2005秋バースデイ切符旅行記(2日目)

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(以下の撮影日は特に説明がなければ旅行日)

10月29日(土)松山〜児島間6M特急しおかぜ6号

2日目からはかずまるが同行する。今日、明日の日程は昨年の謝恩切符の行程と全く同じである。が、今日の目玉は、なんといってもゆうゆうアンパンマンカーである。これに乗るためには、8Mでは間に合わない。かずまるを5時15分頃にたたき起こして、6時前に妻に車で送ってもらって、なんとか間に合う。外は雨が降っているが、今日に関しては、雨はあまり関係ない。レーダーを見ても、帰るまでには雨も上がるのであろう。

  

(左:松山駅での6M特急しおかぜ6号、右:児島駅を出発する6M)

座席は8号車1番AB席の特等席である。外はまだ闇の中、これからだんだんと空が明るくなっているのだが、あいにく今日は雨が降っているため、暗い一日となりそうだ。この6Mは新居浜で1003Mを退避するため3分間停車する。アンパンマンスタンプラリーが開催されて入れば、ゆっくりと押すことができたのだが残念である。

6Mは全車リニューアル車であるが、どこが変わったのか見てみる。シートそのものの変更が一番顕著ではあるが、なんといってもトイレが作り変えられたのが一番大きい。8号車のトイレは様式に変えられているが、全体的にトイレが老朽化しているように思われるため、これは好感が持てる。次に、車両の軋みが少なくなった。昨日の8Mは車内前ドアの軋みの音がかなり気になった。リニューアル車は完全にシャットアウトはできていないが、少しは改善されている。経年劣化なのだろうが、これは振子で高速運転をする以上、避けられないことかもしれない。

あと、リニューアル化された際に「Sシート」というものができた。通勤していて一体何だろうと思っていたが、今判った。車掌が受持ち車両に乗車するまでに購入した指定席券の所持者が所定の場所に座っていた場合は検札を省略するというものである。別に在来車でもできないことはないと思うが、リニューアル車では徹底されていた。ただし、車掌が乗車して以降に購入された指定席券(例えば、6Mで車掌が松山駅で勤務に就く6時過ぎ以降、新居浜あたりで6時半ころに指定席券を購入した場合)は確認に来るらしい。

それにしても、この6Mは香川県内ではよく停車する。観音寺7時54分発を皮切りに、高瀬8時01分発、詫間8時05分発、おまけに海岸寺に運転停車した後、多度津8時16分発、丸亀8時20分発、宇多津8時23分着。香川県偏重のダイヤが組まれることは仕方ないと思うが、いくらなんでも酷いと思う。観音寺から宇多津間11駅中7駅に停車する。これでは日豊本線の特急きりしま1号並ではないか。

6Mは多度津到着時は2分ほど遅れていたが、そのまま瀬戸大橋を越え、2分遅れの8時39分に児島に到着する。児島での乗換時間は9分しかないし、しかも反対方向だから待ってくれる訳もないので気をもんでいたが、2分程度の遅れならば問題はない。

10月29日(土)児島〜高松間3131M快速マリンライナー11号

  

(左:児島駅に到着する3131Mマリンライナー11号、右:宇多津東側デルタ線で見かけた急行義経1号)

6Mを下車して、すぐに反対側のホームにでると、ちょうど6Mが出発するところであった。自由席には立客もかなりいた。愛媛県がどう逆立ちしても、香川県のJR利用者数にはかなわないということを痛感した。まだ雨は降り続いており、ホームは少々寒かったが、すぐに3131Mがやってきた。我々は1号車2番AB席、つまり、2階部分の先頭席なのだが、幸い最前列の席が空いている。車掌にお願いして、その席へと移動させていただく。

が、かずまるは1番席後ろにある台に腰をかけている。これは、昨年片道最長切符の旅で関口知宏さんが座っていたところである。厳密に言えば、グリーン車の別名は特別車両使用料金であるから、グリーン車にいただけで、また1車両完全グリーン車の場合はそのトイレを使用しただけでグリーン車料金を徴収されても文句を言えないわけであるが、まあ、撮影ということで許可を得ていたのであろう。もっとも、JR東日本ならばともかく、JR四国の場合はかなり大目に見てくれているようだ。が、我々はグリーン車の切符を持っているのである。なんでかずまるがそこに座らなければならんのだ。

3131Mは瀬戸大橋を渡り終える。運がよければデルタ線内で昨日見たSL急行義経号が見られる。雨が降っていなければ良いのだが、あいにく外は豪雨で煙が見えない。時間的にはデルタ線内で行き違うはずだが、昨日の多度津早着があるるなんといっても、坂出〜宇多津間の所要時間7分はかかりすぎである。が、ここでSLを見れないと、明日多度津でゆっくりと見れるとはいえ、かずまるに言ってしまった以上、不信感をもたれるのもよろしくない。果たして、もうすぐ上下線がフラットになるというところですれ違った。列車の上部しか見えなかったが、ともかく親の面子がたった。

