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【歩鉄13】 北条〜松山間31・8キロジョギング

 

(クリックすると拡大します。なお、この画像は「カシミール3D」から転載し、地図画像は「カシミール解説本5万分の1地図」から作成しております。)

過 去の記録を見ていると、最高27キロ台の行軍が2度ほどある。ジョギングということになれば、午前と午後とで26・3キロというのもある。だが、過去の 27キロ徒歩における足のダメージを考えると、フルマラソンが果たして可能かどうかということがちらついてくる。愛媛マラソンも来年は制限時間が6時間に なるという噂もある。(実際には多分県警と伊予鉄道が反対しているから5時間になるという噂もある。)このため、とりあえず、30キロほど走ってみて決め てみようと思ったのであった。

8月1日(土)、この週末はかずまるが恒例の空手合宿に出かけている。だから出撃には好都合だったのだが、なんと、朝から雷雨が激しく、ご丁寧に大雨洪水警報まで出ている。

当 初は4628Mで伊予亀岡から松山まで30・6キロ(余裕があれば34・7キロ)を歩こうとしていたのだが、例の大雨はその予定を完全に崩してくれた。最 近は休日、休暇はことごとく大雨になる。だから、ここ4日連続で土曜、休暇日はかずまると妻の出勤等アッシー君をやらされている。日曜日も先週日曜日が途 中から大雨になり、かずまるの夏休み自由研究が延期になったし、自転車特攻隊も然りである。

今回も仕方なく、1時間遅れての出発とし、雨がやむであろうことを雨雲レーダで確認した後に、まだ降る続く中、傘をさして出発した。

  

松 山駅のホームに立つと、ちょうど1055Dが3両編成で停車している。が、その光景を見て、ダイヤの乱れにはすぐには気づかなかった。 1056D〜1055Dは松山駅では先に1Mが到着するのだから、このような光景が見られるほうがおかしいのである。案の定、乗客を降ろすと1055Dは そのまま引き上げ線に入っていった。1Mをスムーズに入線させるための措置なのだが、幸いそう遅れていないという証拠でもある。

1M の折り返し14Mは約5分ほど遅れて出発し、その退避の関係で4522Mは三津浜で111Mを待つため4分ほど遅れる。この時間帯は15分おきに松山へ普 通列車がやってくるのだが、堀江でまたまた14M退避遅れの4634Mを待って5分遅れ、次の4527Mはさすがに伊予北条発なので、先に停車してくれて いたと思ったら、なんとここで列車に抑止がかかった。

なんでも、波止浜 〜波方間で土砂崩れがあって(車内ではそのアナウンス、新聞では土砂崩れの恐れとなっていた。)、同区間運転を見合わせるという。この4522Mは伊予西 条行きだから、完全にお手上げである。また、先ほどの14Mは現在伊予北条抑止中で、3Mのスジで松山へ引き返し、その伊予北条発が11時06分だから、 それを待ってとりあえず伊予北条まで行き、その後は未定だという。私は現在伊予亀岡までの切符を持っている。通常ならば、伊予北条まで行って、その先打ち 切りとなれば、その先の運賃が払い戻しになるのだが、如何せん私はすでに1時間遅れの出撃である。これ以上待つのもよくないし、走行距離の問題もある。粟 井〜浅海間はほぼ10キロ、粟井から松山までは11キロ強である。結局前途放棄をして、粟井〜浅海間往復20・6キロ(厳密には復路は粟井駅前交差点のた め往路10・4キロ、復路10・2キロ)、粟井駅前〜松山間11・2キロのコースに切り替えることにしたのであった。切符はまことにもったいないことに なったが・・・粟井駅出発は11時02分。

粟井駅を出発して、すぐに旧 国道196号に入り、そのまま北上する。雨は完全にあがり、ところどころで水蒸気が上がっているのがわかる。ただ、まだ気温は上がっていないようで、走る こと事態には問題はない。途中、ゴーゴーというので見たら、足元の水路が音を立てて流れている。また、大浦の山際では斜面から水が噴出している。今朝この あたりは100ミリ近い雨が降ったらしく、その痕がまだ残っている。

