かずまる特攻隊番外編・四国一周自転車特攻隊

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(以下の撮影日は特に説明がなければ旅行日)

H21年7月19日(日)〜20日(月)日和佐〜徳島(同行編6回目・その2)

   

(クリックすると拡大します。なお、この画像は「カシミール3D」から転載し、地図画像は「カシミール解説本5万分の1地図」から作成しております。)

今 回の宿は、美波町役場近くにある「民宿弘陽荘」である。近くに薬王寺があるため、お遍路さんの宿という印象もあるが、なにしろ、昨夜が「海がめ祭り」当日 が「日和佐トライアスロン」ということで、そういう人が宿泊しているらしく、前夜は満室のようであった。我々の宿泊した部屋は「明治館」という別館という ことであったが、予想に反して本当の離れではなく、本館から室内を移動したら、そのまま部屋に到着した。相当改造したと推測される。しかも、部屋は、囲炉 裏があり、土間もあり、天井も明治!という感じで、なんとも「座敷わらし」が出てきそうな雰囲気でもある。しかも、10人くらい宿泊できるような15畳部 屋である一方で、冷房も完備されていて、宿泊するのにはなんら不自由はなかった。

  

(左:海陽町浅川付近の風景:右:日和佐の民宿弘陽荘)

で、 部屋に入ると、ご主人が「私はよく操作できないのですが」と恐縮しながら「うみがメール」というチラシをもってきた。日和佐では5月から7月にかけて、海 がめが上陸することで有名である。昨年、4年前、6年前は7月20日前後は例外なく毎日上陸していた。だから、今回も期待はしていたのだが、今年は梅雨明 けが遅いことで、ここ数日上陸がないことと、実際にはそんなことをしていたら、明日の体力は大丈夫か?という心配もある。が、とりあえず、メール登録をし ておいた。

ここは、食事も予想以上だったのだが、宿泊客には、やはり今日のトライアスロン出場者が数名泊まっていた。というより、宿の廻りにはそれらしき自転車が並べられており、我々の自転車は少々貧弱に思えたのであった。

うみがメールを待つ間・・・やはりというか、妻子ともども午後9時までには沈没してしまう。まあ、それは当然であろう。私としては、明日の天気を心配しながら、まもなく熟睡したはずであった。

が、 やはり、海がめよりも、天気が気になるようで、午前4時頃に目が覚める。まあ、すでに7時間近く寝ているから、もはや睡眠不足ということもあるまい。が、 外ではたたきつけるような雨が降っており、雨雲レーダを見ると、徳島県一帯に雨雲が広がっている。もはや、これまでか?最悪は、同行編4回目(3月22 日)のごとく、日和佐から帰宅の徒につくのか?そうなると、もう一度4M出撃か?などと思いながら、夜が明けた。

結 果は、まずは、海がめは来なかった。正直なとところ妻子の状態を見ると、来なくて良かったと思う。雨は上がっていた。そして、雨雲レーダでは徳島県内から 雲が完全に消えていた。昨夜というより、2時間前の雨雲は一体何だったのだろう?だが、四国全体で見れば、ちょうど松山のあたりに強い雨雲がかかろうとし ている。安心はできない。だが、この状態であれば、星越峠は越えられるだろう。最悪の事態となっても、桑野あるいは阿南まで移動できれば、次の行軍が楽に なる。

  

(左:日和佐の民宿弘陽荘、右:日和佐の民宿弘陽荘(宿泊した明治館))

と いうわけで、午前8時に宿を出た。だが、妻が「せっかく来たのだから、せめて海がめが産卵する場所を見たい」と言う。それは当然だろう。だから、少々の時 間ロスは目をつぶって、逆方向の海岸へと行く。さすがに、遊泳禁止、キャンプ禁止、花火禁止と、海がめ様々の海岸であったが、それで妻子は満足したらし い。

だが、予想に反して、太陽が姿を現した。2日目なぞは当然曇天ある いは雨としか予想していなかったのだが、ここでいきなり昨夜の酒が汗となって流れ落ちる。豪雨よりはマシだが、これから暑くなったらどうなるのか?という 不安もある。夏の行軍は難しい。だから、以前のシリーズで松山〜宇和島100キロ貫歩では、夏の行軍をはずしたのだ。

先 ほどの宿の前を通り過ぎ、多分旧道だろうと思われる道を通って、国道55号へと入る。頭の上をバイパスが抜けているが、これは自動車専用道らしいので、通 るわけにはいかない。だが、国道55号に入ったとたんに、急な上り坂に入る。これは予想外である。元々海がめ産卵地を見ているから、予定時刻を過ぎてい る。昨日の状況から見て、上り坂は相当余裕を持っていることがわかっているから、あまり心配はしていないが、どうなることかと思う。しかも、この峠はなぜ か一方的に登ることがない。登って言ったかと思うと、なぜか途中で下ったりする部分がある。少々無駄な力を使いそうである。

そ して、最大の問題は道路事情である。まず、歩道などはあるはずがない。そして、路側帯もロクにない上に、道路わきに雑草が生い茂っており、自転車のタイヤ がどうしても道路内に入ってしまう。従って、対向車がある場合、後方からの車はスピードを落とさなければならない。そのような恐怖の中、高知県ナンバー は、何度となくクラクションを鳴らしてきた。だが、徳島県に入ると異変が生じたのだ。徳島ナンバーあるいは関西ナンバーの車はクラクションを鳴らさずに、 速度を落としてくれるのだ。危険な道路であることには違いないが、今まで幾度となく恐怖を味わってきた我々にとっては、これ以上ない救いでもあった。唯一 鳴らした車は、そう。同じ宿に泊まっていて、昨日トライアスロンに出場した夫婦が手を振っていたのだった。屋根に自転車を2台くくりつけていた記憶のある 車だから、私は接近しているときから気がついていた。思わず、3人で手を振って見送る。

  

(左右:日和佐の海がめが上陸する海岸)

私 自身が徳島の教習所にいたこともあるから(昭和59年)、あえて言うが、入所初日に教官が言った言葉は「徳島ナンバーと和泉ナンバーが来たら、回りの車は 逃げていく」であった。それくらい、徳島ナンバーの車の運転マナーは悪く、私自身、ああはならない!と心に誓ったものであった。だが、何が悪いかと言え ば、信号を守らないことと、絶対に道を譲らないことである。だから、いたるところに「イエローストップ」とか「黄色で止まろう」という標識がある。これが 愛媛の人間にはなかなかわからないらしい。「黄色で加速、赤ダッシュ」「赤になってから10秒と青になる前の10秒は青だ」などという言葉を幾度となく聞 いた。だが、これらは全て車同士の話であって、我々自転車にとっては、特に関係があるわけでもないし、第一、黄色で止まらないのは変わっていないにして も、さすがにあれから25年が経過して、特にひどい車も見当たらない。

さ て、我々は、ひょっとして自転車特攻隊全行程中最大の難所ではないかと思われる、この星越峠を登っていく。というより、そのほとんどは自転車を降りて歩い ていくというのが正しいのかもしれない。だが、時間的な余裕は十分にとっているはずだし、幸いなことに、天候も雨が降るでもなく、時折太陽がのぞくが照り つけることもなくという、最高のコンディションで、上り詰めていくのであった。

実際、1級国道であるから、勾配そのものはたいしたことはない。しかも、予定所要時間を十分にとっているから、無理に登らずに、自転車を押して歩いたので差し支えない。ただ、道路状態が非常に悪い。そういう中でも、確かに我々は登って行った。(2009.07.29)

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