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5月22日(土)、先日以来帰宅時にJRの撮影場所を物色していたりすると、またまたJRの撮影に行きたくなってきた。時間を有効に使うためには、あらかじめ道後温泉付近の駐車場に乗り付けておいて、道後温泉〜古町間を往復すればよいのだが、そのためには遅くても9時過ぎには出発する必要がある。が、なんとかずまるが起床したのは9時であった。しかたなく、古町付近の駐車場に乗り付けることになるが、だいたい30分はロスをする計算になる。
ともかく、10時20分には古町へ到着する。17番留置線奥に今日もLRT2105号機が留置されている。ほどなく坊っちゃん列車14号機が到着する。乗務員は「イチロー」「坊っちゃん2世」「まろん君」、6月になったら1号機にはしばらく乗車できないので、なんで14号機?とは思うが、これは仕方がない。来週同じ時間帯に乗ったら1号機であることを祈ろう。というより、今週中に順番がずれないことを祈ろう。 さて、今日の古町駅はにぎやかであった。親子連れの何かの団体が20名ほどホームを陣取っている。線路に出たり、ホームを腰掛代わりにしたりと、なにかと司令室の方は気疲れされたようだ。「手帳を見せたら・・・」と言っている母親がいたが、確か「元気君」からは坊っちゃん列車全額乗車賃だから割引はないということを聞いている。果たしてどうだったかは知らない。が、ともかく我々はどこが14号機の場合の乗車口かは知っているため、かずまるは1番に乗車した。 古町出発段階で乗客はすでに22名、JR松山駅で3人乗り込んだが、1人は立客となる。その前を道後温泉行き抹茶羊羹が走っている。1号機とはおしくみ県庁前交差点を過ぎたところですれ違う。
道後温泉では今日も街角案内人に迎えられる。「坊っちゃん」役がまた変わったようだ。今日はバスのターンテーブルの点検かなにかで工事が行われており、バス停の前に誘導員がいて自動車をさばいている。まあ、今が一番観光客の少ない時期なのだろうが、こうしてみると、結構大変である。にもかかわらず、今日のからくり時計は30分おきに動いていたりもする。 街角案内人は次の坊っちゃん列車に乗り込んだ。車掌は「まろん君」から「翼君」に変わった。次の松山市駅行きには「元気君」が出発していった。我々はその次のJR松山駅前行きに乗車する。 出発すると、まもなく1号機とすれ違う。が、ここで疑問が生じた。2両ある後客車に車掌の姿が見えない。先週は松山市駅行き、道後温泉行きともに「木田君」が前客車にいた。通常では考えられない。噂では、車掌を減員したという話も聞く。来週1号機に乗車したならば全てがわかるのかもしれない。 さて、我々は駐車場まで戻って、今度はJR写真撮影に走ることにする。かずまるには、今日も菊間の公園に行こうということにしている。ちなみに、菊間町の町花は何か?いうまでもなく「菊」である。それはともかく、最近通勤時に確認した場所へ行ってみる。
が、出発が予定より遅れたため、18Mの撮影は諦めていたが、実は18Mも遅れており、粟井駅付近で追い抜かれる。それが解っていたら、粟井坂での撮影をするのに!と言っても仕方がない。そのまま北条市大浦の撮影現場へと向かうが、それでは時間がありすぎるし、帰りに撮影できる。少し冒険をしようということで、浅海の東にある大きなカーブ、菊間町にはいったところにある警報機のない踏切で7Mを待つ。が、撮影する場所が高くなければ、Sカーブは撮影しても無駄である。結局は列車の正面しか撮影できず大失敗。 次に菊間を通り過ぎてかずまるの不満を聞きながら、大西町別府(べふ)の別府公園付近に向かう。ここは遊戯施設があるので、時間はつぶせる。が、高い位置からの撮影はできない。本当はもっと大西側つまり左上の画像の向こう側に行けば線路がカーブしているのだが、底へ行くまでの土地が軟弱な上にかずまると距離を置くのも問題田。しかも、この付近は線路のこちら側にもケーブルがある。というわけで、特急の撮影には向いていない。 次に前回行った、大西町品部川に行く。河川ポンプ室からではなく、河川管理道から撮影しようと思ったが、なんと草ぼうぼうでとても行けない。すぐさま引き返して、菊間町との境にある最近できた踏切へと向かうが、その途中で気が変わって、伊予亀岡駅西側にあるトンネル付近からの撮影を決める。9Dと20Mはここで行き違いをする。列車はここまでおおむね2分遅れている。が、非情にも20Mは定刻に通り過ぎており、なんと9Dとシャッターが切れなかった。