と もかく、約10キロを走って浅海駅へ到着する。着替えは2着持ってきているため、ここで着替えをする。まだ早い気がするが、ともかくすでに服は凄いことに なっている。ここから折り返す。約10・4キロ地点を12時30分頃に出発する。当初予定よりも1キロ長い距離ではあるが、ここからが本番となる。大浦方 面へ走っていると、同じように松山から今治方面へと走っている人と会う。挨拶を交わしたが、他にも松山方面へ走ると、お遍路さんとも会う機会が増えるよう だ。

  

再 び北条の市街地へ入り、ここにあるコンビニで何かカロリーのあるものをとろうと考えていたのだが、何を考えたか、往路と復路の距離感が違い、かれこれ疲労 した状態で走りこむ。ここでは、シュークリームと森永ウイダー、そしてかずまるに何度も食べさせたチューブ式アイスクリームを昼食とする。シュークリーム 以外は走りながら食べることができる。ちなみに、予讃線は松山発12時20分の18M(のスジ)から運転再開したようで、ゴーっ音がして、何事かと思った ら8000系が走り抜けていき、しばらくすると7M(のスジ)もほぼ定刻に追い抜いていった。

だ が、だんだんと水分補給回数が増えてくるのが判る。だが、まだこのあたりで、今日の中間点、フルマラソンを考えると、まだハーフにも達していない。粟井駅 前20・6キロ地点を13時45分頃に通過する。結論から言えば、再び粟井駅前を走りぬけた約20キロ地点が今日の限界だったのかもしれない。

こ こまで時速約8キロ近い速度であったのが、このあたりからがくっと落ちる。水分補給が増える。今日の終点まで疲労困憊で走ったのでは話にならないのだが、 だんだんと疲労がたまってくるのが判る。特に故障のような状態ではないが、足が次第に重たくなり、膝が多少ながら痛くなり始め、足のつめに違和感を感じ始 める。この状態を考えると、少なくとも靴は足に合っているらしい。

粟井 坂を越えて、再び海へと出て、旧北条市から旧松山市内へと入る。潮風に近いような先日の自転車特攻隊でも感じた異臭が体から放っているのが判るようにな る。2枚持ってきたタオルのうち1枚を取り出して汗を拭きはじめたのだが、そんなことをしても意味はない。堀江の伊予銀行前では、ついに前回のかずまる特 攻隊でも使用した鎮痛スプレーで足の痛みを抑える手段にも出た。しばらく走るとJRの高架橋に出るが、この地点で粟井駅前と終着の中間点でしかない。20 キロを越えたところでがくっと速度が落ちた。後で計算したらこの区間の平均速度は約6・0キロであった。ここで約26・3キロ地点、14時40分頃通過。 歩いているのとなんら変わりがない。しかもこのあたりでズボン左ポットに入れておいたタオルを落としてしまった。気にはなるが、もはや引き返す気力もない し、なくなればもう汗を拭くこともできない。

このあたりまで来ると、速 度を落とそうとしても、逆に歩くことができない状態となる。かつて学生時代の(故宮脇俊三氏の「時刻表2万キロ」でもでてきた)夜間40キロ貫歩でも、歩 く筋力と走る筋力が違うため、最初歩いて疲れた私は最後の10キロただ走るだけだった記憶があるが、先に走った場合はもはや歩くことができない。しかも、 走るのではなく、多分時速7キロ程度のいわゆるジョギング程度の速度でしかない。しかも、後日のトレーニングでもこの速度以上では走れないという副作用ま で生じたのである。

そして、最終目的地が近づいてきて、あと信号何個? もう歩こうか?が、歩けない!という疲労困憊、結局最後までよろよろと走る状態で最終目的地(前日自転車がパンクしたため預けていたDIY店)へは15時 27分、実に31・8キロを4時間25分かけて到着したのであった。これでは、とてもフルマラソンは走れないので、しばらくは平日は今のまま、休日はたま に20キロ前後の行軍からはじめようと思っただけであった。(2009.08.04)

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