愛媛マラソンも37キロを過ぎた。あと5キロ少々でゴールを迎える。2年前はここからペースが落ちた。昨年はペースは落ちなかったものの、非常に苦しいラスト5キロとなった。今年はどうか。脚が完璧に重くなっている。だが、まだペーサーに付くことはできる。 そう思っていた。だが、38キロ地点が近づくあたりから、じわじわペーサーとの距離が開いている。追いつこうとは思うのだが、多分氷雨の影響で下半身をやられたのだろう。ペースを上げることができない。
ペーサーとその一団との距離がじわじわと開き始める。苦しくなってきたのは事実だ。おそらく、集団に離され始め、精神的なダメージを受けている。 だが、冷静に感考えてみる。37-38キロは5分00秒、38-39は5分02秒を刻んだ。39キロの通過は3時間12分52秒だ。あと3キロをキロ5分05秒で走れば3時間28分07秒。残る195メートルを1分、そしてグロスロスタイムは50秒はない。 そう言い聞かせながら走る。40キロを3時間17分54秒(35-40は24分57秒、39-40は5分02秒)で通過。 まだ、サブ3・5の灯は消えていない。 後で考えると「ひょっとするとペーサーは25キロから予定どおりのペースを刻んだものの、氷雨と強烈な向かい風で30-35キロに30秒ほどロスをしてし まったのではないか?あるいはトンネル内の勾配でペースを誤ったのではないか?」そこで、30秒のロスタイムを取り戻そうとするものの、目の前には復路平 田の坂がある。だからと言って、3時間30分をめざす者たちを無視したペースで走るわけにはいかない。 だから、復路平田の坂では私のペースに合わせたのではないか?そして平田の坂を下り終え、残り5キロというところで、キロ4分55秒をわずかに切る程度の適正なペースで走るランナーを見つけ、最終的にそのペースで走ったのではないか?と深読みするわけである。 まあ、あくまで推測の域に過ぎないが。 だが、苦しいことは事実だし、時間がないことも事実だ。 ともかく、走るしかない。本町の交差点で妻が応援に来ていたらしいが、今年も「完璧に逝った状態」だったという。仕方あるまい。 41キロを3時間22分54秒(40-41は5分00秒)、さらに残り1キロ(標識が見えなかった)と思われる地点を3時間23分54秒位で通過する。 もうこのあたりになると、時間の計算はできない。いや、時間の計算をするくらいならば、その体力全てを「走」に投入するべきだ。そのとき感じたことは、とにかくペースアップだ!ペースダウンさえしなければ、なんとかなる。 平和通を過ぎても、札の辻を過ぎてもペースを上げることはできない。ペースダウンをしているのかを、次に測ることのできるのは最後の42キロ地点だけだ。 その42キロを3時間27分54秒(41-42は5分00秒)で通過する。あと195メートルに1分、グロスロスタイムに50秒はない。3時間29分40秒までにはゴールできる。 そう思った瞬間に悲劇は起きた。 西堀端から最後の左折をするときに、前の(撮影されたカメラから判断すると私の前を横切った)ランナーと交錯し、私だけがそのまま左向きに転倒。 あわてて立ち上がるが、既に脚の感覚がない。そのままもう1回転倒。 あの状況で次に冷静になれたものだ。一旦立ち上がり、ゆっくりと前へ進み、徐々にペースを上げることができた。 ゴールは?時間は?記録表示がない!?記録表示はゴールポスト転倒後、なんらかの事情で撤去されていたらしい。そんなことはゴール直前では判らない。 時間がわからない状態で、最後は「目の前の全てがモノクロームの世界だった」中でゴール。 時間がないことは判っている。ゴールでガッツポーズをして「3時間30分01秒」だったら、これはみじめだ、ということで、小さくガッツポーズをしながらゴール。 結果は、まさに「諦めなければマラソンの神様は必ず微笑んでくれる」状態で、グロスタイム3時間29分57秒でゴールしたのであった。 ゴール後は、そのままコースの端にある壁にすがるしかなかった。全ての体力を懸けてのゴールインだった。(2015.02.18) |