かずまる特攻隊番外編・四国一周自転車特攻隊

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(以下の撮影日は特に説明がなければ旅行日)

H21年5月3日(日)室戸〜あかおか(同行編5回目・その4)

 

(クリックすると拡大します。なお、この画像は「カシミール3D」から転載し、地図画像は「カシミール解説本5万分の1地図」から作成しております。)

この赤野休憩所までの道のりであるが、確かに勾配が緩いのは、下の写真で一目瞭然である。ただ、すでにかずまるには直壁のようにといえば大げさだが、そのくらいに見えるのかもしれない。

だ が、上りがあれば下りもある。逆に下りも緩やかに、しかも結構長距離に渡っての下り坂となる。これは道路の下り坂よりも楽である。その後は現在の土佐くろ しお鉄道の高架下を走り、そうは言っても、コンビニに寄るため一度国道に戻ったりして、一路あかおか駅をめざす。このコンビニは50・5キロ地点、13時 10分だからほぼ予定時刻での行軍が続いている。コンビニを出たところでYoshikenさんからメールがあり、現在はりまや橋で、これから昼食だとのこ と。

  

(左右:赤野休憩所付近)

そ の予定どおりの行軍が崩れたのが、手結山手前の坂であった。鉄道高架下を過ぎた後はだらだらと登り続けるものと思っていたが、国土地理院の地図を再度見れ ば、確かに一度21・9メートルまで登った後、15メートルまで下り、再び最高地点約25メートルまで登っているのである。それを勘違いして、時速7キロ で計算していたのである。下りまでそんな計算をしたところで、実際には猛然と下っていく。しかも、最大の難所と思われた手結山は旧鉄道跡のトンネルを通っ たものだから、そこを下ったところにある夜須の道の駅「ヤシーパーク(57・8キロ地点)」に到着したときには、10分ほど早い13時40分頃であった。

さ て、この手結山にかかる旧鉄道跡トンネルの話に戻る。ここでいう旧鉄道とは、かつての土佐電気鉄道安芸線のことである。1974年に廃止され、この一部が 現在の土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線となって2002年に開業したが、土佐くろしお鉄道のほとんどは高架線であるため、かつての安芸線跡はそのかなり の部分が自転車道として残されている。

この手結山付近では、当時のトンネルがそのまま自転車道トンネルとして残され、電灯も取り付けられている。しかも、本当に勾配が緩やかなため、行軍にはまさに天からの恵みてなってのであった。

夜 須の道の駅に到着した我々は、その道の駅が相当の渋滞で、駐車場も満車という繁盛振りを見せられる。別に自転車なのだから駐輪には問題ないが、その人ごみ に圧倒されるように、そのまま通過し、夜須〜香我美間にある最後のコンビニに立ち寄る。ここでは、松山到着となる20時22分までの腹ごしらえのための調 達もしなければならない。この後は窪川で8分、宇和島で2分という乗換が待ち構えている。

最後のコンビニを出発した我々は再び自転車道へ戻り、そしてその自転車道が尽きて国道に戻ってきたところが、あかおか駅まで300メートルの場所であった。そうして、14時06分、予定よりも約20分ほど早く、おそらく同行編最長であろう行軍が終了したのであった。

  

(左右:手結山付近の旧鉄道跡トンネル)

が、 よく見れば、14時22分に後免駅行きの各駅停車の列車がある。それに乗れば、土佐山田へのルートが楽になる。実はアンパンマンスタンプラリーを昨日の高 松駅で始めたものだから、かずまるがどうしても土佐山田駅へ行きたいという。一方のYoshikenさんは、土電の桟橋車庫でイベントがあるらしく、そち らへ向かっているらしい。我々も予定が変わったため、慌しく自転車を解体して、1本早い便に乗り込むことができた。14時36分後免駅到着。

こ こでしばらく時間があるので、Yoshikenさんとホームで電話ができた。やはり、お会いすることはできそうにないが、まあ、それも仕方がない。それよ りも、私自身は最後難関に集中しようとしている。それは、41Dへの乗車である。この時期に空いているはずはないし、空いていたら、土讃線そのものが危う い。だから、後免又は土佐山田からあえて乗車しようとしている。それなら、たとえ高知まで立つことになっても、まず間違いなくそこからは座ることができ る。

4250Dがやってきて、そこから土佐山田まで行く。この4250Dは土佐くろしお鉄道の車両であって、奈半利から高知まで直通する5837DがJR四国1000系であった。このあたり、共通運用となっているらしい。

土 佐山田15時10分着。しばらくすると、50D岡山行き、2004D高松行きの併結列車がやってくる。全部で7両連結しているし、土佐山田ではかなりの乗 車があったのだが、なんと土佐山田を出発する段階で、まだ席に余裕がある。この列車に乗れば、1時間早く帰れるので、一瞬食指が動いたが、予讃線19Mの ことを考えると、思いとどまる。

そして、ついに運命の41Dがやってき た。案の定ほとんど満席なのだが、幸い1両増結の4両編成(サイバーステーションでは指定席は高知まで満席、以西はがらがら)ということもあり、4号車 13番、12番のC席がともに空いていた。自転車は後部デッキに置いたままだが、幸いデッキに立つ人もいなかったので、そのままにして空き席に座り、高知 での下車客を見極める。

  

(左:あかおか駅、右:土佐山田駅)

