かずまる特攻隊番外編・四国一周自転車特攻隊

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(以下の撮影日は特に説明がなければ旅行日)

H21年9月24日(木)伊予三島〜今治(同行編9回目・その2)

   

(クリックすると拡大します。なお、この画像は「カシミール3D」から転載し、地図画像は「カシミール解説本5万分の1地図」から作成しております。)

す でに、かずまるは疲れがたまってきているときであるのだが、そういうときに限って、ちょうど都合の悪いときへ来ている。この多喜浜という場所は、かつて平 成15年の新居浜太鼓祭りの時、多喜浜から祭りへと向かった場所であって、それは、かずまるの気を紛らわせる絶好の場所であるのだが、その多喜浜から新居 浜市中心部への境界ともいえる国領川までが相当長いのである。もっとも、その場所へ今日行ってみたいといわれも困るが・・・

  

(左:新居浜市リーガロイヤルホテル前、右:新居浜市と西条市の境付近の坂)

し かも、我々は、行程の地図はもちろん、行程表も持参していない。ただ、国道11号を走った場合の行程表があるだけである。それから見れば、元々の20分の 貯金を含めて、遅れていることはないだろうとは思うのだが、絶対確信というものがないため、結局は西条を越えたところにある加茂川まで行かなければ、結論 が出ないことになる。もっとも、私はその事態を最大限に生かせて(多少鬼と言われても仕方はないが)、かずまるの尻をたたくことにしたのである。

こ の新居浜市という都市は、住友グループの企業城下町である。現在の住友銅山の一帯は江戸時代に天領であった。それが明治時代に西条についたら、今の新居浜 市は完全に西条市になっていた。が、それを住友がしなかったため、新居郡という小集落で居つづけられた。その集落群が集まって新居浜市となり、今治市が広 域合併するまでは愛媛県第2の都市であったたため、新居浜市は住友グループには頭が上がらないのだそうだ。

もっ とも、西条市、新居浜市の思惑としては、双方合併して、23万都市という青写真はあるらしい。西条市に住む元上司から聞いた話では、当初新居浜市は西条市 に合併話を持ちかけたらしい。が、西条市はそれを拒否して、先に東予市、周桑郡と合併して、10万都市となった。これで、新居浜市12万と対等あるいは 乗っ取り合併を考えたに違いない。人口としては、新居浜市の方が多いのだが、例えば愛媛県の出先機関である東予地方局は西条市にあるし、人口集中地として は西条市役所付近の方が都市機能が大きい。というわけで、個人的見解としては、双方の合併は今となっては、よっぽどのことがなければありえないと思われ る。

そのような話を思い浮かべながら、新居浜市の中心部を走っていくのだが、確かに新居浜市には、ここと思えるような市街地がない。市役所付近にビル群があるのだが、それを過ぎたらただの町並みとなってしまう。

そ して、いよいよ西条市との境界にやってくる。ここは、私がかずまるくらいの時だった頃には、一面海だった。バスに乗っていても、海地に落ちやしないかと 思ったものである。今は埋立が進み、海が見えることはない。で、そのかずまるといえば、今が一番疲れたときらしい。新居浜駅までが27キロ、伊予西条駅ま でが39キロなのだが、今治まで68キロ走ろうと思えば、ちょうど中間点なのである。

  

(左:西条市加茂川の古川橋右:中山川から今治方面を望む)

と はいえ、かずまるの速度は落ちてきている。今後速度が上がるとは思えないのだが、現時点での行程が全くわからない。仕方がないから、西条市街に入るところ で、かずまるを歩道に寝かせて、お尻をマッサージする。だが、そんなことをしていてもきりがない。というより、下がアスファルトでは痛いだろう。というわ けで、我社の西条支社フロントロビーならば、クッションのある座椅子があるだろう。しかも、我々の行路上にある。ということをかずまるに言って、とりあえ ず、そこまで走らせる。