しかたなく、そのまま菊間駅裏の「瓦公園」に行って、せめて22Dを確実に撮影する。が、予想以上に太陽が北西側に移動しており、この位置からだと逆光に近くなっている。夏至恐るべし。その後ついでに、菊間駅西側のトンネル上にある墓地公園から13Mと24Mを撮影する。ここでも逆光になる。次は少々低い位置からでももっと向かって左からの撮影をすべきのようだ。 これで今日は帰途につくことにする。帰りに北条大浦の撮影現場に寄って帰る。少々時間があるので、かずまるの態度が心配だったが、なんてことはない。その手前にある小さなコンビニでかずまるの好きなアイスクリームを買ってやったら、少々の間は持たせられることに気づいた。寒くなるまでは、この方法でごまかそう。が、現実はアイスクリームのようには甘くはなく、すでにこの時間は逆光になっていた。 しかたなく、粟井坂で最後の撮影現場に向かうが、かずまるが踏み切りの近くにいたいというので、離れられず、やむなく撮影スポットではない位置から撮影したが、やはり失敗。が、まあ、少しながらでも、撮影現場の状況がわかってきたような気がする。それと、列車に乗って確認する場合と実際に自家用車で確認する場合は、かなり様子が違うことにも気づいたのであった。次は頑張ろう。(2004.05.23、撮影は全て2004.05.22) |
5月16日(日)、昨日はかずまるの運動会、そして、昨夜から断続的に降り続く雨。「エルニーニョ」現象がないため、今年の入梅は遅いなど気象台が言うものだから、先週以来雨のオンパレードである。が、こんなことでは我々は諦めない。妻の運転する車で午前10時25分頃に古町駅に乗りつける。などとやっていると、雨がほとんど上がったりする。
駅に着くとまもなく坊っちゃん列車14号機が入ってくる。乗務員は「坊っちゃん2世」「大将」「ゲンちゃん」である。坊っちゃん列車を待つうちに再び雨が強くなる。が、もやは遅い。我々はすでに連続出撃記録を更新してしまった。ともかく、乗車中は雨は関係ない。帰るときだけを考えればよい。ということで、今日も勝利の実感をかみ締めながら古町駅を出発する。 出発時の乗客は3名であったが、JR松山駅で10名近く乗車する。が、まだまだゆとりがある。雨が降るため、窓が曇って外がなかなか見られない。1号機とは県庁前電停付近ですれ違う。後ろから「抹茶羊羹」が追いかけてくる。そういえば、古町10時41分発の坊っちゃん列車に乗車した場合は、JR松山駅前で城南5番線に会うが、今日は遅れていたようだ。14号機が南堀端で2回信号待ちをしている間に追いついてきた。
道後温泉は雨にもかかわらず、からくり時計の前は観光客が傘の花を咲かせていた。街角案内人も今日は屋根のあるところで待っていた。が、坊っちゃん列車は道後温泉始発の2便は満席であった。元気君が電車の誘導員をしている。 今日のところは、雨も降るし、ともかく特にやることもない。というわけで、結局11時20分発の8の字ループ東循環線で帰ったのであった。雨はやむことはなかったが、かずまるに合羽を着せて、完全防備で帰ったのであった。(2004.05.16、撮影日全て同日) |
5月9日(日)、温暖前線が午前中に通り過ぎて、寒冷前線が近づいていることは解っていたが、降り始めるまでには、まだ3時間程度はある。こんなときにはかずまる自転車特攻隊である。本当は本日鉄道模型作成をする予定であったが、自転車特攻隊はちょうどよい。市民ランナーが走っているときにトリップするのが病み付きになる、という話を聞いたことがあるが、日頃のストレス解消には自転車特攻隊の一瞬の全力疾走がたまらなく良い。
