第24話 坊っちゃん列車の空想ダイヤを考えてみた!
昨年11月に伊予鉄道市内電車のダイヤ改正があった。そこで、いつも思うことだが、なぜ坊っちゃん列車は平日と土曜・休日ダイヤがあるのだろうか。私のようにそんなことを考えること事態必要ないのかもしれないが、ダイヤが統一されていれば、覚えやすいではないか、と思う。 というわけで、勝手にダイヤを考えてみた。要するに、平日と土曜・休日ダイヤを一本化する。するうえで、平日は昼間に各車1往復を間引く。実は、これで坊っちゃん列車の乗務員は平日1名減員できるはずである。 坊っちゃん列車には1日7名の乗務員が勤務している。1号車、14号車各3名。これに昼食時に1名をはさむことによって、1乗務ごとに後ろへずれていく。これで、昼食時約1時間の休憩時間を捻出しているのである。が、そんなことは、私の架空時刻表を設定すれば全て解決するのだが、まあ、そうもいかないのだろう。(2006.03.13) |
第23話 松山市広報に出た坊っちゃん列車
まあ、それはなにも驚くことではないのだが、今回は作家でもあり歌手でもある新井満さんが、「だからことばの大募集」で市長賞を受賞した、「愛媛銀行のラッピングバス」に大きく掲載されている詩を元に唄にして、松山市に無償提供された。これを11月11日のニュースで映像つきで放送されたのだが、このときに出た坊っちゃん列車は、どうみても14号機登場前の映像だった。「がんばれ運転手」が一番大きく映っていたのだが、彼の制帽にはまだ顎紐があったし、車掌も2名乗車し、赤い腕輪?が目立っていた。車掌は「愛媛銀行ポスター」コンビの「紅顔の美少年」「しょうゆ顔の好青年」だったのだが、このポスターの運転士は「大将」である。(2005.11.13) |
第22話 再びかずくん倶楽部の乗車区間
昨年の今頃(第21話)に坊っちゃん列車の乗車区間別乗車回数を掲載したが、あれから1年経ってどうなったのか研究してみよう。 乗車区間は、当初1区間1000円時代9回を除く256回で考えてみる。ちなみに、時刻表による所要時間であれば、乗車時間91時間37分と計算されている。 ちなみに、昨年の計算以来、新規乗車した区間は、JR松山駅前〜道後温泉間、古町〜南堀端間、古町〜JR松山駅前間往復である。しかし、この1年間に古町〜JR松山駅前間往復を計4回乗車して週末連続乗車記録を継続していると言うのは我ながらいただけない。また、道後温泉〜大街道の往復は1000円時代に乗車している。 ということは、あと乗車してない区間は、大街道〜JR松山駅前間、松山市駅〜南堀端間、道後温泉〜上一万間、大街道〜南堀端間の4区間となった。で、これが何の役に立つかは知らない。(2005.06.25) |
第21話 かずまる特攻隊の乗車区間
かずまる特攻隊の連続出撃記録が途絶えたのと、私の坊っちゃん列車乗車回数が200回に近づいたので、今回は私の坊っちゃん列車乗車回数の研究をする。 乗車区間は、当初1区間1000円時代9回を除く189回で考えてみる。ちなみに、時刻表による所要時間であれば、乗車時間72時間19分と計算されている。 ということは、あと乗車してない区間は、古町〜南堀端間、大街道〜JR松山駅前間となる。なお、道後温泉〜大街道の往復は1000円時代に乗車しているし、松山市駅〜南堀端間、道後温泉〜上一万間、大街道〜南堀端間、古町〜JR松山駅前間往復は常識的にみて却下する。で、これが何の役に立つかは知らない。(2004.06.27) |
第20話 5月2日「読売新聞」朝刊にて・・・
別冊部分に道後温泉界隈の話題が掲載されていた。まずは「坊っちゃん列車の転換作業」では、運転士が「ぬおぉーー」と言いながら、上の写真のようにまわしていて、それを観客が「人力かい?」とびっくりするシーン、であるが、確かに当初はこのように押していたが、、最近ではどちらかというと、引っ張りながらまわすというイメージが強い。まあ、人それぞれの癖なんだろうけど。 そして、その右側には、車掌が車内案内をしているところであるが、その車掌の似顔絵は、誰が見ても明らかに「ゲンちゃん」であった。著作権上、そのシーンをお見せできないのが残念です。(2004.05.03) |
第19話 坊っちゃん列車の車内案内
坊っちゃん列車に乗車すると、車掌から色々な案内を聞くことができる。ワンマン運転に慣れてしまっている我々にとっては結構うれしいところである。さて、ではどの辺りでどのような案内が聞けるのであろうか。まずは、古町発の列車に乗ってみることにする。古町を出発した列車は、たいていがらがらであり、乗客が乗り込んでくるJR松山駅前までは案内はない。 で、JR松山駅を出発すると、まずは、運行開始直後から続いている懐かしい案内がある。「本日は坊っちゃん列車にご乗車いただきましてありがとうございました。私ども伊予鉄道は、明治・・・」車掌によっては、西堀端直前でビューゲルを上げてから、ちょうど信号待ちをしている時に説明をする場合もある。まあ、急に乗客から質問を受けて、ビューゲルを上げ忘れなどということを防ぐためかもしれない。 次に南堀端を過ぎると松山城築城の案内がある。築城者加藤嘉明を車掌によっては「かとうよしあきら」と言っていた人もあり、実際に私の持っている本にそう書いてあるのもあるのだが、現在は「かとうよしあき」に統一されているようだ。 県庁前交差点を曲がると、県庁本館の案内がある。車掌によっては、それに続けて、大街道下車の案内と大街道、松山城へ観光案内をする。 南町に近づくと、県民文化会館の案内がある。「総工費202億円・・・」よくお金があったな、と思うが、実は東京都庁本館と設計者が同一であることは述べられない。設計者は今治市出身の丹下健三氏で、今治市庁舎別館も設計している。 道後温泉が近づいて、東環状線交差点までくると、終点道後温泉に関する案内がある。「・・・道後温泉は3000年の歴史を持つ全国最古の湯と言われています。温泉は全国いたるところにありますが、この道後温泉には全国でただひとつ、天皇皇族占用の湯神殿があります。本日は坊っちゃん列車にご乗車いただきましてありがとうございます。・・・」そして、到着後に前の扉を開くまでお待ちください、ということと、到着後機関車の向きを変える作業をすることの説明が続いて、終点道後温泉駅のホームに到着する。 JR松山駅からならば約20分、地方都市としては、結構大きく感じるのか、はたまた街中に温泉街があることが驚くべきことなのか、JR松山駅まで20分のタイムラグが生じることに疑問を抱かされる場所でもある。(2004.04.11) |