ランニ ング編

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 【3-3】  第50回愛媛マラソン完走!  その1  その2   その3   その4   その5

10キロを過ぎた。いよいよ、例のおわんの底のような、いわゆるどっちから見ても上り坂に見える場所がやってきた。左下の画像のように一旦下って、その先のト ンネルに向かって上り始めるのだが、なぜか、その下り坂が下り坂に見えないのだ。たまたまペダルをこがないで自転車が下っているのを見て、ああ下りなの か、と思ったくらいである。

ただ、この区間の景色は最高だ。海の向こうに浮かぶ多島。松山市中心部から10キロ程度で見られる景色とは思えない。ひょっとすると、そんな風景を眺めているうちにペースが落ちるのだろうか。

そこで私がやったこと。帽子のつばを目深にかぶって、前方を見ないようにしてみた。これがどの程度の効果があったかはわからないが、11キロ通過は57分 54秒この1キロを5分10秒で通過した。あるいは、マラソン大会ということで、トンネル内が普段よりも明るかったため、ペースが狂わなかったのかもしれ ないが、そのあたりはわからない。さらに、12キロも1時間03分04秒。この2キロで普段よりも30秒早く、光洋台の平原区間へとやってきたのであっ た。

  

この12キロから、国道を離れる18キロ過ぎまでをいかに省エネで走れるかがポイントとなる。初マラソンのときも、トンネルを抜けたあたりで、ようやく体がほぐれてくるところでもあり、かなり余裕を持って走ることがてきたことを鮮明に覚えている。

ただ、試走時はいつもトンネル区間で減速してしまうため、毎回このあたりで1回目のアフターバーナーをかけ、1キロ5分10秒程度で19キロあたりまで進 んでしまうという繰り返しをしてきた。ところが、今回はその必要がない。だから、そのまま惰性で走っていると、次の13キロまでに5分18秒もかかってし まったわけである。仕方がないから、ここで1回目の速度修正に入る。

この区間は、過去の大会にしても、本当に変化に乏しい区間だ。道路そのものは結構うねっているものの、進路変更が何キロにもわたってないというのも 精神的にはよろしくないらしい。大阪女子マラソンが最近になって、コースを変更したのも終盤何キロもまっすぐなコースがランナーの負担になるからだという から、難しいものだ。

14キロ1時間13分32秒、15キロ1時間18分42秒は10-15キロを25分58秒で通過。26分にかかりそうでかからない速度は、実は、1年3ヶ月前、初めてのハーフマラソンを走ったときの15キロのタイムより40秒ほど遅いだけだ。

今回の私の成長ぶりは、先頭ランナーとのすれ違いでもはっきりとわかる。一昨年、昨年と15キロ地点ですれ違った。今回は往路が600 メートル後方にずれ込んだ状態で、逆に17キロ地点ですれ違ったわけである。その16キロまでの1キロは5分05秒、17キロまでの1キロは5分08秒、 18キロまでの1キロは5分05秒と完全に高止まりをしている。

そして、いよいよ某ブログで「心が折れる」と称された、国道から離れて、立岩川を上るコースへと入る。ここは19キロ手前の県道交差点 直前で急坂を上り、その後延々と2キロ上り詰める。ただ、川を見ていると、上り坂とはあまり感じない区間でもある。基本的に追い風だからかもしれない。し かし、2キロにわたって上っていることは事実である。

一 方の体調であるが、右ふくらはぎは依然として不気味な沈黙を続けている。左足3、4指裏あたりが痛いような気がするくらいだから、たいしたことはない。 19キロを1時間39分05秒は、ここまでの4キロを20分23秒とかなり速いペースで走っている。このあたりで、持参していた森永ウイダーを給食。

さ あ、ここから2キロの減速区間へと入る。試走では19キロからの1キロを5分30秒、次の1キロを5分20秒かかる区間である。ところが、20キロを1時 間44分27秒と15-20キロを25分45秒と区間最高記録を出している。19キロからの1キロも5分22秒でカバーする。さらに、21キロを1時間 49分45秒、中間点は1時間50分17秒で通過する。

昨年は、中間点で「もう中間点?」と思った。今日は「こんな楽 なマラソンもあったものだ。」と思う。まだ、十分鼻で呼吸ができる。多分気候が最高なのだろう。た だ、この中間点の記録は微妙な記録でもある。今まで私は後半ペースが落ちたことがない。しかし、今日は後半極端にペースが上がることはないだろう。とする と、ゴールタイムは2倍すると、ちょうど3時間40分の壁にぶち当たるわけである。ネットタイムの1時間50分17秒からトイレロス1分を除くと1時間 49分17秒。これを2倍すると、3時間38分34秒。これにトイレロス1分とグロスタイムロス1分弱を加えると3時間40分30秒という計算となる。当 初の目標は3時間45分だったとはいえ、目の前を3時間40分がちらつくと、なんとも悩ましく思えてくる。