さて、正午過ぎに出発した我々は、まず南堀端をめざす。松山市駅直前、千舟町交差点付近へやってきたところで、14号機が松山市駅から現れる。「元気君」が運転する電車が通り過ぎていく。乗務員は「がんばれ運転手」「紳士松井」「T車掌」であった。最近一番町は歩車分離信号が増えた。したがって、以前のように坊っちゃん列車と同時に走ることができなくなっている。このため、坊っちゃん列車にあわせて、ひとつ前の歩車分離信号の歩行者、自転車信号が青のときに渡って、坊っちゃん列車を待つことが多い。 が、勝山町を過ぎると状況は一変する。我々は一度道路の東側に出なければならない。信号は3個、上一万まで行ってしまってはアウトである。が、たいていは、この3つの信号のどこかでは渡れる。前方から「抹茶羊羹」がやってくる。
そして、上一万交差点では14号機が信号待ちをしている間に、南町方向の北側へと出る。ちょうど1号機がやってくる。が、列車が動くときはちょうど車の壁ができてしまう。昨今の鍛錬のせいか、まあ、別にここで失敗してもよいのである。冷静に車の壁の隙間からシャッターチャンスを狙う。したがって、すれ違いのタイミングは二の次である。というわけで、左上の写真が出来上がった。 が、ここで時間をとったせいか、坊っちゃん列車は遥か彼方へと過ぎ去っていく。南町交差点で一度両方が信号待ちをしたが、その後、東環状線交差点で珍しく坊っちゃん列車が抜けた。こうなっては、我々に勝ち目はない。自転車を止めていると、かずまるに「自転車が止まったときと坊っちゃん列車が到着したとき一緒だったよ」と慰められる。
次は再び、14号機を追っかけて中心部へと降りていく。降りていくという表現がぴったりなほど、大街道方面への行軍は楽である。1号機とは大街道と八坂交差点の間ですれ違った。が、シャッターを押し損ねる。で、前客車の車掌が「翼君」であった。かずまるがひとこと「道後温泉へ行きたい」まあ、これは仕方がない。再びUターンして道後温泉をめざすが、坊っちゃん列車は八坂交差点を通り抜けている。歩行者信号を待っている余裕はない。そのまま左折して、宮田ビルの坊っちゃん列車の前から、ショートカットを試みて、坊っちゃん列車に追いつく。 後は、いつもと同じで、勝負の分かれ目は東環状線交差点である。今度は坊っちゃん列車がしっかりと引っかかったため、三叉路で信号のない我々はゆうゆうと道後温泉へとたどり着いた。これで1勝1敗。 再び道後温泉駅前で「街角案内人」と遊んだりしていると、整備員2人が坊っちゃん列車の整備をしている。「大将」が説明をしたりしている。すわ、一大事か?とも思ったが、そのまま出発する。我々も皆に見送られて再び道後温泉を後にする。が、14号機が少々遅れたようで、再び上一万交差点ですれ違ったが、すでに我々は道路を横切った後で、しかも、横切っていなければ、上一万から勝山町へ行けない。その状況で撮影を試みたが、これは車の壁に阻まれた。
我々はそのまま松山市駅と突っ走ったが、今度は千舟町交差点に我々のほうが間に合ったため、これで2勝1敗となった、ってなんのこっちゃ。 その後は、三度道後温泉へと向かうが、途中県庁前交差点で坊っちゃん列車がすれ違う。これまた、車の壁をすり抜けて、アングルなど二の次になってしまったが、まあ、よしとしよう。今度は14号機を追いかけてUターンをする。今度の14号機は古町行きである。大手町味酒町交差点からショートカットをして先に古町へと向かい、坊っちゃん列車を見てから、我々は帰路に着いたのであった。(2004.05.09、撮影日全て同日) |
5月4日(火)午後4時30分、昨日から降り続いていた雨がようやく上がった。私はD電器店に買い物に行く用ができた。というわけで、かずまる自転車特攻隊が出撃した。17時10分頃南堀端付近で、最終松山市駅行きの坊っちゃん列車1号機を捕捉する。
