車指定席券を持っている。 さて、土讃線特急の基本スタイルは、2000系2000+2200+2200の3連である。予讃線は2200が2両連結されているが、土讃線は3連が基本編成となっている。問題はその中身である。グリーン車は1号車半分で、普通車指定席がその後ろ半両、2号車も1〜7番席が指定席で、8番以降が自由席、3号車が自由席で、自由席は1両半しかない。しかも、3号車が喫煙車だから禁煙自由席は半両しかない。窪川に入線してくる段階で、どこが自由席なのかは乗客数を見ればはっきりとする。よくこれで不満が出ないものだと思う。あるいは、高知県民は喫煙車が多いのか?文句を言わない県民性なのか?と思う。 須崎を12時20分に出発する。ここでは、33Dアンパンマン列車とすれ違う。この土讃線アンパンマン列車というのは、今回の旅行をするに当たっては、実に乗りにくい列車である。結局のところ、苦心の末、このまま33Dで後免まで行って、そこから高知までの間に35Dで8分間だけアンパンマン列車に乗車することができる。少々物足りないが、すべてはゆうゆうアンパンマンカーのためである。 須崎を過ぎると、そこから列車は一気に佐川方面へと坂を上り詰める。斗賀野という駅を通過すると、左にいかにも複線のような路盤が見える。これがかつての引込み線である。20年以上前に今治から徳島の下宿先へ帰るときに一度逆廻りをしたことがあるが、そのときにはまだ線路があった。時が過ぎて、昨年の1度目の私自身引込み線が斗賀野のどちら側あったかさえも記憶が途切れてしまっていたようだ。2度目の時は線路と気づいたときには、すでに列車は斗賀野を過ぎていた。3回目の今日は地図とにらめっこをして、確かめる。複線の線路のような路盤が続いた後、途中から元の線路は道路と化していることが地図からも確認されているが、やっとそれを確認することができた。 12時54分高知着。30分後に再びここへ戻ってきて、次の列車で大歩危を目指す。が、高知〜後免まで往復するのは少々我ながら馬鹿らしい気がしないでもない。ここで妻に以前食べた「カツオのたたき弁当」というのを勧めてみたが、お腹がいっぱいであるとの返事。JR四国内では車内販売がないため、先ほどの窪川で食糧のお菓子類を買い込んだため、それで腹いっぱい状態らしい。 松山もそうだが、高知ではかなりの乗客が入れ替わったようだ。グリーン車でもいかにも新婚らしいカップルが乗り込んできて、車掌に記念写真を撮ってもらったりしている。荷物に「JAL」の荷札があったから高知空港からやってきたものと思われる。が、人事ではあるが、新婚旅行だとすると、一体これからどこへ行くのだろうか。しかも、土佐山田まで12分で下車するとも思えないし、阿波池田ならば普通は徳島空港を使うだろうし、次の琴平ならば高松空港のほうが便利である。大杉で下車するのだろうか?我々は後免で降りるため、全ては謎のままとなった。布師田駅付近の車両基地の中にムーンライト編成が留置されているのを見ながら、13時08分後免に到着する。 後免駅はそこから土佐くろしお鉄道ごめんなはり線が分岐するのであるが、このうち1番ホームが土佐くろしお鉄道用のホームのようである。JRはもっぱら2、3番ホームを使用する。それを知らずに思わず1番ホームへ向かった我々は、結局もとのホームへと戻る羽目になる。 この後免駅はホームから階段を上がったところに改札口がある。このような駅は都会では多いが、四国では非常に珍しい。 後免〜高知間37D特急南風7号 我々の今日のひとつの目的であるアンパンマン列車は13時16分に後免に到着する。ピンク色のアンパンマン列車に乗車するのはかずまるは初めだとはしゃぐが、一度瀬戸大橋付近、児島〜宇多津間で乗車したような気がしないでもない。 だが、今回もわずか7分の乗車である。