坊っちゃん列車・千夜一夜小話の巻

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第20話 坊っちゃん列車乗務員のおさらいをしよう!

松山市内に復元された坊っちゃん列車、その乗務員は当初の運転士、車掌各5名から現在は運転士10名、車掌7名になっているようだ。(人数は推定)

第3期運転士登場ということで、もう一度運転士をおさらいしてみようか。

【第1期運転士】
○ イチロー(Oさん)
○ がんばれ運転士(Iさん)
○ 坊っちゃん2世(H1さん)
○ 紳士松井(N2さん)
○ 大将(N1さん)
以上5名が第1期運転手、ただし、彼らは車掌の訓練をも受けており、坊っちゃん2世は運転開始当時のイベント運転では車掌を務めたらしい。あと、紳士松井が車掌をしているサイト写真も見たことがある。

【第2期運転士】
○ 元気君(K1さん)
○ しょうゆ顔の好青年(K2さん)
○ JTB君(H2さん)
以上3名が第1期車掌で、第2期運転士

【第3期運転士】
○ 紅顔の美少年(K3さん)
○ 翼君(Mさん)
以上2名が第1期車掌で第3期運転士、これで第1期車掌は全て運転士になった。

【第2期車掌】
○ S1さん
○ ゲンちゃん(S2さん)
○ マンモス君(元「木田君」、Wさん)
○ まろん君(元「K4兄ちゃん」、K4さん)
○ 童顔君(S3さん)、但し一時郊外電車の車掌でよく見かけたが、坊っちゃん列車車掌兼務を解かれているという噂あり
○ T兄ぃ(Tさん)
以上6名(5名?)が第2期車掌

【第3期車掌】
○ K5さん
○ S4さん
以上2名のうち、K5さんにはお会いした。(2006.07.17)

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第19話 初めての坊っちゃん列車乗車の頃!

松山市内に復元された坊っちゃん列車が走り始めたのが、平成13年10月12日、私の39歳の誕生日である。もう4年半近く前になる。その翌日から営業運転を始めたのであるが、我々は当日JR松山駅前〜松山市駅(当時ルート)の始発便に乗車した。始発便と言っても、当時は1日2便の午前10時10分頃の話ではあるが、一応始発便に乗った。(妙に強調している!

そのときの運転士は上の写真を見る限り「イチロー」「大将」、我々が乗車した後客車の車掌は「紅顔の美少年」であったと記憶している。

(当時の当サイトはこちらへ) > 「坊っちゃん列車発乗り」へ移動

当時は1区間1000円で、毎週乗るわけにはいかないから、市内電車や自転車で坊っちゃん列車をよく追っかけたものである。それにしても、

我々もこの4年半の間にずーずーしくなったものである。

さて、次は14号機登場のときである。平成14年8月8日(木)であるから、盆前とはいえ平日であり、始発便に乗るわけにも行かない。というより、1号機のみのときは、出勤時にわざわざ南堀端を迂回して坊っちゃん列車を見ながら出勤したものだが、14号機登場のダイヤ改正と共に、平日、大街道を始発便が通過するのは午前9時頃になってしまった。これでは、坊っちゃん列車で出勤はできなくなった。もっとも、今治転勤になった今では、時に9時半本社出張というのがあって、古町駅から坊っちゃん列車出勤というのをやっている。

(当時の当サイトはこちらへ) > 「かずまる特攻隊が行く3」へ移動

  

さて、その8月8日であるが、平日と言うことであるが、実際は職場の本社前を通るわけであるから、昼休みに追っかけを観光した、いや敢行した。が、敢行といえば、実は翌日に休暇をとって九州へ旅行に行っている。だから仕事の関係で、当日は残業が予想されたのだが、盆の直前ということもあったのか、予想外に仕事が片付いたので、最終古町行きにもぐりこんだ。

日中は積み残しがあったと報道された坊っちゃん列車であるが、最終便はかなり空いていた。この理由は当時10回目の乗車だったのが、300回が近づいた今ではよく判る。ようするに、この時間帯は道後温泉へと向かう逆方向が込むのである。逆に、朝はこの方向が混んでいる。

もっとも、それが判ったところで、決して自慢にはならない・・・

確か、その時は途中で雨が降り始めたのだが、渇水でもあって、嫌な気分にもならなかった。が、古町駅に着いて店で傘を買った後、11番留置線から17番留置線へ回送される坊っちゃん列車を見ている間に雨がやんで、さっき買った傘が荷物になった。ちなみに、かずまるの14号機初乗車は九州旅行翌日、はやり私は休暇をとった8月12日(月)であったことは、歴史が物語っている。(大変大げさな表現である。:2006.01.29)

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第18話 古町発の坊っちゃん列車!

今日現在、私は坊っちゃん列車に284回乗車している。そのうち、古町駅から乗車して道後温泉まで行った回数は167回、実に総乗車回数の6割近くを占めている。ちなみに、古町駅からの総乗車回数は182回となる。では、その14回はなんだというと、JR松山駅前での下車が3回、南堀端が2回、大街道が4回、上一万が5回となっており、全てのパターンを網羅している。

通常坊っちゃん列車の場合、一度乗ったからには終点まで乗るべきものだが、途中下車するにはわけがある。JR松山駅前までの3分乗車は第2話で述べたとおりだが、それでは他はどうか。

まずは上一万下車の場合。第1回目は平成16年1月31日、この日は前々日に入社以来19年間にしてはじめて病気による休暇をとったとき(かずまるも体調不良)で、さらに翌日(つまり30日)妻がインフルエンザを発病して、かずまるを妻の実家に預けて、翌31日にかずまるを連れてかえる途中、坊っちゃん列車に乗ったのだが、先のとおりかずまるも体調不良だったため、念のため、上一万から古町へ出て帰った。そして、翌1日にかずまるもインフルエンザにかかった。