と、折り返してしばらくすると、師匠がやってくる。え゛っ?師匠、なんで私の後ろにいるの?一方で師匠は私に「早いなあ」とおっしゃら れたような気がした。さらにその後ろには、昨年終盤デッドヒートした女性の姿が見えた。そういやこの人、今治シティマラソンも坊っちゃんマラソンでも途中 まで私の前にいたのを見かけたけど、最終的に抜いていたぞ。

さて、ここから27キロまでは要注意区間だ。昨年は23キロの下り坂でペースを上げすぎてしまった。とはいえ、下りの間だけはそれなり に惰性で下らなければならない。22キロ1時間54分55秒と1キロ5分10秒で通過した後、鹿島を見下ろしながら急坂を下る。途中に給水ポイントがあり、こ こでは塩が置かれていた。その「塩」って、どんな取り方をすればいいんだろうと思っていたのだが、ちょうど私の前で取った人は、相撲の塩のごとくごっそり と持っていった。まさか、あれ全部は捕食できるまい。もったいないなあ、と思う反面。少々衛生面に疑問もある。普通は、自分で紙に包んで、持って行くもの だそうだ。そういえば、途中で、立ち止まって、水にそのようなものを溶かして飲んでいた女性を見たぞ。

23キロは1時間59分50秒とペースが上がるが、第2折り返しへ向かう途中にある24キロは2時間05分05秒。昨年とは600メートルほどずれているが、 この1キロは昨年より25秒ほど遅い。この区間を実に見事なペースでクリアしたものだ。と、昨年トンネル区間で失速していた先輩とすれ違う。相当速いペー スだ。

さあ、次は25・4キロの給水地点にあるパンの捕食だ。普通に走っていると、一番最初にあるスポーツドリンクはすぐに目に入る。次の水 も目に入る。が、あとはたくさんだ!の世界だ。給食に関しては通り過ぎてから気づくことが多い。が、この区間は往復で2回通るから、往路で場所を確認すればよい。とにかく、この区間は 早く折り返したい。

その私が一番嫌がる折り返しに到達。今年はすぐに25キロとなる。と、その直前に高橋尚子さんがいる。思わずハイタッチ。このときも前 の人より気合が入ったタッチをしていただいた。偶然だよね・・・その25キロは2時間10分25秒、20-25キロは25分58秒で通過。この記録は、 35キロ最終試走と全く同じ。同じということは、トイレロスを考えると、1分速いということでもある。

まもなく、その先の給水地点が近づく。まずはスポーツドリンクに手を出す。が、ここでは飲まない。コップを持ったまま走る。目標はその先 のパンだ。パンには水分がないとのどを通りにくい。そのパンは一瞬見落としたため、急ブレーキをかけて取りに行った。よく左側にランナーがいなかったもの だ。思わず、左回りに一回転してパンを捕食。ボランティアの方が「ありがとうございました」と声をかけてくれる。いやいや、こちらこそありがとうございま す。そういえば、私は給水用コップをゴミ箱に捨てるときは「ありがとうございました」と声をかけている。が、この場所だけは、最後まで紙コップを持ってい たため、なんと、私がパンを食べて、ドリンクを飲み干したときには既にゴミ箱は見あたらなかった。次の29キロまで持っていくのはつらいので、ここだけは 道の端へ置かせていただく。そういえば、ここにはポンジュースもあったはずだが、どこにあったのだろう。再び師匠とすれ違う。

26キロ2時間15分35秒、ちょうど4時間のペーサーとすれ違う。うーん、私も出世したものだ、と一人悦に入る。

再び国道に戻り、27キロ2時間20分47秒。ペースは完全に落ち着いた。当初の予定では余力を残しながら惰性で走る、つまりじわ じわとペースを落として平田の坂に備えるというものであった。だが、あの中間点のタイムが2時間40分へ誘う。グロスタイムの場合はかなりきつい現実があ るが、ネットタイムならばまだまだ十分余裕がある。心肺はいたって平常。ところが膝はというと、通常はじわじわと重くなってくるものなのだが、今日は右膝 に重さが出ていた。30キロが近いのだから、それは当たり前なのだが、このあたりで、もうはっきりと右ひざが痛いという症状に変わってきた。(2012.02.11)

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