松山市駅でしばし休憩をとった後、松山市駅発最終便を追っかける。この坊っちゃん列車は大街道で古町行き最終便とすれ違うのであるが、なんとすでに裁判所前まで来ている。Uターンして、JR松山駅前まで14号機を追っかける。そして、JR松山駅前を出発した後、宮田町電停で見送って、我々はD電器店へと向かったのであった。 さて、翌日5日(水)はGW7連休最後の日、この日坊っちゃん列車に乗車しておけば、今週末の土曜日は、妻が出勤でもあることなので、JR写真撮影を兼ねて自家用車でドライブができる。と考えて、とりあえず午後1時30分過ぎに自転車で出発した。 昨日借りたCDを返してから、平和通を抜けて、一目散に上一万交差点へと向かう。と、ちょうど14号機が交差点を右折して道後温泉へと向かっていった。まもなく、同方向から1号機がこちらへ向かってやってくる。そのまま坊っちゃん列車を追いかける。が、上一万から勝山町にかけては、明らかに下り坂であることが判るほどである。非常に楽である。
八坂、大街道では坊っちゃん列車を待つほどの余裕であったが、最近県庁前交差点が歩車分離信号になって、自転車としては非常に楽になった。以前は、県庁前から市役所前方面へは北側を走る場合、信号が2段階となっていた。現在はこれが1回ですむようになった。 南堀端から松山市駅方面へ向かうが、坊っちゃん列車は千舟町交差点を通り過ぎたのに、我々は信号待ちとなった。かずまるに「今日は負けたねえ」と言われる。 松山市駅からは再び1号機を追って、県庁前電停まで走る。14号機はやや遅れながらも、まずまずの時刻でやってくる。ちょうど県庁前電停で両者がすれ違う。ここで、我々は方向転換して、古町へと向かう。大手町・味酒町交差点を右折してまっすぐ古町へと向かうと、坊っちゃん列車よりもかなり早く到着する。
さて、ここからが問題である。今日は水曜日である。これから坊っちゃん列車に乗車してしまえば、今週末、特に土曜日に自家用車で遠出ができる。妻が出勤なので、JRの追っかけもよかろう。というわけで、かずまるをなんとか説得した結果、14号機に乗車することになった。 14号機の乗務員は「イチロー」「大将」「紅顔の美少年」、これで私は坊っちゃん列車190回乗車となるが、「しょうゆ顔の好青年」がいれば、記念すべき第1回目の乗車と同じメンバーである。もっとも、1年後に運転士に転向した彼が車掌をする姿は「愛媛銀行」のポスターでしか、見ることはないのであろうが。 古町からは我々2人だけ、JR松山駅前で3人が乗車する。「紅顔の美少年」が例のバリトン声で車内案内をしてくれる。その貫禄には、さすが・・・と感じさせられる。
大街道で2名乗車しただけで道後温泉へ到着する。観光客も多いが、ピークからみればたいしたことはない。GWも終焉を迎えたようだ。明日は7連休ショックの出勤である。時刻は午後4時。市内電車でJR松山駅経由で帰ることとする。「熱血運転士」の運転する電車でJR松山駅へと揺られる。終点に到着すると、彼と入れ替わりに「坊っちゃん2世」が乗務してくる。 我々は城北1番線のLRTで古町まで乗車して、そのまま自転車で帰宅したのであった。(2004.05.05、写真は上2枚が2004.05.04、下6枚が2004.05.08撮影) |
4月30日(金)、いよいよGWに突入した。というより、昨日すでに坊っちゃん列車に乗車できる環境ではあったのだが、あえて、今日にした。実は今日は休暇をとっている。先日以来猛烈な四十肩痛のため、午前中に針治療をして、ついでに散髪に行ってきたのである。しかし、そのような事態であっても、決して坊っちゃん列車追っかけは諦めない。ちょうど昼休み時の坊っちゃん列車をしっかりと撮影して帰った。下2枚が午前の部。左側が伊予銀行本店前、右が南堀端である。
午後の部は、14時過ぎにかずまるが幼稚園から帰ってきてから出撃する。今日も夜遊び特攻隊の予定である。14時25分頃家を出発して、14時45分頃古町駅に出没する。それにしても、古町駅の17番留置線付近にいる2105号機はいつになったら復帰するのだろうかと思う。今日もビニールシートをかけられている。 1号機はすでに到着していた。乗務員は「元気君」「JTB君」「S1車掌」「木田君」、乗客は我々2名のみであったが、JR松山駅前でがなりの乗ってきた。が、着席定数でほぼ満員程度といったところである。行楽シーズンの休みは最終日を除き、午後の松山市駅便をJR松山駅便に変更したら、結構インパクトが強いのでは、と思う。ただ、あくまでインパクトが強いだけかも知れない。14号機とはちょうど県庁前交差点ですれ違ったが、シャッターが切れず失敗。 今日の道後温泉は観光客でにぎわっていた。今日は次の坊っちゃん列車に満席表示があるだけだが、明日以降は千客万来状態が続くのであろう。ただ、昨年と違うのは、休みが分散していること。昨年のGWは3〜4日は大変だったという。坊っちゃん列車の後を抹茶羊羹が出発していくのを見送る。