  

(左:坂出に到着する3131Mマリンライナー11号、右:高松駅での1000系気動車)

坂出に到着する頃は、さらに豪雨になった。別に雨が降ってもどうということはないが、あまり気分の良いものではない。3131Mは定刻9時16分に高松に到着する。到着直前にこれから乗る185系ゆうゆうアンパンマンカー連結車と併走した。

10月29日(土)高松〜徳島間65D特急うずしお5号

高松に到着すると、雨は小降りになった。ここでは、まず1000系気動車につけられているであろうヘッドマークの確認をする。アンパンマンヘッドマークは、松山では松山、高松、高知の3種類を見ることができる。それによって、車両の所在地がよく判るので重宝したほどである。が、松山では決して徳島所属の車両を見ることがない。が、初めて見ることができた。案の定青いヘッドマークであった。JR四国が後援する野球の四国独立リーグのチーム名そのものの色であった。要するに徳島の場合は「インディゴ」ブルーだから青色なのだろう。もっとも、愛媛「マンダリン」のオレンジと香川「オリーブ」のグリーンは判るが、高知「ファイティングドッグ」の赤は理解に苦しむ。「ファイト」と「ファイヤー」を混同してないか?まあ、いいけど。

さて、次に今日はここで最大の交渉をしなければならない。実はこの後、うずしお5号〜剣山5号と乗り継ぐのであるが、この2列車は185系気動車でゆうゆうアンパンマンカーを連結している。この車両は、今年2月に剣山10号で経験済みであるが、今回は2列車で合計2時間半近くの乗車を予定していた。が、なんと、うずしお5号の方は1ヶ月前から全車満席になってる。普通ありえない話だから、旅行会社経由の団体予約と考えられる。とりあえず、1号車の指定席券を所持しているが、規則上は2号車の指定席券を購入しない限り、ゆうゆうアンパンマンカーで遊ぶことはできない。ここは、車掌に交渉するしかない。というわけで、車掌に話しかけてみたのであるが、意外にも、あっさりと了解された。さらに、1号車にいた他の子供連れの乗客にも2号車へ来るよう勧めていた。大変柔軟な対応に感謝する次第である。で、当の団体とはどのような人たちなのであろうか。子連れの団体も考えにくいし、といって大人の団体ならば不気味である。

ゆうゆうアンパンマンカーへの立入は許されたが、当然2号車の指定席券を持っているわけではない。そのうち、なんだかわからんうちに複数の親子連れで車内がいっぱいになった。しかも、単独の団体客というわけではなさそうだ。あとでわかったことだが、徳島駅では3組の団体の出迎えをしていた。つまり、どこかの旅行会社が独自にそういう親子連れを募集して企画したのではないか?そんな気がした。それが証拠に、次の剣山にも引き続き乗車をした親子連れが数組いた。

  

(左:高松駅での65D特急うずしお5号【拡大可】、右:65Dゆうゆうアンパンマンカーの車内)

さて、65Dは高松駅を出発すると、市内をぐるりとまわって屋島へと向かう。現在のコトデン志度線開業が明治44年11月18日、長尾線開業が明治45年4月30日であるから、国鉄が大正14年8月1日に現在の高松〜志度間が開通するよりも早かったわけである。JR栗林駅は以外にコトデン瓦町とは近いが、高松市の繁華街をかすめてお茶を濁しているという感じがする。このあたり、松山や高知なども同じような傾向にあるような気がする。それにしても、今地図を見て気付いたのだが、今や高松市は徳島県と直接接しているのにはびっくりした。

志度を過ぎると、JRは急に進路を南へと向ける。次に海に出るのは讃岐津田なのだが、この間は県西部の仁尾ほどではないが、結構海側に山が連なっている。ただ、国道はほぼまっすぐに突っ切っている。この辺りはつかみ所がないように山が広がっているのだが、地図で志度と讃岐津田の間の山中をよく見ると、よくもこんな山に囲まれた狭隘な場所をと思う所を、鴨部川が流れている。つまり、志度から讃岐津田に行くには、峠を越えて鴨部川に出て、さらに峠を越えて讃岐津田に出ることになる。しかも、この鴨部川は上流になれば平野が広がり、その中に造田や長尾線の終点長尾まであり、なんと徳島県境近くから流れ出ていることが判る。というわけで、造田と長尾は同じ平野の中にあって結構近いということも判る。コトデン長尾線の終着駅から造田までは乗換駅としては少々遠いが、タクシーを使えばかなり近いのだろう。

