かずま る特攻隊番外編・四国一周自転車特攻隊

愛媛の「鉄」の紹介 > かずまる特攻隊が行く > 目次 > 足摺OP

その2 へ行く >>

     

(以下の撮影日は特に説明がなければ旅行日)

行 程 表

2011.03.27(日)
松山(自家用車)江川崎駅(自転車:61・8キロ)土佐清水市久百々

2011.03.28(月)
土佐清水市久百々(自転車:22・2キロ)足摺岬(自家用車)松山

H23年3月27日(日)江川崎〜足摺岬(同行編OP・その1)

  

(クリックすると拡大します。なお、この画像は「カ シミール3D」から転載し、地図画像は「カシミール解説本5万分の1地図」から作成しております。)

四 国一周・自転車特攻隊が終了してすでに1年2ヶ月。計画当初からネックとなっていた足摺岬は結局オプショナルとして位置づけて、JR予土線沿いを宇和島か ら窪川へと抜けた。

その間私はフルマラソンを2回走るほどの時が経過した。そして、かずまるも平成23年3月には小学校を 卒業する。4月以降は土曜日も通学があるため、ここはなんとしても3月中に足摺岬へ行っておきたい。

  

(左右:予土線江川崎駅)

足 摺岬行軍は、要するに四国一周ルートとつながればよいわけだが、一番手っ取り早いのは、JR予土線江川崎駅からのアプローチである。窪川駅からのアプロー チも考えられなくはないが、江川崎〜窪川間約1時間がロスタイムになるうえに、七子峠同様の片坂への不安もある。結局、江川崎からのルートに落ち着いた。

しかしながら、今回の行軍には次々と問題が生じたのであった。

(1)距離は2日で84キロほどだからたいしたことはないが、江川崎から40キロ余地点の中村から足摺 岬までの40 キロ余の間の宿の情報が少ない。江川崎から55〜65キロ付近にある下ノ加江、久百々、大岐には数件の民宿があるらしいが、宿の情報が少ないうえに、1日 目の負担が大きい。とはいえ、その手前はというと中村しかなく、足摺岬からバス、鉄道を乗り継いで帰路7時間半もかかることを考えると、それでは2日目の 負担が大きくなる。

(2)下ノ加江、久百々、大岐付近の民宿の情報をなんと か仕入れたところ、それらの宿は実はへんろ宿であった。それはいいのだが、唯一ネットで空部屋情報を確認できる久百々の民宿では、春分の日の3連休完全に 満室になっている。しかも、近くにはそれよりも有名な民宿がある。これでは、3連休は絶望 である。

(3)3連休が絶望になったことにより、翌週の土日、あるいは翌々週の土日という案が浮上する。だが、 翌週の土曜日にはかずまるの行事が入ってしまった。また、その翌週はかずまるに大人運賃が必要となる。そこで、意表をついて、3月12日(土)〜13日 (日)の行軍を決定した。幸い我々には珍しく天気もよさそうだ。そして、宿も予約し、さあいよいよ明日出発というところで、あの東北地方太平洋沖地震が発 生したのであった。土佐清水市においても大津波警報が発令され、JR土讃線、土佐くろしお鉄道が運休し、これではとても行軍できない。こうして、12日出 発は見送りになってしまったのであった。

(4)翌週の3連休。先週予約した民宿は満室。近くの民宿への予約をも考えたが、3連休中は2〜3日目が雨ということで、結局これまた 見送り。

(5)しかし、こんなことでは負けないのがかずまる特攻隊でもある。3連休の天気が悪そうだと思ったと ころから、繁忙期である年度末の仕事を調整しながら、(調整できる職場というのも恵まれてはいるのだが)3月28日(月)を休暇とする、27日(日) 〜28日(月)の強行をたくらんだのであった。

ここ数週間、月曜日は雨というのが続いていたにもかかわらず、なぜか天気がよい。しかも、28日(月) は妻の仕事も休みであった。そこで、新たなプランを考えた。それは、親子.3人での出撃であった。自家用車に折りたたみ自転車を2台積んで、自転車特攻隊 中は妻に自家用車で伴走させる。これならば、今までの最大の悩みどころであった「荷物を減らす」という問題が一気に解決されてしまうのだ。また、バス、鉄 道を利用した復路7時間半の行軍も、自家用車ならば5時間程度に軽減される。もちろん、その間は私が運転しなければならないが、2時間半早く帰れるという ことで、相殺されるだろう。

  

(左:岩間の沈下橋、右:岩間の沈下橋から国道(イプ様)を望む)

