新かずまる特攻隊が行く(10)

愛媛の「鉄」の紹介 > かずまる特攻隊が行く > 新かずまる特攻隊が行く
 

新かずまる特攻隊が行く41〜45話へ>>  新かずる特攻隊が行く51〜55話へ>>

 
第50話 「俳句の里巡り・城下コース」完結!(撮影は全て2003.11.08)

11月8日(土)、前夜夢を見た。古町駅で「がんばれ運転手」と話し込んでいて、坊っちゃん列車に乗ろうとすると、カウンターの女性に「満席です」と言われた。がっくりと坊っちゃん列車を見送る。先回りして、坊っちゃん列車がやってくる。車中ではなぜか酒盛りをやっていて、そのごみを「翼君」が拾っていた。

まあ、つまらん話は終わりにして、いよいよ「俳句の里巡り・城下コース」が完結する。が、出発時刻がきても出発準備ができない。帰宅は義父母宅であるので、自転車で出かけるわけにいかない。10時02分に自宅を出発して伊予鉄衣山駅へ急ぐ。が、結局衣山駅前踏切まであと100メートルところで、無情にも警報機がなる。まさに正夢か。仕方なく10時27分発の電車で古町へ向かう。すでに坊っちゃん列車は到着しているが、ホームで待っているのは1名だけ。よかった、乗れそうだ。

  

が、古町駅には「坊っちゃん列車運休のお知らせ」という張り紙がある。ぎょぎょ、と思ったが、昨日が定期点検のようであった。どうも昨夜の呪縛が解けてないようだ。乗務員は「坊っちゃん2世」「しょうゆ顔の好青年」「ゲンちゃん」「木田君」、出発直前に「市駅からの回送を待つ」という。その間に「木田君」が先ほどの張り紙をはずした。そしてまもなく発車する。JR松山駅でも大街道でも乗車がなく、前客車1名、後客車2名で道後温泉をめざす。14号機とは県庁前交差点ですれ違う。

道後温泉に到着すると、街角案内人の「まどんな」の衣装が元に戻っていた。前の古町便となる9時55分の便は「満席」表示がある。しばしからくり時計の前でくつろぐ。ちょうどその前に「俳句の里巡り・道後コース」の5番があった。かずまるがとっとと走っていく。というわけで、ついでに1番から5番までの近くを回っておくことにした。が、この放生園の中に6番があることを忘れていた。

  

今日はとりあえず、道後公園へ行く。途中子規記念博物館に1〜3番までがある。公園ではちょうどどこかの幼稚園の親子がやってきていてにぎやかであった。ここで約30分ほど過ごす。かずまるは物足りなかったようだが、朝「城下コース」が回れなかったため、これ以上ここにいたら、先週の二の舞になる。ぐるっと反対に回って、公園前にある4番をまわると、14号機が通り過ぎていく。我々はそのまま、電車で道後温泉へと戻る。

道後温泉12時13分発の本町6行きの電車66号機に乗る。最近2100形だけでなく、他の電車もミュージックフォンを搭載していると聞いたが、66号機にも搭載されていた。かずまるが興味を示す。が、この電車は17年3月に全面点検とある。つまり、このまま2100形が増備されていくと、あと1年半で解体されることになるのだろうか。南町付近で坊っちゃん列車とすれ違う。

  

本町3丁目電停で下車し、目的地阿沼美神社へ向かう。そのまま古町駅へ行って、電車で宮田町へ行き、D電器店でDVCを物色する。ここで青い風船をもらった。さらに、JR松山駅へと行って最終地点へと向かう。結局なんてことはない。先週と同じようにJR松山駅前ロータリーをぐるりと回るだけである。そして、午後1時半に「城下コース」を終了した。なぜかかずまるが写真の前でポーズをとっている。

さて、これからはアンパンマン列車タイムである。先週かずまるプラスと一緒に行ってて思ったこと。いまやかずまる特攻隊は何をするでもなく、30分くらいホームで退屈するでもなく、ぼけーっとしているのが日課になっている。これから寒くなってくるとどうなるか解らないが、このぼげーっとがなんとも贅沢でよい。まずは松山駅ホームで約30分間ぼけーっ。