(造田付近の地図はこちらへ) > 国土地理院の地図へ >>

結論として、JRは志度から幸田池を目指して鴨部川流域に出て、さらに、ほとんど分水嶺もない神前付近で今度は津田川へと出るという手段を選んでいる。この発想が現在幸田池付近の四鉄不動産を抱えるオレンジタウンとして発展している。ちなみに、造田の北側にある山は石鎚山といい、標高198・1メートル。愛媛県の最高峰石鎚山(標高1982メートル、30年ほど前までは1981メートル)のほとんど10分の1というのが面白い。

讃岐津田を過ぎると、高徳線は再び海岸線を避けて、山間の丹生駅を経由して三本松に到着する。三本松を有する大内町、白鳥町、引田町の3町が合併して、東かがわ市となったが、学生時代の旧白鳥町の友人によると、すでに20年以上前からこの3町合併の話しはあったそうだ。が、真ん中の白鳥町が一番田舎なので、市役所の大内と引田で綱引きがあって合併ができないのだといっていた。現在東かがわ市役所は旧白鳥町内の三本松側にある。よくまとまったものだと思う。なお、旧白鳥町は手袋生産量では全国の90パーセント以上を占める。

  

(左右とも:吉野川を渡る)

讃岐白鳥〜引田間も海岸沿いを離れて、低い峠を越える。さらに讃岐相生を過ぎると、いよいよ大坂山越えにかかる。国道は鳴門市へ迂回するのに対して、鉄道は大坂山峠を短いトンネル10個と大坂山トンネルで越える。このルートは、四国のみちにも指定されているくらいだから歴史がある。現在も香川県と徳島県で県道1号に指定されている。ちなみに、愛媛県と高知県を結ぶ県道1号は現在その大半が国道494号となり、残存区間は別の番号が振られ、現在は消滅している。この区間、以前のキハ58系はエンジン音を上げてあえぎながら通過したものだが、185系だとそれほどではなかったのか?という気がする。2000系だと実に軽やかに越えていく。

さて、私は昨年も重宝した2万5千分の1の地図と同じく昨年のダイヤに基づいた列車行き違い表を持参しているのだが、実は最近高徳線で特急が1往復増えたとき、単にそれだけだと、それ以上何も考えていなかった。が、実際にはかなりダイヤに変更があることに気付かなかった。例えば、今日の65Dを例にとると、昨年は66D(現68D)とは志度で退避していたのが、造田で退避させる。また、68D(現70D)とは阿波大宮で退避させていたのが、板野退避になっている。結構大きくダイヤ改正されていたことに気づく。

列車は吉野川を渡る。かつては鳴門方面から徳島へ鉄道を敷こうとする機運があったというが、他の四国1県と異なったのはこの吉野川であった。最初に鉄道が延びたときは、この川を越せずに渡船で越えたという。国鉄の場合は、現在の鳴門線撫養〜徳島間が大正5年7月1日に開通している。高松口よりも先に開通したわけである。さらに、徳島線となると、徳島〜鴨島間は明治32年2月16日に開通している。その高徳線も吉野川は最も川幅が短いであろう、飯尾川、鮎喰川が合流する直前に渡る。その川上を20年前にはなかったはずの四国三郎橋が架けられている。高架となった佐古を過ぎて、10時56分徳島着。雨は上がったようだ。

徳島では、すでにやることを決めている。次の列車までは59分。昨年の失敗を繰り返さないために、すぐ駅ビルのうどん店に駆け込む。が、1年前と違っていたのは、かずまるの食事速度がかなり早くなったことである。ゆっくりと食べられた。食べていると、「通称お子様ランチ」が次々と注文される。注文しているのは、先ほど列車で同行した子供づれである。「次の列車はゆうゆうアンパンマンカーの指定席がとれた」という声が聞こえる。次の列車も同行することになるらしい。

10月29日(土)徳島〜阿波池田間15D特急剣山5号

徳島駅でゆっくりと昼食をとっていると、これまたゆっくりと列車の出発時刻が迫ってくる。今度は堂々とゆうゆうアンパンマンカーの指定席に座れる。が、全員先ほど見た顔である。我々と例の1組が加わって、ほぼ満席だから、先ほどの団体は1組ではなく、複数のツアーで、一部は徳島で下車し、一部はそのまま阿波池田に行くのであろう。11時55分徳島発。先ほどの65Dのうち、後ろ1両が切り離されて、今度は3両編成となって出発する。切り離した1両は徳島駅留置線にいる。この車両が最終的にどうなるかについては、今年2月の妻のバースデイ切符旅行で確認している。

