かずまる特攻隊番外編・四国一周自転車特攻隊

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(以下の撮影日は特に説明がなければ旅行日)

行 程 表

2009.05.02(土)
松山507(4M)738高松823(3003D)934徳島951(5051D〜537D)1120海部1129(5537D)1140甲浦

2009.05.03(日)
あかおか1422(5873D)1436後免1502(4250D)土佐山田1527(41D)1649窪川1657(4829D)1900宇和島1902(1074D)2022松山

H21年5月2日(土)甲浦〜室戸(同行編5回目・その1)

 

(クリックすると拡大します。なお、この画像は「カシミール3D」から転載し、地図画像は「カシミール解説本5万分の1地図」から作成しております。)

自転車特攻隊4回目は当初須崎から高知を経由して奈半利まで行く予定であったが、2日目の雨によりあかおか駅で雨天途中リタイヤとなった。これは我々にとってはかなりのダメージというよりストレスとなった。あかおか〜奈半利間は約35キロ、奈半利から線路のつながっていない甲浦までは約69キロ、当初はこの区間を後回しにしようかと考えたぐらいである。その理由は、そこへ行くまでの距離が尋常ではないことと、室戸付近の宿泊施設の少なさにある。室戸市にはかずまるが考えるビジネスホテルはないのではないか?と思われる。

  

(左:高松駅サンライズ瀬戸、右:高松駅アンパンマントロッコ)

それらを考えた末に決定したのは、1日目が甲浦〜室戸間約43キロ、2日目が室戸〜あかおか間約61キロであった。2日目はかずまるにとって最長不倒距離であるが、鉄路のない区間であるうえに、なんといっても松山からはちょうど四国の反対側にあたる地域ということもあり、まさに2泊の不安定要素で計画するよりも、1泊で強行した方が実行しやすい!という感じでの出撃となった。

出撃に当たっては、前回同様天気が問題である。幸い今回は降ってもたいしたことがないという予報となった。だが、松山〜甲浦間はJR等で6時間半以上かかる。松山発は5時07分、起床は3時半になる。なんといっても、GW中は混雑が激しいことが当然ながら想像される。というより、逆にすいていたらJR四国の将来が危ぶまれる。はたしてかずまるが起きてくれるのか?1002Mには無事乗車できるのか?

というわけで、とりあえずは全ての不安をよそに、5月2日1002Mの乗客となって、一路高松へと向かったのであった。今回の行軍は、松山から考えれば完全に四国の反対側である上に、甲浦〜あかおか間、特に甲浦〜奈半利間は鉄路のない、いわば一度行ったら後には引けない区間ではあるが、考えてみれば、四国一周を余儀なくされる行軍でもある。つまり、不安だけを抱え込むのではなく、四国一周という別の楽しみを持つべきでもあるのだ。

などと考えながら、1002Mは高松駅に到着する。今回はなぜ朝5時の1002Mで出発したのか。答えは簡単である。まず、GW中だから、1002M以降は最終しおかぜと併結する1030M以外が全て全車しおかぜとなって岡山へ直通する。したがって、往復とも多度津又は宇多津で乗換えを余儀なくされる。それが今回の逆行の理由でもある。そして、もうひとつは、特急うずしおとの連絡である。3003Dは1002Mから約40分の乗換時間があるものの、とりあえず乗継ができる。しかも、徳島以南の連絡も良い。それが次の6Mだった場合は、結局8Mで行ったのと同じ3005D乗り継ぎとなる。しかも、その場合の甲浦着は15時18分、一日の大半が終わってしまっている。

  

(左:高松駅アンパンマントロッコ、右:高松駅3003D)

今回の行軍は前回の雨天途中リタイヤを引きずっているわけであって、当初2泊行軍しかないと思われていた中で、なんとか1泊2日で実行できるのではないか?というかすかな光に向かっているわけであって、ある程度の強硬は仕方ないのである。

さて、1002Mは想像どおり空いている。4Mの指定席は全て満席と案内しているが、1002Mに関しては、3号車もそんなには乗客がいない。多分平日ならば、高松方面への通勤客でいっぱいになるのかもしれないが、今日は土曜日である。ビジネスマンも少ない。今更言っても仕方ないことであるが、私は8000系電化不要論者である。2000系7連で十分、そしてそろそろリニューアルして電車化(8000系製造)しませんか?でよかったのではないかと思う。理由は簡単。今日に限らず、8000系はS編成の閑散とした車内に比べてL編成の混雑は尋常ではない。この場合でもDC2往復(アンパンマン列車)は、GWなどの全車岡山行きとしない場合でも、多客期には岡山6連、高松2連というように柔軟な対応ができている。だからといって、8000系の2号車を今更L編成へ持っていくこともできないだろうし、S1編成の2号車8101の問題もある。

伊予西条の留置線で1004Dの5連を見かける。この列車は当初徳島行きであったのが、いつのまにか高松行きになっている。双方5連(休日は減車)となっているから単に分割されただけだろうと思っていたのだが、ポケット版時刻表では高松駅の入線時刻とホームが掲載されているので、よく見ると、現在の1004Dは8番ホームに到着し、折り返し2005Dとなっている。2005Dは2連だから、平日はここで3両切り離すのだろう。一方、次に乗る3003Dは3004D5連の折り返しで、ともに休日は3連となる。平日は高松口で混雑するのであろう。つまり、いつの間にか別々の車両運用となっていたのであった。