  

いつものように、22D8号車の展望席で今治へと向かう。が、途中私は寝てしまい。気が付いたら今治のホームが目の前だった。そして、今治駅で結局そのままぼけーっ。かずまるもホームで寝ていた。帰りの13Mは小団体客がいたようで、先週よりは混んでいたが、その中でやっぱりぼけーっ、気が付くと松山に到着するアナウンスが始まっていた。そして、それから義父母宅へと向かったのであった。(2003.11.09)

このページのトップへ >>

第49話 執念実らず「俳句の里巡り」完結せず!(撮影は全て2003.11.03)

11月3日(月)3連休の最終日。「俳句の里巡り」41番〜47番完結を目指していたが、あいにく朝から雨であった。天気予報によると、午後から雨は上がりそうである。だが、レーダーを見てもなかなか雨がやみそうな雰囲気がない。そのうち天気予報でも雨の上がる時間帯が遅くなってくる。あいかわらず、プライドのないことである。少なくとも8年ほど前は午前6時間から「降水確率0%」の中で午前6時に雷雨による豪雨であっても予報を変えなかったぞ。

それはともかく、最後のタイミングとなる午後3時過ぎ、ようやくレーダーの雨雲が切れる。雨がやむ。これならば3時45分頃のループバスで本町6まで行けば合理的に行くことができる。ということで、親子3人家を飛び出した。バスは15分ほど遅れている。

  

が、歩きはじめて200メートルもしないうちにぽつぽつし始める。レーダーではすでに雲が切れている。これ以上は大降りにならない。と前進すると、さらに100メートルもしないうちに本降りになった。しかたなく、交差点にある本屋で雨宿りする。だが、雨はやまない。4時を過ぎて遅れていたループバスが通り過ぎる。

ここで一度は中止する予定であったが、4時20分を過ぎてようやく雨がやむ。ともかく、47番と46番を片付けようということで、徒歩で萱町6丁目の松山市保健センター裏へと向かう。

続いては大三島神社である。これを片付ければ、あとは古町〜JR松山間になる。通常のかずまる特攻隊でも対応できる。時刻は4時45分。平和通を通り過ぎるが、まだ最終の坊っちゃん列車は見えない。そのまま阿沼美神社へ行く。が、どうやら東向きの44番は撮影できたが、西向きの44番は真っ暗になってしまった。そして、最終コースとして庚申庵へ向かう。(旧)かずまる特攻隊シリーズ当初、つまり1年半前にやってきたときは、まだ工事中であった。ここではそのまま通り過ぎるには惜しいところで、もう一度来る必要がありそうだ。

最終JR松山駅前交差点へやってきたときは、すでに日没後であった。全て撮影はしたものの、タイムオーバーということで、あと4箇所は次回にまわすことにした。まあ、JR松山駅前と伊予鉄古町駅近くということで、通常のかずまる特攻隊の中で完結を迎えることになりそうだ。(2003.11.03)

このページのトップへ >>

第48話 かずまるプラス特攻隊580円の旅!(撮影は全て2003.11.01)

11月1日(土)、明日は幼稚園の文化祭で、今日はその準備である。ということで、これまた母親が準備に出かけるかずまるの同級園児が、9月5日以来の同行をすることになった。が、幼稚園には9時30分までに行くことになっているらしい。伊予鉄衣山駅まで自家用車で出かけるが、このままでは坊っちゃん列車乗車まで時間がある。そこで、少し遠回りをすることにした。

伊予鉄郊外電車で大手町まで行って、市内電車で古町まで引き返す。ちょうど大手町電停には環状1番線と朝のラッシュから古町へ帰っていく電車とが並んでいた。行き先も古町であるし、他の乗客の迷惑を考え後ろの電車に向かうと、前のドアが開いた。運転手はハンドルネーム「軌道運転士」こと「熱血運転士」であった。

  

JR松山駅前で前を走る環状1番線が遅れていたのだろう。この電車は進入待ちとなる。「熱血運転士」が「しばらくお待ちください」というが、こちらは時間を持ち余しているのであるので、10分や20分遅れても問題はない。まあ、そんなに遅れたら、次の電車が数珠繋ぎになってしまう。

