かずまる特攻隊番外編・四国一周自転車特攻隊

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(以下の撮影日は特に説明がなければ旅行日)

行 程 表

2008.12.28(日)
松山8061001D)927宇和島9374818D)1145窪川(自転車)江川崎17504829D)1900宇和島19021074D)2022松山

H20年12月28日(日)江川崎〜窪川(同行編1回目・その2)

  

(クリックすると拡大します。なお、この画像は「カシミール3D」から転載し、地図画像は「カシミール解説本5万分の1地図」から作成しております。)

窪川着が11時45分、このパターンは最近のJR四国バースデイきっぷで経験済みなのだが、何が悲しくて、出発地点までに3時間45分もかからなければならんのだ?という気もする。

ともかく、自転車を組み立てて、出発しなければならないのだが、かずまるはその辺りでうろついているだけである。こりゃ!少しは手伝わんかい!というわけでもないのだが、出発までに15分もかかってしまったのであった。

窪 川駅の標高は約216メートル、江川崎駅の標高は約55メートル、普通に考えれば、一方的な下り坂となるため、それなりの速度を計算していたのだが、先ほ ど、若井駅から道路を確認したところでは、な、なんと上り坂があるではないか。これは、四万十川があまりにも蛇行を繰り返しているため、道路の方は適当に ショートカットしているのだ。そのショートカット部分で勾配が発生しているのである。しかも、天気は良いのに、ずっと向かい風が続いている。

  

(左右:四万十市上宮団地方面沈下橋)

秋 丸という集落付近で一度休憩をとる。予定時刻よりも10分近く遅れている。が、かずまるを休ませないわけにもいかない。この秋丸を過ぎたところにある弘瀬 トンネルは蛇行する四万十川をショートカットするトンネルなのだが、これを川に沿って走ると、家地川、そして各所に見られる「今度こそ撤去しよう家地川ダ ム」そのものである家地川ダムへと向かう。このあたりは予土線とはかなり離れている。

こ の四万十川の(あくまでも愛媛県と比べた時の)特徴としては、沈下橋が多いことである。かずまるも予土線からは何度か見たことがあるが、その上を走れると いう景色の中で、「あの橋の上を走ってみたい」を連発している。当初は時間があれば半家沈下橋あたりを走ろうと思っていたが、このままでは時間がなくなる 可能性がある。仕方ないので、上宮の沈下橋に寄り道することにした。

こ の沈下橋、私としては、西土佐村(現四万十市)の下流、宇和島からスーパー林道の続く黒尊への途中や肱川でも、何度か自家用車で渡ったことがあるが、自転 車で走ると結構迫力があるものである。かずまるはこわごわ下をのぞいていたりしていた。また、その後は、自転車のベルを「チーン」と鳴らして「かばし」と 叫んだりするなど(「チーン」「かばし」、つまり「ちんかばし(沈下橋)」)このあたりは冗談を飛ばしたりする余裕があった。

  

(左:打井川駅口、右:国道439号北側分岐)

そ の余裕がなくなり始めたのが、打井川駅へ渡る橋である。ここでは10分休憩予定だったが、到着時点で出発時刻である13時10分となってしまっていた。こ のあたりからかずまるのペースが落ち始める。しかも、よく考えると、ポケット時刻表を持ってくるのを忘れてしまっていた。四万十町大正の集落南、国道 439号との交差点にある道の駅に到着した時には、万一のことを考えて、道の駅にある案内所で4625Dの次の4829D、4831Dの時刻を書きとめて おいた。

かずまるにとって、54キロという道のりは楽ではないと思う。 ただ、その疲れのピークは中間点に近くあるということも、自分の経験上知っている。それがこのあたりである。道路は土佐大正駅付近からは本流を離れて、支 流をさかのぼるルートをとる。そして、再び国道439号と分かれて、予土線江川崎方面へと向かう。その交差点付近では、ついにかずまるが寝転がってしまっ た。ちょうどこの地点が走り始めて25キロ。まだ半分にいたっていない。