2回目は6月26日、かずまるが日赤に入院中で、単独乗車の後見舞いに行ったということが容易に想像できる。3回目は平成17年8月24日の東京旅行の直前で、買出しを兼ねて上一万から直接宮田町のスーパーへと出かけた。4回目は9月17日でこの時もそのまま古町へと出て、動物園へと自転車特攻隊に出かけた。その翌日にかずまるの自転車が爆発したことは記憶に新しい。5回目が11月23日でかずまるに出撃を拒否され、上一万から宮田町へと抜けた。このように上一万下車の場合は、そのまま城北線で古町方面へと抜けるのにちょうど都合が良いと言える。

それに対して、大街道下車の場合はそこに用事がある場合が多い。1回目は平成14年12月22日、かつての職場仲間との忘年会のために乗車した。2回目と3回目は平成17年1月15日と22日、かずまる体調不良で当時のかずまる特攻隊連続2週間不出撃の時、その後15日はB電器店へ、22日は本社へと立ち寄っている。そして、最後の11月29日は、土橋にある妻の勤める病院へインフルエンザ予防接種を受けるのに、受付時間内に入るためにはここが限界だった。

最後に南堀端下車であるが、1回目の平成16年12月29日は義兄が帰省していて、かずまるは坊っちゃん列車よりも従兄弟と遊びたいために、そのまま松山市駅から郊外電車で西衣山へと向かった。2回目の今回(平成18年1月14日)はそのまま県立美術館へと入っていったのである。

というわけで、我々の苦しい事情を(またか?どういう意味だ!)あらわしているといえよう。(2006.01.15)

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第17話 坊っちゃん列車3分乗車!

今日現在、私は坊っちゃん列車に281回乗車している。ちなみに、かずまるは245回乗車となっている。そのうち、なんと、古町〜JR松山駅間の3分乗車が6回ある。1乗車が300円だから安くはない。が、まあ、そのおかげもあって、178週間連続乗車を続けている。では、その3分乗車の内容を復讐、いや復習してみよう。

3分乗車の輝く1回目は昨年の11月6日(土)である。ということは、坊っちゃん列車連続乗車を始めて2年間は3分乗車をしなかったということでもある。この輝かしい(?)3分間乗車の時であるが、理由はといえば、実は6回目とまったく同じ事情による。要するに、昨年、今年とJR四国バースデイ切符でJRを乗り倒し、坊っちゃん列車に乗る暇がなかったときにお茶を濁したのである。

2回目は昨年11月13日(金)、これは実は理由がない。2時間休暇をとって、針治療に行こうとしたときに、たまたまJR松山駅前に坊っちゃん列車がいたから乗車しただけであり、我々は翌日にしっかりと乗車している。

3回目は昨年12月25日(土)、これはさあ、坊っちゃん列車に乗ろうとしたところで、かずまるの体調がおかしい事に気づき、急遽下車して、そのままタクシーで帰宅した。

4回目は今年の4月8日(金)、ご存知関口知宏さんの追っかけに行くために、古町からJR松山駅前まで乗車して、そのまま宇和島へと向かった。

5回目は10月1日(土)、アンパンマン列車運行5周年記念でJR松山駅にやなせたかし氏がやってきたということで、同じく古町からJR松山駅前まで乗車して、そのままJR松山駅の式典にもぐりこんだ。

というわけで、我々の苦しい事情を(どういう意味だ!)あらわしているといえよう。(2005.12.18)

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第16話 坊っちゃん列車週末連続乗車記録の重圧!

今(平成17年11月24日)現在、私は坊っちゃん列車には週末175週間連続278回乗車している。175週間というのは、3年前の8月8日に坊っちゃん列車14号機が登場する2週間前から毎週坊っちゃん列車に乗車している計算になる。

この週末連続乗車の定義というのは、私が勝手に考えたものではあるが、毎週水曜日から翌週の火曜日までの間に最低1回は乗車するものとしている。従って、今週は本日11月23日(水)に乗車したので、今週末の土日は乗車しなくても、連続乗車記録は達成されることになる(そんな大げさなことか?)。

さて、この週末連続乗車記録というのが、最近重圧になってきた。実際、今年4月にかずまるが小学生になったときには、かずまるに小人運賃が発生することから、運賃、乗車賃が実質5割増しとなった。そのため、一度は連続乗車記録を途切れさせる方針であった。

しかしながら、現実には幸か不幸か、道後温泉近くの病院に実母が長期入院していたため、毎週末見舞いに行く用事ができた。このため、夏の直前まで連続乗車記録が更新され続けた。そして、その後も連続乗車記録は続いた。もはや、私としては、記録が途切れるためには、外圧がほしい。「が、ガイアツがほしい・・・!!」たとえば、先日のようにJR三昧をしたときにJRが遅れたとか、坊っちゃん列車の1両が点検中にもう1両が故障したとか、はたまた自分が病気等で出撃できなくなるとか(考えたくはないやい!)。

ただ、最近かずまるが坊っちゃん列車に興味を示さないときが出始めた。今日のように、友達が遊びに来たときなどがそうである。かずくん倶楽部危うし!(いや、そんな大げさなものではないが・・・)かずくん倶楽部に転機が来ようとしていることだけは事実である。さあ、どこまで連続記録が続くのか?重圧に耐えながら週末を迎える日々が続いているのである(なんだか、大げさの塊のような文章だな。このシリーズは続くのか?)。(2005.11.24)

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