さて、そうこうしていると「熱血運転士」が「かずまるさんですよね。今日は14号機ですよ。」とこちらを向く。「増殖してますけどね」「JRは毎日遅れているのですか。」とおっしゃられた。当サイトへいらしていただきありがとうございます。と、少々会話を交わしたところで前から電車がやってきた。「今日は元気君は休んでるみたいです。」と言ってから電車が動き始めた。

この時間帯の古町駅は忙しい。古町駅にやってくるときに、先ほど乗った電車の一番高浜側の車両が1両でやってくる。次にやってきた610系が到着すると、5番ホームから別の電車が出発して、610系は引き上げられる。その間に1両の電車がやってくるし、路面電車もこのクロスを通過する。そして、今日の主役坊っちゃん列車がやってくる。乗務員は「イチロー」「坊っちゃん2世」「紅顔の美少年」かずまるは「よお!」と話しかける。どこで覚えたのかと思ったら、同行している園児から教わったものらしい。そういえば、かつて「元気君」や「翼君」が「グッドラック」のポーズをとっていたのを思い出す。

  

古町出発は、多分伊予鉄道にとっては最悪の乗客に違いない。大人1名に未就学児2名で出発する。少なくともJR松山駅前まではそうだったに違いない。JR松山駅からは乗客が乗ってきて、園児2人の動向が気になるが、同行園児すなわち「かずまるプラス」は車窓に釘付けになっている。1号機とは久しぶりに県庁前交差点ですれ違う。

道後温泉では、例の「坊っちゃん」がいた。が、彼はかずまるが帽子をかぶって気づいたようだ。やはりかずまるの旧「日本ハムファイターズ」の帽子はトレードマークになっているようだ。彼は「今日はトランジットモールの実験で、道後温泉から松山城まで無料バスが走っていますのでぜひ利用してください。」という。まあ、我々は「1dayチケット」を持っているので問題はないのであるが、一度乗車してみるのも良かろう。というわけで11時25分発のバスで「東雲学園」まで乗車した。このバスの良いところは、喜与町バス停近くの「米山工業製」坊っちゃん列車を見ることができることである。そして、前方八坂の交差点を坊っちゃん列車1号機が通り過ぎていく。

  

ロープウェイ街に降り立ったが、我々はこのまま大街道へ行き、松山市駅に向かう。大街道電停で待つ間に14号機が到着した。空いているようならば乗車してもよかったが、立客がいる中で出発していった。

かずまると2人だけならば、昼食の場所など考える必要もないが、さすがに人様の子供を預かってはそうはいかない。昼食の場所を考えながら、まずは「くるりん」に乗る。3人で乗っても我々は200円で乗ることができる。園児どもはわいわい言いながら空の旅をしている。

だが、ここに落とし穴があった。「くるりん」に200円で乗れるのは事実だが、設置場所が問題である。ちょうど終点を迎えるところに、例の遊戯施設がある。まあ、今日のところは1000円位は良いか、と思っていたら、やつらは走る走る、1000円なぞ10分で使い切ってしまった。次回からこれは考えなければならない。本来「アンパンマン列車」と「坊っちゃん列車」に3人で乗車しての格安旅行である。まさにそれらが遊戯施設である。旅客運賃制度を逆手に取った「本物」を利用した遊戯施設である。後で計算したら、ここで子供1人650円、そのほかの昼食代を含めた全ての費用が500円台だから馬鹿にならない。

  

松山市駅前の「ドーナツ」専門店で昼食をとる。我々は何も考えずに注文したが、店員さんがセットメニューに変えてくれたので、先日の「くるりん」の後の昼食よりも安かった。

店を出ると1号機が出発していく。「翼君」に手をふった後、路面電車でJR松山駅へ向かう。いよいよアンパンマン列車に乗車する。いつものごとく1番ホームの24番乗車口に立って列車を待つ。「かずまるプラス」はアンパンマン列車は初めてだという。まあ、実際に乗ってしまえば、アンパンマン列車だろうとなかろうとあんまり変わりはないが、ただ、私にとっては2000系に乗ったら展望席に座れる。