その3003Dは平日高松駅2番ホーム1〜5番に停車するが、今日は休日だから1〜3なのか3〜5なのか、駅員に尋ねても折返し中の車内作業員に尋ねても要領を得ない。仕方がないから、どちらでもよいように3番で待っていたら、3004Dは1〜3番に到着した。3連の場合、1号車が全車指定席だったら大変なことになるが、幸い1号車の1〜7番だけが指定席であり、我々は1号車13番A〜Dの4席を占領して自転車を収納する。幸いこの列車も満席になることはなかった。

  

(左:高松駅大歩危トロッコ、右:海部駅上り側)

ところで、かずまるがアンパンマンスタンプラリーをしたいというものだから、高松駅から始めた。ちょうど三本松では5006D退避のために2分停車するので、私が猛ダッシュをかけてスタンプを押してくる。

問題は次の5051Dである。2連のうえに阿波池田からやってくるから始発ではない。まあ、座れないことはないだろうと思っているが、ホームのどこに到着するかが判らない。列車の止まらない場所に立っていたら大変むなしいし、第一巨大な荷物をもっての移動は大変だ。さらに、次の列車は185系だからシートピッチが狭い。2000系、そして今日初めて試した8000系の場合は車両の最後部座席の後ろにかずまるの自転車が収納できる。また、私の自転車は2000系、8000系とも各座席に向きはあるが、シートに収まる。シートピッチの狭い185系では入らないのではないか?しかも、結局我々は車両の前側のドアに立ってしまっている。

と思っていたのだが、かずまるが列車から出てこない。どうしたのかと思ったら、先ほどの2003Dに忘れ物を取りに戻ったら閉じ込められてしまったらしい。それで、先頭に行ってドアをたたいて、下車させてもらったのだそうだ。そして、駅でアンパンマンのスタンプを押しに走っていく。

そして、5051Dがやって来た。おおよその想像どおり、乗客は徳島でほとんど下車する。が、どこの駅でもそうだが、乗客は車両の前側ドアから下車する傾向にある。それがたとえ後部のドアの方が明らかに近くでも、である。だから、他の全てのドアから乗車が始まっても、我々のドアだけは下車が終わっていないという状態になったが、幸いここでも前4席の占領ができた。

しかし、やはりシートの間に私の自転車は納まらず、シートをひっくり返しても、シート裏側と壁の間にかずまるの自転車は納まらなかった。これが185系と2000系のシートピッチの差である。仕方がないので、前2席はかずまると私の自転車の2台だけ乗せただけという少々ひんしゅく状態ではあったが、幸い、全ての座席が埋まるということはなかった。

  

(左:海部駅537D、5537D、右:甲浦駅5537D)

5051Dは牟岐から普通列車537Dになる。かずまるは「特急が普通列車になるの?」と少々あきれているが、日本全国にはそういう特急が結構ある。ちなみに、私は牟岐以南は始めての乗車である。大学時代に一度徳島から小松島港(現在は小松島〜小松島港廃止)まで行って、そこから南小松島まで歩いて、牟岐まで行った。そこから高松方面へ引き返し、当時徳島15時30分頃発の徳島〜高松間ノンストップ急行に乗車した記憶がある。その急行は、実は阿波大宮で運転停車をしていたことも記憶している。また、当時高松12時01分発、徳島13時10分着のこれまたノンストップ急行は本当に途中でどこにも停車していなかった。当時出版されたいた本では「どこかで運転停車しているはずだ」と書かれていたが、本当にどこにも停車していなかったぞ!と思ったものであった。

いよいよ自転車特攻隊までの序章である鉄道旅行も最終ランナー阿佐海岸鉄道5537Dに乗り換える。北側を見ると、なんとも奇妙なトンネルを見ることができる。故宮脇俊三氏「鉄道2万キロ」でもででくるトンネルであるが、氏の本によれば宅地造成でトンネルの構造物だけが残されたものらしい。

その段階では、537D到着時にはまだ到着していなかったのだが、そのうちトンネルから姿を見せる。第三セクターだが、鉄道の中ではまさに1両しか走っていないようである。多分車両点検時にはJRの車両をレンタルしているのだろうし、事実そういう掲示板を見たことがある。そして、松山から実に6時間33分を経て、ようやく自転車特攻隊の出発地である甲浦に到着したのであった。

この甲浦は、かつて関口知宏さんと同行した時、その日の最終目的地であった。我々と別れた後、奈半利から甲浦まではバスで移動し、週末を過ごされたらしい。今の時刻表では甲浦着は20時30分頃になっているが、当時のテレビでもその頃到着したという記憶がある。そして、月曜日には早朝甲浦を出発し、JR路線としての始発である海部で撮影を開始した。

そうして、今我々はそういう場所に初めて降り立って、室戸岬までの約43キロの行程に挑むのである。(2009.05.05、その2へ続く。)

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