愛媛マラソンの考察 (17)

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第85話 復活で きることを信じて(その2)

4月30日(木)は7日ぶりの出勤。

しかも、例の問題で「時差出勤」となったため、私は7時出勤を志願。

だから、15時45分に終業となるため、本来ならば「毎日帰宅後ラン」ができるわけだが、今回に限っては口惜しや・・・ではある。

さて、上図は、復活するためのトレーニングの場となる松山大学久万ノ台グラウンド南側周回路。(300メートルで約12メートル上る)

まあ、それは7月以降のお話として・・・

退院後3日間ウォーキングをして、とりあえず歩けることは解ったから、「再起動」のための計画表を忘備録として書いてみた。

先日のとおり、行軍再開は1週間(厳密には6日)遅らせる。(なお、平日は無理をしない程度で5キロを同様のスピードによる行軍)

●35日後:5月30日(土)・・・キロ7分30秒で5キロ試走

●36日後:5月31日(日)・・・キロ6分30秒で5キロ試走

●42日後:6月6日(土)・・・キロ6分30秒で10キロ試走

●43日後:6月7日(日)・・・キロ6分で5キロ試走

●49日後:6月12日(土)・・・キロ6分で20キロ試走

●50日後:6月13日(日)・・・キロ5分30秒で5キロ試走

●56日後:6月19日(土)・・・キロ5分30秒で15キロ試走

●57日後:6月20日(日)・・・キロ5分00秒で5キロ走

●63日後:6月27日(土)・・・キロ6分で30キロ試走

●64日後:6月28日(日)・・・キロ4分50秒で5キロ走

●70日後:7月4日(土)・・・キロ5分で15キロ走

●71日後:7月5日(日)・・・スピード走開始(インターバル走で、当面キロ3分50秒で200メートルを目標:以下平日に多用)

●77日後:7月11日(土)・・・キロ5分30秒で30キロ試走

●78日後:7月12日(日)・・・キロ4分40秒で5キロ試走

●84日後:7月18日(土)・・・キロ4分30秒で5キロ走

●85日後:7月19日(日)・・・キロ5分30秒で25キロ試走

ポイントは、次のとおり。

●8週間後の6月20日(日)にキロ5分00秒で5キロ走れるか?

●9週間後の6月27日(日)にキロ4分50秒で5キロ走れるか?

●10週間後の7月5日(日)にキロ4分を切るペースで200メートルを5本程度走れるか?

●最終目標として、12週間後の7月18日(土)にキロ4分30秒で5キロを走れるか?

これができれば、「復活の日」といえるのだろう。

そして、早く「捕らぬ狸・・・」から脱却したいものだ。

しかし、天気の問題もあるし、無理と思ったら、躊躇なく時期を遅らせる勇気をもって頑張ろう。

(2020.05.03)






第84話 復活で きることを信じて

発作性心房細動のカテーテルアブレーションを、昨日4月25日(土)実施しました。

医師の話では、無事成功したようです。

まず、25日(土)午前9時ころに手術室へ、麻酔開始後は全く記憶なし。

12時過ぎころに看護師詰所ベッドへ戻って、そのまま翌26日(日)午前6時ころまで待機。

その間約17時間以上、1964年9月時刻表(東海道新幹線開通前月)でも(着替えの中に入れて)持ってきていれば、すぐに寝られたんだろうけど、あと● 時間・・・と思いながら、結局最後に目が覚めた時は朝6時を過ぎて、看護師さんに起こされたり・・・

右股間は縫った状態で、尿管とともに、痛くなったり違和感との闘いだったり・・・

それと、経験された方々のブログ等にあるとおり、確かに「腰痛」との闘いでもありました。

さて、午前7時過ぎに入院棟のベッドに戻って、医師から成功したことを告げられ、午前中は「ぼーっと」過ごして、午後になって、ようやくブログ更新をする 体力が出ました。

26日(日)正午現在、すでに点滴も外し、抜糸も終わり、普通に歩けるまでに快復。

朝4時半ごろ「震え」がきて、37.5度まで熱が上がったものの、現在は36.7度程度。(なお、昨日は最高で38.3度まで上がってました。)

27日(月)朝退院し、5月7日(金)に1回目の通院。(6連休ですな)