今日は園児2人に最前列席を譲ったが、その後ろに座っても、やつらの身長が低いので、前が丸見えである。いや、サイドの窓を考えると、この方が展望が良い。

  

今治まで行ってから、いつものように何をするでもなく、そのまま帰路に着く。その時間40分。我々にはたいした時間ではないが、「かずまるプラス」には少々退屈だったようだ。が、まもなく15M8000系特急がやってくる。そのまま松山へ向かう。が、帰りは横1列の席がなく、2列×3席が空いていた。彼ら2人を座らせると、のほかの乗客の邪魔になる。かといって、一度「かずまるプラス」を私の前列に座らせる。確かに静かにはなるが、これではかわいそうである。かずまるが眠りかける。これではいけないので、再び2人を一緒に座らせる。往路とは比較にならないほど神経を使う。到着直前の西衣山付近で伊予鉄道郊外電車を見かける。

松山駅に到着すると、前方に2000系気動車TSEが到着している。留置線にいるキハ54は、なんと「アンパンマン」表示であった。それらを見て、ループバスで帰ることとする。バスは遅れているらしく、16時30分が近くなっても、「あと10分」という表示が出ない。どうしようかと思っていると、16時30分になって、突如停車中のバスの列から7メートルバスが出てきた。このバスに乗ると、実は小人運賃が必要になる。それでいつもの500円が580円になるというわけである。それにしても大変疲れた特攻隊であった。(2003.11.02)

このページのトップへ >>

第47話 俳句の里巡り再開!(撮影は全て2003.10.25)

10月25日(土)、親子3人で「俳句の里巡り」を再開する。今回は1番から順番に回っていくこととなっているので非常に解りやすい。衣山駅10時27分発の郊外電車でまずは古町駅へ向かう。もちろん、坊っちゃん列車に乗車するためである。古町へ到着したときはすでに1号機は留置線に来ている。10時44分頃ちょうど松山市駅からの1両の回送便到着とともに出発する。乗務員は「坊っちゃん2世」「元気君」「ゲンちゃん」「木田君」、最近「イチロー」を見ないような気がする。

  

乗客は前客車5名、後客車は我々3名。JR松山駅前で2名乗車したがいずれも前客車に乗車ししたため、我々の貸しきり状態となった。14号機とは伊予銀行本店前交差点ですれ違う。こちらには「紳士松井」「大将」「翼君」が乗務している。

大街道からの乗車もなく、終点まで貸切となった。ロープウェイ街は今週、来週と「トランジットモール実験」として自動車の乗り入れを制限している。本来観光バスの多い道路でどこまで実行できるかわからないが、自動車を制限するならば、それなりの公共交通機関の整備が必要なわけで、本来ならばここに路面電車が走るというのが理想である。まあ、これは無理としてもどのような対処をしていくのか、今後の取り組みに期待する。

東環状線の交差点を過ぎて、温泉街が近づいたという気がする地点は、現在道路拡張工事の真っ最中で、そのような気分が味わえなくなっている。これから片側2車線になって、かつての「ひなびた・・・」気分は過去のものとなってしまうのであろうか。

  

道後温泉駅に到着すると、先週まで「巡査」役であった街角案内人が、今日は「赤シャツ」役となっている。以前「あなたは絶対巡査役よりも赤シャツが似合う」と言ったおじさんである。冬服バージョンとなって再登場ということらしい。というよりも、「赤シャツ」の服装が冬服しかないのであろうか。それにしても、「赤シャツ」と「まどんな」が並ぶとこれまた小説どおりの光景となってしまう。「赤シャツ」曰く、「まどんな」は総入れ替えとなったとのことである。

道後温泉で足湯をして、ぶらぶらとした後、いよいよ俳句の里巡りを再開する。ともかく市役所前電停へと向かう。妻が「道後温泉まで坊っちゃん列車の乗ったのは意味あったの?」とたずねる。そんなものあるかい。ただひたすら坊っちゃん列車連続乗車記録を伸ばすだけだい。

市役所前にある1番の碑から順番に歩いていく。詳細は別に掲載しているのでそちらを参考にしていただきたい。今回は街のどまんなかを歩くのでかずまるが危なかしくていけない。