再び車両基地を見ながら、高架の工事が見えてくると、すぐに高知へ到着する。この間我々はグリーン車の一番前の席に座っていたが、結局車掌はやってこなかった。 さて、この布師田駅付近にある車両基地であるが、改めてこの文章を書いていて、「MapFan」の地図を見ていると、なんと一番東側に転車台らしき「○印」がある。蒸気機関車なき後に新しく作られたものであるにもかかわらず、なんで?と思うが、まあ、予讃線でも特に2000系の回送などは運転台の問題で逆方向に走っている例を見ることがあるから、列車編成の必要性から設置されたもの、という結論に至りそうだ。しかし、蒸気機関車の時代のものでない現代の転車台というものは一体どのようなものなのか?一度実際に行ってみてみたいものである。 13時24分に高知へ到着するが、次の列車は14時01分である。何ができる時間でもないが、ただ、ぼけっとするには少々時間が余る。仕方がないので、関口さんが台風情報を見ていたテレビを探したりして時間をつぶす。 その間、かずまるは路面電車の前で電車を眺めている。高知の路面電車はまっすぐにJRへつっこむ形で駅が作られている。乗り換えには大変便利ではあるが、その連絡部分が車道になっているため、少々危ないような気がしないでもない。 松山駅もいずれは高架の下へ路面電車が乗り込む形になるのだろうが、その際の線路配置はどうなるのか気になるところである。高知のように、ただ終点ならば問題ないが、それに環状線が入ってくるし、西側へ路線延長するというのであれば、一体どうなるのであろうか。非常に興味がある。どうしても3線分の渡り線ができるから距離節約のため、ダブルクロスポイントがひつようだが、はたして路面電車で可能か?と思っていたのだが、高知の実情を見る限り一応設置可能のようである。 高知〜大歩危間48D特急南風18号 特急南風18号は高知を定刻14時01分に出発する。さきほどの35Dアンパンマン列車が高知止まりなのだから、そのまま折り返してくれれば大変ありがたいのであるが、35Dは回送されていって、新たに一般塗装車がやってくる。残念だが、車両運用上の問題なのでやむをえない。さて、その回送列車は高知から5・2キロ離れた布師田駅付近まで運ばれているのであるから、まあ、個人的にはそのまま折り返してくれや、ということになる。 この48Dも今回もグリーン車であるが、乗客が少ないので、ABの2席だけの指定席券を買っているのだが、ABCの横3列で陣取る。車掌も特になにも言わない。これだけは車掌の機嫌ひとつで決まる。土佐山田では3分停車するため、アンパンマンスタンプラリーのスタンプが押せた。 さて、今回の48Dの目的は土佐山田から新改ほ経て繁藤までの上り坂の状況である。前2回とも、大歩危渓谷を見た後の心地よさから、この付近では寝てしまっていた。今回はしっかりと見てみたい。1号車後ろのドアに張り付いて外を見る。その後ろにいる車掌の視線が痛い。 ただ、乗っていれば、この区間はトンネルが断続的に続くのであるが、土佐山田の物部川下流域から一気に吉野川上流の穴内川最上流へ上りつめるわけで、地図を見ても、まあ、よくこんな線路を引いたものだ、と思う。もし、土佐山田〜大杉間を引き直せたら、内山新線のごとくものすごい時間短縮になると思う。 2万5千分の1の地図を持ってみてみる。土佐山田駅を出ると、列車はすぐに物部川右岸の山を上り始める。この川に沿って上流へ行くとアンパンマンミュージアムがある。が、再び佐野という集落で物部川が見えたときには、線路はかなり高度を上げている。ここで線路は西側へ向きを変え、物部川水系とそのひとつ西側の谷筋である新改川水系のちょうど分水嶺上を通って新改川水系へと出る。分水嶺とはいえ、まさに低くなっているところを見事に抜けている。 