ランニング編

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 【1】 愛媛マラソン完走!(3)  << その2へ  その4へ >>

初マラソンも中間地点を過ぎた。前半かなり抑えていたし、体調も不気味なくらいに良い。どこかでペースを上げようかどうしようかという気持ちが脳裏を掠めるが、まだ安心はできない。

そ れにしても、21キロから22キロにかけては、一旦緩やかに上った後、北条鹿島めがけて急激に下っていく。その途中の道路は急カーブになっていて、道路が 相当傾いている。右カーブにいたっては、左足がねじれるのではないかと思うくらいに右側へ傾いているのだ。これなら歩道を走る方が楽だと思ったくらいだ。 ただ、さきほどから再びぽつぽつと雨が降り始めている。

  

そして、坂を下り23キロ地点を通過する。ここから2度目の折返しをめざすわけだが、今まで練習してきて、この折返しの道ほど走っていて嫌になる区間はない。距離の帳尻を合わせたことがみえみえの上に、途中からかなり上っている。

そ のうち、4時間の風船をつけたペースメーカーとすれ違う。1キロほど先にいるらしい。このペースメーカーは先述のとおり、イーブンで走っているのではな く、後半スピードが落ちることを想定したペースで走っている。だから、私のような後半に苦しい思いをしたくないために前半抑えているような小心者にとって は全然役に立たない存在でもある。来年あたりはこのペースメーカーと一緒に走って、後半ペースを上げられるようにトレーニングできたらと思う。

坂 を登っていって、2度目の折返しを過ぎると当然ながら下りに入る。まもなく25キロを通過する。(ネット)2時間27分28秒の2006位で通過。 20〜25キロは28分59秒、多少スピードが上がったとはいえ、やはりイーブンペースである。ここからペースを上げることを考えていたが、ちょうど向か い風になっている。今日は前半南風、後半北風という往復ともに追い風の予報となっている。そのため、27キロ手前で国道に戻れば追い風になるだろう。だか ら、そこまでは我慢を決める。

だが、このあたりで、再び雨が強くなってきた。ビニール合羽を着て国道に戻る。ここから 追い風になることもあって速度を上げる。30キロは(ネット)2時間55分42秒の1844位で通過。25〜30キロは28分14秒。27キロ手前で速度 を上げたから、はっきりと数字に現れている。

多少足は重くなってきたが、それは当たり前の話であって、それよりも心配 された右脚痛の症状が全く起きてこない。その代わりといってはなんだが、太腿の外側に多少張りを感じ始めた。予防策として、時々太腿をたたいたりする。私 はその程度で済むのだが、既にあたりは立ち止まってストレッチを繰り返す人々が多くなっている。再び雨が降り始め、スタート直後にビニール合羽を捨て、失 速した方々は雨による冷えも敵となる。32〜34キロの間にはトンネルが2つあるのだが、その中はさしづめ屋内トレーニング場と化しており、その中でスト レッチをする方々の多いこと。その中を私は不気味なまでの好調さを保ったまま走る。

堀江小まで戻ってくると、そこが 35キロ地点。3時間22分30秒の1634位で通過。30〜35キロは26分48秒と、この5キロは1キロあたり5分22秒で走り、210人を抜いたこ とになる。そして、目の前に給水地点が迫ってくる。ここには、坊っちゃん団子があるはずで、かずまるにもできれば持って帰ってほしいといわれている。絶対 無理な話だが・・・が、給水地点は失速した方々がたむろしていて、中には話し込んでいる人までいる。彼らが邪魔でろくに給水もできない。しかも、いよいよ 最後の急坂が迫ってきていることが脳裏にちらつく。そんなことをしていたから、坂を登り始めて「坊っちゃん団子を忘れた」状態になってしまったのだ。

が、 今となってはそんなことは問題ではない。練習でもこの1キロは6分05秒はかかる。その坂が35キロを過ぎてから始まった。かつて、一度だけ42・2キロ 走をしたのだが、そのときはコースの5キロ地点から走り始め、最終的に仮想37・2キロ地点に設定した自宅を通り過ぎて、そのまま5キロ練習コースを走っ て42・2キロの帳尻を合わせたのだ。つまり、この坂は私としては30キロからの坂だったわけであり、35キロからの坂は初体験になる。しかし、味方はい た。不謹慎ながら、坂道にあえぐ方々を抜き去るたびに力がわいてくるのがわかる。あと6キロを切った。ここでこの体力ならば、急に失速することもあるま い。

坂を登りきって、今度は下りに入る。周りの集団も速度が上がったようであったが、今度はそれ幸いに彼らのスピード を利用して下っていく。坂を下りきって、旧道との分岐点が37キロ。そしてまもなく残り5キロの表示が見える。ラップは3時間33分。つまり、このままの 速度を保てば、グロスでは無理だが、ネット計測では4時間を切ることができる。

その意思に呼応する自分の体力に、ふと 目が熱くなってくるのが判る。自分で勝手に感動しているだけなのだが、いろいろな思いが脳裏をかすめる。かつてかずまるの年代の頃の私は虚弱体質で、毎月 のように松山の病院に通院していたものだ。そのため、当時ピアノを習っていてその道をも考えたが、父はあえて私を軟式庭球の道を選ばせた。そこで、体力を 得ることができたが、そのときの猛特訓のツケが30歳を前に変形性膝関節症という形で出てしまった。そして、球技を始めとしたスポーツを断念した私は45 歳の夏には体重が85キロにまで増えた。その45歳の誕生日を境にダイエットを始め、2ヶ月で10キロ減量、5ヵ月後には70キロを切った。一方、当時は ウォーキング専門だった私は、かずまるが土曜日に塾へ行くようになったとき(ダイエット5ヶ月頃)、「お父さんの時代は土曜日は授業があった。だから、せ めてお前も土曜日くらいは勉強をしろ。その代わり、お父さんはお前が勉強している時間帯はジョギングをして一緒に苦しむから。」そうして始めたジョギング から2年近く。まさか、苦しみから始めたジョギングがいまや趣味に変わり、20キロ約2時間走ることに何の抵抗もなくなってしまった。そして、今フルマラ ソンを走る自分がいる。よもやこんな時が来るとは思いも寄らなかった。

そんな思いが交錯する中、初マラソンは残り5キロを切ったのであった。(2010.02.08)

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