「きどや」の前の句碑を見て考える。ここは夏目漱石が最初に松山にやってきたときに泊まったところである。おそらく小説「坊っちゃん」の中ででてくる最初の宿というのもここであろう。となると、この小説はかなりの矛盾をもつことになる。そのあたりもまた別に整理をしてみたいと思う。

  

次の句碑の前にあるブティックに妻が入り込んでしまい。我々はしばらく外で座っていたが、ふとかずまると近くの明屋書店本店にでかけて、JR予讃線と伊予鉄道の特集をしている雑誌を見に行く。「元気君」の写真を見て、即刻買うことにする。店に戻ると妻が出てきた。仕事に出ることになったら買うのだが、と言って今日は買わなかったのだそうだ。

そろそろ腹がへってきた。このあたりは結構高級料亭がある。そのうち「新」のつく料亭いつしかマンションに変わっていたが、本店がその横にある店にやってきた。夜はとても手が出ないが、こういうところで昼食を食べるのも良い、と妻が言ったが、結局二番町近くのうどん屋にはいった。かずまるは結構よろこんだが、出てから妻が「高級料亭の昼食・・・」の話を蒸し返した。今度はそこで食べることにしようか。

萬翠荘に5つの句碑があるので、初めて萬翠荘に入ってみる。歴史を感じさせるところだが、私としてはやっと俳句の世界がわかり始めたところであって、これ以上の芸術を持ってこられてもついていけない。というところで、かずまるが「うんち」という。幸い1階に身障者用の洋式トイレがあったのだが、そこへ行くには急階段をくだらなければならない。これで身障者用といえるのか?行政の考え方に疑問を持つ。

  

萬翠荘を出ると、ロープウェイ街に行く。が、「三宝寺」が解らない。近くの人に聞くと教えてくれたので、バックしていったが、そこは「秋山兄弟」関係の場所であった。教えるほうが勘違いしたのだろうが、わからない者とすれば不安になる。またまた人に尋ねると、東雲神社の前あたり、という。わけが解らなくなる。途中愛媛大学学園祭の方々と会う。「くまのぷーさん」のぬいぐるみもいる。そんなこんなでうろついていると、3人目の人に尋ねてようやく場所がわかった。「くまのぷーさん」と別れて「三宝寺」にたどり着く。そして、最後は東雲神社の長い階段が待ち構えている。歩数的にはたいしたことはないのだが、「三宝寺」以来体力を消耗してしまった。時刻も4時が近くなってきた。これが限界である。しかたなく、花園町にある40番句碑だけ行って終わりにすることにする。

大街道まで歩いていく。「トランジットモール社会実験」で松山市駅と道後温泉からのループバスがやってくる。これに乗る手もあるが、やはり路面電車で行くことにした。電車に乗ってふと見ると、「高島屋」で「北海道展」をやっている。これはいかなくてはならない。が、予定どおり南堀端電停で降りる。最後の句碑を見て、松山市駅に行くとちょうど最終松山市駅発の坊っちゃん列車がやってくる。それを見て、「北海道展」に行って、そして郊外電車で義父母宅へむかったてのであった。(2003.10.26)

このページのトップへ >>

第46話 イベントづくしの週末特攻隊(撮影は上2枚が2003.10.18、その他は2003.10.19)

10月18日(土)、予定どおり「新居浜太鼓まつり」に出かけた。松山から新居浜まで特急に乗って、さらに普通列車で多喜浜まで行き、そこから約2・5キロの八幡神社にでかける。

松山駅ではアンパンマンとバイキンマンのぬいぐるみがいた。ちょうどアンパンマン列車のリニューアルを記念した出発式があったらしい。時間的には午後2時頃だろうが、その9Dとは石鎚山駅ですれちがった。多喜浜に下車したときにはすでに太鼓台がいくつも駅前の交差点から神社に向かっており、それについていった。かきくらべは午後3時から約3時間。少々けんかもあったりして、大変堪能したが、かずまるのこともあって、21Dアンパンマン列車で松山へと帰った。

  

10月19日(日)、この日は午前中、今週木曜日に仕事を終える「街角案内人・えくぼのまどんな」にかずまるからのラブレターを渡して、午後はJR四国主催の鉄道の日イベントに出かけることになっている。

