かずまる特攻隊番外編・四国一周自転車特攻隊

愛媛の「鉄」の紹介 > かずまる特攻隊が行く > 目次 > 同行編10回目

<< その1へ戻る

     

(以下の撮影日は特に説明がなければ旅行日)

H22年1月2日(土)今治〜松山(同行編10回目・その2)

   

(クリックすると拡大します。なお、この画像は「カシミール3D」から転載し、地図画像は「カシミール解説本5万分の1地図」から作成しております。)

浅 海駅前を過ぎると、今回の行軍もようやく半分に到着するのであるが、再び海が近づいてくる。「室戸岬と同じだ」というと、かずまるも「思い出したくないや い!」という。そして、大浦駅近くにある有名な鉄道写真場所を過ぎると、いよいよ大浦の坂が始まる。ここで我々のコースも向きが変わる。

  

(左:浅海〜大浦間537M、右:大浦〜伊予北条間22D)

具 体的には、90度というわけではないのだが、それまでほぼ西向きに進んでいた我々は南へと進路を進路を変えるのである。ここまで完全な逆風であった我々 は、ここで多少なりとも、風向きが変われば・・・という思いは甘かった。向きをう変えたとたんに南風に変わったのである。

こ れは、かつて経験したことがある。実際には南風だったのが、菊間〜北条間にかけては、そこに山があるから、風が西から吹いていただけ、ということがあるの である。それなら、松山〜北条間を往復した場合ならば、往路、復路のどちらか一方は追い風になるじゃないか、と思っていると、このときに限っては、真西か ら風が吹いていて、結局往路、復路ともに(ベクトルが出てくるのだが)斜め前方からの向かい風だったことさえある。つまり、この北条付近の風は、まず自分 には味方しないと思わなければならないようである。だから、今治〜松山駅伝などでごくまれに(10年に1回程度)逆の東風が吹いたときなどは、区間記録の 連発で、総合記録が10分ほどよかったりするのだそうだ。

そうこうしな がら、我々は北条バイパスにはいる。距離だけならば、旧国道196号(現県道)の方が短いのだが、自転車が走れるスペースがない。かずまるの場合は歩道が 走れるが、この歩道ががたがたなものだから、一度かずまるが走ったときも、途中で手がしびれて、パイパスへと移動したことがある。だから、今回もバイパス を走るのだ。

  

(左:愛媛マラソン27キロ地点で残り13・5キロ・09.12.29撮影、右:愛媛マラソン30キロ地点09.12.27撮影)

そ れも計算済みで、バイパスの場合は立岩川のあたりでは相当迂回しているので、そのあたりは細い道を走って、最短距離を行く。このあたりは、ここ半年間に ジョギングで知り尽くしている。再び国道バイパスに出たときには、ちょうど愛媛マラソン27キロ地点のポイントがある交差点へと出るのだ。

だが、ここへ来るまでに、すでにかずまるは限界となっており、全く私についてくることができない。この交差点にあるコンビニで休む予定ではあるが、果たして、かずまるが復活できるかどうか、今までの向かい風によるダメージは大きいようだ。

と 思っていたのだが、かずまるがたまたまゲームのカードを見つけて、「買ってもいい?」という。気晴らしを考慮して「いい」というと、なんとかずまるが持つ ともほしいカードが手に入ったと言うのだ。そんなこともあって、かずまるは完全に復活したと言うから、げんきんなものだ、というより、何を考えているんだ か?という感じである。

いずれにしても、愛媛マラソンの27キロ地点と言うことは、私の自宅が38キロ地点から松山北環状線へとはいり、仮想40・5キロ地点にあることははっきりしている。ただ、平田の坂は迂回すると、実質あと14キロということになる。

  

(左、堀江〜光洋台間24M、右:粟井坂トンネル)

14キロと言う距離は短い距離ではないが、今までの四国一周の距離に比べれば、ものの数ではないと考えるかどうか?でもあるが、ともかく、残りの距離は自転車で進んだ分、短くなるのも事実である。

か ずまるも一時的に復活したものの、やはり距離を重ねるに連れて、再びスピードは落ちてくる。ちょうど光洋台駅付近を「坂の上の雲」ラッピング8000系が 通過している。この時点で愛媛マラソン約32・5キロ。あと9・5キロとなった。1月31日に開催される愛媛マラソンの試走者の多いこと。

ト ンネルを2つ抜け、堀江の街にはいり、そこから信号を渡って、進行方向右側の歩道を走る。堀江小学校を過ぎると、あと5・5キロ。ここから平田の坂を避け て、旧国道へと迂回する。再びバイパスに出てきたところが、あと3・5キロ地点。最近2車線から4車線に拡幅された、この国道196号鴨川交差点から平田 交差点であるが、歩道はいずれも自転車通行可ではあるものの、左右の歩道の幅が全然違う。南を向いた場合、進行方向右側の歩道は左側に比べ、歩道幅が半分 程度しかない。それでいて、松山の車のマナーは悪い。店から出てくる車を避けながら、ここが「徳島・香川ナンバー」とは全然違うところだったなあ、「高知 ナンバー」に至ってはなんにも考えてなくて、我々の目の前で、(我々は左の歩道を走っていて)前方からやってきた子どもを跳ね飛ばした車を目撃してしまっ たなあ、とここでつまらぬ回顧をしたりしてしまう。

いずれにしても、「伊予のはや曲がり」とはよく言ったものだ。これは、交差点で右折するときに使われるのであるが、道路へと歩道をまたいで入って来る場合にも十分通用する言葉だと思う。

  

(左:自宅まであと500メートル、右:自宅)

などと思っているうちに、我々は国道を離れ、北環状編へと入ってくる。

い よいよ、四国一周の旅の終わりがやってきた。ちなみに、厳密に言うと、我々の出発点はJR松山駅だったから、自宅からJR松山駅までの間が抜けてしまうの であるが、これまでの記録を見る限り、例えば前回の伊予三島〜今治間行軍でも少なくとも帰りのJR松山駅から自宅は自転車に乗っていることだし、その間が 抜けているなどと思われることもなかろう。

というわけで、平成22年1月2日午後4時25分に我々は無事松山の自宅に到着した。すなわち、松山から宇和島までは徒歩で、そして宇和島からは自転車で四国一周をやり遂げたのであった。

あと、足摺岬編が残されたが、とりあえず、そこは未定ということで・・・(2010.01.13)

<< その1へ戻る  このページのトップへ