2002年5月18日(土)
愛媛の「鉄」の紹介 > 坊っちゃん列車の話題 > 6度目の坊っちゃん列車 |
@JR松山→松山市 A大街道→道後温泉 B大街道→松山市 CJR松山←→古町 |
写真はすべて当日撮影。
坊っちゃん列車全区間制覇まであと2区間。道後温泉→大街道と松山市駅→JR松山駅であるが、後者は1日2往復だから残すと大変なことになる。しかし、今日は前者をとった。 出発は8の字ループで午前11時にJR松山駅に出没。アンパンマン列車を見た後に道後温泉を目指す。 で、途中の上一万駅で下車する。ここからは例の道後鉄道跡に沿って道後温泉を目指す。ちょうど坊っちゃん列車が道後温泉方面からやってくる。 さて、2週間前に通った道後鉄道跡を北上する。右上地図を見ていただきたい。精神薄弱者(現在は知的障害視者)更生訓練校北西端が左上である。この建物の南北に道路がある。南側はまっすぐ道後温泉駅に続く。北側の道路は所々で途切れるものの、南側に面する家々の北端がほとんど一直線に続いている。ひょっとすると、これらの家並が昔軌道だったのではないかと思わせる。そして、地図の西に見える県道新20号の西側で南北に分岐していたのであろうか。
道後温泉駅へは、西側から到着する。まもなく坊っちゃん列車がやってくる。昨日のNHK「ひるどき日本列島」に出てきた、右前方の死角を補うテレビカメラというのが、右上写真の中央に見える。ちなみに、今日はみんな白ワイシャツであった。ちょうど12時30分の「からくり時計」が作動している。 坊っちゃん列車の道後温泉発は12時43分。ここ2週間、この時刻の列車は満員に近かったのに、今日は前の車両に2名、後ろの車両は我々2名。うち乗車賃を必要とするのは2名。きょうもかずまる特攻隊の貸切になる。
大街道で下車したかずまる特攻隊は、後続の電車で県庁前まで行ってから、松山市駅まで歩くことにした。その県庁前のNTTの隣にあるのが左下の「漱石ゆかりの松山中学校跡」の碑である。 通常坊ちゃんといえば、その印象からどうしても道後温泉をイメージしてしまうが、夏目漱石の赴任先してきた松山中学はここである。従って、三津に上陸した坊ちゃんは、6・8キロの伊予鉄道三津〜松山市間を坊っちゃん列車に揺られ、松山市駅からここの近くの下宿まで人力車に乗ったのである。道後温泉は、あくまで大街道から時の道後鉄道で通っていたのである。案外松山に住んでいると、そのことを忘れてしまうときがある。(小説「坊ちゃん」を読み返せばいいのですが、時間の都合で、「坊っちゃん列車の走った頃」のホームページを参照させていただきました。)
子規堂で昼食をとった後、再び松山市駅に行くと、坊っちゃん列車がやってきた。今度は運転手が4名、車掌が3名の計7名のクルーに、マドンナ2名と番兵さんの計3名の街角案内人、さらに伊予鉄道の方の合計、乗務員だけで11名が乗っていた。今まで車掌をしていた2名が機関車の転換作業を行う。今まで、手馴れた作業を見ていただけに、やはり昨年10月13日のシーンを思い出させる。聞けば、昨夜訓練走行をして、今日から営業運転だという。メイン運転席について、その隣に指導運転手としていつものスリムな運転手、そしてサブ運転席には、昨日のテレビでもサブ運転席にいた運転手の3人が運転席に座る。さして、客車の一番前に、もうひとりの新任運転手が用箋鋏を持っている。もしかしたら、新任運転手のチェックをするのかもしれない。 坊っちゃん列車2号機の話は伊予鉄道のホームページ上にはあるものの、具体的な話は見えてこない。しかし、このようにすでに準備が進められている。予定どおり近い時期に、再び「強烈な印象」を与えるのかもしれない。がんばれ元車掌の新任運転手、がんばれ新任車掌、と思いながら再びループバスで帰路に着いたかずまる特攻隊であった。(2002.05.18) |