ランニング編

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 【1】 愛媛マラソン完走!(2)  << その1へ  その3へ >>

つ いに初マラソンが始まった。どのような状態で西堀端を走ることになるのか。はたまた、そこを走ることができるのか。脚へのダメージは26キロあたりからく るのか。右脚の痛みは10キロあたりからきて、我慢できるのか。膝はどうか、前半は想定内か、30キロ以降は許容範囲で収まるのか。それ以外の故障は出て くるのか。最初の混雑によるロスタイムはどのくらいか。トイレロスはどうか。全ての不安が気になるが、不安ばかり考えても仕方がない。不安を感じるだけの ためにフルマラソンに挑戦したのではないはずだ。

  

ス タート地点を通過するときが徒歩になるなどという想定外のことが起こり、裁判所付近でようやくまともに走れると思ったものの、想像どおり、毘沙門坂(東雲 神社付近)の坂では速度があがらず、1キロ地点は6分40秒で通過する。この松山国際ホテルから平和通までの道路は狭いため、あせることなくついていくし かない。平和通に出る。この平和通は4車線中2車線の走行だから、幅員はほとんど一緒だが、やはり4車線という開放感と、次第に集団がばらけはじめる。後 方から業を煮やした方々がどんどんハイペースで抜いていくが、ここはがまんのしどころとマイペースを保ったため、2キロ地点は12分50秒かかる。

ただ、平和通から国道に出るところでは、伊予鉄道本町線の軌道敷にカーペットが敷かれている。これは親切だ。斜めに入るから、場合によっては軌道敷に脚をとられる危険性があるわけで、本町6の城北線踏み切りでも同様の措置がしかれていた。

私 も、国道196号に出てからは、集団を避けるべく一番中央側を走り、ようやくマイペースを取り戻す。1キロあたり5分40秒程度に上げて、5キロを(ネッ ト計測)29分51秒で通過する。時刻は9時33分22秒。ここの関門は9時50分。スタートのロスが一番気になるところでもあり、周りのランナーも安堵 の声が上がる。いよいよここからが本当のマラソンである。

さて、私は記録上2キロからの3キロを17分01秒、つまり キロ5分40秒で走ったことになる。この速度を5キロ維持すれば、5キロ28分22秒で走ることができる。実際1キロごとのスプリットは6分を考えてはい るが、5分30秒までならば許容範囲と考えていた。だが、実際には7キロから急な上り坂があることもあり、5〜10キロの5キロは結局29分51秒だっ た。この時点で2243位。だが、この時点でペースを上げる勇気はない。ただ、これまでの練習では最初5キロは惰性で走り、10キロあたりでは惰性が段々 と落ちて、15キロあたりで第1回目のスパートが始まるというパターンを繰り返してきた。さきほど5〜10キロに29分51秒かかったと書いたが、トイレ ロスがあったにもかかわらず、その時間だったということは、実際にはスピードが落ちなかったことで、さらに惰性が続くことになる。

そ の理由は、実は8キロ地点にあった。以前から5キロまでの速度に比べて、10キロの速度が確実に落ちる。その理由は先に述べたとおり、惰性の速度が自然に 落ちてくるものと考えていた。だが、あるとき、8〜9キロで異常に時間がかかることに気づいたのだ。具体的には前後に比べて40秒以上速度が落ちるのだ。 その理由は判らない。とにかく10キロでの落ち込みは気にしないと考えていた。

だが、その結論は意外なところで解明さ れた。かつて自転車で全てのキロ地点を写真撮影した。ところが、その8キロ地点が当初の場所よりも100メートル以上先に移動していたのだ。7〜8キロは 急な上り坂だから、その分余計に時間がかかっても不思議ではない。今までの自分の記録が間違っていたのだ。それで、全ての謎が解けた。だから、それが、さ らに自分を自重させる要因となったのかもしれない。