今度は右方向へ180度回ったところがスイッチバックの新改駅、さらに、東川という集落を左カーブ180度迂回しながら穂岐山トンネルで吉野川水系穴内川へと上りつめて繁藤駅にでる。 川の上に作られた土佐北川駅を過ぎて、さらに大杉駅を通過する。この大杉は国道32号の路線上にあるが、ここから国道439号でひとつトンネルを抜けたところに高速道のICがある。ここが吉野川本流である。が、土讃線が吉野川本流に出るには、次の土佐穴内駅を過ぎて和田トンネルを抜けたところにある。土讃線は結構複雑な水系を抜けて引かれているのである。 14時51分大歩危到着。かずまるは「関口さん」が小歩危駅で下車したことから、小歩危駅へ行きたいらしいが、特急が止まらないのではどうにもならない。が、実際には大歩危小歩危渓谷は大歩危付近よりも、小歩危から大歩危へ至る間の奇岩がすばらしいのであって、大歩危で乗客を降ろすよりは、小歩危の方が個人的には本当の意味では親切であると思う。が、「大」がつく方が列車でやってくる者にはアピールできるのであろう。 ゆうゆうアンパンマンカーに乗るためには、次の特急でも間に合うため、58分ほど川へ降りてみることにした。大歩危駅から川へ向かって展望台ができているが、これでは途中までしかいけない。と、向こう側も下までいけそうな道がない。が、とりあえずそちらへ行ってみることにした。 「歩危スーパー」なる店に沿って、まさにループ上に道を登って、川を渡る橋へと行く。この橋は結構観光バスが行き来する。ここから祖谷方面へいくのだろうか。我々は国道32号に出て、川へと降りられる道をやっと探して、最後はすべるように河原へ出た。山の上のほうは雪が少々残っているが、今日は2月中旬にしては暖かい。それでも、午後3時を過ぎて太陽が山に隠れて、少々空気が冷たい。 1時間の間をどのように過ごすか。駅の構内では退屈するだろうと思っていたが、河原に出ると、時間の進みが早い。そろそろと思うが、今度はタイミングが難しい。ちょうど43Dが大歩危を出たところで、再び駅へと向かう。20分ほどあるから、ゆっくりと上がっていたら、橋を渡りきらないうちに警報機が鳴る。げげっと思ったが、これは15時40分に到着して、我々の乗る特急に抜かれる普通列車250Dである。キハ32+キハ54り2連である。 しかし、あと8分しかないことは事実なので、最後は小走りで坂を下っていくと、なんと、松山〜宇和島〜窪川と一緒に乗り継いだ2人組が列車から降りてきた。彼らはどう見ても「鉄ちゃん」であるが、同胞の考えることは結局同じというわけか、と妻に言われる。 大歩危〜阿波池田間50D特急南風20号 最後は少々あせったが、大歩危を後に、いよいよ本日のメインイベント、阿波池田からのゆうゆうアンパンマンカーの時間が近づいてくる。が、今回の車窓の中では、さきほども述べたが、この間がもっともすばらしい。列車でも大歩危を過ぎてから車内案内があり、グリーン車の乗客も右へ左へと移動する。まあ、そのくらい乗客は少なかった。まあ、大歩危小歩危渓谷は気候が良くなったら来てみることにしよう。 阿波池田が近づいてくる。この池田町はかなり立体的な町である。国道32号で走っていても、結構坂が多い。坂というより、町の平面と平面が坂でつながっているという感じが多い。そこへ、以前からあった国道32号の橋が高いところにあって、その向こうにある国道192号とのジャンクションがインターチェンジのようになつていたことに加え、今は高速道の「池田へそっ湖大橋」というものが遥か高いところにできている。私が学生時代は池田高校が甲子園で活躍しており、結構観光客を集めたというが、今はどうなのだろうか。阿波池田16時10分着。 阿波池田〜徳島間20D特急剣山10号 ホームでは、すでに特急剣山10号が入線している。ゆうゆうアンパンマンカーを連接する場合は、特急のマークもアンパンマンに変わっている。