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【歩鉄12】 松山市内・俳句の里巡り城下編 約11・6キロ(その1)  (その2)へ行く >>

(クリックすると拡大します。なお、この画像は「カシミール3D」から転載し、地図画像は「カシミール解説本5万分の1地図」から作成しております。)

平 成15年10月から1年半余り、松山市内にある俳句の里巡り全133箇所をかずまると歩いたものです。そのうち、城下編全47箇所は10月13日に始ま り、11月8日に全てを回りました。現在は、松山市駅付近でかずまるを待つ間に回るにはちょうど良い時間つぶしとなっています。

というわけで、その様子をもう一度めぐってみたいと思います。時は平成21年(2009年)5月16日(土)朝8時50分に南堀端を出発。

なお、同じ場所に複数の句碑がある場合、写真は1枚のみ掲載することとします。また、上の地図については、青丸白抜き数字は番号を20、茶丸白抜き数字は番号を40、それぞれ加算してください。

  

左(9:02)47番:三津口を又一人行く袷哉(正岡子規)松山市萱町6丁目(松山市保険センター前)

右(9:04)46番:萱町や裏へまはれば青簾(正岡子規)松山市萱町4丁目(大三島神社)

  

(9:07写真)45番:浮雲やまた降雪の少しつゝ(栗田樗堂題)松山市味酒町3丁目(阿沼美神社)
  44番:さまさまの事おもひ出す桜かな(松尾はせを)松山市味酒町3丁目(阿沼美神社)

右(9:10)43番:庚申庵(こうしんあん)松山市味酒町2丁目

  

(9:14)42番:春や昔十五万石の城下哉(正岡子規)松山市大手町2丁目(JR松山駅前)

右(9:15)41番:石鎚も南瓜の花も大いなり(富安風生)松山市大手町2丁目(JR松山駅前南側)

  

(9:23)40番:正岡子規誕生地松山市花園町(電車通西側)、この場所はかつての新玉村に入る。我社の場合、出張旅費地点でここを新玉としたら大変なことになる。

右(9:24)39番:城山の浮み上るや青嵐(正岡子規)松山市湊町5丁目松山市駅前緑地帯

  

(9:27)38番:風呂吹を喰ひに浮世へ百年目、冬さひぬ蔵沢の竹明月の書(正岡子規)松山市湊町4丁目円光寺

右(9:28)5番:河東碧梧桐誕生地(静渓邸の跡) 松山市三番町4丁目

  

(9:29)6番:大原観山(おおはらかんざん)邸跡、松山市三番町3丁目。裏のブティックも今はなし・・・

右(9:31)27番:くれなゐの梅散るなへに故郷につくしつみにし春し思ほゆ(正岡子規)松山市湊町3丁目中の川筋緑地帯、ご存知、中の川の中央分離帯にあるため、撮影は命がけとなる。もっとも、時を経て、カメラの性能が上がり、歩道からでも撮影だけならできるようになった。

  

(9:32)26番:我ひとりのこして行きぬ秋の風(野間叟柳)松山市湊町3丁目中の川筋緑地帯

右(9:33)28番:正岡子規母堂令妹邸跡、松山市湊町4丁目中の川筋緑地帯

  

(9:34)37番:粟の穂のこゝを叩くなこの墓を(正岡子規)松山市柳井町3丁目法龍寺

右(9:36写真)33番:子規居士髪塔、松山市末広町・正宗寺
  
32番:正岡氏累代墓、松山市末広町・正宗寺
  
34番:笹啼(ささなき)が初音になりし頃のこと(高浜虚子)松山市末広町・正宗寺
  
35番:打ちはづす球キャッチャーの手に在りてベースを人の行きがてにする、今やかの三つのベースに人満ちてそゞろに胸の打ち騒ぐかな(正岡子規)
  
36番:朝寒やたのもとひゞく内玄関(正岡子規)松山市末広町・正宗寺

  

(9:37写真)31番:梅てのむ茶屋も有へし死出の山(大高子葉)松山市末広町興聖寺
  
30番:こゝろざし富貴にあらず老の春(柳原極堂)松山市末広町興聖寺

右(9:41)29番:寺清水西瓜も見えす秋老いぬ・我見しより久しきひょんの茂(正岡子規)松山市泉町薬師寺

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