さて、10キロを過ぎた。トンネルを2つ越えていよいよ北条へと入 る。トンネルを抜けたところで待機していたバイクカメラが走り始める。後で判ったことだが、私の前には松山市長と市長を風除けにしていたアナウンサーが 走っていたらしく、それを追いかけたものらしい。が、そんなことは後でわかったこと。松山市長は追い抜いたらしいのだが、自分の前には主催者であるテレビ 局のアナウンサーが走っていた。10キロ地点では37秒先を走っていたらしいが、12キロあたりで後ろにとりつく。が、アナウンサーは私のペースよりも早 い。だったら、なんで追いついたんだ?という気がしないでもない。こういう人がいるからペースを乱されるんだ、とも思ったが、追いついてからは一定ペース で走っているので、そのままペースメーカーにする。ひょっとすると、テレビに映るかもしれない。15キロ近くで、トップランナーが反対車線を通り過ぎてい く。

という考えは甘かった。このアナウンサーは当初松山市長をペースメーカーにしていたらしい。だから、松山市長が ペースダウンしたところで、意図的にペースを落としたらしい。だから、15キロ先の給水地点で、突如私の視界から消えた。よく考えると、彼らは、ただ走る だけではなく、取材も兼ねているのであろう。ある意味我々よりも過酷な条件である。ご苦労なことである。そのアナウンサーであるが、実際15キロ先の給水 ポイントでテレビ中継が入ったのだ。しかし、給水ポイントということで、それまで真後ろにつけていた私も、位置取りを変えてしまったのかもしれない。残念 ながらテレビに映ることはできなかった。その後、アナウンサーは私の視界から消えたので、最初はそこで走るのを辞めたのかとも思ったが、実際には20キロ 地点では私の後方14秒のところにいた。というわけで、15キロを(ネット)1時間29分07秒の2200位で通過。10〜15キロは29分25秒と多少 スピードは上がったが、まだかなり抑えている。

というのは、1月第2週の3連休中、右脚外側に痛みを感じていた。特に 3連休3日目に至っては、最初調子が良かったのに、10キロを過ぎて突如痛みが走った。一応、走れなくなることはないが、うっとおしい。今日もいずれはそ の痛みがはじまることを覚悟している。だが、今のところはまだ痛みはない。今痛みがないならば、できれば後半にしてほしいという気持ちがある。第一、私は 初マラソンである。一度42・2キロの試走を4時間11分でやったとはいえ、それ以来、自信がついたところと、逆に疲労で調子を崩した部分があって、不安 を拭い去ることができない。後半に対する不安を考えると、最低前半は自重をしたいと思う。しかも、18キロから20キロまでは立岩川に沿って上っていく。 走っているときにはあまり感じないが、帰りの下りでは相当の高低差を感じるから、相当上っているはずだ。だから、ここではあまり無理はしたくない。その中 で、20キロを(ネット)2時間02分00秒の2116位で通過。15〜20キロは29分22秒とイーブンペースである。

こ の20キロをすぎたところで、その先約600メートルに1回目の折返しがある。だから、目の前に中間点があることになる。ここからしばらくは、前からやっ てくるランナーを見ることになるが、なんだか、前からやってくるランナーは、今私の廻りにいるランナーよりもちんたらと走っている人が多い。後で考えれば 納得できるのだが、このマラソンでは3、4、5、6時間に相当するペースメーカーがついていた。だから、私の前には4時間のペースメーカーがいるはずだ。 だが、どうも、このペースメーカーはイーブンで走っているのではなく、後半速度が落ちることを想定した速度で走っていたらしい。一般的には4時間をめざす ランナーは多いはずで、それならば最初は私よりも速いペースで走っていた人たちが、ここへきてペースダウンしてきたのかもしれない。そうなれば、やること はひとつ。彼らを抜いていけばいい。実際、人を抜くということは、気分的に楽になるといわれている。

まもなく、21キ ロを通過する。ここではみかんジュースとパンがある。右手にパン、左手にジュースという軽食スタイルを考えていたが、実際にはみかんジュースよりも先にス ポーツドリンクがあったため、そっちをとってしまったため、スポーツドリンクとパンになってしまった。しかも、パンはクリームパンだった。まあ、仕方ない と思うまもなく、中間点を過ぎる。記録は(ネット)2時間04分57秒の2074位。そういえば、不思議なことに右脚外側の痛みが始まらない。膝には痛み があるが、これは想定内であり、気にする気もない。左アキレス腱も、息切れも全くない。息切れについては、思い出すたびに、深呼吸をして自問自答する。左 膝以外は不気味なくらいに信号がないのだ。(2010.02.06)

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