愛媛の「鉄」の紹介 > かずまる特攻隊が行く > 目次 > 同行編9回目 | ||
(以下の撮影日は特に説明がなければ旅行日) 行 程 表 2009.09.24(月) H21年9月24日(木)伊予三島〜今治(同行編9回目・その1) (クリックすると拡大します。なお、この画像は「カシミール3D」から転載し、地図画像は「カシミール解説本5万分の1地図」から作成しております。) 自 転車特攻隊もいよいよ佳境を迎えた。とはいうものの、当初は、伊予三島〜今治〜松山間を1泊2日で年末に敢行することを計画していた。だが、伊予三島〜今 治間は新居浜市内の海側経由で約68キロ、山側経由で約65キロというこれまでの最長距離である。加えて、冬場になると北西の季節風が予想されるため、こ の距離の向かい風は厳しい。かといって、最終回に逆走するのは間抜けでもある。だから、ここは気候のいい時期に伊予三島〜伊予西条間約35キロを走ってお こうと思ったのであった。 が、今までお世話になってきた「四国ペアパ ス」は、この9月24日だけは使えない。5連休中は使えるのに、わざわざ「9月23日出発は利用できません」となっているし、翌25日出発は利用できるの である。この日はかずまるは19日(土)の運動会の代休である。だからというわけでもないが、私がかずまるに付き合って休暇をとったのであった。
(左右:伊予三島駅) 今 回は実は伊予三島〜伊予西条間を逆走するならば、普通に切符を買うよりは「Sきっぷ」の方が安い。だが、妻曰く「(順行の方が)行軍延長ができる」という のが気になっていた。幸いこの日も風が弱いようだが、どうもかずまるは「今日は最長距離を走る」というような意味のことを言っているところをみると、伊予 三島〜今治間を走ることを考えているようである。そこで、伊予西条、壬生川、伊予三芳、伊予桜井、伊予富田、そして今治を最終目的地とした行程表を作成し たのであった。 そうして、9月24日(木)の8Mに乗り込む。ところ が、8Mの乗客は前回8月末よりも多い。よく考えると、6年間の知識として、金曜日は乗客が少なく、休み明けは乗客が多い傾向にある。私の隣の下手をすれ ば頭を打ちかねないような席にも乗客が座った。幸い頭を打つほどの背の高い人ではなかった。 8時44分伊予三島到着、前回駅前のタクシーの運転士が人待ちをしている前てで自転車を折りたたんだものだが、今度はその前で自転車を組み立てる。なんだか記憶のある親子がまたやってきたぞ、と思う人はいただろうか。そうして、8時58分に伊予三島駅前を出発する。 こ の伊予三島駅は前回、駅前の国道11号からはかなり登っていることがわかっている。だから、線路沿いに走って省エネ行軍をして、国道11号に出て、という ところで、あれ?コンビニがない?ちょうど左下の画像のところにあるはずなのだが、コンビニがなくなっている。最近のコンビニは浮き沈みが激しいが、我々 にとっては少々困る。夏の時のような涼むために立ち寄ったようなことは、さすがにこの時期には必要なくなったが、我々にとっては、トイレ休憩と水分補給で 必要である。とりあえず、30分先のコンビニへと向かう。 このあたりは、標高40メートル付近で小刻みなアップダウンがある。とはいえ、真夏の太陽ではない状況で、我々もそのときのような状況にもない。四国中央市寒川で予定どおりコンビニによって、今日初めての飲料水と森永ウイダーを買っておく。
(左:国道11号バイパスの西側入口、右:四国中央市寒川の風景) が、 今日はこの後に選択肢が待っている。それは、四国中央市土居町関川と新居浜市にある峠である。この峠は地図を見ていても特に固有名詞はないし、私も車で何 度も通過しているが、特に峠という印象もない。なんといっても、職場で新居浜市出身の人に聞いても坂という印象がないらしい。 が、 実はこの峠は標高160メートルあるのである。それが証拠に国土地理院の地図では、峠付近に160・1という表記があるのだ。この標高160メートルとい うのは、実は自転車特攻隊が自力で登っていく坂としては、最高点なのである。今まで経験した最高点は、高知中土佐町七子峠の317メートルである。が、こ のときはJRを利用して、四万十市窪川駅から登っていった。この窪川駅は標高210メートルだから100メートルほどしか登っていないことになる。かつて 日和佐から星越峠を越えたが、この峠の標高が146メートルで国道55号最高点だった。このときは、海がめが見られる海岸からの行軍だったから、本当に 146メートル登った。今回は伊予三島駅が標高16メートルと以外に高所にあるため、峠までの差は144メートル。比較高低差からいえば、あの真夏の行軍 の時ほどではないかもしれないが、同じくらいの坂が待っていることなる。 で、 実はその峠を避ける方法がある。関川駅付近で県道138号に出て、新居浜市多喜浜方面へと抜ける道である。この場合の標高は95メートル位であると計算さ れている。