後 免で、4号車1番ABが空いたので、かずまるが先頭2席を占領して座る。これで、最悪でも私の輪行バックの置き場はできる。しかも、実に幸運なことに、私 の横に座っていた親子4人(4号車13番、12番の各AB席)が高知で下車するという。なんという幸運だろう。高知駅での乗車、下車客の喧騒と停車時間 (5分)を考え、かずまるには高知でのアンパンマンスタンプを自粛することも言い聞かせていたが、なんとかできそうだ。かずまるを12番C席へ呼び寄せ、 指示をあたえる。隣の親子に了解をとって、彼らが席を立つたびに、そこへ我々の荷物を置かせていただき、列車は高知駅へ到着する。それと同時に12番AB 席を前向きにひっくり返し、荷物で埋め、まずはデッキにあった輪行バックを12番へつっこむ。そこで乗客が車内へ入ってきたため、それを待って、かずまる の自転車を13番後ろのスペースに立てかける。一方かずまるはホームへダッシュする。1分遅れたのか、あるいは到着時刻の秒端数の関係か、高知駅停車時間 は4分だと言っていたが、まもなくかずまるが戻ってくる。スタンプは2階の目立つところにあったのだそうだ。

車 内はほぼ満員であり、我々の12番、13番各B席が訳あり空席(12番B席は輪行バック、13番B席はちょうどハンドルの突起物が頭にあたる位置にある。 しかも、特にかずまるの自転車はデッキに置いたら乗降の邪魔になるし、デッキに人がいる状態では置くこともできない。)となっているが、そのほかにもあと 3席くらいは空席があったようだ。しかし、高知を過ぎればあとは乗車はないと思っていたのが、伊野で親子5人を含む何人かが乗車してきてデッキに立ち客が 出た。我々の2席は座りたいという人がいれば当然同意するが、さすがにそのような人はなく、逆に佐川を過ぎるとだんだんと空席が目立つようになってきた。

窪 川では8分の乗換時間のはずだったが、乗客が多く41Dが多少遅れたことと、なんといっても、ホームの端から跨線橋までが遠く、跨線橋は困難の敵!であ り、列車に乗ったら、すでに出発4分前になっていた。あわててトイレへと駆け込み、かずまるはさらにアンパンマンスタンプを押して、列車に飛び乗ったら、 まもなく発車となった。

途中四万十川ではこちらの山から向こうの山へとこいのぼりを泳がせたりして優雅ではあったが、我々にはもうひとつ、最後の難関が待ち受けている。それが宇和島での2分の乗換である。4929Dは務田で下車客がもたついたため、30秒遅れ、宇和島到着もほぼ30秒遅れということで、走ったものの、1台目の自転車を積み込んだ段階ですでに車掌の笛の音が鳴り響いた。それでも、2台目をなんとか積み込んで、ぜいぜい言っている後方で扉が閉まった。

  

(左:十川駅付近、右:1074Dアンパンマン列車)

5号車12番、13番にこだわる方にも問題はあるが、そこから積まなければ、とても車内で自転車を運ぶことはできない。思わず、ぜいぜいと息があがった状態で「お急ぎください」というヒマがあったら、4830D宇和島発を2分早めて、4829Dの宇和島到着を2分早くしろよ!とグチを言ってしまった。といっても、ひょっとして運転士が聞き取れないような場所でしかない。

その4830Dであるが、昨年3月ダイヤ改正前は宇和島発1809分であった。したがって、同改正で馬車馬1072Dが1806分から1810分になったからって、4830Dを1809分から1825分にする理由はどこにあるのだろうか?と思う。なによりも、4829Dを伊予宮野下で615秒も停車させるヒマがあるなら、4830D宇和島発を1823分 にしたところで、別にバチは当たらないと思うのだが、それにもっと早く帰りたい人もいるだろうし。そういえば、1072Dの後続の4742Dが宇和島発 18時17分から18時31分に改悪(?)されて、卯之町までの1072D利用者が相当増えたことが思い出させる。ともに、17時40分頃にもう1本ある のならば理解できるが、普通列車の相手は通学客だけ(?)で通勤客はバスか、自家用車を使え!としか理解できないような考え方もいかがなものかと思う。

そ ういえば、現811Dは元々185系2連+32系の3連だったが、いつのまにか54+32の2連になった。利用客が減ったのならば文句も言えないが、その 結果、出目以遠からバスで出目までやってきて、そこから811Dに乗車していた高校生が混雑で乗車できなくなり、結局そのままバス直通で宇和島までの通学 を強いられ、逆に便利にはなったが、通学費用が増えたという話をよく聞いた。このあたり、JRは編成のカットといい時刻といい、予土線をわざと使いにくく して、廃止に追い込もうとしているのではないかと余計な詮索をしてしまうほどである。

が、我々としては、宇和島での乗換は今回が最終回であり、次回からは高松方面の行軍となる。最後の足摺オプショナルで利用するだろうが、それぐらいのことで、JRに文句を言うのは控えることとしようか。

と いうわけで、前回の尾を引いただけに、制約の多い行軍ではあったが、なんとか松山へ無事帰ってきたのであった。考えてみれば、今回はまさに四国一周をした ことになるし、走行距離も今回が最長となる。だが、勾配と暑さを考えると、次回夏休みの甲浦〜徳島間が最大の難関になるのかもしれない。(2009.05.13)

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