その我々が走っている道路は、西条では産業道路 と言われている。この道は現在県道13号(壬生川新居浜野田線)の一部である。元々が有料道路だったこともあって、他にも県道13号が西条市内にあって、 少々複雑なことになっている。しかも、その県道13号は我々が走ってきた新居浜市中心部へと向かうのだが、西条インターチェンジへ向かう(東側)道は国道 11号バイパスだったりもする。最終的にはこの道が国道11号バイパスとなるのかもしれないが、先はわからない。で、この道は元々は片側3車線の幅員を もっているが、西側が片側1車線、東側の国道11号バイパスが片側2車線ということで、片側3車線あっても仕方ないことで、片側2車線で、路側帯が非常に 広く取られている。というわけでもないのだろうが、歩道は自転車通行可能になっているにもかかわらず、橋にかかると、歩道がなくなってしまう。我々は、目 的地が道路右側にあるため、右側の歩道を走っている。この場合どうしたらよいのか?とも思うが、先のとおり、路側帯が広いため、そのまま例の「やむを得 ず・・・」を適用させていただいて、そのまま右側を走る。

そして、我社 の西条支社に到着する。さっそくかずまるのマッサージをするのだが、如何せんちょうど昼休み時間帯ということもあって、知った人と会うこともある。今日は 平日。「あれ?」ということになるが、かずまるを見せて、「かくかくしかじか」と説明する。ちなみに、先の合併云々を言っていた元上司の姿も見たが、ちょ うど午後1時になったところで、お客さんを連れてきたようだったので、あいさつをすることもできず、そのまま出発する。

  

(左:西条市(旧東予市)河原津付近、右:西条市河原津と今治市との間にある坂)

さ て、西条から旧東予市へと抜けるには、このまま産業道路を走ればいいのだが、この元有料道路は加茂川、中山川を越えるところで、歩道がない。しかも、橋そ のものは太鼓橋のごとく相当登っているし、同調はできないが、へたにショートカットしたら、かずまるが「距離が短くなる」といいかねない。

そ こで、予定どおり、ひとつ川上にある古川橋を越える。そこでようやく、当初持参していた行程表と同じ場所に出る。時刻は13時06分、当初の予定よりも 30分ほど早く到着した。この時点で、とりあえず、大幅な遅延はないが、今後かずまるの速度も落ちていくだろうし、この貯金をなんとか保っていきたいと考 える。ただ、この先の時間の関係がややこしくなるので、海廻りの場合での予定時刻で話を進める。そうなると、実は40分ほど早着していることになる。

そ して、中山川を渡ったところで、ついに北の方向に今治との境界にある山が見えてくる。その間には最後の標高35メートルの坂が待ち構えている。私の高校時 代には、よく今治から壬生川までよく自転車でやってきたもので、往路は周越農道、復路は国道196号、つまり今から越える坂道を登って帰ったものだ。当時 でさえ、なかなか降りずには登りきれなかった坂だったものだ。その坂の手前にある集落が河原津である。実母の出里でもあるだけに、ここまでくればあとは寝 ていても今治の方向は判る。というより、実際、高校時代に一度峠から今治方面へと下る途中で寝てしまったことがある。多分一瞬意識がとんだだけだとは思う が、そういう経験もある。

河原津を通過したときの時刻は14時25分、余裕時間は30分少々になっている。高校時代の脚力では、ここから自宅(私の実家)までは約30分で走ったものだが、今日のかずまるは1時間30分を予定している。

そ して、いよいよ最後ともいえる坂がやってきた。とはいえ、時間的な余裕があるわけだから、無理する必要はなく、とっとと自転車から降りて歩けばよい話であ る。が、すでに56キロ以上走ってきたかずまるにとっては、さすがに堪えたらしい。というより、少しの坂でもスピードが落ちるのが判る。ということは、川 を越えるための坂道でもスピードが落ちるということは、よく考えたら、土居町から伊予三島間のアップダウンを最後に持っていかなくて良かったということに もなる。そして、坂を越えてしばらくしたところに「今治市」の標識が見えてくる。いよいよ今治市に入ってくる。そして、その後はただひとつ「松山市」の標 識があるだけである。

