ランニ ング編

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 【2】 第25回今治シティマラソン!  その1  その2

今年で25回目を迎えた今治シティマラソン。ということは、第1回目は昭和62年ということになる。その頃の私は社会人3年目で、八幡 浜でお仕事中。というより、当時は軟式庭球(現ソフトテニス)はしていても、長距離走なぞ「アウトオブ眼中」であった。

そして、時代は移り、ジョギングの世界へとのめりこんでいった頃、この大会の存在を知る。なんといっても私の故郷、しかも、コースは出身中学校区を走る。

  

そ もそも、妻からは「フルマラソンを走れたら、ホノルルマラソンに一緒に行こう」と言われていた。それが、意外と早く達成されたため、かずまるがまだ小学生 ということもあり、保留状態となっている。それが、いつしか「東京マラソン」に代わっていく。だが、東京マラソンのすさまじいばかりの倍率の前に、という より、大会が愛媛マラソンの3週間後ということになれば、東京への興味も薄らいできた。

そして、いつしか、「ホノルルマラソン」は「今治シティマラソン」へと縮小してしまったのである。

って、それ日帰りできるじゃん。というより、私の出身地やんか!平成15年から3年間通勤したところやんか!

とはいえ、実は私は、大会では居住地である松山市から出るのは初体験である。走る前に疲れたくない、というのが理由だし、東京などへ行ったって、前日遊べん!飲めん!では私の趣味ではないらしいことに最近になって気づいてきた。

では、なぜ今になって、今治へのこのことやってきたのか?理由は簡単。昨年はかずまるが中学受験だったから自粛していただけである。そ して、一昨年、昨年と出場していた、11月の「坊っちゃんマラソン」が昨年で終了した、ということで、仕方なく今治へと目を向けただけに過ぎない。なお、 坊っちゃんマラソンは、昨年までの「坊っちゃん一緒にらんランRUN」から「坊っちゃんランランラン」と名を変え、一部コースを変更して、結局今年も開催 されることになった。

そこまで、私が今治のレースを敬遠する理由は?といえば、特に昨年の9月は暑かった。ハーフなぞ、まともに走れはじめたのは、実に9月 23日だったのだ。これでは、最後の調整なぞできるはずもない。とはいえ、10キロの部へ出場する勇気がなかったこともある。この今治の大会は、愛媛県内 のシーズン最初の大会でもある。世のつわもの達が、きたるシーズンに備えて、10キロや5キロは最初から全力疾走する大会としても有名だ。実際、今年もス タート直後はほとんど格闘技状態だったと聞く。

そんなレースはちょいと怖いし、どうも最近スピードに自信がない。距離の短いレースは、イコールスピードを上げなければならない。今年 の春頃、毎週土曜日に25キロ、日曜日に15キロ程度走っていたのも、実はハーフマラソンもある程度スピードを必要とするから、スピードを必要としないそ れ以上の距離を走ることで自己満足していたということもある。

特に酷暑の中での最終調整は難しい。だから、今回の大会はハーフ1時間49分を目標としていた。

ところが、今年の9月は暑くなかったということはないものの、昨年ほどの暑さではなかったような気がする。私は初フルマラソンの前半を 2時間08分、後半を1時間54分で走った。だから、1時間54分では走れるやろ!と普通思う。だが、昨年は9月に入っても2時間を超えることも多く、1 時間54分を切れたのは、実に9月23日。それも朝大雨で、午後になっても気温が上がらなかった日だった。

さて、今年はというと、実は、ボトルホルダーを購入し、走行中の給水の心配はなくなった。しかも、地図で水浴びできる公園を確認し、水 浴びをしながら走っていた。だから、水浴び中の休憩は、断続的に走る本番と比べてどのような影響があるかという心配はあったが、確かにハーフ1時間54分 以内で走り続けることができたのだ。

し かも、大会2週間前の3連休、土、月と大雨の中での練習。ここで無理をしなければ何時無理をする?とばかりに、ほとんど泣きながら走り続け、気温が低いこ とも手伝って、9月17日には1時間47分台、さらに最終調整となる9月23日には好天の中1時間46分台で走ることができた。

さらに、大会当日は雨の心配は全くないが、曇り空、気温21・3度という、まさに「走れ」といわんばかりの好条件となった。涼しくなれ ば、早く走れるものの、この急に涼しくなったときには、今度は膝の心配が出てくる。しかも、夏場の内臓機能低下はまだ完全には回復していない。ここは、や はり前半を抑える戦法をとるべきだろう。

ということで、大会当日10月2日(日)は松山からJR四国8Mに乗って今治をめざす。この8Mは平成15年から3年間通勤に使った列 車である。今日は日曜日ということで乗客は少ない。そこで、私は膝を中心に念入りにテーピングをする。外膝、内膝にもテーピングをするため、あらかじめ半 ズボンといういでたちである。ぎゅーぎゅーに締め上げると、もはやトイレ(大)は洋式でなければ座れない。というより、今治では階段を降りるのにも難儀し たほどである。

大会のスタートは9時30分。会場の美須賀中学校までは、パスの便が悪いため、タクシーで乗りつけ、受付をして、準備を始める。大会のサポートには、地元の高校生が大勢手伝ってくれている。大変ありがたいことである。

例のごとく念入りに柔軟体操をし、開会式は無視を決め、荷物を預けて、時間のある限りトイレに(2回も)並び、スタート25分前に集合 場所へ行くと、なんとまだ4人しかいない。4人ということは当然最前列である。それでは、ちと危ないので、じわじわと後ろへ下がっていくと、なんと平成4 年から4年間の宇和島時代、妻の職場の経営者とばったり会った。彼も当時は結婚直後で太っていたものだが、私と同様5年ほど前から走り始めたという。彼の 場合、10キロ走になると、調子しだいでは負けるかもしれない。ただ、前回の愛媛マラソンだけを比べれれば1時間以上勝った。ただ、10キロの速度を考え ると、彼はまだ力を出し切れていない。今のところは、距離が伸びるほど私の方がタイムが良いだけに、そのうち強力なライバルとなる可能性がある。 (2011.10.09)

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