愛媛の「鉄」の紹介へ > JR四国の話題へ > JR四国旅行記 > バースデイ切符 > SL急行義経号 |
(以下の撮影日は全て2005.10.28) 10月28日(金)多度津駅
8M特急しおかぜ8号で9時13分多度津到着。SL急行義経号はその1分後に到着予定のはずだったが、すでに列車は多度津駅4番ホームに停車しており、式典が行われていた。右はN2000系とノーマル2000系の2連だが、「いしづち」と書かれてある。
式典は9時25分頃に終了し、SLは9時32分に引き上げられた。その間、SLの前面に子供が乗ったりして記念撮影が行われていた。(但し、10月30日には、このような式典が行われず、ホームにロープが張られて近寄ることもできず、それよりも見物人が金曜日とは桁違いに多く、SLも9時20分には引き上げられた。)
SLが下り側へ引き上げられている間に36Dアンパンマン列車が多度津駅を通過、同時に132Dも入線する。(30日は当然ながら、36Dよりも先に入れ替えをした。)10時40分頃、にSLが推進運転で1番ホーム海側留置線へ移動。14系客車を切り離して、転車台へと移動。
転車台で方向転換した後、しばしここで休憩。10時11分に10Dアンパンマン列車入線。私は134M多度津10時32分発で讃岐塩屋へ向かう予定。
10Dの出発後、SLが再び1番ホーム海側留置線経由で上り側引上げ線へ移動。14系客車を連結するが、この位置が1番ホームからは相当遠く、ブーイングがでていた。多度津駅の留置線の位置を考えると仕方ないことではあるが。多度津10時32分発134Mの発車する祭には、SLは14系客車を引き連れて、上り側引上げ線へ移動。その後1番ホームへ到着したものと思われる。 |
愛媛の「鉄」の紹介へ > JR四国の話題へ > 高知県内の駅へ > 若井駅〜江川崎駅 |
(以下の撮影日は全て2005.10.30) 10月30日(日)若井駅〜江川崎駅
若井駅(高岡郡窪川町若井、昭和38年12月18日開業)、JR四国の列車は窪川駅から宇和島駅まで予土線の直通列車が走っているが、実際には窪川〜若井間が土佐くろしお鉄道となっており、当然、直通列車に乗った場合は、同区間の土佐くろしお鉄道運賃200円を別に払わなければならない。
川奥信号場、直進するのが予土線で、右側へ行くと、川奥第一トンネルへ入りループ線を経て、左側眼下の線路へと下っていく。
家地川駅(高岡郡窪川町家地川、昭和49年3月1日開業)、半年ほど前、関口知宏さんを追っかけて下車した駅。線路は四万十川を離れ、田園風景の中にある。トンネルの向こうにが四万十川と別れるところで、大きな堰がある。、「牛山隆信」氏の紹介する秘境駅では、なんとか下位にランクキングされている。
打井川駅(高岡郡窪川町打井川、昭和49年3月1日開業)、この駅も「牛山隆信」氏の紹介する秘境駅では下位にランクキングされている。家地川駅西側のトンネルを抜けると、すぐに四万十川で、この駅は一転して、川に接した駅となる。打井川駅の西側で打井川が南から四万十川へ流れ込んでくる。その打井川は、中打井川、奥打井川と相当奥深いところから流れ出していることが判る。
土佐大正駅(幡多郡大正町田野々、昭和49年3月1日開業)、四万十川の沿線では珍しく盆地のような平野があって、そこに集落が集中している。沿線随一の乗降客があり、江川崎よりも多い。高等学校もあるようで、この線に乗るときは必ず、高校生が10名以上乗り込んでくる。トロッコ列車はこの駅から西にある十川間で運転される。ちなみに、この駅を出るとかなり無理をした急カーブのトンネルに入る。 大正町は、東上山村が大正天皇即位大礼の時に大正村となった。ここは、国道381号と439号の交点である。国道381号が四万十川本流に沿っているのに対して、国道439号は北側が梼原川沿いに津野町へ、南側が葛籠川沿いに四万十川市中村へ向かい、それぞれ街の北側と南側で分岐している。昔からの交通の要所だったようだ。ちなみに、この439号は徳島市と高知県四万十川市中村とを結ぶ四国最長の国道であるが、実際には四国山地南側の林道をつなげただけの相当ひどい国道であって、あるいは大規模林道設置を国道でやろうとしたのでは?と思わせられるところがある。
土佐昭和駅(幡多郡十和村昭和、昭和49年3月1日開業)、四万十川沿いに広がる集落の中にある。対岸はこのあたりでは珍しく緩やかな斜面となっていて、奥内、沖重、岡、駄馬などの集落が山の斜面に広がっている。この集落も西上山村が昭和天皇即位大礼の時に昭和村となった。そういうのが好きな土地柄らしい。 なお、この地図の画面右側の芽吹手あたりの対岸道路が、関口知宏さんがトロッコに乗車したときに、画面に向かって乗客が手を振ったところである。
十川駅(幡多郡十和村昭和、昭和49年3月1日開業)、これもまた、四万十川沿いに広がる集落の中にあるが、こちらには役場がある。ちなみに、十和村とは十川と昭和の合成地名と思われる。
半家駅(四万十市西土佐半家、昭和49年3月1日開業)、この駅も四万十川に張り付いたような印象を受ける。読みだけで言えば、同乗していた若い女性が一斉に吹き出したりしていたが、元は平家の落人が「平家」をカモフラージュするために「半家」としたのが地名となったという。そういえば「平」と「半」は似ている。ここから次の江川崎までは四万十川が珍しく急蛇行していないため、国道とともにのんびりした風景が流れる。四万十川沿いの旅の終わりが近づいたことを思わされる。
半家駅(四万十市西土佐江川崎、昭和28年3月26日開業)、街を掠めるようにトンネルを抜け、広見川を越えて駅に着く。駅は少々高台にある上に、街の中心部からも離れている。ただ、江川崎の場合は、逆に宇和島方面から伸びてきた宇和島線の関係で駅が決定されたと思われ、むしろ四万十川沿いに急カーブをとったというのが実際のところであろう。 |