愛媛の「鉄」の紹介へ > JR四国の話題へ > JR四国旅行記 > 2005冬バースデイ切符旅行記 |
第2章 2月12日高松・瀬戸大橋編 (以下の撮影日は特に説明がなければ旅行日) 徳島〜高松間68D特急うずしお8号 今回の旅のヒットは、なんと言っても、このホテルであった。昨夜もずっと外を見ていたが、朝になれば、さらに懐かしい景色が目の前に広がる。なんと言っても、ここ徳島は私の鉄道模型発展と鉄道趣味の原点である。鉄道研究会は20年のときを経てすでに廃部となっているらしいが、やはりなんともいえない思い出がある。 遥か向こうに淡路島も見える。妻と一度淡路島を見に、意味もなく宇和島から自家用車でやってきて、徳島県庁前のホテルに宿泊したことがある。そのときはその2日後に阪神淡路大震災が起こった。あれから10年が経った。かずまるも6歳になった。 などと考えにふけっていると、我々が乗車するはずの列車が徳島へ到着して、2両切り離している。ホテルから駅ホームまでは近いということは解るが、遅れてはならない。ということで、そそくさとホテルを後にする。高い方のツインでインターネット割引2人で1万5500円は安いと思う。 出発10分位前になってようやく徳島駅改札口へ到着する。この高徳線は昨年四国一周をして思ったことであるが、まだまだ185系が多い。が、指定席の番号を見れば、2000系か185系かは判断できる。11〜15番ならば185系、1〜8番ならば2000系となる。我々の座席は4番であるので、2000系と想像していたが、確かにN2000系であった。 特急うずしお8号は10時14分に徳島を出発する。指定席も自由席も結構空いていたので、車掌にその旨伝えて自由席に座る。 かつて学生時代は徳島16時41分発のキハ28-5000(旧キロハ28)を連結した急行で帰省していた。この時刻は以前銀行の暗証番号にもしていた。が、いつの間にか16時42分となり、最後は16時51分となっていた。で、高松に18時過ぎに着いて2分後の特急に乗車せず、19時15分頃発の急行で21時40分頃に今治に到着していた。今ならば、徳島を18時13分に出発して、今治に21時43分に着く。が、高松で1便遅らせていたことを考えると、30分ほどしか早くなっていないような気もする。 さて、3月1日ダイヤ改正四国ポケット版時刻表が今日ようやく発売され、先ほど徳島駅で購入した。かずまるは先ほどからその時刻表の地図を見ながら鳴門線の駅を見ている。列車はその分岐駅である池谷を過ぎると西へと向きを変える。ここから板野までは20年間でもっとも車窓が変わったところである。高松自動車道と徳島自動車道の接点でもあり、いたるところに新しい道路ができている。 板野からは線路は北へと向きを変えるが、このとき左手に線路が分岐した跡が見える。以前はここに鍛冶屋原線が分岐していたという。現在は道路拡幅の下にリリースされてしまっているが、20年前には自転車で走ったこともある。 阿波大宮で65Dを退避する。昨日乗車し、最終の特急で高松へ回送されたゆうゆうアンパンマンカーを連結している。昨日の「剣山」もそうだったが、「うずしお」もまた専用の特急プレートを装着している。 昭和50年代後半、高徳本線が急行列車全盛だった頃、高松〜徳島間をノンストップで走る急行が1往復あった。下りは高松発12時01分、徳島着13時10分、上りは徳島発15時36分頃発であった。某鉄道本の出発したら次は終点、という長距離列車の紹介で「この場合はどこかで運転停車があるはず」と書かれていた。しかし、下りの場合は本当に運転停車なしで走っていたのである。上りはこの駅で運転停車していたが、実は「急行むろと」で、牟岐始発であった。というわけで、徳島から乗車する私としては、乗りにくい列車であって、帰省時に小松島港まで行って、そこから南小松島まで歩いて(故宮脇俊三氏と同じルート)、そして牟岐まで行ってから、一気に高松へ向かうという一度だけの乗車であった。 11時03分オレンジタウン着。時刻表を見ていて、なんともよく解らん駅だとは思っていたが、駅へ行ってみて納得した。いたるところに「四鉄不動産」の幟や看板がある。要するに私鉄がやっている、造成してそこへ駅を作るというやつである。松山ではなぜか駅からは遠く離れたところで造成しているのがイマイチよく解らない。松山周辺でもやってみればよいのに、と思う。 11時19分高松着。アンパンマンスタンプラリーはあと多度津を残しているのであるが、高松駅で一応終了のスタンプを押してもらう。前回11月に松山駅で応募したら、落選したので、今回は別の駅のほうがよかろうと思ったわけである。それにしても、列車4箇所、駅7箇所以上のアンパンマンスタンプラリーは結構ハードだと思うし、毎月抽選で100名に当たるというのに、落選するとは、一体どれだけの人が応募しているのだろうかと思う。 高松駅ではちょうど1010D折り返し1013Dが停車している。かずまるははしゃぎながら「ロメンパンナ号」へ行ったが、これでは松山駅となんら変わりないではないか。そして、妻は5000系G車に感心していた。やはり我々の世代が考えることは同じである。「やっぱり、インベーダーゲームだ」である。企画した人は絶対スペースインベーダが脳裏を掠めたと思うのだが、いかがなものだろうか。 高松では4時間ほど時間があるので、とりあえず駅前をうろつくことにする。玉藻公園をぶらぶらとして、天守閣跡へいくと、ちょうど琴平電鉄が見える。このJR高松駅と高松築港駅間であるが、改めてみてみると、間延びしているように見えて仕方ない。