さて、我々はなぜか、かずまるが伊佐爾波神社に行きたいというので、そちらへ出かける。ついでにこれまたなぜか湯神社へも出かける。その前にある駐車場には県外ナンバーの車がずらっと並んでいる。キャンピングカーも数台見かけた。彼らは道後温泉で休んだ後は車内で夜を明かすのだろうか。 今日の発見といえば、坊っちゃん列車の電気設備のボックスの変更とやはり11メートルノンステップバスの発見であろうか。空港便に使用されていた。 今日は最終の坊っちゃん列車で古町をめざす。すでに本日2回目なので、「1dayチケット」が使えない。「ICカード」で古町へと向かう。乗務員は「坊っちゃん2世」「大将」「まろん君」、乗客は22名、まあ、最終便としてはまずまずの乗車率である。が、今日はよく考えたら平日である。上一万を過ぎるとビジネスマンの帰宅を待つ列の前を過ぎていく。これはいつもながらいい気分である。
古町からは、城北1番線で再び大街道をめざす。古町発10分遅れだったが、上一万では5分の遅れを取り戻す。そのまま大街道から歩いて、B電器店で用を済ませて、かずまるを肩車しながら松山市駅をめざす。めざすはかずまるご用達の夜のくるりんである。夜間というわけではなかったが、すでにくるりんはイルミネーションを点灯させており、かずまるも満足。と、そこで携帯電話が鳴る。なんと、妻が高島屋の3階にいるらしい。さきほど我々が銀天街から歩いてきたのをみつけたらしい。おそるべし。 その後は、36分遅れの8の字ループパスを捕まえて、19時06分に乗車して衣山一丁目まで乗車して、そのまま夕食をとってから帰ったのであった。
翌5月1日(土)は妻が仕事なので、職場まで送ってから、菊間駅裏の公園へ行くことにした。が、そうは簡単に私が行かせるはずがない。午前8時50分頃に伊予鉄土橋駅近くの病院を出発して、ひたすら北条市大浦をめざす。が、早朝(?)ということもあり、国道はスムーズに流れており、大浦の以前Yoshikenさんと出かけた撮影スポットを順光になるよう反対側へ行って12Mを予定どおり撮影。次は山に登って、1Mを撮影、これが右上の写真。 そのまま菊間を通り過ぎて大西まで行き、小西の星浦海浜公園付近、国道196号のオーバークロスするところへ向かう。本当は連休明けの仕事で下見をすべきところであったが、仕事のことはすっかり忘れていた。撮影する場所もなく、最終的にはアクロバットのような格好で撮影したが、あまりよい写真は撮れなかった。 このあたりでかずまるの不満が爆発しそうだったので、おとなしく菊間駅裏の公園へ行って昼食をとったり、遊具で遊んだりして2時間あまり過ごす。左下は5M。
そして、13時15分頃菊間を出て、いよいよ以前「鉄道ダイヤ情報1991年2月号」にあった、菊間町田之尻の撮影スポットへと向かう。が、なんと、10年の歳月の間に山へ登る道を消し去っていた。しかたなく、登れるところを行くと、線路敷まで出てしまう。とりあえず、線路敷からさらに1メートル離れて20M(右上)を撮影したが、これは向こうへ行く列車である。次の9Dの場合警笛を鳴らされかねない。仕方なく、手を怪我しながら線路脇の雑草を刈り取ったが、やはり20Mの時より1メートル外に出ると、向こう側の雑草に邪魔されてG車の正面が撮影できなかった。 折り返し、22Dの撮影のため、北条市内をバックして行ったが、粟井駅北側のゆるやかなカーブを撮影するつもりだったのに、間違えて柳原駅へ入ってしまい、これまた失敗。最後は三津浜駅北側の緩やかなカーブで11Mを撮影して終わりにした。(2004.05.01、写真は上から7枚が2004.04.30、下3枚が2004.05.01) |