だが、問題はこのルートをとった場合、3キロほど距離が伸びることである。関川の国道11号の坂は、そんなに急カーブがあるとはおもえない。だ から、ある程度勾配が抑えられているのだろう。だから、計算上は国道を走ったほうが10分程度早いという計算がでている。ただ、それは机上の計算であっ て、その5キロほどの坂を上ったことによるかずまるのダメージまでは計算することができない。しかも、前日プリンタのインク切れのおかげで、国道ルートの みの計算書しかもってきていないから、多喜浜経由の場合は、西条の加茂川を渡るまで経路の計算ができないという事態となっている。だから、かずまるにまか せることにした。 ところが、当のかずまるは「1回の距離の長いのと、高 い峠まで登ったのとどっちが(学校で)自慢できる?」であった。これには、さすがの私もずっこけた。なんだい、貴様はそういう理由で四国一周しているの か?とも思ったが、実際そのくらいの気持ちでいなければ、四国一周なぞできないのかもしれない。
(左右:関川駅付近の国道11号、いよいよ新居浜市との間にある峠が迫ってくる) と いうわけで、結論がでないままに、関川が近づいてくる。どちらのコースをとるにしても、これから先しばらくはコンビニがない。かずまるには、ここのコンビ ニが最終判断地点だということを言い聞かせていたのだが、まだ回答がない。そうなった段階で、私の気持ちは多喜浜経由になっていた。ただ、この場合の問題 点は、先に述べたとおり、西条市を抜けたところにある加茂川の橋を渡るまでは正確な時間設定ができない。だが、ついにその最終コンビニに到着したのであっ た。 私がそこにこだわる理由は次のとおりである。かずまるは今治まで走 るつもりでいる。だから、今までの経験からすれば、よほどのアクシデントがない限り今治まで行くことになると考えている。だから、今治から松山までは 15Mでの帰宅を考えている。だが、それが遅れた場合、次の17Mなのだが、この17Mは私が3年間経験したとおり、松山から今治へ通勤している者の帰宅 列車となっている。とはいえ、17M到着直前に今治到着するような事態にでもならなければ、座れないことはないはずなのだが、座れないのではなくて、自転 車を置くスペースをどうするのか?という問題が発生する。最近開き直りはじめたとおり、別に自転車をデッキに置いたところで、我々が困るのではなくて、他 の乗客が困るだけなのだが、17Mの状況を知っている者としては、わざわざ17Mの乗客の邪魔はしたくないという考えもある。バカか?と言う気がしないで もないが、そんな思いもある。 とはいえ、3キロ短く10分早いとはい え、標高160メートル登るというのは、かずまるのボディブローとなるのではないか?というのは、伊予三島からここまでの道のりで、標高30メートルから 40メートル前後を小刻みなアップダウンを見て、体感したことでもある。そこで、私は最終的に多喜浜経由とすることを決定したのであった。が、そうである にもかかわらず、大きな失敗もしてしまったのである。 コンビニの標高は約40メートルである。国道から多喜浜へと向かう県道との分岐点の標高は約100メートルである。が、ここから国道を外れて、川沿いに走って関川駅前を走れば、標高が抑えられて、新居浜へと向かう峠の標高約85メートルまで登っていけばよい。
(左:関川駅付近の国道11号、右:新居浜市多喜浜付近) だ が、前日のプリンタのインク切れがここで問題となった。地図と行程表を印刷できなかっただけに、はっきりとした行程がわからなかった。だから、道を間違え て、結局国道11号へと戻ってきてしまったのである。これでは、単に距離が長くなっただけである。とはいえ、戻るのもかずまるの体力からして無理である。 しかたなく、国道から多喜浜へと向かう県道との分岐点からのアプローチとした。で、標高約160メートルの勾配が始まったわけだが、これが確かに、勾配を 抑えられたまっすぐな坂なのである。だから、そうきつい坂ともいえないが、それでも約5キロの坂ともなれば、いいかげんにせんかい!状態ともなる。実際か ずまるも「いくらまっすぐでも、きつい!」という。 結局標高約100 メートルの交差点から一路新居浜市多喜浜へと向かう。かずまるの体力を無駄に使わせたことが気になるが、幸い現在のところでも20分ほど早く進んでいる。 なんといっても、そこから峠方面へは急坂を下っていくから、げんきんなかずまるは、それで体力が回復したらしい。しかも、新居浜市多喜浜方面へ向かうに は、峠まで約20メートルは登ると思っていたのに、実際には切通しになっていて、ほとんど登ることなく、多喜浜方面への下り道となったのであった。 で は、道を間違えなければ、もっと早かったのではないか?とも思われるが、それは結果論としておこう。そうして、結果的には新居浜市多喜浜から新居浜市入り を果たしたのであるが、かずまるは、今まで同様、中間地点前で疲れがやってきているようであった。<その2へ続く>(2009.10.03) |