  

(左:佐古駅、右:徳島駅での15D特急剣山5号【拡大可】)

先ほども述べたとおり、徳島〜鴨島間は明治32年2月16日に開通している。ちなみに、高知駅の開業は大正13年だから、松山が一番遅かったことになる。まあ、吉野川を越すのは困難だったろうが、吉野川の南側の平野に線路を通すことは容易だったのだろう。もっとも、徳島には四国で唯一私鉄がないから、伊予鉄道を考えれば納得はできる。なお、旧街道は吉野川の北側、鳴門から板野駅を通るのが通称撫養街道であり、そちらのほうが歴史は深そうだ。

(鴨島付近の地図はこちらへ) > 国土地理院の地図へ >>

鴨島はかつては結構栄えた街なのであろう。駅を過ぎると小規模ながら遊園地まである。現在も合併が進んで、吉野川市となり、吉野川の北側には阿波市ができた。20年以上の記憶を持つ私には、ややこしくて仕方ない。その徳島線であるが、明治33年8月7日に阿波山川駅までかいつうした後は、隣の川田、これまた新参者の市である美馬市の中心地穴吹を越えて一気に土讃線阿波池田駅まで開通したのが大正3年3月25日である。開業に15年近くもかかった阿波山川と川田の間には何があるのかといえば、現吉野川市舟戸から現美馬市成戸で吉野川南岸に山が迫っているからであろう。山が迫る東西の地名を見ても、また、その後一気に阿波池田まで開業したことを考えると、この狭隘な場所を鉄路で越えるのが困難だったのかが判るような気がする。その後はうとうとしていたような気がする。かずまるは今回も一度も座席に戻っては来なかった。阿波池田13時05分到着。

10月29日(土)阿波池田〜宇多津間44D特急南風14号

阿波池田での乗換えは、わずか2分。だが、昨年と違っていたのは、15Dが2番ホームに到着したことである。次の44Dはホームをはさんで反対側。すでに到着して我々を待っていてくれた。2号車にいた子連れ集団が次々と乗り込んでいく。今日はみんな同じコースをたどる人が多そうだ。中には車掌との会話で「この列車は多度津には停車しません。次の丸亀で乗り換えてください。ホームは反対側です。」などという言葉が聞こえる。その後、同じ特急しおかぜに乗るのか?

44Dは一度佃に戻って、そこから先ほど乗車した得しません、いや徳島線と分かれて、土讃線を北上する。この佃は、徳島線が大正3年3月25日に開業し、土讃線が昭和4年4月28日(この日は隣の箸蔵駅会議用の日であり、土讃線が阿波池田まで開業した日ではないかも知れません。)に開業したときは、単なる信号所であった。佃駅が開業するのは昭和25年1月10日であっ。吉野川を渡ってからは箸蔵へ向かって、大きくUターンする。ここから香川県境の山地を越えるわけだが、この線路敷設に関しては、明日の下り列車で考えた方が良いだろうと思う。

ただ、それにしても、琴平、善通寺の連続停車は仕方ないにしても、次の金蔵寺でも運転停車する。41Dを退避するためであるが、ここで3駅連続停車して、次の多度津を通過するというのはいただけない。予讃線への連絡も昔と比べて悪くなったようだ。

  

(左:宇多津駅に進入する13M、右:13Mで熟睡するかずまる)

などと考えている内に列車は多度津を通過する。あと1時間もすれば午後の「SL急行義経号」がやってくるせいか、ホームや線路脇にずらっと三脚が並んでいる。13時50分に宇多津へ到着する。朝6Mで見かけた雨中のホームで撮影していたマニアと見受けられる方々が、まだ待機していた。

10月29日(土)宇多津〜松山間13M特急しおかぜ13号

いよいよ、今日の最終ランナーである。が、昨日も、そして明日も乗車する区間でもあり、私も終始寝ていた。そして、それ以上にかずまるは松山駅まで寝ていた。まあ、ゆうゆうアンパンマンカーであれほど騒いだのだから仕方はないか。

さて、この13Mが20分以上遅れた場合は、その後の坊っちゃん列車に乗車できなくなり、週末連続乗車記録が途絶える。今年3月に宣言したとおり、実際には記録を一度途絶えさせるつもりでいるのだが、ここまでくると、何か外的要因が欲しい。というわけで、今日の13Mあたりが事故かなにかで遅れくれないだろうか、などと考えていたりしていたのだが、そういうときには遅れたりしないものだ。今日も13Mはほぼ定刻に松山駅へ到着した。このまま坊っちゃん列車の乗ってから帰り、最終日の明日は午前7時過ぎにJR松山駅へやってきて、8Mに乗車する予定である。(2005.11.09)

 

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