そ うして、3月27日(日)午前7時50分。四国一周・自転車特攻隊最後の行軍が始まったのであった。まずめざすはJR江川崎駅までの約120キロ。親子3 人で出かけるということは、時間にルーズな者が倍の2人に増えるということである。出発が遅れるのはやむをえないが、25分も遅れるとは想定外であった。 ただ、そのおかげで、鬼北町日吉にある道の駅では、すでに店が開いており、そこで休憩することができ、食料調達ができた。今日の行軍は最初の40キロは四 万十川沿いに下っていくため、食料品を売っているような店はまったく期待できない。

当初の計画よりも早く休憩ができたため、松野町にある道の駅は通過する。ここは次の日曜日は桃源郷マラ ソンがあるため、翌週だったら走れないところでもあった。そして、10時20分に江川崎駅へ到着する。

自転車2台を組み立てる。今までかずまるは「スポーツ用品」と称してJR車 両内に持ち込めたものだが、この1年2ヶ月の間にかずまるは身長が10センチ以上伸びた。そのかなりの部分が足の長さだろうから、もはや以前の自転車には 乗れない。だから、今回は1年半前、高知甲浦から徳島市まで親子3人で行軍したときに妻が使用した20インチ折りたたみ自転車にかずまるが乗ることになっ た。それにしても、いったい我が家には自転車が何台あるのだう。と数えて見ると、1人1台プラス折りたたみ自転車2台、さらにかずまるのかつての自転車の計6台があったりするのである。そういえば、 パソコンも稼動7台、ノートパソコン2台、休眠中3台あったりもする。

時刻は10時40分。まもなく、当初予定していた松山発1055Dから乗り継いだ4818Dがやってく る。今 回はまったく「鉄モード」がないから、本当はここで列車を撮っておきたいという気もするのだが、それでは、わざわざ自家用車でやってきて、時間的貯金をし た意味がないから、あと5分という後ろ髪を引かれながら、「いざ足摺岬」へと出発したのであった。

とはいえ、今日の行軍距離は61・8キロ。明日の行軍距離が22・2キロとはいえ、1日の行軍距離としては楽なものではない。ただ、幸 いなことは、風が若 干追っているということである。

  

(左:四万十市口屋内付近、右:佐田の沈下橋)

と もかく、今考えることは、少しでもかずまるの体力を温存させながら距離を稼ぐことである。四国一周していた2年前よりはかずまるの体力はあると思うのだ が、いかんせん、この折りたたみ自転車にかずまるが乗るのは初めてである。しかも、当然ながら変速機がついていない。前半は基本的に下っているから特に上 り坂に気を使うことはないが、それでも所々ではアップダウンがあると予想される。しかも、後半に標高約70メートルに位置する伊豆田トンネルが控えてい る。

そんなときにかずまるの気分転換をさせるのは、やはり沈下橋である。そう、かつて、「ちーん!」と自転 車のベルを鳴らしながら「かばし!」と叫んだ、アレである。さすがにあれから2年以上が経ち、かずまるもそれを連発することはなかったが、岩間の沈下橋は 「経路として沈下橋を走り抜ける」つまり、橋を往復してくるのではなく、沈下橋を走り抜けて、目的地へと向かうということに感激していたのである。

この沈下橋は四万十ウルトラマラソン(100キロ)のコースでもあり、結構人気のスポットでもあるらし く、カメラを抱えた方を見かける。ただ、そうは言っても、近くに国道(酷道)があるわけで、我々が渡る岩間の沈下橋を(道路脇に停車して)眺めるイプ様の 姿を見ることもできたのであった。

さ て、この四万十川ルートであるが、かつて国道55号、甲浦〜室戸岬間では食糧販売店はおろか、自動販売機さえロクにないという経験を持つ。今回も場所的に は同様の覚悟をしていたわけだが、実際には「四万十川の川下り」という観光スポットとしての船着場が多く、ただ空腹を満たすだけの店という意味では苦労し なかったし、少なくとも自動販売機を見つけることにも苦労することはなかった。もっとも、そのおかげで、かずまるからは「うそつき」といわれることにも なった。

そうして、妻とは抜きつ抜かれつ(当然車の方が早いから途中で待っていていただき)、あるいは以前宇和 島勤務時代の同僚とも(偶然)抜きつ抜かれつしながら、(情報上は)最大の観光地である佐田の沈下橋まで やってきた。

ただ、この地点は今日の行軍の中間点でもある。しかも、ここで休憩している間に、どうも風が南風、 つまり向かい風に変わりつつあることに気づく。ここから今日の宿まではまだ約30キロある。しかも、後半に峠を越える。果たして、かずまるの体力は持つの か?そういう不安を抱えながら、この沈下橋を出発したのであった。  

<その2へ続く>(2010.04.14)

このページのトップへ    その2 へ行く >>