術後については、特に痛み等はないのだが、しいて言えば、体調管理ができない感じ。

つまり、寒気がするということ。

このあたりは、時間が解決するのだろう。

さて、退院後の生活指南書。

(1)激しい運動以外に、飲酒や寝不足、ストレスなどでも心臓に負担をかけてしまいます。

(2)退院後、1週間は飲酒をしないでください。それ以降も週に2日は休肝日を設けるようにしましょう。

飲酒は、とりあえず、再来週末の土曜日までするつもりはない。(13日後)

それ以降も、週2日程度の飲酒の予定。(そもそも走れないのに、飲む理由がない。)

一方の、運動の方は、1週間遅らせようと考えている。

すなわち、5月30日(土)から、超ゆっくりと試走開始。

スピード練習は7月4日(土)から開始。

無理はやめよう。

きっと、復活できるさ。

(2020.04.28)






第83話 投薬中 止後初の長距離試走

4月18日(土)から、投薬なしの試走開始。

ともかく、発作の起った場合(→期外収縮→不整脈)は、もはや回復不能の可能性が高い(=行軍中止)から、体調を皆川、おそるおそるの行軍。

ともかく、自重につぐ自重の結果、体調不良が起こらなかったから、そのまま堀江→和気浜経由の行軍を敢行。

その間、

7日後は来るのか?

半年待った苦しみの中で、あと7日後は来るのか?

そればかりが脳裏をかすめるわけだが、「それはそれ!」ジョギングをしていると、「発散」にはなるわけで、まあ今のところは「精神破壊」には至っていない のが幸いなところ。

とりあえず、「運命に任せる」しかないわけなのだから、待つしかないのだろう。

(2020.04.19)






第82話 4月末 までのランニング等目標

いよいよ「復活の日」が近づいてきた。

その中で、当初目標としてきたこと。

●今年1月から1000キロ走ること・・・昨日現在で1020キロ、とりあえず1000キロを超え、1050キロを目標にできそうな状況。

ただ、投薬が4月17日をもって「切る」ことで、今週末は「長距離試走」ができない中、今日も今週末も天気が悪いという「最低最悪」の事態。

●4月第3週の段階で体重68キロに維持すること・・・ようやく目標体重に到達。

特に、ここ半年間「ランニングの負荷が小さかったことで、体重増となっていた」わけで、一時期の2キロオーバーから、ようやく目標体重へ。

ただ、本当はあと1キロ減となれば、最終的に6月の再起動時に68キロになっているのでは?という気がしないでもないが、多分無理だろうなあ。

●4月末から5月末まで「ランニング禁止」となるため、体力維持のため、4月の行軍を増やす・・・確かに現在そうしてはいるのだが、先日同ブログで聞いた ように、どうも長距離試走耐性が全然できていなかった。

これについては、今更どうすることもできないから、再起動後に頑張るしかない。

(2020.04.12)






第81話 復活の 日を信じて(その2)

「復活の日」までは、ただひたすら「距離信仰」を信じて行軍を続ける日々。

ともかく、それまでに年間走行距離1000キロをどれだけ超えられるか?

そして、5月末頃から「ゆっくりと再起動」をし、7月以降は「距離信仰を捨てた」トレーニングを再開できるものと信じている。

つまり、「キロ5分のペースで延々と走る」のは、10月下旬以降で十分。

「ゆっくりと長距離試走で持久力」と「高負荷でのスピード走」でメリハリをつける日々になるのだろう。

いわゆる「福澤式」ランのどいう「つらい練習はしなくて良い」という指南書は、今シーズンに限っては封印する覚悟をしている。

そして、次回愛媛マラソンこそ、上図の場所に再び立ちたいものである。

まあ、覚悟といえば、まずは「復活の日」への覚悟が先なのだろうけど。

入院まではあと18日。

2019年10月31日から157日経過したわけで、ようやくここまで来たものだ。

ただ、これからがまさに「まだ旅路は長い(宇宙戦艦ヤマト(1974)第24話のラスト)」である。

ともかく、ここで風邪はもちろんのこと、最近流行の病にかかったら「全てが終わる」。

日常生活で唯一心配なのが、来週金曜日の「最終通院」ではあるが、ここで問題が発生したら、その2週間後もないだろう。

しかも、その医療機関経営のサ高住で例の病気が発生したから、予断を許さない。

職場は・・・とりあえず「3密」の状況にないから、仕方あるまい。

(2020.04.05)