一度阿波池田駅改札口へアンパンマンスタンプラリーの押印に行くと、なんだか、おばさんたちがみんなスタンプを押している。前のゆうゆうアンパンマンカーでスタンプカードを渡されたらしい。とりあえず、列車で押して、ここで押して、後はどうしようかという感じである。 剣山10号に乗車すると、なんと、2号車には乗客がいない。この車両はいうまでもなくキロハ186の改造車である。キロハ186といえば、普通車指定席に乗車したら、前にでっかい机が固定されて、自由席でさえリクライニングするのに、この車両はリクライニングしないという悲惨な思い出がある。今は、多分グリーン車部分の方を改造して、185系としては一応座席の中央にアームレストを備えている。4列席であるのだが、まあ、この際贅沢を言ってはならないだろう。 走行しているうちに1組の親子4人がやってきた。座席を確認しているのだが、座席番号がない。私はぴんと来た。15番などと言っているから、それは1号車の指定席である。ゆうゆうアンパンマンカーは2号車の指定席を所持していなければ利用できないことになっているが、なにしろ、現在そこにいるのはかずまるただ一人である。車掌に言えばなんとかなるではないかい、助言をしておく。今回は妻がいるので、あんまり「鉄」の色を出しすぎると嫌われるので、さらりと言うのがポイントである。 などと言っている間に、ゆうゆうアンパンマンは大変なことになっている。車両には一応案内人が乗車しているが、親同伴のこととなっている。最初は妻が相手をしていたが、途中から妻が気分が悪くなって、私に代わる。が、私はゆうゆうアンパンマンカー最後尾に陣取って座って景色を見ている。中にいるのは、かずまるともう一人、かずまるより小さい女の子が一人だけ。もう一人はベビーカーの中にずっといた。 この車両の中では、ずっとアンパンマンの曲がかかっている。確か、全て「いずみたく」の作曲のはずであるが、その中で気づいたのが「ロールパンナ」のテーマ曲である。どう聞いても「近藤正彦」の曲にあるような気がする。歌詞まで似ているような気がする。確か16小節が同一ならば著作権問題が発生するが、曲が早い割に歌詞が遅いから、あっという間に16小節言っているような気がするのだが、いかがなものだろうか。 結局もこの列車ではまともに車窓を眺められなかった。途中からかずまるは暑いと言って、下着1枚になってしまった。1時間少々、まさに走り回っていた。 さて、この間途中で、185系の団体列車とすれ違った。徳島付近では185系がまだ多いようだが、団体列車やこのようなゆうゆうアンパンマンカーなどにまだ利用されているようである。四国の中では鉄道に関する個人サイトを持っている人は徳島が多いように思えるが、その中でも185系に人気があることに、ある程度納得ができる。17時24分徳島着。 今日は、徳島駅構内にある「ホテルクレメント徳島」に宿をとっている。しかも、グレードの高い方のツインにしたためかどうかは知らないが、なんと、部屋が駅構内側であった。かずまるとしばし・・・というより、ずっと外を眺めていると、22時09分発の最終うずしお29号で、さきほどのゆうゆうアンパンマンカーが連結されて、高松方面へ行くが見えた。って、我々は一体何時間外を見ていたのであろうか。 ちなみに、買出しのため、一度ホテルの外に一人で出たのであるが、なんと、学生時代に私は行ったことはないが、「A」という学生専用と言われる懇親会場がまだ営業していた。大変懐かしかったのだが、ひとつ残念なこともある。徳島駅構内の売店は20時30分で閉店になるのだが、これ以降駅の近くで酒を売っている店がない。たまたま親切な人がいて、わざわざ案内をしてくださったが、その人には大変感謝するものの、この点だけが徳島の夜で少々物足りない気もした。が、楽しい夜であった。 |