  

(左:西条市河原津と今治市との間にある坂、右:今治市の標識が見えてきた)

い ずれにしても、この先には道の駅があるから、そこでもう一度腰を揉んでやろうということで、かずまるの文字どおりかずまるの尻をたたく。この道の駅は今治 の湯浦温泉の国道入口付近にあるのだが、当初「駅」ということで、かつてJR四国の社長が言っていた「伊予三芳〜伊予桜井間に駅(待避所)を作りたい」と 言っていたのを真に受けて、ここに新駅ができるのだと思ったものだ。道の駅ができた時には、唖然としたことを覚えている。

道 の駅到着は14時45分、予定よりも30分早着だが、当初計画ではここでは8分しか滞在しないことになっている。しかし、もはやここまでくれば、後の計算 はやりやすい。ただ、ここで気になることがひとつある。ここから、例えば伊予桜井とか伊予富田で中断するならば、当然JR沿線を走らなければならないが、 もうここまでくれば今治まで行くことになるだろう。また、私の実家は伊予富田と今治の間にあるから、どちらかというと、JR沿線を走ったほうが近い。しか し、JR沿線を走るよりは、旧国道196号(現県道38号今治波方港線)を走ったほうが5分ほど早いのである。

だ から、当初は実家の近くよりも、なるべく距離の短いほうを走ろうと考えていた。が、ここでかずまるの腰を揉んでいて、あることに気づいた。今治まで自転車 を走らせた場合、次回が最終回となるのは間違いないだろうが、その場合、松山から今治まではJRで来るとは限らない。車に自転車2台を載せて実家へ帰省 し、帰りは妻が運転して、我々だけが自転車で帰るということも考えられる。その場合、実家を無視すれば、行程が繋がらないことになるのである。その場合 は、実家から一度今治駅まで回ってから松山へ向かうことになるのだろうが、かなり迂回することになるのは、気分的によろしくない。幸いまだ時間的余裕はあ る。15時05分にここを出れば、20分早発だから、実家へ寄ってもまだ15分の余裕はある。もっとも、実家へ帰って、何もせずにそのまま出るということ が可能かどうかは判らない。が、そこまで行けば、今治駅までの距離は逆算しながら、実家に滞在すればよいだろう。

  

(左:湯ノ浦温泉にある道の駅、右:今治駅)

河 原津を過ぎてからの道のりは、かつて何度も走ったことがあるだけに、なんだか今日はこのまま実家へ帰るようなそんな錯覚の中、我々は最終目的地今治駅へと 向かう。道の駅の出発地点からはしばらく緩やかな下り坂ということもあり、かすまるとすれば、私の実家で少しでも休みたいという思惑もあるだろうし、最後 のスパートに入った。途中で最後のコンビニがあるところも無視したのもあるのだが、実家に到着したのは15時37分、道の駅からは実に55分かかる予想し ていた私は、かずまるのラストスパートにはびっくりした。しかし、実家にはついたものの、私の両親は不在であった。後で聞いたら、ちょうど我々と逆方向、 つまり15時過ぎに湯浦温泉に出かけて言ったというから、なんという偶然だろうかと思う。我々は狭い県道を走っていたし、父親の車の場合は、国道バイパス を通るだろうから、すれ違うことはなかったろうが、、本当になんという偶然だろうかと思おう。仕方がないから、実家の写真だけ撮っておいた。

そんなことをするから、今治駅到着は15時56分、今治で40分以上も待たなければならなくなってしまった。あの途中での時間調節は一体何だったのだろうかとも思ったが、実家で空振りしなければ、このヒマな40分はないだろうから、仕方なく、2人でホームに座り込む。

ということで、ついに自転車特攻隊も今治までやってきた。松山から宇和島までの徒歩区間を含めると、ここまで約714キロ、松山まであと約44キロ。いよいよ次回が(多分)最終回になると思う。(2009.10.05)

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