高松駅が引越ししたのは仕方ないが、接続駅としての機能が失われているような気がする。これではJR松山駅と伊予鉄大手町駅くらい離れている。しかも、間に結構信号で待たされる交差点を渡らなければならない。松山の場合4分あれば乗り換えはなんとか可能だが、高松もそのくらいかかるような気がする。 が、高松築港は長尾方面の電車乗り入れがあるから、1時間当たり7本の発車がある。この点伊予鉄道は中心駅で分岐しているから、きっかりと15分ヘッドを守っているし、車両も変化に乏しい。松山の者から見れば、結構楽しい。 時間もあるので、瓦町まで行ってみようということになり、高松築港駅へと向かう。改札口には自動改札のような機械があったので、伊予鉄道と同じように切符を入れたら駅員に注意される。要するにこの機械は「IRUCA」専用読取器であって、我々のような切符を買う者は直接駅員が切符を切る。なんとも、一気に近代化を進めているようである。 その後は特に何をするでもなく、ぶらぶらとして高松駅へ帰って、昼食をとって、駅の改札口へと向かう。何をするまでもないが、時間だけは結構経過するものである。高松も松山と同じく中心街の空洞化が進んでいるような印象を受けた。 高松〜児島間3162M快速マリンライナー42号 15時22分、快速マリンライナー42号で高松を後にする。後は児島まで行って多度津で下車して、松山へ帰るのみである。さて、実際の旅行からは脱線するのだが、鉄道模型を作るに当たっては、最後まで高松駅のような終着駅型のターミナルを考えた。この場合なんといっても、機回り線を節約すればも高価なポイントが少なくてすむ。が、結局は松山駅型のホームに新幹線のような高架駅を併設する形となった。多分高松駅をもっと見ていれば、そのような駅を作ったのだろうな、と思う。 というのも、列車本数は多いのだが、折り返し時間が結構長く、しかもホームの本数が多いものだから、ただ、駅で列車を見ていると、単にホームが車両置き場と化しているような、そんな錯覚に陥る。松山駅では列車本数は遥かに少なく、ホームに列車がいない時間帯が多いにもかかわらず、ホームが3本しかないから、特急が入ってくるときは最大3本が入って、そま前後に普通列車が入ると、ものすごくざわつく。もっとも、普通列車の編成が短かすぎて、私としてきは撮影時には、普通列車を列車本数に入れていないが・・・伊予鉄道も含めて、最低3両はないと列車編成美が望めない。そんな気がする。 マリンライナーのグリーン車は結構空席があったので、いつものごとく3席を占領しても、とりあえず車掌は黙認してくれた。後ろの団体客は日本語でしゃべっていないから、日本へ観光に来たのだろうか、それにしても、なぜ四国?とも思う。が、前回にしても、西洋人の団体客が多かったし、そのようなツアーが組まれているのかもしれない。 が、残念なのは、グリーン車が最後尾であることである。まあ、現在のグリーン車の構造であれば、前だろうと後ろだろうと関係はない。案の定、先頭車両になるときの最前列は誰も座っていなかった。 児島〜多度津間47D特急南風17号 児島では25分ほど待ち合わせ時間がある。妻は児島で時間があったら、どこか店に入りたいと思っていたようだ。が、以前からこの駅を何度も使っている我々はこの駅の周辺に何もないということを知っていた。本当に何もない。瀬戸大橋線を通りたいし、この切符がこの駅までしか使えないからここで下車するという、そんな駅である。待合室もないため、少々寒い。ホームへの階段の下に、私が悩み続けた「時速250キロ」の新幹線の唄が張られてある。 16時15分、特急南風17号で本州を後にする。あと多度津駅で30分ほど待ち時間があるが、この駅には暖房の聞いた待合室があることがわかっている。かずまるは最近プラレールで宇多津駅付近と川奥信号場付近の情景を作っている。鉄道模型でも考えたことはあるが、スペースに入りきらなくてやめた。 (追記:この47Dが3月2日に宿毛駅で大事故を起こしました。なくなられた運転士にはこころからお悔やみを申し上げます。) 多度津〜松山間19M特急しおかぜ19号 いよいよこの旅も終わりである。が、少々待ち合わせ時間がある。そもそも予讃線特急と土讃線特急は30分ごとに走っているたら、このような乗り方をすれば、当然30分は待たなければならない。11月のようであれば、駅の外のSLを見たり、もっと時間があれば工場に行ったりするのであるが、少々寒くなってきた。
多度津駅では色々な車両が留置されているので、それらを撮影したりしていたが、やっぱり寒くなったので、ホームで暖房の効いた待合室に親子3人でこもる。前回は店の回転前ということでたこやきを食べられなかったが、今日はすでに売り切れている。なかなか食することができないが、この先松山まで食事もできないので、ホームでおでんなどを食べたりして時間をつぶす。 そうしてやってきた最終ランナー特急しおかぜ19号であるが、実はこの列車だけが、指定席が満席に近く、心配していたものの、実際には空席が残っていた。この段階で空席があれば、まず今後乗車してくることはない。そういえば、朝の特急うずしおなどもそうだったが、実は3週間前には結構満席に近い表示が出ていたものの、旅行5日前くらいに再確認したら、がらがらだったという列車が多かった。なんでだろう?と思う。 などといっているうちに、少々寝てしまって、後は見慣れた風景が続き、日が暮れて、そして、最後は我々以外は2人の乗客で松山駅へと到着したのであった。グリーン車の旅もこれで終わり?それとも、今年10月に2万円で行く?などと考えたりしたのであった。(2005.03.05完結) |