こ の辺りは、いくつかのショートカットトンネルを抜けて、茅吹手にある屋敷峠へと向かう。この屋敷峠は、地図では約20メートルの上り坂となっている。この 峠付近から予土線を見た眺めが「関口知宏さんと一緒にトロッコ列車に乗った時、トロッコから我々が手を振っていた」場面である。その直前、関口さんが「あ そこに向かって手を振って」と言っていたのを思い出す。

  

(左右:屋敷峠)

こ の屋敷峠を越えれば、あとはしばらく下りが続く・・・はずだった。ところが、いったん下ったはずの道路が再び上り始める。後で判ったのだが、国土地理院の 地図でははっきりとしなかったのが原因であるものの、「カシミール3D」で確認すると、屋敷峠最高点が149メートル、その後一度111メートルまで下 る。そして、再び145メートルまで上るのだ。勾配は2・8%なのだが、如何せんここまでのダメージの大きいかずまるはもはや限界に近く、自転車を降りて しまった。

この時点で、予定の帰宅は諦めざる得なくなった。土佐昭和駅 を15時17分頃に通過。当初予定していた4825Dの土佐昭和駅が15時41分。ここで今日の行軍を打ち切って、宇和島〜窪川間を3分割しても良いと 思ったのだが、かずまるがうんと言わない。帰りが遅くなってもいいから、目的地江川崎を目指すという。

次の十川には15時40分頃に通過する。ちょうど4825Dが十川駅を出発していく。当初予定では、半家でこういう光景に出会った後、江川崎で30分も停車している4825Dに追いつくはずだった。

  

(左:土佐昭和への坂、右:十川駅を出発する4825D)

が、こうなってしまった以上は仕方がない。江川崎駅近くにはまともな店がないことは判っているし、次の列車の場合は宇和島乗換えがわずか2分である。近くのスーパーで食料の買出しをして再び出発する。

時 間は1時間の余裕ができた。が、そこから約2・5キロほど行ったところにある道の駅でかずまるが「寝たい」と言い始めた。マジでこれはやばいと思い始め る。窪川から約41キロ、あと13キロ残っているのだが、まもなく四万十トンネルが待ち構えている。最近できたトンネルだから勾配そのものは押さえられて いるのだろうが、予土線からはそびえるような高いところに架けられた橋で四万十川を渡る。

結 局かずまるは道の駅で15分ほど休んで、再び走り始める。既に時刻は16時10分、1時間遅れるのは問題ないが、17時を過ぎると、そろそろ辺りが暗く なってくる。ただ、問題の四万十トンネルそのものは、想像どおり勾配は緩やかで、かずまるも最後の力を振り絞って、なんなく通過する。そうなると、もう次 の列車に間に合うのは間違いないが、あとは、暗くなるまでに到着するべきか、だが、そうすると江川崎で長い間待たなければならないかである。

そういうことで、時間の調節をにらみながら、半家沈下橋で時間をつぶしたりして、一路江川崎を目指す。

  

(左:半家大橋、後方が四万十トンネル、右:半家沈下橋)

そ うして、江川崎到着が17時15分。当初到着予定よりは55分遅く、そして、4825Dが出発して45分が経過しているが、次の4829Dの到着まではあ と35分ほどある。しかも、この江川崎駅に隣接する観光施設は最初から期待はしていなかったが既に閉まっており、駅周辺どころか我々の進路上にも店らしき ものは全くなかった。さらに、駅の自動販売機でも暖かい飲み物はコーヒーしかなく、かずまるはかなり不満そうにしていたが、まあ、30分少々であるので、 かずまるは駅の構内をうろついたりして時間をつぶしていた。

が、その 4829Dがやってきて、まさに出発する時になって、かずまるが駅待合室にリュックを忘れことに気づいた。運転士は笑顔で待ってくれていたが、最後に大変 なことになるところであった。ということで、今後の計画変更を余儀なくされた初回の自転車特攻隊であった。(2009.01.18)

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