ランニ ング編

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 【6-4】  第4回大阪マラソン惨敗!  その1   その2   その3   その4

恐れていた右足腓骨付近の違和感が始まった。実は後で施術師に見てもらったら、腓骨ではなく、腓骨筋だったらしい。だから、多少の無理 はできたのだが、それはあくまで結果論だ。

万一、腓骨疲労骨折なぞしようものならば、いや疲労骨折までしなくても炎症が治まらなければ、次回愛媛マラソンに影響する。それだけを 考えたわけだ。

  

幸い、歩くことに関しては全く問題ない。だから、ここで考えたことは、3時間45分で走れないのであれば、サブ4が達成できれば、ここ で1分争っても意味がない、ということだった。

すなわち、時計を見ながら、歩いたり走ったりするということだ。

そんなことになったから、40キロ3時間39分05秒(35-40は31分30秒)ということになってしまった。ただ、不思議なこと に、35キロで約3700位だった私は、この5キロでは30位弱後退しただけだった。

みんなもきっとつらかったんだ。

そんなことを繰り返し、ゴールは3時間54分34秒。グロスタイムでも3時間57分であった。

マラソン史上初めての惨敗、そして疲労困憊の状態でゴールしたわけだが、その後もまともに歩ける状態ではなかった。多分、脱水症状だっ たのだろう。

その中で、行軍後に一番効くのが、スポンサーからいただいた「黒ビール風味のノンアルコールビール」だった。

今後の行軍後に活用しよう。

さて、ひとつだけ不思議に思うこと。それは、「コブクロ」の小渕さんが私よりも1分少々早くゴールインしたことである。

35〜40キロのブレーキの中で、20数番しか順位を落とさなかった私だが、さすがに残り2・195キロで歩く奴は少なかったらしく、 この区間で300位順位を落としてしまった。

だから、普通に考えると40キロ以降、小渕さんに抜かれたはずだ。実際某ブログを見ていると、ゴール時点では周囲を「TV」と書かれた スタッフに囲まれていた。

が、抜かれた場所が全く記憶がないのだ。

全く走れない状態ではなかったのだから、彼を見つけたら、多分追随したと思うのだが・・・

うーん。

すぐにでも忘れてしまいたい記録になってしまったが、書いている今、ふと「これだけ悪条件がそろった中でサブ4だったことを考えると、 次回愛媛マラソンならば、よほどの事態にならない限り、今回より悪いことはあるまい」と考えた。

今になって、そう思えることが、今回の大阪マラソンの最大の収穫だったと、良い方向に考えることにしよう。(2014.11.13)

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