昨日の疲れで朝が起きられず、出発はぎりぎりの10時05分となった。祭りを見ただけでこれだから、実際に参加している人はどうなるのだろうかと思う。それはともかく、古町には10時15分頃着、久しぶりに古町に到着する坊っちゃん列車を見た。乗務員は「大将」「JTB君」「S1車掌」「まろん君」であった。10時41分発の1号機は後客車は我々だけだったが、JR松山駅で前後客車とも6名程度の乗車で出発する。なかなかの旅であったが、今日は14号機が遅れて、県庁前電停より東側ですれ違った。

道後温泉はさすがに温泉の季節を迎えてにぎやかであった。さきほどの14号機の便は「満席」表示がある。そして「えくぼのまどんな」と会う。今週木曜日で任期満了ということで、今日でお別れとなる。記念写真を撮ったりしてしばし遊んでもらう。その間に道後温泉駅前から「元気君」と「坊っちゃん2世」が市内電車で出発していく。そのうち「街角案内人」は昼食時間となってお別れとなる。

  

今日はこれからJR松山駅主催の鉄道の日イベントに出かけるわけであるが、その前に例の「俳句の里巡り」中、先週帰路のバス停裏にあった18番の碑に行くのを忘れ、それが今後結構他のコースから離れているので、そちらへと向かうことにした。が、すでに松山市教育委員会のサイトを元に作製したハンドブック(「道後村めぐり」と同じようなものを作ったのですが、著作権上お見せできないのが残念です。)は2箇所で1ページとなっているため、ついでに17番東雲公園にも行こうと思う。上一万で下車して東雲公園に行くが、そうは問屋が卸さない。しばし公園でかずまるに付き合う。次に上一万から勝山まで「坊っちゃん2世」の運転する電車で移動する。

その後は環状2番線で古町へ行き、自転車で手松山駅裏の会場へと乗り入れる。イベントそのものは昨年と大差はないので、「メロンパンナ号」でターンテーブルに乗った後は、イベント終了までの1時間半ずっと鉄道模型会場にいた。ちなみに、以前住んでいたアパートの上に住んでいたかずまるの同い年で鉄道好きの子が隣にいたのだが、お互い1時間近くわからなかったほど、2人とも集中していたようだった。

  

さて、イベントが終わって、自転車で帰ろうとすると、かずまるがどうしてももう一度道後温泉に行きたいと言う。が、今日は自転車で道後温泉まで行く体力はない。再びJR松山駅前に自転車を置いて市内電車で向かう。

道後温泉は朝と変わらないにぎやかさであったが、「街角案内人」の姿はいつものおじさん以外に見当たらなかった。そのおじさんの近くにいた2名の女性はいずも「街角案内人」の名札をつけていた。これから仮装をして観光客の案内をするのであろう。かずまるは案内所など、色々と探していたが、多分16時のからくり時計頃が最後のチャンスであるとかずまるに言い聞かせる。はたして、午後4時を過ぎた頃に再びバスの転車台付近から皆さんがやってくる。「えくぼのまどんな」との感動の再会であった。そして、まもなく最後の別れの時刻がやってくる。道後温泉16時16分発の最終古町行きの1号機の出発の時刻である。

  

まさに、これが列車の別れ、というシーンで「えくぼのまどんな」他「街角案内人」の方々と別れる。乗務員は「がんばれ運転手」「紳士松井」「翼君」「S3車掌」。当然我々は「翼君」の乗務する後客車に乗る。彼は年上である「紅顔の美少年」とコンビを組む時以外に1号機に道後温泉から乗務する場合は必ず後客車に乗務する。「パンタグラフ」の上げ下げがめんどいのだというが、逆の場合は当然前客車に乗務している。が、今日は「S1車掌」とコンビを組んだときに前客車に乗務した。「S1車掌」は坊っちゃん列車車掌2期生だが、あるいは「翼君」の先輩なのかもしれない。などと考えたりしながら古町駅に向かい、再びJR松山駅前まで電車で移動して帰宅の徒についたのであった。それにしても、何かと疲れた週末であった。(2003.10.19)

このページのトップへ >>